EX.四話「不器用で一方通行な恋(後編)」
前回の続きです。
<side Hisashi>
「やあ、待たせてしまったかな」
聞き覚えのある声がしたので顔を上げる。いつもとは見慣れない格好をした佳穂さんが立っている。
「今来たとこだよ」
お約束の台詞を言って、背中を預けていた柱から離れる。
「佳穂さんの格好、いつもとは違う印象だね」
「……似合ってないか?」
「いや、そんなことは。可愛いよ」
お世辞でも演技でもなく事実だった。
佳穂さんはいつもGパンに無地の服と薄手の上着といった簡単な服装が多い。
しかし今日の佳穂さんはふわっとした白いワンピースの上にデニムシャツを羽織っている。
いつものかっこいい女性といった印象ではなく、可愛らしい今時の大学生といった印象を抱かせる。凛々しさの中に相反する可愛らしさがあり、普段とのギャップも相まって可愛い女性らしさが滲み出ている。
「なら良かった。気合を入れて臨んだかいがあった」
「皆が見れない佳穂さんを見れて嬉しいよ。けど……本来の目的は忘れてないよね?」
「ああ、当然だとも。男女のデートは見た目にも力を入れるというだろう? 嘘だとバレないためには、本当のデートらしく振る舞う必要がある。それに……嘘の恋人でも、折角のデートなんだ。少しぐらい楽しんでもバチは当たらないだろう?」
と、佳穂さんは妖しく笑った。
今日の佳穂さんとのデートの目的は、佳穂さんにしつこく迫る青柳先輩に諦めを付けさせるためのものだ。先輩に俺と佳穂さんがラブラブな様子を見せつけて改心を謀る。
ただ俺には若菜さんという好きな人がいるし、佳穂さんだってそういった事情を秘めているのかもしれない。だからあくまで青柳先輩を離すためだけに結成された偽物のカップルだ。
他のサークルメンバーにも今日のことを話して協力を要請した。
今頃、彼らに呼び出された青柳先輩は急用が出来たといって約束を破棄したメンバー達に愚痴を吐いてる頃だろう。
後は上手く俺達の姿をちらつかせ、食いつくのを祈るのみ。
そこから先は……まだどうなるかわからない。
一つだけ気がかりなのは若菜さんのことだ。
この偽デートを決行する日にちや場所などの詳細な予定を伝えたが、返信は一切ない。
彼女のことだ、あまり気にせず流したんだと思うけど当の自分は気になってしょうがない。
これで少しでも嫉妬でも覚えてくれたら嬉しいんだけどな。
「ここで立っているのもあれだし、早速行こうか」
佳穂さんの言葉を機に足を動かし始める。
すると佳穂さんが腕を伸ばしてきた。ああ、恋人らしく手を繋ぐのかなと手を差し出したら……そうではなく、腕を絡ませてきた。
「あの、佳穂さん、これ……」
「ん? どうした。嫌か?」
「嫌ではないけど、その、顔が近いし胸があたってる」
「当ててるんだ。定番だろう? 恋人ならこれぐらいのスキンシップは普通だと思ったんだが?」
別に手を繋ぐだけでもいいんじゃ、と思ったがこれぐらいしないと青柳先輩は動じないか。やりすぎなくらいがちょうどいいんだよね。
それにしても今日の佳穂さんはいつもより大胆な気がする。男をいつも寄せ付けない見えないオーラみたいなのを普段は纏っているんだけど……。
「ん? 私の顔に何かついてるか?」
「あはは、なんでもない」
まさか、今日のデートもただ見せつけるだけじゃなく……。いや、考えるのはよそう。彼女の意図がなんであれ、今は青柳先輩を撃退するために役を演じるべきだ。
かつて自分がしてたように仮面を被り、笑顔を顔に張り付けた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
以前のように作り笑いをして、心は冷静に物事を見つめる。
心にバリケードを作って行動しようと決心したけど、デートとなると話は違った。
実はこれでも女性とのデートは初めてで、慣れないことをするのに神経を使ったというのもある。また、佳穂さんがいつも以上に女の子っぽくて、無邪気な笑顔を見たりすると普段とのギャップを感じてドキドキさせられてしまう。
好きな子がいても、こればかりは男として仕方ないことだ。若菜さん、こんな俺を許して欲しい。ああ、でも、怒る姿を想像したらそれはそれで良い……!
