EX.最終話「繋がる世界」
最終章一話の裏側で起きたお話。
今からおおよそ四十年前、当時少年だった彼は家に帰りたくない思いから行けるところまで行ってみようと考えた。
道はいつか途切れるはずだ――そう考えてやまなかった彼はそれが間違いだと知った。いくら歩いても道は途切れない。世界は延々と続いてる。姿を変えて形を変えて、世界は少年の前に姿を現し続けた。
少年はその時悟った。
世界は一つに繋がっているのだと。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「失礼します。ただいま戻りました会長」
メイド服姿の少女が扉を開け一礼して中へ入ってくる。いかにもといったお偉い人の部屋でメイドがいるというのは現実味に欠ける。しかし三条沙良が醸し出す雰囲気と佇まいは違和感を払拭する何かがあった。
最初は眉根を寄せていた高城誠司も今は何とも思わない。つい先程までここを訪れていた二人の男女を見送りに行っていた彼女を労うことにする。
「ご苦労だったな沙良君」
「当然のことをしたまでです」
秘書として働き始めた時は会話のやり取りさえまともに出来る状態ではなかった。けど今では下手な社会人より落ち着きのある対応を見せるようになった。
「……さて。沙良君はそれで本当にいいんだね?」
「何がですか?」
「今回の件についてだ。和晃側に付きたいというのが君の本心だろう。私の側に付くのは不本意ではないのか」
ここを訪れた二人の男女――それは誠司の息子である和晃とその恋人の香月比奈だった。彼等はある一大決心をして誠司の元へやってきた。そして二人の人生をかけた「勝利条件」を提示したのだった。勝負を持ち込んだ和晃達が不利になる条件となったが、和晃はそれで構わないと言い、条件を飲み込んだ。
さてここには色々と込み入った事情がある。その中には沙良の環境と感情も混じっており……感情だけで判断するならば、彼女は和晃の味方になりたいと考えているはずなのだ。
しかし彼女はバッサリと「いいえ」と答えた。
「もし私が普通の高校生だったなら迷わず彼等を応援していたでしょう。けれど現状はそうではありません。立場が立場だけに彼等の傍に付いては駄目でしょう。それに私は思うんです」
沙良は一度顔を伏せ、どこか遠くを見つめるような表情で言う。
「これは彼等にとって試練です。私がいないと駄目ならば、今後もきっとどこかで挫折します。あの二人は二人が築いてきた環境下で試練に挑まねばならないと感じるんです。だから私は敵対します。そして見届けます。どんな結末になろうと……」
沙良の人生を破壊してしまったのは他ならぬ自分自身だ。誠司が滅茶苦茶にした彼女の価値観がこの台詞に現れてるといってもいいだろう。
申し訳ない、と思う反面、これで良かったという気持ちもあった。例え誠司が彼女の人生に干渉せずとも、彼女が和晃と関わり続ける道を選んだのなら彼女の価値観はどちらにしろ壊れていたはずだから。
「そうか。君がそう言うのであればそうなのだろう」
沙良は成長した。自分の人生がグチャグチャにされて、それでも彼女は逃げずに向き合った。そして今の三条沙良が作り上げられた。
三条沙良の再生を傍で眺めている間に息子の和晃も見間違えるほどの変化を遂げていた。偏にそれは彼の傍にいた香月比奈の影響ではあるが……その香月比奈も和晃といることによって更なる成長を果たしていた。
人は変わる。特に誰かと関わることによってより顕著に変転する。
かつて高城誠司もそうであったように。
「会長。本日の予定ですが――」
しばらく黙っていると沙良が手帳を捲ってスケジュールを読み上げようとした。腕を前に伸ばして読み上げる口を制する。
「……すまないが、今日は……」
「――幾つかの商談がありますが、全て進行中のものです。ただいまの進捗状況から察するに以前の内容を確認するものがほとんどでしょう。これぐらいでしたら私一人でも対応が可能かと」
あくまで沙良は澄まし顔でそう言ってのけた。誠司が言おうとした言葉の更に先を読んだ返事を。
「全く、沙良君には敵わないな。では任せてもいいんだね?」
