一話「勝利条件」
一応念のため、ということで教えられていた番号だけど、まさかもう一度この番号を使うことになるとは思わなかった。
携帯の連絡帳に映る番号の羅列はH&C社に繋がる電話番号だった。それも最大の重役である親父に直接繋がる特別なものだ。高城家の父としてでなく、H&C社としての会長として連絡がある場合はこちらにかけてくれ、と渡されたものだった。
今までに使ったことは一回だけ。恵ちゃんが芸能界から引き摺り下ろされそうになった時、親父に電話したのはこちらの番号だった。
もう二度と使わないだろうとあの時は高を括っていたが、今日こうして画面を開いている。ただ話すべき内容はまるで違う。
番号をタッチし、コール音が耳に響く。少し待つと綺麗な女性の声が丁寧に対応してくる。その相手――沙良に俺の名を告げる。
『アキ君ですか? こちらに連絡を入れてくるなんて……何かありましたか?』
「親父と話がしたいんだ。父親として、H&C社の会長として。その旨を親父に伝えて欲しい。頼めるか、H&C社会長秘書の三条沙良さん」
『……畏まりました。H&C社の傘下である○○事務所の高城和晃が面会を希望しているという内容を会長にお伝えします。よろしいですね?』
「ああ」
しばらくの間保留を示すメロディを聴きながら待機する。
再び電話が繋がると、少しの時間でいいなら今日でも対応するという返答がきたので、指定された時間に赴く旨を話した。とんとん拍子に話は進み、全てを決め終えて通話は終了した。
「はあ……神経使うな……」
「お疲れ様、カズ君」
隣で通話を聞いていた比奈は苦笑いで迎えてくれる。
「横で聞いてたから知ってると思うけど、今日H&C社に乗り込んで親父と話し合う。比奈も来るんだよな?」
「勿論。事の元凶は私だし、責任はきちんと取るよ」
と、比奈は両腕を前に出してガッツポーズ。頑張ります、と奮起した姿を見せる。
「移動時間のことも考えて早目に出るとするか。出かける準備は?」
「私は出来てるよ」
「よし、じゃあ先に外出て待っててくれ。財布とか必要な物取ってすぐ行く」
「りょーかい」
比奈は可愛らしく笑顔で敬礼してパタパタと部屋を出て行った。
俺は二階に上がり、便宜上自分の部屋に入る。勉強机の鍵が付いた引き出しを開け、例の物を取り出す。
「今日の会談で許可が出たら、やらなきゃなんないんだよな。……今度はもう忘れたりしないぞ」
光に当てるように手に持ったそれを掲げ、大切にポケットの中にしまった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
新年が明けて早数日。流石の大企業となれど、年が明けてばかりだと幾らか暇らしい。それでも普通の会社に比べれば忙しいのだけれど。まあでも、お陰でこうして親父と会うことが出来る。
社長室に通され、白いふかふかのソファーに比奈と並んで座る。横に長いテーブルを挟んで正面に会長……高城誠司が陣取る。親父の斜め後ろにはメイド服姿の沙良が静かに佇んでいる。
「今日は気合が入ってるな」
「まあ、一応大事な場だしな」
俺はビッシリとスーツを着込み、比奈はビジネスの場に相応しい正装がなかったため学校の制服を着ている。それでもメイクなんかは大人も顔負けのしっかりした仕上げとなっている。
「早速本題といこう。H&C社のトップとして話がしたいらしいが、用件は何だ?」
「二つほど確認したいことがある」
人差し指を一本立てて、
「まず一つ目。なんでも親父は比奈の引退を利用してイベントを開催していいって言ったそうだな。その件についてだ」
親父の策をそのまま利用するっていうのは、個人的に少々癪であるが、一番確実な方法はこれしかない。今回は仕方なく、使えるものは全て使わせてもらう。
「俺はとある策を考えた。そのためにイベントを開催したい。そうだな……いつか学校で比奈のライブをやった時と同じように崎ヶ原高校で開催したいと思ってる。内容は大まかに分けて三つ。比奈の引退ライブに、俺達の看板である公開恋愛ラジオの公開録音、それと本命の演劇か。これらの見出しで崎ヶ原高校卒業式の日に開催を許可できるか?」
「学校側の許可は取ったのか? そちらに話が通してない場合は許可したくても出来ない」
「だから確認なんだ。今日は俺達がやろうとしている事がどこまで可能なのかを見極めたい。それを聴いた上で、事務所側に企画立案してそれから許可を取ったり、こっちにも依頼するって形になる」
「了解した。今日のはあくまで、その段階までこじつけた場合可能か否かを聴きに来たということか」
「そういうこと。……今回やろうとしているのは相当無茶な案なんだ。少しでも確実性が欲しい」