デートの中身に関しては無難なものだったとしか言いようがない。
まずは映画館に赴き、お次は喫茶店でランチも兼ねて食事を摂った。それから商店街で色んな店を見て歩き、陽が沈むと人気のない公園で夕陽を眺めた。
大体は冷静に対処できたのだけど、不意に恋人らしい振る舞いを要求されて、その度に戸惑った。乗り越えることが出来たのは毎日若菜さんとありとあらゆるシチュエーションを想定してたからであり、それがなかったら今頃恥ずかしい姿を見せるところだった。
夕方の公園ではキスもした。といってもキスをするフリだ。今日を迎える前に役者を本気で目指す全国公認カップルにキスの演技を教わり、実践に移したといった形である。
本来ならここで終わりの予定だったんだけど、せっかくということで佳穂さんがディナーの予約をしてくれたらしく、ちょっと豪華な夕食をとることになった。
ビルの上から見た都内の夜景はそれはそれで美しかった……みたいな余裕はなく、財布事情を気にしていたのは内緒だ。もし仮面を被ってなかったら冷や汗が大量に出てたことだろう。今日ばかりは中二病時代の自分に感謝。
レストランを出ると外はもう暗く、都内じゃなければ星も見れたと思う。
果たして今日一日の行動が良い結果に導くことになるだろうか。役者の殻を剥いで、元の関係として佳穂さんに話しかけようとするが、
「……済まない、久志君。誰かが私達を尾けてきている」
彼女の言葉に目を見張らせる。
俺達を尾行する人間なんて青柳先輩しか考えられない。あれだけ恋人らしく振る舞って、夜食も終えたというのにまだしつこくついてくるのか。
……いや、もしかして夜だからこそついてくるのか?
まだ事は終わってない。昼間と同じように体をできるだけ密着させて夜の街を歩く。
昼間はいなかったんじゃないかって思うくらい、後ろから足音が聞こえてくる。お前たちを追ってるんだぞ、と妙にテンポよく鳴らしてくる。
「……久志君、こうなったらあそこに入らないか」
佳穂さんが指差すのは明るい繁華街の中で小さく明滅を繰り返す看板だった。そこにはホテルとローマ字で綴られている。夜の街に相応しい施設……ラブホテルってやつだ。
逡巡したが、このままだとどこまでも先輩は追って来る。そのように判断して中に入ろうとする。
「おい、お前らいい加減にしろよ」
背中から苛立った声が飛んでくる。
振り向くと顔を怒りに染めた青柳先輩がこちらを睨んでいた。
「昼間っから散々見せつけてくれて……こちとらイライラしてんだよ」
怒っているのは一目で分かる。わざわざ言葉にする必要ないのに。
「あら、青柳先輩じゃないですか。私達の楽しみを邪魔しないでください。ここからが良いところなんですから」
佳穂さんは見事に悪女を演じきっている。とても意地悪で妖艶な微笑を浮かべている。
「お前ら、俺にわざと見せつけてきたんだろ? 俺にお前らの様子を当てつけて、俺の気を変えようって魂胆だな。久志、こりゃおめえの提案か」
「いいえ、久志くんじゃなくて私が考えたんです。普段の私達を見てくれれば、先輩も諦めてくれるかなと思いまして」
「くそが、ふざけんなよ。怒りが募っただけだ……!」
「それで一夜を明かさせるぐらいなら、姿を現して気を晴らそうって考えですか? 青柳先輩、悪いですけど、そんな人に私はなびいたりしません。私と夜を過ごす資格があるのは久志君だけです」
それから一拍開けて、
「いい加減、うんざりしてるんです。もう話しかけないで……いえ、近寄らないでください。邪魔でしたら私、サークル抜けるんで」
佳穂さんはきっぱりと言い放った。