「ええ。ちなみに車の方も手配しておきました。既に着いているはずですのでいつでも出発できるかと」
ここまで準備を為されていたらもう言葉も出ない。
口元に微笑を携えて肩をすくめた。
「では私は出てくる。もし何かあれば連絡を入れてくれ。その時はすぐに対応する」
「はい。いってらっしゃいませ」
沙良はご主人の外出を見送るメイドのように――いや確かに服装はメイドなのだが――うやうやしく礼儀をした。
それを尻目に社長室を出てエレベーターに向かう。
一階に降り立つと沙良が言ってたように黒塗りの高級車が停めてあるのが目に入った。誠司が移動の際に使ういつものやつだ。
「年明け早々すまない。例の病院に向かってくれるか」
運転手に目的地を伝える。礼儀正しい言葉遣いで了承を貰うとリムジンが動き出した。
まだ年が明けて数日。世間の人々は年始を満喫しているのか人通りは普段と比べてまばらだ。
何気なく風景を眺めていると、いつもなら現れないはずの光景が突然目に飛び込んできた。どうやら恒常のルートを使わずに手前の交差点で曲がったようだが……。
「実はこの先の道は工事をしているせいか交通規制がかかっているそうで。こちらから向かった方が早く目的地に着くそうです」
と、運転手が誠司に説明した。
適当な相槌を打ちながら誠司は考える。どこかで道が塞がれても経路を変えれば目的地に辿り着く。幼い頃に悟ったあの考えどおりだ、と。
いつもと違うその道は大きなビルが並ぶ大通りと比べると一回り小さい建物が並んでいた。奥に行けば行くほど建物は縮小し、一軒家となり、やがて人工物すらなくなって田舎の田園風景が見えてきてもおかしくないだろう。
それはまるで――誠司が通り過ぎた過去を上から順に辿っているようだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
高城誠司は小さな会社を受け持つ父とその母に育てられてきた。当時、日本は終戦を果たしたばかりで多くの人間が余裕を失っていたが、少なくとも高城家はそうではなかった。むしろそれをチャンスとばかりにどんどん会社を大きくしていった。
小さい頃から父に「お前は高城家の長男として代々紡がれてきた歴史を受け継ぐのだ」と教えこまれていた。
その教育の一環なのか、多くの習い事を小学生の時から受けていた。当時の時代を思えばそれがいかに贅沢で周りから見たら羨ましい光景だっただろう。
しかし誠司はその習い事が嫌いだった。
習い事は基本放課後からである。だから同じクラスの子が帰り道のあぜ道で楽しそうにはしゃぐ姿を横目に誠司は孤独に道の端を歩んで町に赴いていた。
幼心から皆と遊びたいと最初は考えていたが、いつしか心は歪み、あいつらは低俗だなどと見下すようになっていった。
同じクラスの子達も彼のそんな態度に気づいていたのか、彼に近寄る者はいなくなり、誠司の中から友達という存在は消え去った。
今思えばあるいはそれも父の狙い通りだったのかもしれない。
かくして孤独に小・中学校時代を過ごした誠司は高名な高校に進学。そこでも常にトップの成績を叩きだして有名な大学へと進学した。
その間も彼には友達という存在は出来ず、孤独な王様として君臨していた。
高度経済成長期の恩恵もあってか、高城家が受け継いできた会社はいつしか町を超え、県を超え、関東地方全域に領域を拡大していた。
大学を卒業した誠司はその内の一つ、それも本社の次に大きな支社の頭を任された。
元々彼には商才があったのか業績はうなぎのぼり。本社に肉薄するほどだった。
だから部下達も誠司の仕事の腕だけは頼りにして付いて行った。ただ、それ以外で誠司が評価されていたものはなかった。
何故なら一支店の長になっても彼は孤独な王様だったからだ、部下の提案も有益になりそうではなかったら容赦なくつっぱね、また仕事以外での干渉もよくしない。
会社を大きくするだけの機械――それが当時、誠司が部下に陰で呼ばれていた名称だった。
間もなく会長が引退し、その息子である誠司がH&Cグループを統括する会長に就任する――そんな噂がまことしやかに流れ始めた頃、機械人間と言わしめた誠司を大きく変える出会いがあった。
