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アイドルと公開恋愛中!  作者: 高木健人
13章 香月比奈編
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九話「差し伸べた手」

 引退表明による騒ぎは次第に沈静化していった。

 というのも、香月比奈の引退は高校卒業と同時に、という情報が出回ったのが大きい。また、H&C社が背後で動いたからなんていう噂もある。

 その辺の真実は曖昧だけど、悪くない方向に流れたのは確かだった。


 しかし残る問題はまだある。

 私の活動で最も特徴的なもの……言わずと知れた公開恋愛である。

 ネットなんかで反応を探ってみると「公開恋愛はこれからどうなるのか」だったり「そもそも公開恋愛のお相手と問題が発生したのかも」だったりと様々な意見や考察が出回っていた。

 それらの真の姿は私にもまだ分からない。

 何故なら、公開恋愛についての話し合いは今まさにこれから行われるのだから。

 結局彼を掬い上げる決定打は思い浮かばなかった。けれど、私は今までの知識へ経験を生かしてありのままの想いをぶつけるつもりだった。

 もしそれで駄目だったら、私たちはそれまでだったということになる。そんなの私、嫌だ。ここまで来れたんだ。私も意地を貫き通す。ここが正念場だ、きっと。


 事務所にある会議室に集まったのは全部で四人。私に彩さん、それから伊賀さんに当事者のカズ君。

 私と彩さんが並びあい、大きな机を挟んで向かい合うようにカズ君と伊賀さんが座っている。

 誰もが口を噤み、深刻な表情を浮かべていた。



「このまま黙って座っていても何も始まらないわ。話しましょう。今後の公開恋愛について」



 彩さんが場を仕切り始める。

 だが、直後にカズ君が手を上げる。

 彩さんは出鼻をくじかれながらも、発言してと意味を込めて手の平を彼に向ける。

 発言権が回るとカズ君は立ち上がった。



「横槍すいません。公開恋愛について話し合うといっても、彼女はもうアイドルを辞めるって宣言しました。それ即ち、公開恋愛を辞める事を公表したのと同義です。公開恋愛を続けるという選択肢はありません。時期を見計らって消滅させる以外に方法がありますか?」



 彼の言葉は何者も寄せ付けないような猛獣の如き鋭いものだった。椅子に腰を下ろす動作に入る前明らかに私の方を睨んでくる。



「確かに詰まった話、そうなるしかないのだけど……。一応、こういったものはこのような場を用意しないといけないから……」


「彩さんの言うとおりだ。それに、ここで止める時期を見計らう必要だってあるわけだし」



 彩さんに続いて伊賀さんも苦い顔を浮かべている。しかし今日のカズ君には全くの容赦がない。



「そんなの今すぐだって構いません。既に騒ぎになってますし、もはや世間体のことを気にする必要がありません。香月比奈の口からそれを言えないのでしたら俺が適当に理由を付けて世間に公言します」


「ならばその適当な理由を――」


「ではこの内容で納得いくでしょうか。香月比奈の引退に伴い、公開恋愛を止めることになりました。非常に残念な結果でしたが今までたくさんのご声援ありがとうございました。……何か問題ありますか?」



 伊賀さんと彩さんが顔を見合わせたのが分かった。二人とも反論したくともそのための材料が見つからないようだ。



「そもそも、この公開恋愛の目的は既に達成されているんです。そのことからとっくに終わらせていても何の問題もなかった。その旨については過去に彩さんと本人の二人に告げています。もちろん理由付きで」



 彩さんが救いを求めるようにこちらを見てくる。が、私は彼の正面を向いたまま頷いた。



「あの時俺は本気で公開恋愛を終わらせるつもりでしたが、彼女の我侭でそれを続けることになりました。それからズルズルとここまでやってきてしまいました。もう誰も、公開恋愛に新鮮味を感じていません。潮時だし、丁度いいと思いますよ」