「へえ、大した女だね。強情な女は好きだ。ますます気に入ったぜ。久志もある意味見なおしたよ。あんな噂を流してまで今日まで佳穂との関係を隠してたなんて」
「あんな噂?」
「久志は他に好きな女がいる。ま、俺はハナから信じちゃいなかったけどな。お前って妙に真意を人に見せたがらない雰囲気があるからな」
これは驚いた。俺と佳穂さんの関係は見抜いてないのに、俺の本性は感づいている。偶然か、それとも彼の本能的な勘が見破ったか……。
「先輩が何を言っても私の気持ちは揺らぎません。今日は見逃しますから、素直に帰ってください」
「おいおい、佳穂、冷たいことを言うなよ。少なくともこいつよりは楽しい時間を過ごさせる自信はあるぜ。特に夜はな」
先輩は舌なめずりすると、佳穂さんの腕を掴もうとする。佳穂さんの前に躍り出て、逆に掴み返す。
「やめてください先輩。ここで争っても目立つだけで、何もいいことは……」
「うるせえな、黙ってろひ弱野郎!」
もう片方の腕が突然襲ってくる。頬に鋭い痛みが走り、体は無様に地面に投げ出された。
「久志君!」
「あー、もう、我慢の限界だ。なあ久志、俺は最初に会った時からお前のことが嫌いだったんだよ。優しい笑顔を振りまいて、端整な顔で人に近づいていってよ。しかも、自分から近づいていく割には自分の本性は見せない。お前としては楽なもんだ。ちょっと話をして笑ってやれば、相手が勝手に裸になっていくんだから。顔がいいから、爽やかだから。ただ、それだけでな。人生楽なもんだな、おい」
先輩は拳を鳴らしながら近づいてくる。起き上がろうにも、地面に倒れた時に強打した体は痛みで中々動いてくれない。
「わざわざ自分に群がる人間を増やすために幾つものサークルを兼任してるんだろ? んで、片っ端から女を食って捨てる。違うか? たまたまうちの佳穂を気に入って、珍しく長く付き合ってる。どうせ飽きたら捨てるんだろ。だってお前は俺みたいにしつこくアタックしなくても、笑顔さえ見せれば女はよりどりみどりなんだからよっ!」
先輩が足を振り上げてお腹を蹴りあげてくる。
鈍痛な痛みがお腹に広がる。
腹に収まっていたものが食道を逆流する気配がする。それを抑える前に体から排出される。
痛みと気持ち悪さが混じって声をあげようにも、獣のうめき声みたいものしか絞り出せなかった。
「青柳先輩っ!」
怒りに満ちた佳穂さんの声が聞こえる。
腹を手でおさえながら必死にそちらを見る。
佳穂さんが青柳先輩の胸元を掴み、腕を振りかぶって今にも殴りかかろうとしていた。
それを先輩はニヤニヤしながら手で受け止める。
「彼氏がボコられて怒り狂ったか。これ以上久志を痛みつけられたくなかったら、俺と一緒に寝ようぜ。そうしたら久志にも佳穂にも二度と手出ししない。それでどうだ?」
先輩の言葉に佳穂さんが迷いを見せた。
頷いちゃダメだ。一度でも関係を持ったら、先輩はそれを盾に何度でも迫ってくる。これは罠だ。一度落ちたら這い上がれない、深い落とし穴なんだ……。
佳穂さんも突然の事態に困惑し、まともに頭が働かなくなっていたのだろう。普段ならすぐに突っぱねるのに、今日はしない。
逡巡したあげく、美しい首を縦に振って――
「……先輩。俺、先輩を凄いと思ってるんですよ」
ふらつく体を気合で支えて立ち上がる。
意識を声に持ってかれた先輩と佳穂さんがこちらを見てくる。
「俺、上手く隠してたはずなんですけど、見破られちゃいました。本当は高校生の頃に仮面を捨てたはずなんですけどね。大学生ともなると、高校生までに出会わなかったタイプの人間がたくさんいて時と場合によってはどうしても被らざるを得なかったんです」
