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六話「IF『アイドルと公開恋愛中!』 その二」

『和晃が目を覚ますと時計は十一時を指していた。寝ぼけ眼で目覚ましを確認して、現在時刻を知ると彼は飛び起きる。



「しまった! 遅刻だ!」



 と勢いよく起き上がったところで思い出す。

 今日は久々の休日だった。というより、休日にさせられた。連日仕事に没頭する和晃についに秘書である沙良がキレたのだ。


 ――休んで天国を見るのと、仕事して地獄を見るの、どちらがよろしいですか?


 口元は笑っていても、瞳に狂気を孕んでそんな台詞を言われたら前者の選択肢を取るしかない。

 今頃沙良は和晃の代わりに仕事をこなしてくれているだろう。本当に優秀な秘書を持ったものだと思う。



「けど休みって言ったって何もすることないんだよな」



 友達と遊ぶにしても今日は平日。順調に人生を歩んでいるなら大方の友人は仕事に就いている。前日に何人かに連絡してみたが全て断られた。



「しゃあない。たまには目的もなく街をぶらつくか」



 いつかやる気も目標も尽きた過去のように、街を巡回することに決めた。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 学生の頃に馴染みだった店に立ち寄り時間を潰していると、時間というのは案外ゆっくり流れるものなんだな、と思い改めた。社会人になってから数年……同年代の友人よりは少し早く大人の世界に飛び込んだ彼に休まる時間はほぼなかったといっていい。時間は激流のように流れ、カレンダーは一気に飲み干すようにめくられていく。感覚が完全におかしくなっていた。

 今頃社会人になった友人達も同じ思いをしてるのかな、と今では別々の地にいる彼らに思いを馳せる。

 昔を思い出すように慣れしたんだ地をゆっくりと巡る。

 とある公園に出た。そこはかつて元カノに本気の告白をした思い出の地だ。その一端に人の賑わいがあった。興味をそそられ、観衆に混じる。賑わいの中心を見て、どういうことかようやく把握した。

 どうやらドラマかなんかの撮影をしているらしい。何だか見覚えのある光景だった。

 懐かしいと感じながら踵を返そうとする。だが、



「――和晃君!?」



 観衆の中心から名前を呼ぶ声が聞こえた。振り返ると見知った人物が目に飛び込んでくる。

 数年経ったのに顔は昔と変わらない。甘く蕩けるような美貌を振りまくイケメン――河北慶(キャスト:河北慶)だった。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「こうして会うのは久しぶりだね、あれから……五年か」



 五年。そう、五年も経ったのだ。この五年という歳月で人間関係も自分自身も何もかもが変わり果てた。



「そうだな。慶さんは今もバリバリ現役で俳優やってるのか」


「もちろん舞台の方もやってるさ。君は……お父さんの後を継いだのかな?」


「そうなるな」


「社長ってのはやっぱり大変かい?」


「大変なんてもんじゃないさ」



 毎日毎日身を磨り減らすようにして働いて、今日だって仕事なのに秘書に無理矢理止められて――……。

 久しぶりの慶との再会は心躍るものだった。仕事では基本的に年上と相手しないといけないため、機嫌を損ねないように注意を払わないといけないし、かといって威厳を失わないように振舞わないといけない。けれど目の前の男には気取る必要もなく、ありのままに接することの出来る人物だ。それにかつて憧れを抱いていた人物でもある。嬉しくないわけがない。

 自分の体験を愚痴を交えつつ語り、時に慶の話も聞いて。過去に抱いていた彼への嫌悪感も今では薄れ、自分でも驚くほど楽しげに会話していた。

 だが、比奈の話は頑なに出さないようにした。



「僕もだけど、君も色々あったんだね」


「ん、まあな」


「それで和晃君は新しい出会いはあったかい?」



 恋愛話になると止まらなかった口の運動がピタリと止まる。しばらくの間を置いて声を絞り出す。



「……いや、ない。仕事が忙しくて恋愛なんかにかまけてる暇なかった」


「そうか」



 この間を慶がどのように解釈したのか和晃は分からない。いつものように薄く笑い、甘いマスクを被ってポーカーフェイスを貫いている。



「僕の浮いた話は聞いてたりする?」


「……聞いてるよ。比奈と交際して、もうすぐ結婚するんだろう」



 一瞬否定しようか迷ったが結局本当のことを口にした。ここで嘘をついても結果は変わらない。むしろ嘘を見透かされて何か言われるかもしれない。そんな恐怖があったのだ。



「そうだな、言い忘れたよ。おめでとう。比奈のこと幸せにしてやってくれ」


「"俺の代わりに"ってこと?」


 