 彼が主張を終えると、場には重い沈黙が訪れる。この空気を作った本人は何も感じていないようだった。



「け、けれどだ。そんな簡単に止められるものでもないだろう。だって昔と違って君たは本当にカップルになったじゃないか」



 伊賀さんが必死に声を絞り出し、苦し紛れの言葉を紡ぐ。



「それも問題ありません。今回の件で俺は彼女を見損ないました。気持ちも冷めました。今日この場において彼女と関係を切ります。……そう言ったよな?」



 私たち以外の二人に言葉を挟ませないためだろう。彼はこの場で初めてまともに私の方に目を向けた。



「……確かに言ったね。けど私はそれに肯定した覚えはないけど」


「お前が肯定したか否かなんて関係ない。俺が一方的に別れを切り出してるんだ」



 彼の瞳から静かな怒りを感じる。感情的になってしまった前回から時間が経ち、頭の冷えた彼はただひたすらに冷酷になった。このときの彼は手強い。それは身を持って経験している。

 彼の強大な意思に呑まれないように私も負けん気で発言する。



「カズ君はそれでいいの?」


「今更だろ。未練なんてものはどこにもない」


「そうじゃなくて。あなたはちゃんと納得したのかどうか。あなたの言いたいことはそれだけなのか。そういったことを聞いてるの」


「……納得してるさ。俺の言いたいことは言い終えた」


「本当に?」



 挑発するように微笑を浮かべる。 



「ついこの間まで私たちは順調に関係を築いてた。私もカズ君もお互いを好きって言い合ってた。なのに急に別れることになった。そのことには納得いってるの?」


「……どれもこれもこの結果を招いたのはお前じゃねえか!」



 カズ君がついに声を張り上げる。私はあくまで冷静に口を動かす。



「少なくとも私たちの関係については関与してないよ」


「なるほど。そうやって上手く責任を逃れるつもりか。汚い女だな」


「何とでも言ってよ。少なくとも私はあなたより高位な人間だと思うから」


「高位な人間って何を言ってるんだか。俺とお前に立場的な差はねえよ。そうやって俺を逆上させようとか考えてるんだろ? 浅はかだよ、本当に」


「本当にそうかな? 決められたレールを進むあなたに、自分が望むレールを進む私。人生的には私の方がよっぽど高位的だと思うけど?」



 屁理屈でも何でも良い。会話を繋げ。彼の本音を引っ張り出せ。そこがきっとつけ込む隙になるはずだ。



「夢を叶えた人間の方が高位な人間か。ま、夢を叶えた当人からしてみればそうかもしれないな。夢を叶えられなかったり、持たなかった人間からしてみれば神のような存在だよ。かつて俺もそうだったしな」


「そうじゃないよ。夢に敗れた人や夢を持たない人間の方が今のカズ君よりよっぽど高貴だよ。あなたは夢を見つけたのに何もしなかったじゃない」


「お前は今まで俺の何を見てきたんだよ。何もしなかったじゃなくて、出来なかっただろうが」



 ドン、とカズ君は拳でテーブルを叩いた。



「六月のオーディションで落ちた時点で分かりきっていたことだ。文化祭の劇はただの余興。俺が演劇をやることに価値を見出したのも偶然に過ぎない。今更掘り返したってどうにもならないんだよ」


「約束をよく思い出して。社長と結んだ約束は『高校を卒業するまで』だったはずだよ。まだ終わりじゃない」


「何言ってるんだ。俺は親父に直接突きつけられたんだぞ」


「もし私が社長にどうにか元の期限まで待ってくれるように説得していたら……? その副次的なお陰で私の引退時期が高校卒業まで延びていたとしたら……カズ君はどうするの」


「……まさか、お前本当に」



 彼は困惑を覚えたようだ。ここに来て初めて言葉が詰まった。



「……例えそうだとしてもだ。あと半年であの親父を納得させる成果を上げることは不可能だ。だからもうどうもしない」


「社長も同じ事を言ってたよ。私はそれを論破して期限を延ばすことを認めさせた。この意味、分かるでよね?」


「うるさい! お前が強い意志を持ってることぐらい、一年以上過ごしてきた俺には分かりきっていることだ! けれどその意志を見せるためにアイドルを辞めたなんて……自分の夢を棄てた奴の言葉を受け入れるわけにはいかないんだよ!」