傲慢な人間、自分勝手な人間、無責任な人間……他にも接してて不快な人物はたくさんいた。その逆に、他人にどこまでも優しい人間、常に気遣ってくれる人間、心配してくれる人間。中には俺のように自分を演じている人間もいたし、高校の時の友人みたくひたすら夢を追い続ける人間だっていた。
「それを見破った先輩には尊敬すら覚えます。ある意味で俺の本質を見てくれたんですから。でも、一つだけ訂正させてください」
微笑んだつもりだった。ただ頬が痛むせいか、無意識に引きつった笑みになってしまったのだと思う。
先輩は俺の顔を見て少し怯えた表情を見せた。
「どんなに仮面を被ってても、俺の想いは本物です。俺は、俺の好きな女の子一筋です。これから先、俺がどんなに道化師を演じても、彼女の前だけでは素顔を晒し続けます。そしてできたら、俺はあいつのように自分の目標に向かって突き進むんです。その彼女も一緒にね」
俺が憧れるのは、俺の仮面を剥がしてくれたあの男だ。
俺が目指すのは、尊敬する男のように、愛する人ともに切磋琢磨して前に進むことだ。
その過程で大切な人と別れることになっても、俺は自分の憧れる自分を諦めたくない。
自分の理想だけは、他人にも俺自身にも決して騙らせやしない。
「な、なんだよ、お前!」
俺は今不気味な笑みを浮かべてるんだと思う。それに耐え切れなくなっただろう先輩の腕が伸びる。
次殴られたら再起不能になるかもなあ……。
「……それぐらいにしないと警察呼ぶ」
殴られる直前、拳が言葉通り目の前で止まった。
視界がはっきりしてるもう片方の目には、腕を組んで眉をひくつかせている胸の大きい女の子がいた。
「だ、誰だおま……」
「……まるでお子様」
「はあ?」
「……自分の気に入らないことが起きたら無理やり手に入れようとして、挙句の果てに暴力で解決しようとする。頭じゃ敵わないから、身体でねじ伏せようとする。そんな能もない男には、牢獄がお似合いだと思う」
「急に出てきて、何を偉そうに……!」
「……ちなみに後数分もしたら警察が来るから」
一瞬にして場の支配権を奪った彼女――若菜さんは冷たい声で淡々と先輩を追い詰める。
先輩は俺と佳穂さんを悔しげな顔で見やり、若菜さんに一瞥を向けてそのまま逃げ去っていった。
しばし静寂が場に流れるが、事態が収拾したことに気づいた佳穂さんがこちらに心配そうな顔を向けてくる。
「久志君、その、怪我はっ!?」
「ん? ああ、大丈夫……」
気を抜いたら倒れそうなぐらいには痛いけど。もうちょっと体を鍛えておけばよかった。
「そんなことよりもどうして若菜さんがここに……」
事態を収めた少女に視線を向ける。佳穂さんも同様に視線をやった。小さな声で「これが久志君の……」と呟いている。
若菜さんは努めて冷静な表情を装ってるように見えるが、その実もの凄く不機嫌な様子が露になっている。唇はピクピク動いてるし、目は(わずかだけど)釣り上がり、苛立たしげに足を鳴らしている。いつも彼女を観察している俺だからこそ分かる。
「……私、今、もの凄く怒ってる」
先輩といい、若菜さんといい、目に見えて分かることほどハッキリ言う。欧米ではよく自分の感情はストレートに口にするという。外国人と距離を近づけるために若菜さんを見習った方がいいんだろうか。
「あの、誰か知らないが助かった。是非礼を――」
「……いらない。一応言っておくけど、あなたにも腹を立ててるから」
キッときつい視線を佳穂さんに向ける。あまりの迫力に何故か自分が身をすくませた。