 慶はニヤリと口を引きつらせる。挑発されている。



「その辺の解釈は任せる」



 だが和晃は顔を歪ませただけであっさりと答えを返す。逆に慶は呆気に取られたようで、



「意外だな。怒ると思ったのに」


「何で怒らせようとするんだ……。折角の再会に水を差すなよ」


「君の気持ちをちょっと確認したくて。ごめん、意地悪なことをしたね」



 ははは、と慶は軽やかに笑う。和晃はその態度にカチンとくる。



「あのな、慶さん。俺は昔と違ってもう大人なんだ。公私の区別もつくし、感情の出しどころだって沸きわきまえてる。公開恋愛宣言だなんて真似、今だったら絶対にやらない」


「……あの頃の自分は子供だったと思ってるんだね」


「そりゃそうだ。今にして思えば、あんなの奇跡に等しいよ。子供の喚き事を世間は受け入れて、俺と比奈の恋の行く末を見届けようとしただなんて……普通に考えたらありえない」


「なるほどね。でも逆に考えてごらん。大人たちは子供である君達を認めて受け入れたんだ。この意味分かるかい?」


「いや……」


「つまり、当時の君たちは大人を越えた素晴らしい子供だったということだ」



 慶は得意気に語る。彼の様子を見て和晃はため息をついた。



「でもそれも過去の栄光だ。今更どうこう騒ぐ方がどうかしてる」


「ははは、その通りだ。過去の事をいつまでも引きずっているわけにはいかないもんね、和晃君」



 慶は含みを持った笑顔を向ける。



「さて、そろそろ時間だ。無理言って休憩貰ったから戻らないと。わざわざ僕のために時間を割いてくれてありがとう。祝言もありがたく受け取っておくよ。それと、これ」



 慶は服の内側から一枚のハガキを差し出す。



「比奈との結婚式の招待状だ。日付と場所が書いてある。暇があったら来て欲しい。君なら歓迎だ」


「でも、この日も多分仕事が……」



 ハガキに書かれた日付を見ながら呟く。



「来れたらでいいさ。待ってるよ、高城君」



 慶は悪戯に微笑んで席を立った。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 河北慶と別れた後、和晃は街に戻ってきていた。

 もう一度穏やかな気分を取り戻そうと良さ気な店を探していた。

 その時、前方から歩いてきた一人の女性の動きが止まった。多くの人間が蠢く中、一人立ち止まる姿を不審に思い、彼女を見る。

 瞬間、和晃の時間が止まった。 

 視線の先にいたのは見知った……見知りすぎているといっても過言ではない人物がいた。

 昔と比べて髪も伸び、顔から幼さが消え芳香な色香が漂っている。しかしそれでも整った清冽な見た目はかつての彼女を連想させる。



「比奈……」



 呆然と確かめるように目の前に立つ人物の名前を呼ぶ。



「カズ君……」



 彼女も同じように昔のあだ名を口にした。

 和晃は近づいて抱きしめたい衝動に駆られた。それを抑えることが出来たのも五年という間に育まれた社会人としての理性が存在していたからだろう。

 抱きしめて、頭をなでて、何度何度もその名を口にして、手を繋ぎ、一緒に時を過ごしたい。

 けれど、それはもうしてはならないのだと頭で何度も反復する。



「久しぶりだ。近くの店で少し話をしないか?」



 それが今の和晃の精一杯の行為だった。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 店に入り、二人ともコーヒーを注文をした。二人の間に会話という会話はない。ただ向かいに座ってコーヒーを啜るかせわしなく体を動かすかのどちらかだ。

 このままでは埒が明かない。和晃はコーヒーカップから口を離すと意を決して話しかける。



「なあ、比奈……」

「あの、カズ君……」



 どうやらあちらも同じようなことを考えてたみたいだ。

 まるで同じタイミングで同じ事をしようとした。以前もこんなことが何度もあったはずだ。

 和晃はつい笑い声を漏らしてしまう。つられて比奈も吹き出した。そうなると二人は止まらず、快活に笑い出した。



「はあー……懐かしいね、このやり取り」


「だな。事あるごとに何かとはもってたからな、俺達」



 二人はようやく素の笑顔を浮かべることが出来た。



「カズ君はどうしてここに?」


「今日は久しぶりの休日なんだ。でも暇人が周りにいないから仕方なく一人でうろついてたってわけだ」


「久しぶり……ってことはやっぱり」


「そう、察しの通り、H&C社の社長室でふんぞり返ってるよ」



 実際はそんなことしてる余裕ないけどな。この言葉を続けることはなかった。



「比奈こそ、忙しいはずだろ? こんなとこで何やってるんだよ」



 だって、結婚式が近いんだろ? ウエディングドレスとかもう決めたのか? 知人や友人にはちゃんと連絡し終えたのか? そうそう、家具とか全部揃えたか? これから慶さんと一緒にやっていくんだろ? 準備万端にしておけよ!

