十話「軌跡は欠片となりて」
<side Kazuaki>
ただ無為に時間は過ぎていった。
比奈の説得でようやく目を覚まし、今度こそ、と二人で意気込んだまでは良かった。
けれどあれから進展は全くない。
別に何もしてこなかったわけじゃない。むしろ俺と比奈は推薦であるが故の余った時間で頭を悩ませていた。伊賀さんやマネージャーも真剣に考えてくれたが、いまいちこれだ!という打開策は浮かばなかった。
はっきり言って時間はもう……ほとんどない。
結局、成し遂げる意志を強く持っても希望が叶うわけではないのだろうか。
世界はやはり自分の望む方向には進んでくれないのだろうか。
いや……世界の意志なんて関係ないか。策が思い浮かぶか否かは俺達次第だ。世界の意志が働く瞬間は策が思いついて、実行した後の結果がまさにそれに値する。
あー、くそ、また弱気になってる。というか、こんなこと考えてる暇があるなら打開策の思案に意識を向けるべきだ。
椅子の背もたれに体を預け、腕を組む。正面から見たらさぞやむっつりした顔になっているだろう。
チラリと顔を横に向け、今日の日付を確認する。
十二月二十日。学校も昨日から冬休みに突入した。クリスマスまではあと数日。比奈の説得からおよそ一ヶ月半は経った。けれど、それだけ。
はあ、とため息をついたところでタイミングよく電話が鳴った。
『カズ君、外雪降ってるよ!』
電話口には子供のようにはしゃぐ比奈が出た。彼女も同じように悩み、最近は疲弊した様子が垣間見えた。だからこうして明るい声を聞くのは随分久しいように感じる。
携帯を耳に当てたまま立ち上がり、カーテンを引く。
目の前に現れた外の世界では、上空から小さな雪がまばらに降り注いでいた。ベランダに出て、曇り空を意味もなく見上げる。
『もうこんな季節なんだね』
彼女も電話を耳に当ててこうして雪が降る光景を見ているのだろうか。どんどん過ぎていく季節に時間の大切さを噛み締めているのだろうか。
「なあ、比奈。気分転換も兼ねて二人で散歩でもしないか?」
どうせ一人で家に閉じこもって悩んでいても解決策は浮かばない。頭をスッキリさせるためにも、また考えるにも一人より二人だ。それに、どんなにどん底にいたとしても、雪の中を恋人と歩くちょっとした幸せぐらい堪能しても誰も文句は言わないはずだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「うー……雪見れば分かるけど、外はやっぱり寒いね」
白いコートを身に纏った比奈は手で腕をさする。
俺はおもむろに手袋の片方を外して、
「こうすれば少しは暖かくなるんじゃないか?」
と比奈の方に手の平を差し出す。
「……うん。そうだね」
彼女は優しく綻んで、同じように手袋を外して手をつないだ。防寒具をつけただけでは決して得ることの出来ない暖かさが手の平から全身に伝わる。
昔と違って、手をつなぐことも当たり前になった。出会った当初は名前で呼ぶことすら抵抗があったし、演技といえど手をつなぐ行為にも顔を真っ赤にさせていた。
この一年間で学んだこともある。けれど今必要なのは未来への指針。……過去のことは関係ない。
俺達が歩くのは近くの水上公園。一年前、ドラマ撮影中に愚かな男が主演女優役のアイドルに声高に告白したある意味で思い出の地である。
池や葉の落ちた木に小柄な雪が舞い落ちるのを眺め、時折、思い出したように一言二言交わしながら池をゆっくりと周る。
静かでとても情緒に溢れていた。ついさっきまで思い悩んでいたようには思えない。二人だけののんびりとした時間。何も考える必要のない平和な一時。いつまでもこうしていられればいいのに……。
前方には穏やかな笑みを浮かべた夫婦に、両親と手を繋いで楽しそうに笑っている小さな女の子がいた。彼らも俺達と同じようにのんびりとした時間を過ごしているようだ。見ていてなんだか微笑ましくなってくる。
唐突に目の前の女の子がこちらを見て指差した。親の手を振り払い、こちらに駆けてくる。親も「加奈!? 待ちなさい」と大慌てで追いかける。
「比奈ちゃんだー!」
女の子は比奈の前で立ち止まり、目を輝かせたまま見上げる。
「私のこと知ってるの?」