「……さっきの男は、クズだったけど、欲望に素直だったところは好感もてた。でも、貴女は真意を隠してる。どうせあの男がいてもいなくても口実を付けて久志君をホテルに連れ込む気だったんでしょ?」
「ちょ、若菜さん、それは言い過ぎ……」
「……久志君は黙って!」
珍しい怒鳴り声にもう一度身をすくませた。
若菜さんと佳穂さんの視線が交錯する。息の詰まる緊張感が場を支配する。
「もしそうだと頷いたらあなた……若菜さんって言ったな。若菜さんはどうするつもりなんだい?」
「……私はただ事実を聞いてるだけ」
「私が久志君をどうしようと私の勝手じゃないか? 別に若菜さんは久志君と付き合ってるわけじゃないんだろう?」
「…………そのことは今、関係ない。私が言いたいのはそういうことじゃなくて、わざわざ久志君を巻き込む必要はなかった。貴女がもっとしっかりしてれば、他の方法でどうにか出来たんじゃないかってこと」
「まあ、そうかもしれないな。でも若菜さんみたいに指を加えて見てるだけじゃ何も解決しないし、進展もしない。妥協するのはいいが、それだと事と場合によっては大切なモノを失う可能性があることを考慮したほうがいい」
「――――っ!」
若菜さんは奥歯を噛みしめるようにして顔を歪ませた。
それから俺の方をひと睨みして、
「……今晩はどうぞ楽しく過ごすことね」
殺意のようなものを言葉に染み込ませてその身を翻した。
その後姿に声をかけるけど、一向に止まってくれない。
困ったように佳穂さんに目を向ける。
「……済まない。少々意地悪になってしまった」
目を伏せてシュンとした表情を見せる。
それからどうしてか寂しそうに笑った。
「久志君、一つ頼みがあるんだ。私のことはいいから、若菜さんのことを追いかけてほしい」
「でも……」
「いいんだ。表面上は拒んでるけど、今の彼女はきっと君を待ってるだろうよ」
行っていいのか、と無言で尋ねる。佳穂さんはただジッと黙って静かに首肯した。
別れの言葉も切り出さず、俺は若菜さんが去っていった方向に向かって走りだした。
「……一方通行の恋とは難しいものだな」
佳穂さんの微かな呟きは聞こえなかったフリをした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「若菜さん、夜道に女の子一人じゃ危ないよ」
「……来ないで。別に大丈夫だから」
「そうは言っても心配なものは心配だ」
「……なら可愛い彼女さんを心配してあげて」
若菜さんといえど、流石にめんどくさい。いや、でもこれは嫉妬してくれているのか。うーむ、好意的に捉えるとそうだけど、今は喜ぶより機嫌を直すのが先だ。
「彼女、護身術とかやってるみたいでその危険はないみたいなんだ。それより、佳穂さんは別に彼女でもなんでもないよ。俺がずっと想い続けているのは若菜さんだ」
どんな暴言が返ってくるやら。ゴミやら、細菌やら、ありとあらゆる蔑称がきてもいいように身構える。ふな○ん野郎って言われたら当分立ち直れる気がしないけど。
しかしどんなに待っても予想してた言葉は返ってこなかった。
横顔を盗み見ると、怒りは静まり返り、しおらしい表情をしていた。
「……どうして」
「ん?」
「……どうして私なの?」
「そりゃあ、若菜さんだからだよ。俺が好きだからだ。それとも、その理由を詳細に語った方がいいかな?」
「……さっきも言ったけど、私今すごく怒ってる。冗談言われたら何するか分からない」
「あ、はい」
別にふざけたつもりはないんだけどな……。普段言いすぎて、軽薄な感じになっちゃったか?