 多分、カズ君は少しずつ事の全貌を見抜き始めているようだった。私が引退表明した理由も、こうして強気でいる理由も。



「俺のためにチャンスを与えようとしてくれたんだろ? けど余計なお節介だ。幾ら強い意志があったってどうにかなる根拠もない。なのに人のために自分の夢を棄てるなんて、それこそ大馬鹿野郎だ。アイドルはお前の……比奈の夢だろうが! 折角掴んだ夢を俺なんかのために消費すんじゃねえ!」



 今となっては痛い程分かる。彼は己の無念さを私に重ねることでその気持ちを払拭しようとしていた。

 初めて彼が私を助けてくれた時からずっと私の傍にいてくれたのも、夢を叶えた私を見て自分も同じような気持ちを共有したかったから。そうすることで彼は救われようとしていた。縛られていた鎖から解放されようとした。

 彼は私を救おうとしたのではなく、自分を救おうとしたのだと思う。そのことはきっと彼自身も気づいていない、心の奥底のエゴだ。

 それを悪いことだなんて思うはずがない。誰もが皆、救いを求めている。だって人間は弱いから。

 私もまたどこかで救いを求めている。その正体は未だ見えないけどそれを高城和晃に望んでいる。そんな気がする。



「違うよ、カズ君。私の本当の夢は、誰かに夢を与えること。夢を与えて見てもらうこと。それが私の望みなんだよ」


「だから俺にもう一度夢を見てもらいたいってか? 笑わせるなよ。俺個人にそんなことするぐらいなら、比奈を応援してるファン達に夢を見てもらえ。俺はもう夢を見ることは諦めたんだから」

 

「嘘つかないで!」



 大声を上げた私にカズ君が驚いたようにこちらを見る。



「カズ君のその言葉こそ笑わせるなだよ。もう夢を見ることを諦めた? 夢を見ることを諦めた人間がどうしてあんなに怒ることが出来るの!? この前控え室で叫んだあなたの言葉には強い想いが宿っていた。後悔が含まれていた! それにあなたは後夜祭でも悔しいって自分で言ってたじゃない!」


「後悔して何が悪い! これまで上手くいかなかった人生を振り返って後悔しないやつなんていないだろうが!」


「私は過去の話をしてるんじゃない! 未来の話をしてるの! 後悔してる今、それを晴らすことの出来るチャンスが目の前にあるのにどうしてそれを掴もうとしないの!? 過去でさえ強い後悔があるのに、未来にまで後悔を残すなんて、そんなの悲しすぎるよ」


「だからって俺は易々とお前の手を掴むわけにはいかないんだ! チャンスがあってもそれを生かすことが出来るかどうかは分からない。何かあるたびに比奈に縋っていたんじゃ、俺はこの先の未来を一人で歩むことはできないんだ」


「――縋ることの何が悪いの!」



 カズ君は気がついていない。私が放った言葉は過去に彼自身が発した言葉だということに。あなたが覚えていなくても、私はしっかり覚えている。あなたが差し出してくれた手の感触は胸に刻まれている。



「私は何度も危機に立たされた。その都度助けてくれたのはあなただった。私はあなたにずっと縋ってばかりだった。どうしてか分かる? あなたは私にこう言ってくれたんだよ。我侭を押し付けることの何が悪いって。縋ることと我侭って違うようだけど、凄く似ていることだと思うんだ。私はあなたに助けを縋った。あなたの助けが欲しいと我侭を願った。縋るのは当然だよ。人は誰しも一人じゃ生きていけないんだから。相手にどれだけ我侭を言って、頼ることが出来るか。それがこの世を歩くために必要なことなんだから」



 我侭を誰かに言って、その誰かに縋る。誰かに縋って、その誰かに我侭を言う。つまり、そういうことだ。



「これは最後のチャンスだよ。あなたは未来に後悔を残してこの先生きていくのか。それとも目の前の壁に正面から向き合って足掻くのか。選んで、カズ君。あなたは本当はどうしたいのかを。私はどっちを選んでもカズ君を受け入れる。カズ君の『我儘』を私に押し付けてちょうだい」