その時は偶然スケジュールに空きが発生して、かといって特にやるべきこともなく社長室で資料を整理していた時だった。控えめなノックが扉の先から聞こえてきた。
普段ならアポなしでの訪問は問答無用に追い返していたが――その日は気分で訪問者を迎え入れることにした。
「失礼します」
そう言って顔を覗かせてきたのは若い女の社員だった。
その頃、有能な女性社員が入ってきたと社内で噂されていた。女性がいるというだけで珍しいのに頭も切れるわ、性格も良いわ、美人だわで多くの男性社員が彼女にアプローチしていたとか。
色目を使っている暇があるなら働け、というのが誠司の本心だったが、その当の本人が直にやって来たことにほんの少しだけど興味を持った。
しかし興味を持っただけで甘やかすつもりは毛頭ない。むしろここで痛い目を見てもらい、男性社員に持て囃されてるだろう甘受を叩きのめしてやるとさえ考えていた。
相手の女性が名を名乗った所で誠司は先を促した。
「それで用件はなんだね?」
「はい。先日却下された案件なのですが、その理由をお訪ねしたくて参りました」
女性が抱えていた企画書には一度目を通していた。少々新しい挑戦であるから誠司にどう思うか判断して欲しいと。しかしあまり利益にならないと考えた誠司は女性の言ったように即座に企画を取り止めさせたのだった。
理由なら前に企画書を持ち込んできた社員に話してある。彼女だってそれを聞いているはずだ。それでもここにやって来たということは、文句の一つでも言いに来たといったところだろう。中々に根性のある女だ。
誠司は女性に改めてその理由を語る。
すると予想通り女性は一度肯定してからしかし、と口にした。ただ誠司のこの後の予想は外れた。
納得行かないから難癖を付けて企画を通そうとするのではなく、まずは企画のダメ出しから入り、次になのでこうこうこうすれば結果的にこうなるので、きっと実利を生むはずだと――彼女は論理的に話を展開していった。
その意見に誠司は少々驚いた。
男性には中々理解しづらい女性視点を交えつつも確かな論理を展開し、企画書に書かれたものより何十倍も素晴らしいものを生み出していた。ベースは同じでも味付けを変えるだけで家庭の料理から三ツ星レストランの料理になる――そんな気分を味わった。
ただ新生した彼女の企画にも問題はあって、それらを指摘した。幾らか彼女も反論をしたが結局白旗は誠司に上がり、女性は潔く負けを認めた。
悠然と去っていく彼女の背中に誠司は思わず声を掛けた。
「君の視点は斬新で面白かった。また何か思うことがあれば来るといい」
女性は驚くように目を見張ったが、次に魅力的な笑顔を浮かべて言った。
「ええ。では、何度でも訪れますね」
それを機に女性との珍奇な付き合いが始まった。
誠司の言葉を真に受けたのか事ある度に社長室に訪れ、時にはアポもなしで突撃してくることも多々あった。
彼女が訪れる度に新しい世界を知ったような気分になった。気が付けばそれが楽しいとすら感じる程になっていた。
程なくしてH&C社の会長が退任し、誠司がその座を受け持つことになった時、その女性を秘書として任命した。
彼女といる時間は更に増え、それが仕事外に及び始めるにはそう長い時間はかからなかった。
「全く、会社を運営する才能はあるのに女性を扱う才能は皆無なのね」
と、彼女と付き合い始めた時によく言われたものだった。
彼女と出会ってから誠司は人間味を会得していった。利益を生み出さないと分かってもすぐに一蹴せずに改善の余地を与えたり、部下とも積極的にコミュニケーションを図って社内環境を円滑になるよう努力した。
誠司はみるみる人望を集め、生まれ持った商運と優秀な部下たちのお陰でより一層会社を大きくすることに成功したのだった。
一回り業績を上げたH&C社は本社を現在の所在地に移転することを決めたのだった。
そして移転が終わり、新しく運営が動き始めた頃、誠司は女性に不器用ながらもプロポーズし、結婚をした。
それから暫くは忙しいながらも幸せの毎日が続いた。
特に妻が妊娠をし、子を産んだ時なんかは狂喜乱舞だったと言っていい。
