一話「少女襲来」
厳しい夏の暑さを乗り越え、気だるい秋の始めも乗り越え、九月も折り返しに入った今日この頃。
「暑い……」
超残暑だった。
「真夏に比べれば大分気温下がってはいるけどな」
「でもまだ二十度後半だろ」
俺の知ってるこの時期はそろそろ長袖にしてもいいかどうか考えるぐらいの、人間にとって過ごしやすい気温だったような。
「ええい、許すまじ地球温暖化!」
立ち上がり、叫ぶ。
「カズ、熱いから静かに」
久志に冷静に注意された。
「でも本当、一ヶ月分季節がズレてる気分だな」
「地球のためにも、電気代のためにもエコを心がけてるのに、エアコンを止められないんだ……悪循環だ全く」
「いっそプールに行けたらいいんだけどね」
「待て久志、凄い名案だぞそれ!」
はあとため息をつく一同に久志が革命的なことを口走った。
「いや、でもプールはもう閉まっちゃったでしょ」
「屋外ならな。でも屋内なら一年中開いてる!」
熱く語る俺とは対照的に直弘は嫌っそうな顔をしていた。
「いやでも行くのダルいし」
こいつ……!
「何盛り上がってるの?」
由香梨がやってくる。隣には若菜ちゃんと比奈もいる。
「丁度いいとこに来たな」
由香梨ならこういう話には乗ってくるはずだ。それに女の子が来るとなれば直弘も渋々、内心喜んで来てくれるだろう。
俺は今までの話の流れを三人に説明する。
「私はパス」
そしてまさかの由香梨さんのお言葉である。
「由香梨が一番乗り気になると思ってたのにこれは」
「あんた私をどんな風に見てるのよ……」
「……でも由香梨が誘いを断るのって珍しい」
若菜ちゃんも同じ気持ちのようだ。
「いやだってめんどくさいし」
ブルータスお前もか!
「それにいくら仲がいいって言っても男子もいるのよ? それなりに見た目も気にしたりしないといけないし。真夏なら大歓迎だけど、流石にこの時期は微妙じゃない? 暑いのは否定しないけど」
そういうものか……。女子って大変だ。
「まあ、無理なら仕方ない。由香梨が来ないなら比奈と若菜ちゃんも来ない……」
だろうしと言いかけた所で止まる。由香梨の隣で比奈が目をキラキラさせてこちらを見ていたからだ。
「……比奈さん?」
「え? あ……えっと、今年は忙しくて夏らしいこと出来なかったとか、友達とプールなんて楽しそうとか、全然思ってないからね。ほんとに、全然」
「…………じゃあ比奈は来るか?」
「か、カズ君がどうしてもって言うなら……!」
もうそういうことでいいです。
「香月が行くなら俺も行くぞ!!」
ガタッと音を立てて直弘が立ち上がる。
予想できたけど落ち着け直弘。鼻血出てるぞ。
「……私も行きたい」
「え!?」
若菜ちゃんが由香梨抜きで行きたい……だと。近々天変地異でも起きるんじゃないか。
「まあでも来るなら大歓迎だ。久志はどうする?」
「楽しそうだし、是非」
久志はニッコリと笑う。爽やか過ぎて周りの空気の気温が下がったように感じた。
「よし、じゃあ五人で……」
「ストーップ!」
由香梨が止めに入る。
「どうした由香梨」
「いやいやどうしたじゃないでしょ。皆行くのに私だけめんどいとか言ってられないじゃない」
いや、言ってても構わないんだけど。
「ええい、やけくそよ。私も行く!」
「無理すんなって」
キッと睨まれた。
「……わかった。じゃあ週末に行くか」
こうして休日の予定が埋まった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「いやー、一人って暇だなー」
比奈は別の用事があって後で来るということで、一人でラジオの控え室にいた。
ここにいる時は大抵比奈と二人だったから退屈することはなかったんだけどなあ。
大人しく音楽でも聞いていようとウォークマンを取り出した所でドアがコンコンとノックされた。
誰だ? 伊賀さんかな。打ち合わせでもしに来たのだろうか。比奈がいないんじゃ出来ないよな。
「はい、どなたでしょう」
とりあえずドアを開けて来訪者を迎える。
すると下から「きゃっ」と可愛らしい声が聞こえた。
「ん?」
首を下げると見慣れぬ女の子が視界に入った。
身長は一回り小さく、頭の両サイドから長い二つの房が伸びている。いわゆるツインテールってやつだ。目の前の小動物のような彼女にこれでもかってくらいハマってる。非常に可愛らしい顔つきで、愛らしいさを感じる。なんというか、ザ・妹って感じの女の子だった。
「ビックリしたあ〜。ドアを開けようとしたら勝手に開いたから」
「あ、ごめん」
初対面の人には基本敬語なのだが、小学校高学年、高く見積もっても中学生に見えるこの子にはタメ口になってしまった。
「それで君は……誰?」
問いかけに彼女はじーっと俺の顔を見つめてきて、
「もしかして今噂の高城和晃さん?」
と言った。
「噂になってるかは知らないけど、高城和晃は俺だよ」
すると彼女は何故かぱあっと表現を明るくする。
「やっぱり貴方が比奈の! へえ、へえー! うん、うん」
な、何だ一体……?