「……あの女も腹を隠してるし、男も純粋なクズでむかつく。ヘラヘラしてる久志君も見ててイライラする」
俺ってそういう風に見られてたのか……。
「……でも、一番ムカついてるのは私自身」
若菜さんは落ち込んだ顔を見せる。
「……私、本当はただ久志君を助けるだけのつもりだった。けど、あの女に余計なことを言った。……ううん、私は八つ当たりをした。あの女に。あの時、私が言った言葉はニュアンスや意味合いは多少違うけど……四年前に言いたくて言えなかった言葉だから」
若菜さんと佳穂さんの最後のやり取りを思い出す。
あの言葉が四年前……高校二年生のどの場面を指すのか。瞬時に思い当たった。
「……それを今、四年後しに吐き出して……結局正論で返された。もっと早く表舞台に出てれば失わずに済んだのに」
高校二年生のあの時のことだ。俺が憧れる男が公開恋愛などという訳の分からないことを始めた時。
自身も含めて周りは協力するムードだった。唯一彼女だけが反対をした。
あの時、若菜さんが強く反論して、あいつの彼女に同じ言葉を突きつけていたらどうなっていただろうか。
運命が変わってあいつと若菜さんが付き合う未来だってあったのかもしれない。
「後悔してるの?」
「……多分」
「そっか。でも俺は良かったと思ってるよ」
「……私が彼と何もなかったから?」
「そんな卑屈的な考えは持ってないさ……。そうじゃなくて、もし少しでも運命が変わってたら、俺は若菜さんに恋することはなかったかもしれない」
自然と優しい笑みが零れた。彼女を慈しみ、包み込むように、見つめる。
「何度でも言うよ。俺は中里若菜のことが好きだ。この気持ちだけは嘘じゃない。命に代えて誓う」
「……命って。それ、誰が証人?」
「俺だ!」
「……馬鹿」
言われなくても自分でも馬鹿な言葉だと思った。
でも、涙を拭いながら微笑む若菜さんの姿を見れたなら、馬鹿でも何でもいい。馬鹿な自分だって大事な自分の一部なんだし。
「……私は面倒な女だよ」
「知ってる」
「……今も高校時代の恋を捨てきれない女だよ」
「痛いほど知ってる」
「……それでも――」
「――いいから付き合ってください!」
バッと手を差し出して深くお辞儀する。蹴られた腹が傷んだけど、今は我慢だ。
「…………」
何も反応がないので恐る恐る顔を上げてみると、蔑んだ目でこちらを見下ろす若菜さんがいた。
ああ、その豚を見るような目も素敵です。
「……それでもいいなら友達から始めてあげるって言おうとした」
「まだ友達ですらなかったの!?」
そんなのショックすぎる。高校での三年間は一体……。
涙が流れそうなほどのショックを感じていると、途端にぐうと可愛らしい音が響き渡った。
「えっと、これ……」
音の出処は若菜さんの方からだ。いわゆる、腹の音ってやつじゃ……。
「……私、久志君達を追いかけるのに夢中で実はまだ何も食べてない」
「ああ、やっぱり追いかけてきてたんだ」
「……だから、何か食べたい」
「そう。じゃあ、一緒に何か食べる? 俺もさっき地面にぶちまけちゃったし」
「……汚い」
「ごめんごめん。じゃあ、クローバーってレストランに……」
「……それ、さっきの女と行った場所。別のとこがいい」
「……ごめんなさい。じゃあ、えーっと」
近場に夜の遅い時間でも食事が出来る場所があるか頭にピックアップしていく。
その間に若菜さんは先に歩き始める。
「あ、ちょっと、ま――」
「……それと」
動く足を止めて、振り返ってくる。
「……この辺のことを分からないから、案内よろしく」
と言って手を差し出してきた。
これって手に取れってことだよね?
飛び跳ねたい喜びに駆られるが、そこは一応常識人。心の中で喝采を上げるだけに留めて冷静に手を握った。
「……ニヤニヤ顔、キモい」
「表情までごかませなかったか……心の仮面を被る時がきたね」
「……中二病?」
「ち、違うよ!」
少しでも気を緩めたら彼女にペースを握られる。少しぐらい男らしい姿を見せてやりたい。
「よし、じゃあ、一日ストーキングしてお疲れの若菜さんのために楽しい楽しいフルコースをお届けしよう!」
「……怒るよ?」
「ごめん!」
「……全く」
そう言って若菜さんは呆れたように、でも優しい笑顔を見せた。
これで久志も少しは報われるでしょうか。
※若菜の久志に対する呼び名が変わってますが、大学生になってから変化があったってことでここは一つお願いします。
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