誠司は生まれてきた男の子に和晃と名を付けた。
本当なら和晃が生まれてから妻は退社するはずだったのだが、非常に大きな案件が入ってきたために限定的であるが手伝ってもらうことにした。
その背景には育児が落ち着いてきたこともある。
家政婦でも雇い面倒を見てもらおうと初めは思った。しかし引退してから垢が抜けたように大人しくなっていた父が孫と過ごしたいと言うので複雑な気持ちながらも父に和晃の世話を任せた。
何かあっても代々高城家に仕えてくれている新井さん(何故か本人は名前でなく爺、もしくはセバスチャンとお呼びくださいと言い張る)が傍にいるので大事はないだろうと高を括っていたのだ。
しかし誠司はもっと考えるべきであった。一時冷徹な人間を作り上げた己の父のことを……。
事が露呈したのは仕事がキャンセルになって思いがけず早く帰れることになった日のことだった。
仕事で疲れきった身体と心を癒やすためにも愛する息子に会いたい一心だった。
父が隠居している和風の屋敷の玄関を開けると、珍しく狼狽する新井さんが誠司を迎えた。
「今日は珍しく仕事が早く終わったんです。和晃は今どうしてます?」
「そ、それは……。現在、この屋敷に坊ちゃまはいらっしゃらなくて」
「どこかに遊びに行ってるんです?」
「それは……」
態度がハッキリしない新井さんの姿は初めて見た。だからこそ誠司の胸に不安が広がった。
「親父はいますか?」
「あ、はい。ご主人様は在宅なさって……」
最後まで言葉を言い切る前に誠司は家の中へと踏み込んだ。そして父の自室である書斎へ突撃した。
「親父……和晃はどこにいるんだ?」
突然の来訪にも父は動じない。それどころかフン、と鼻を鳴らし高慢な様子を見せつける。
「和晃なら習い事に行っておる。暫くは帰ってこんだろうな」
「な、習い事だって……? 俺やあいつに相談も無しで勝手に通わせてるのか!?」
「それの何が悪い。様々な教養は今のうちから身につけておかねばならん。その方が和晃の身のためでもあるだろう」
「御託はどうでもいい! どうしてそんな勝手な事を――」
「勝手なこと? 笑わせる。高城家の跡を継ぐために必要なことだ。違うか?」
「な……!?」
父の発言に誠司は思わず頭がくらむような感覚を覚えた。
こいつは何を言っている……? 高城家の跡継ぎ? また、俺のような機械をこいつを生み出そうとしてるのか……!?
「あんた、自分が何やってるのか分かってるのか? どうして実の父親でもないお前がうちの息子を仕立てあげようとしてるんだ……?」
「むしろ何故貴様は何もしない。当然の責務だろうが」
「前に言っただろ! 次期会長は務めている社員から選ぶと! 別に高城家が会長の座を受け継いでいく必要はないんだ! いいか、世の中には親父や俺より優れた奴がごまんといる」
そう、例えば誠司の妻とか。
彼女がいたからこそ、誠司は人情を得、世界の見聞を広めていった。彼女がいなければ今もビルの一室でふんぞり返っていただろう。
「だから和晃は民衆の子供達と同じように育てる。そのように言いたいのか?」
「ああ。わざわざ和晃を高城家のしがらみに巻き込む必要ない。あいつには自分が選んだ人生を送ってもらって――」
「果たしてそれが本当に出来ると信じておるのか?」
「それは、どういう……」
「……今の若いものを見てみろ」
父は目をつむり、神妙に語り始めた。
「あやつらには未来が見えていない。夢も希望も持たず、ただ目先の快楽にしか視界が行き届いておらん。未来を形作るための有限な時間を無駄に消費し続けておる。そうしてやりたくもない仕事に就き、大して愛情のない異性と結婚する。そうして望んでもいない子供をさぞ待ち望んでいたかのように振る舞う。ワシの目にはあやつらは無意味な人生を送っているようにか見えん」
「それは……極論だ」
「本当にそう言えるのか? では自分の身で考えてみろ。もしワシが貴様に次期会長という椅子を用意していなかったならば、貴様はどういう未来を歩んでいた。夢もなく、ただ目の前の暇を消化するために遊び呆け、無為な人生を過ごしていたんではないか」