「比奈って言ってるけど、比奈の知り合い? 妹は……いないって言ってたな。事務所か養成所の後輩かな?」
少なくともラジオの控え室にわざわざ来る学校の知り合いはいないだろう。なら芸能関係者のはずだ。
「え、いや、私は……」
何か言おうとした彼女だったが途中で言葉を止めた。
「私は……何だ?」
「ううん、なんでもない。その通り、比奈は私の先輩で、同時にお姉ちゃん的な存在なんだよ」
「へえ、やっぱりそうなんだ」
「うん――そうなんだよ、お兄ちゃん」
最後の一言に思わず噴き出した。
「お、お兄ちゃん!?」
「比奈との関係を考えたら高城さんはお兄ちゃんって呼ぶべきかなあって」
彼女はニンマリと悪そうな顔をする。
「ごめん、意味がわからない。からかってるのなら怒るぞ?」
「お兄ちゃんって呼んじゃ駄目……?」
瞳をウルウルさせて上目遣いでこちらを覗き込んでくる。
くっ、こんなのに負けてたまるか……!
「お兄ちゃあん、返事して」
「いいと思う!」
お兄ちゃんには勝てなかったよ……。
というかそこで猫撫で声とか反則です。
「あ、もしかして……お兄ちゃんだけじゃ物足りない?」
彼女はゆっくりと迫ってくる。自然と足が後退する。
二人とも部屋に入り、支えを失ったドアは自然と部屋を密室にする。
「も、物足りないってどういうことだ……?」
というかどうしてこうなった。小学生……いや、そこはかとなく犯罪の匂いがするから、中学生としよう。何故中学生に翻弄されてる、俺。
「ふふ、今から教えてあげるよお兄ちゃん」
いやいやいや、何を!? 絶対不味いよね色々と!
彼女は艶かしい声で距離をどんどん詰めてくる。こんなところを誰かに見られたりしたら――!
「ごめんね、カズ君遅れ――」
瞬間、空気が凍った。
直前までなかった声の主。言うまでもなく比奈だ。最悪のタイミングでやってきたらしい。
彼女の顔を見るのに何故かものすごい恐怖心を覚えた。
「カズ君?」
比奈の満面の笑みを見た瞬間、背筋が凍りついた。人間はきっと、殺気で人を殺す事が出来ると確信した。
「ま、ままま待ってくれ。これは誤解だ!」
比奈はずんずんといつもより迫力を感じさせてこちらにやってくる。そして、手を伸ばしてきて――。
「こら、恵。カズ君をからかわない」
…………俺、生きてる?
どうやら比奈は恵と呼ばれたこの少女の襟を掴んだようだ。
「いやーごめんごめん。面白そうだったからつい」
少女は悪気など微塵も感じさせずカラカラと笑っていた。
「ごめんねカズ君。この子、悪戯好きだから」
「ごめんなさーい」
小さな女の子は笑いながら手を合わせている。
な、何なんだ一体。
「その子、比奈の後輩で比奈はお姉さん的存在って……」
「恵、嘘はよくないよ」
「騙してごめんね、お兄ちゃん」
彼女は一歩前に出て、舞台で舞うかのようにくるりと一回転する。
「私の名前は安岡恵(やすおか めぐみ)。まだマイナーだけど、妹系アイドルやってます。見た目は小さいけど、比奈とお兄ちゃんと同い年だからね!」