「知ってるよ! いつもテレビで見てた! 加奈、比奈ちゃん大好きだよ!」
「本当に? あはは、嬉しいなあ」
比奈は目線を女の子に会わせてこれでもかという笑顔を浮かべる。本当の本当に嬉しいようだ。
小さなファンの子と触れ合う姿を優しく見守る。比奈の心からの笑顔に、加奈と呼ばれた女の子の憧れと好意を兼ね備えた純粋無垢な笑顔……ってあれ、この子どこかで見たことがあるような……。
「こ、こら待ちなさい……!」
両親が息を荒げてやってくる。そうだ、この二人もどこかで会ったことがある。
「……あ、そうだ。一度プールで会った……」
「プールで会った……って、ああ、あの時の」
あちらも俺のことを覚えていてくれたらしい。
一年前の秋に残暑が厳しいとのことで皆と行ったプールで迷子になっていた女の子とその両親だ。思わぬ再会だ。
「すいません。またご迷惑をおかけして」
「迷惑なんかじゃありません。彼女の仕事柄こういうことはよくあるので」
比奈と加奈ちゃんが交流を深めている間に、ペコペコ謝ってくる両親に対応する。
「でも彼女の仕事柄ってまさか、この子……」
母親がチラリと娘の姿と「この子」を見る。
「私ね、比奈ちゃんのダンスと歌覚えたよ! 見ててね」
加奈ちゃんは比奈の前で歌とダンスを披露する。拙い動きに歌の方もダンスに気が取られがちであまり声が出ていなかった。けれどこの年でここまで出来るとなると、将来が有望だ。
「全く加奈ったら……。好きなアイドルを見れたからってはしゃいじゃって」
母親は呆れたように、しかし口元は笑っていた。加奈ちゃんに近づいて、「迷惑かけちゃ駄目でしょ」と優しく語り掛ける。加奈ちゃんは不満げに頬をむくれませていたが、次に俺の姿を視界に入れたらしく、
「あー、あの時のお兄ちゃんだ!」
とまたもや顔を輝かせる。俺のことちゃんと覚えててくれたのか。嬉しいなあ。なんか感動。
「お兄ちゃん、ダンス出来る様になった?」
「おう。加奈ちゃんより上手になったよ」
「えー、そんなことないもん! 加奈の方が上手いんだから!」
と二度目のダンスお披露目会。一生懸命なその姿に笑顔を浮かべずにはいられない。
それから少しの間、加奈ちゃんとそのご両親と一緒にいた。
加奈ちゃんと比奈、俺と比奈と加奈ちゃんと一緒に写真を撮ったり、加奈ちゃん持参のノートに比奈はサインを渡したりした。
「ほら、充分遊んでもらったでしょ? 二人のことを邪魔しちゃ駄目よ」
母親に手を持たれた加奈ちゃんは名残惜しそうだ。
離れていきながら、彼女はこちらをチラチラと見てくる。見えなくなるまで、俺達は手を振り続ける。
「比奈ちゃん! 加奈も、加奈もね!」
彼女は最後に大声をあげ、
「加奈も比奈ちゃんみたいなアイドルになるからね!」
と満面の笑みを覗かせた。
やがて加奈ちゃんご一行の姿が見えなくなる。
「加奈ちゃん、私みたいなアイドルになるって言ってたね」
「……そうだな」
加奈ちゃんの言葉を胸に刻むように比奈は呟いた。えへへ、と幸せそうにはにかんでいた。
「それにしてもこんな偶然あるんだな。まさかこんな所で会うとは」
「去年行ったプールで顔を会わせてたんだっけ?」
「ああ。あの頃から比奈のこと大好きだったらしいぞ」
「そうなんだ。変わらず私のこと見ててくれたんだ」
比奈は加奈ちゃんが去っていた道に目を向けて、しばらく眺めた。
「何があるか分かったもんじゃないな。あまり印象的じゃない思い出がこんなところで活きてくるなんて」
「そうだね。案外、何気ない過去の方が大切な思い出だったりね」
ああ、と比奈の言葉に同調しようとした。だが、瞬間、何か引っかかりを感じた。
俺は似たような台詞をどこかで聞いたことがあるような気がする。えっと、これは確か……。
――こんな風に過去の出来事から何か策が思い浮かぶことだってある。
伊賀さんから受け取った言葉だ。この次はこう言ったはずだ。
――だから前に走って、時々後ろを振り返るぐらいの気持ちをもつんだ。
「――!」
「……カズ君? 突然立ち止まってどうかした?」
伊賀さんの言葉が思い浮かぶと、体に電撃が走ったような衝撃が流れた。
ついさっきまでの俺は未来だけを見ていた。けれど、振り返ることで何か策が生まれる……のか?