親父は納得するように深く頷いた。
「なるほどな。学校側の許可が下りたなら、こちらも容認する。今回は例外ということで資金に関してはこれといった上限を設けないでおこう。お前達がやれる限界を目指してみろ」
ありがとうございます、と比奈が律儀に頭を下げた。
「して二つ目の内容は?」
「計画中のイベントに対してじゃなくて、俺と親父の約束についての確認だ。高校卒業までに一定の成果を上げた場合に限り、自由な道を歩むことが許される」
「ああ、その通りだ」
「今まではこの一定の成果が明確だった。文化祭の劇の主演を務めるとかな。けど、今回の件についてはその成果とやらに明確なものがない」
文化祭を終えた後は、成果を示す場がどこにもない。だから約束の期限を短くされたのだった。けれどこうしてもう一度チャンスを与えられた今、目の前の男にとって納得できる成果とは何かを知る必要があった。そうでないと約束を果たすことも破ることも適わない。
「今回の俺達の勝利条件ともいえる『一定の成果』の定義を確認したい」
親父は顎をさすりながら、ふむ、と考え込む。
「イベント内容はいくつかあるが、演劇が本命なんだよな?」
「ああ、そうだ」
「なら――」
親父は意地悪くニンマリ笑う。
「作り物の舞台を本物と錯覚させる――なんてどうだ」
提示された条件は文化祭の主演を掴み取るなんてものより遥かに難易度の高いものであった。
「……まあ、今のは冗談だ。幾らなんでも流石にこれは――」
「いや、それでいい。嘘の演技を本物に変えることが俺達の勝ちでいい」
流石の親父もこの返答には度肝を抜いたらしい。目を丸くして言葉をなくしている。
「演技を本物に思わせるって……ええ!?」
隣に居る比奈も戸惑い、拝聴していたはずの沙良も唖然としている。
俺はあくまで冷静に言葉を続ける。
「本来だったら俺はもう夢を追いかけることは許されなかった。けれど隣にいる女の子のお陰で俺はもう一度立ち上がることが出来た。夢を見るチャンスをくれた。本当なら自分で這い上がらないといけなかったのに。俺は人にこうして頭を殴られるまで腑抜けた甘い人間だった。……だから俺は俺の覚悟を示したい。絶対に無理だってことをやり遂げて、それを愚かな自分への贖罪にしたいんだ」
「全くお前ってやつは……」
親父は長いため息をついて天を仰ぐ。
「俺はこんな奇想天外な息子に育てたつもりはなかったんだがな。やれやれ。どこで教育方法を間違えたんだか」
と言いながら肩をすくめて見せる。しかし心なしか微笑んでいる気がした。
「では、本当にいいんだな? ここで否定しておかないともう後戻りは出来ないぞ」
もう一度真剣な表情に戻って問いかけてくる。
俺は強く頷く。
「上等だ。やってやるよ」
この条件は罪深き俺の枷だ。贖罪のために必要なもの。
そして、もう一つ理由がある。
「そんで――親父を超えてみせる」
こちらは俺の勝手な見栄だ。あのH&C社の会長が無理だ、と言ったことを成し遂げる。それすなわち、親父の想像を超えた己の実力を見せ付けることに他ならないと思う。
俺は親父にずっと憧憬を描いていた。今回の件で俺は初めて親父に勝てるかもしれない。
そんなつまらない意地が働いたのだ。
親父は全てを悟りきったように小さな声で「そうか」と呟いた。
「なら、やってみろ」
親父は俺の瞳を正面から見据える。
「お前の……高城和晃の力をこの俺に見せてみるんだ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「文句を言うわけじゃないんだけど、演劇を本物に思わせるってそんなこと出来るの……?」
社長室を出た帰り。比奈が不安げに訊ねてくる。
「私も今回ばかりは比奈と同じ心境です。そこまで豪語していいのですか?」
「さ、沙良もやっぱりそう思うよね!?」
あれ、この二人いつの間にか名前で呼び合ってる。俺の知らない間にこの二人にも何かあったのだろう。詳しいことは言及しないでおこう。
「今回の件はさ、公開恋愛を始めてからの総決算になると思うんだよ」
一度熱くなった頭を冷やした上で先程とは違う根拠を提出する。
「俺が考えた計画は全く新しいものじゃなくて、今までの経験を解体して再構築して作り上げたものだ。決して俺や比奈の二人だけじゃ出来なかったもの。加えて、公開恋愛の時のように一人が勝手な行動して解決できるような内容じゃない。これまでに出会ったたくさんの人達の協力も必要だ。色んな人の手を借りて、全力で取り組む必要がある。……偽者を本物にするぐらいにな。そういった意味合いも込めて判断したんだ」
「理屈は分かります。しかしそれは精神論であって、現実的なものではありません」