父の言葉に誠司は何一つ反論出来なかった。
もしどこかで自由に人生を送っていいと許可されたなら――きっと抑圧されていた欲望を抑えられず好き放題やっていただろう……。
「貴様は和晃にもそのような未来を歩ませるというのか? 未来の指針を何一つ与えず、目の前の道しか歩けないように育てるというのか?」
誠司は子が生まれた時、一つだけ大きな不安があった。
それはまとまな育て方をされなかった自分が、息子を立派な人間に育て上げることが出来るかどうか、ということ。一歩間違えれば誠司と同じようなひねくれた人間か、それとは全く違う問題児が出来上がってもおかしくない……。
ただ、誠司を受け入れてくれた女性は優しい口調でそれでもいいじゃない、と言った。さらに続けてこう言った。
――だって、
「――和晃は俺の子だ!!」
腹の底から出た声は書斎どころか屋敷全体を揺るがすような気迫に満ちていた。
「親父が何と言おうと和晃は俺の子だ! あんたがあいつの人生を勝手に決めて良い訳がない! そしてそれは俺自身にも言える事だ。あいつの人生はあいつ自身が決める! 俺の仕事は、俺の息子が歩みたいと思った未来に向けて背中を押してやることだ。そこに邪魔してくる奴がいるなら俺は容赦しない! 例えその相手が俺を育ててくれた親であってもな」
家庭を持った子供は初めて親を睨みつけた。
「……ふん。言うようになったじゃないか。しかしかといって高城家の名を恥じることは許さん。和晃が大きくなって、それでもあいつが己の道を見いだせないというなら……ワシの権限をもって和晃を次期会長に任命する。異存があるようなら今ここで言ってみい」
その時誠司は何も言えなかった。だから代わりに息子を信じた。
父との対立はしかし誠司にとって大きなプレッシャーとなってのしかかっていた。
ある日、和晃の幼馴染である少女に問題が発生した。それを解決する代わりに約束の鎖というとてつもない爆弾を和晃に巻きつけた。
結果的に自立を確立した、まさに巣から飛び出したばかりの少年にその爆弾は大きな影響を与えた。仕事の合間に逐一報告される和晃の様子を想像して誠司は胸が締め付けられる思いだった。
和晃が徐々に崩壊を始めた頃、誠司は新しく立ち上がった芸能プロダクションに立ち会っていた。その時、誠司は夢を追う一人の少女に出会うことになる。
彼女の名前は香月比奈といった。
香月比奈がひたむきに夢を追う姿を若者が――和晃が見ることで少しでも励みになるのならば。そんな藁にもすがる思いで少女を受け入れた。
だから、その香月比奈と和晃が出会ったと聞いた時は神様が与えてくれた奇跡だとすら思った。
二人はその後、様々な問題にぶつかったようだ。その過程で多くの想いを知り、成長をし――今日、誠司の前に現れた。
和晃は変わった。夢を重責と考え、囚われていた心を香月比奈との邂逅によって紐解いたのだ。苦しくも若かりし頃の自分と同じように――。
まだ全て終わったわけでもない。けど漠然と彼等の企みは成功するだろうという予感があった。
息子が一歩踏み出したというのに、自分は足踏みをしてるだなんて情けない。
だから誠司は今、病院に向かっている。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
病院に到着すると真っ先に目当ての病室へと向かった。
扉を開けるとチューブで機械に繋がれた父が窓の外を眺めていた。
「……親父」
「ふん、貴様か」
いつからだろう、父は誠司のことを名前で呼ぶことはなくなっていた。
窓から吹いてくる風が誠司の頬を撫でる。
「今日は仕事があるはずだろう。何しに来た」
「報せに来たんだ。和晃のことで」
ベッドの傍に置かれている丸椅子に腰を下ろした。
「前に来た時に和晃が次期会長になると貴様は言ってなかったか」
「ああ。そのはずだった。けどあいつらはめげずに立ち上がり、俺の元へやって来た」
「では和晃は夢を叶えられる算段がついたということか?」
「……いいや。あいつらは俺に条件を提示してきただけだ。あいつらがあいつら自身の道を歩むための課題をな。それは一筋縄どころか、例え創作でも乗り越えられないような条件を提示してきたよ」