目を閉じて回想する。過去の記憶を。頭にいくつもの記憶が浮かび上がる。
――カズ君の『我儘』を私に押し付けてちょうだい。
――はい、先輩は俺の目標です。
――面白い。やってみろ。せいぜい期待しているぞ。
――私のためにも、行ってほしい。
――ここからはお前の番だ。
――やっぱりこうして好きなことをしてる時が一番私らしいから。
――ズバリ、二人で『公開恋愛』をするのよ!
数々の記憶が展開していく。頭の中に記憶や体験が一枚の絵となって浮かび上がる。
しかしその一枚の絵は次第に破れていき、細やかな破片となって縦横無尽に舞い上がる。
――俺たちは全力でお前らをサポートする。
――しっかりとした動機もなくてただ口先だけの人間に教えるなんて僕は嫌だよ。
――本気でやるとどうしてこんなに気分がいいか、原理がわかったよ。
――そこは頑張りなさいよ!
――任せて、カズ君!
――今まで生きてきた中で一番、楽しい。
記憶が、思い出が――軌跡が欠片となる。バラバラになったそれらはやがて一つの場所へと収束していく。前とは違った場所に欠片達ははめられていき、全く別の新しい絵となって浮かび上がる。
「これならいける……かもしれない」
「いけるって何が? ……まさか妙案を思いついたの!?」
比奈が期待のこもった目でこちらを見てくる。
「いや、思いついたって言っても、まだ抽象的で……。それにこれはちょっとギャンブル性が高すぎるっていうか……」
「それでもいいと思うよ? このまま何も思いつかないで駄目でしたっていうのは一番悔しいし。それにカズ君のことだもの。きっと誰もやったことのないようなことだよね? そういうの、凄くわくわくする」
公開恋愛を始める時も似たような言動を彼女の口から聞いた。あの時と同じような悪戯な微笑を彼女は浮かべる。
「でも言うほど簡単じゃないぞ? 下手すりゃ俺や比奈の人生を大きく変えることになるかもしれない」
「私たちはそれを乗り越えてここまで来たんだよ? なら今までの私達を信じてぶつかってみようよ」
それもそうか。俺達は何か起きるたびに破れかぶれで行動してきた。一歩間違えたら大惨事だが、それは結果的に良い方向にもたらしてくれた。
危うい天秤を幾度も乗り越えてきた俺達。その果てにこうして二人で並ぶ未来を掴み取った。
だったら今までどおり、考えなしに突っ込んでみることが最善なんだろうか。
不安がないといったら嘘になる。けれど、彼女が傍にいてくれたら何でも出来る気がするんだ。
いつも通りだ。無茶なことをしでかして、目の前の壁に立ち向かう。ただ、それだけ。
「じゃあ、いっちょやってやるか」
これは、俺達二人が続けてきた公開恋愛と同じだ。
ニヤリと唇を引き上げる。
「一か八かの荒唐無稽な案を」
いよいよ最終章に突入いたします。記念に第二回人気キャラ投票を行います。
完結後のおまけ話に関する質問もございます。
今回もよろしければご協力お願いいたします。
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