「ま、そうかもしれんな。けど、一度言い切ったからにはもうやるしかないだろ」
俺は曖昧に苦笑いを返す。
「でもよくよく考えたら、私達って見切り発車ばかりだったよね? それでも何だかんだで上手くいってきた」
「比奈の言うとおり。きっと今回も何とかなる」
「……二人のポジティブさにはほとほと呆れます」
沙良は笑いながら肩をすくめた。
「……私の立場はH&C社の秘書です。つまり会長側というわけです。なので私はアキ君と比奈の手助けをすることはできません」
ビルのエントランスホールに来ると、沙良は立ち止まり、姿勢を正す。表情豊かな顔も今は無表情だ。
「ですので今回はお二人のことを見守って応援しております。会長の期待にどうか応えてください。そして、私にもお二人の作り上げる未来を見せてください。それと」
彼女は比奈の方に顔を向ける。
「比奈……アキ君のことよろしくお願いしますね」
「……うん。任せて」
沙良はもう一度正面に向き直り、「それでは」と丁寧に一礼して背を向ける。
彼女はもうこちらを向かない。それは俺達との決別を感じさせるものであった。これは親父や沙良と俺達の未来を賭けた戦いだとでも言うように。
「行こう、比奈」
顔を見合わせて頷き合う。沙良に背中を向ける。
俺達は振り返ることなく前へと進んだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
用事は済んだけど、それでもすぐに帰宅にはつかなかった。時間があったから比奈とちょっと散歩。
……というのは建前だ。今日の決定事項で俺はこうしてここに立ち寄ることが半ば決められたようなものだった。
比奈は無邪気に周囲の光景を見ていちいち声を上げる。少し先を先行して、何かあるたびに笑顔をふりまく。可愛い……のだが、今の俺には素直にその感想を味わっている暇はなかった。これからやろうとすることを考えると心臓のバクバクが止まらない。緊張のあまり、気持ち悪くさえなってきた……。
「カズ君大丈夫? 顔色が悪くなってるような」
そんな俺の気も知らず下からひょこっと覗き込んでくるこの美少女である。彼女は天然小悪魔だろう。
俺はさささーっと悪魔から距離を置いて、
「い、いやあ、今頃プレッシャーを感じてきて」
「……まあ、あんだけ大口叩いたら誰でもそうなるよね」
でもどうして距離置かれたんだろ……?と比奈は慌てている。
そうじゃない、そうじゃないんだ。別に避けてるわけじゃないし、俺の気が小さいのが原因で――。
「……あ、雪だ」
比奈が手の平を上空に差し出す。彼女が見上げたように自分も空を見る。小さいけれど確かな存在を持った白い塊が降ってきている。
「綺麗だね」
空を見上げながら比奈は言った。
俺はそんな彼女を見ながら思う。俺の立てた計画は皆が協力さえしてくれれば完遂できる。だからこのまま準備に乗り出すことも出来るけど……。
――偽者の演技を本物の現実に錯覚させる。
それはつまり、成功した場合、劇でやったことが現実になるわけで。その場合、俺が考えてるプラン通りだともの凄いことになるわけだ。……色々な意味でやっちまったと思う。
これは俺だけのものじゃない。比奈も一緒にいてくれないと駄目だ。だから、この計画を実行するために俺はここできちんと答えを聞いておかないといけない。
「ひ、比奈!」
雪に魅入る彼女の名前を呼ぶ。ゆっくりとこちらを振り向いて柔和な笑みを見せる。
「……どうしたの?」
純粋無垢なつぶらな瞳をこちらに向けて。雪のような綺麗な肌に、艶やかに光る彼女の唇。腰まで伸びた美麗な黒髪は雪に照らされ漆黒の輝きを生む。
「その……! 今回の計画は皆の協力が必要で、比奈の協力も当然必要だ」
「私は最初から一緒にやるつもりだけど?」
「それは嬉しいんだけど、勝利条件を考えたら、事によっては俺や比奈の人生を大きく変えてしまうかもしれないんだ」
「公開恋愛もまさしくそんな感じだったね」
「ああ。……けれど、あの時は仕方ない面もあった」
公開恋愛のときは状況が状況だけに逼迫しており、他の選択を選ぶ余地がなかった。
けれど今回は多少とはいえ時間はある。今ならまだ違う選択をすることも可能なのだ。
「だから今度は比奈自身の答えを聞きたいんだ」
雪がひらりと舞い落ちる。二人の間に雪の結晶がキラリと輝く。
一歩、彼女に近寄る。彼女との距離が近くなる。彼女の顔がはっきりと見える。
そして、俺はその言葉を口にした。
最終章突入記念に第二回人気キャラ投票を行います。
完結後のおまけ話に関する質問もございます。
今回もよろしければご協力お願いいたします。
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