冗談で言ったことを和晃はそれで良いと言った。流石にあれは誠司も驚かざるを得なかった。
「なおさら絶望的ではないか。無理と分かってるのに貴様はここに来たというのか」
「ああ、そうだ。俺も勝利宣言ってのをしてみたくてね」
すうっと息を吸って。誠司は言葉をぶつけた。
「――俺の息子を舐めるな」
しばしの静寂。風はいつしか止んでいた。
「……出てけ」
言葉を発したのは父だった。
「出てけ。今は誰とも話したい気分ではない」
何を言おうと受け付けない。そんな雰囲気だった。
誠司は何も言わず立ち上がり、再び外に顔を向けてしまった父に背中を向ける。
部屋を出る直前、父の声がした。
「いい顔になったな、誠司」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
エントランスに戻ると見慣れた顔があった。
「あ、いたいた。面会終ったの?」
妻だった。今は専業主婦らしく家にいたはずなのに。
「どうしてお前がここに?」
「沙良ちゃんから連絡があってね。誠司さんが病院に向かったって」
「全く、沙良君は余計な気遣いをしてくれる……」
自宅からここまで結構な距離がある。大方車を手配する時の片手間として妻にも連絡したのだろう。
「でもあなたにとって有益な時間だったみたいね」
「どうしてそんなことが言える」
「ふふ、だって今の誠司さん、満ち足りたような顔をしてるもの」
「……気のせいだ」
かつての孤独な王様時代のように憮然とした表情をしてみせる。しかし長年連れ添ってきた伴侶には効かないようでクスクスと笑い続けていた。
「ねえ、たまにはお散歩でもしない?」
「嬉しい提案だ。けど車を待機させてるから……」
「あ、先に帰らせておいたわよ」
「…………」
そういえば妻も沙良と同じかそれ以上に遣り手だったのを忘れていた。
どうしようもないなと判断した誠司は軽くため息をついた。
「ああ、分かったよ。仕方ない」
そう言うと、恋人時代に戻ったように腕を絡めて密着してきた。
「……おいおい、この歳にもなってこれは恥ずかしいんだが」
「いいじゃない、たまには。ここ暫く二人でゆっくりしてる時間なかったんだし」
「はあ、全く……」
こうなっては何を言ってものらりくらりとかわされるのが目に見えた。
恥ずかしさを表に出すわけにもいかず、堂々とした足取りで帰路につき始めた。
「それにしても和晃はいい子に出会ったわね」
「ああ、そうだな。……本当にそう思う」
風が吹いた。季節はまだ真冬。沁みるほどに凍てついた風が二人をなでる。お陰でより一層、隣にいる大事な人の温もりが伝わった。
「昔、習い事に行くのがどうして嫌で家出しようって考えたことがあるんだ」
互いの体温を感じながら誠司はあの日のことを思い出す。
「まだ子供だったから道に限界があると思ってた。けど幾ら歩いても道は途切れなくて。気がついたら夜になってたんだ」
「最後はどうなったの?」
「確かあの時は……親父が俺を心配して探しに来てくれたはずだ。で、こっ酷く怒られたんだけど……。世界は繋がってるんだってその時感じたことを親父に言ったんだ。その時の親父の言葉をさっき思い出したよ」
世界は全て繋がっている。人の夢も、未来も過去も。俺と誠司も繋がっている。誠司は俺の大事な息子なんだ――。
誠司は彼女と共に道を歩いて行く。どこまでも続くこの世界を。繋がる世界をどこまでも。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
未来や過去も繋がっていれば、人の夢や人生だって繋がっている。
ならば、各々の物語だって道のように繋がっているはずなのだ。
この物語だって繋がっていく。
そう、だからこれは――君の物語だ。
<アイドルと公開恋愛中 ~fin~>
随分時間がかかりましたが、これにて本当に本当の終了です。
ここまで書ききれたのも応援してくださった皆様のおかげに他なりません。
本当にありがとうございました。
……良かったら連載中の他の作品もお読みいただけたらとっても嬉しいです(笑)