 ……なんて言葉が喉元につっかえる。無理矢理押さえ込んだ反動かは分からない。胸が締め付けられるような痛みがした。

 


「実は私も珍しくオフなんだ。それでさっきまで若菜や恵と一緒にいて……」


「あの二人と会ってたのか。俺も会いたかったな」


「あはは、すれ違っちゃったね。もう解散しちゃった」



 比奈は肩をすくめてみせる。

 そこに若干の悲しみを発見をする。しかし和晃はそのことを追及しなかった。



「カズ君は最近どうなの?」


「俺か? てんやわんやとやってるよ。といっても親父の仕事を引き継ぐだけで精一杯だけど……あ、でも一つだけ自分からやろうとしてることがあるんだ。俺達が所属してた事務所、あるだろ? そっちに力を入れて、文化人を育てようとしてるんだ。夢持ってる若い人なら、環境さえ整ってれば勝手に芽生えるからさ、俺は出来なかったことを与えてやりたいんだ」



 沙良にも語ったことのない本音がスルリと口を出た。後悔したところでもう遅い。



「そ、そうだ。それでスカウトがたまたま祥平に目を付けてさ。面白い偶然ってあるよな」



 場を誤魔化すように必死で取り繕う。

 和晃は恐る恐る比奈の表情を浮かべるが、別段変わった様子はなかった。



「私の最近のことは……知ってる?」



 避けていた話題を彼女の方から振ってくる。こうなれば応えるしかない。



「ああ、知ってるさ。……慶さんと結婚するんだろう?」


「……うん」


「言いそびれてたな。……おめでとう」


「……ありがとう」



 二人の顔は晴れない。結婚という、人生の絶頂期といってもおかしくない祝い事に素直になれない二人は傍から見ておかしいものでしかなかった。



「なあ、比奈。俺達の関係はあの時完全に断たれたんだ」


「そう……だね」


「そんで比奈は新しい道を見つけた。俺も少しずつ自分なりの道を目指そうとしてる。なら、もっと華やかに、パーッといこうぜ」


「……そうだよね」



 けれど、と比奈は続ける。



「関係が終わったのに、どうしてあなたは最後に私を助けてくれたの? 何もいわず勝手に人々の糾弾を自分で背負って、その後一切連絡もしてくれなくて」


「俺は比奈に手を差し伸べられた。けれどその手を掴まなかった。それは自分の選択だ。比奈のせいじゃない。俺のせいで比奈の夢が閉ざされるなんてあっちゃならないだろ。だから、思いのままにやらせてもらった。公開恋愛のフィナーレにすることにしたんだよ」


「……そんなの、ずるいよ」


「分かってる。本当は何か一言ぐらい言うべきだった。顔を見せるべきだった。本当にごめん」


「ううん、今はもう、いい。カズ君の元気な姿が見れたからそれで」



 比奈は目の端に溜まった涙を掬い上げる。



「ねえ、カズ君」



 嫌な予感がした。この後紡がれるだろう言葉に耳を貸してはいけないと本能が告げる。



「もう一度、私と――」


「駄目だ!」



 和晃は声に出してはっきりと拒絶する。



「俺も比奈ももう子供じゃないんだ。今更後戻りなんて出来ない。さっき言ったろ。俺達はもう別々の道を進んでるんだって。一緒に並んでいたのは高校生までだ。これからは自分達だけの道を進むべきなんだ。大人の俺達は我侭で勝手な行動をしちゃいけないんだ。だから、比奈」



 これから言うのはあの時言うことが出来なかった本当の決別の言葉だ。五年間引きずった過去に別れを告げるように、



「慶さんと幸せになれよ」



 比奈は何も言わず黙って頷いた。


 こうして公開恋愛をした二人は、今度こそ断絶された。

 二人の道が交わることはもう、ない。』




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