 彼に手を伸ばす。後は選択を待つだけ。この手を掴むのか、それとも離すのか。この先を決めるのは彼自身だ。



「俺……は……」



 カズ君は差し伸べた私の腕を見た。



「俺は弱い人間だ……。一人じゃ何も出来ない。自分の足で歩くことさえ出来ないと思う。俺は強くなりたかった。一人でも歩いていけるように。一瞬でも未来を見せてくれた女の子のために」



 彼の激しい葛藤が垣間見える。弱いから強くなりたかった。きっと誰もが考える単純な思考だ。

 彼は自分の腕に視線を落とした。細めた目の先にある腕は細かく震えている。

 彼の全身を鎖が縛り上げているようだった。ありとあらゆる場所に鎖が巻き付き、彼を引っ張ろうとしている。ゆっくりと彼が手を伸ばす。その手を鎖が反対側から引っ張られる。それでもどうにかして掴もうと足掻き、何度も何度も空を切る。暗闇の中で唯一の光を探り当てるように。

 大丈夫。焦らなくて良い。光はきっと掴めるから。

 私は人生の大半を闇の中で過ごしてきた。自分自身すら溶けてしまいそうな闇の中で光を探し続けた。諦めて暗闇に同化する直前の私の眼前に一つの腕が差し伸べられた。

 彼の敵は闇じゃなくて鎖だ。鎖の引っ張る力はとても強くて、後ろにどんどん引っ張られる。行ってはならぬ場所に行こうとする彼を、鎖のあらんとする場所へ引き戻すつもりなんだ。


 一人で掴むことが出来ないなら、闇を光で照らして。

 一人で掴むことが出来ないなら、届く範囲に腕を伸ばして。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 本当にこの腕を掴むことが正しいのだろうか。そんな迷いが生じた。

 けれど闇の中に留まるぐらいなら。

 信じてみるのもいいかもしれない。


 私はゆっくりと腕を伸ばす。

 恐る恐るたくましいその手の平に触れる。

 

 顔を上げると一人の少年がいた。

 彼は私を安心させるように優しく微笑んだ。


 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 本当にこの腕を掴むことが正しいのだろうか。そんな迷いが生じた。

 けれど鎖に縛り付けられるぐらいなら。

 信じてみるのもいいかもしれない。


 俺はゆっくりと腕を伸ばす。

 恐る恐る美しいその手の平に触れる。

 

 顔を上げると一人の少女がいた。

 彼女は俺を安心させるように優しく微笑んだ。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇






 ――私は、

 ――俺は、




 ――差し伸べられたその手を強く握り返した。






◆ ◇ ◆ ◇ ◆



















『お騒がせして申し訳ございませんでした』



 俺と比奈は揃って頭を下げた。



「いや、構わないよ。二人の喧嘩には確かに驚いたけど、滅多に見れないものを見れたと考えればね」



 伊賀さんとマネージャーは顔を見合わせて苦笑する。



「じゃあ、最後にもう一度確認するわね。比奈の引退は高校卒業と同時に。詳しくは分からないけど、高城君の約束も高校卒業と同時に。公開恋愛も比奈の引退まで続ける。……ついでに二人の関係はやっぱりこれからも続けていく。間違ってない?」


「はい、合ってます。変わり身早いとか思われるかもしれないですけど……。やっぱ本音で話し合うと比奈の強さがよく分かりましたし、何より敵わない。それに俺には比奈がいないとやっぱり駄目なんだって思いました」


「おおう、いつにもなく恥ずかしいことを口にするね」


「まあ、さっきの論戦に比べれば造作もありません」



 カッとなってたとはいえ、よくあそこまで夢だの諦めないだの恥ずかしいことを大声で言えてたと思う。



「いえ、でも気が変わってくれて良かったわ。じゃないとこの子……」



 マネージャーさんがため息をつきながら比奈を指差す。視線を横に向けて比奈の方を見ると、



「ふふ……良かったあ……。もし上手くいってなかったらアイドルも辞めてー、好きな人と会わせる顔もなくなってー……死ぬような思いしてたんだろうなあ……うふふ……」



 今まさに死ぬような思いをしてらっしゃるんですがそれは。死んだ魚の目で魂が抜けたようにぐってりとしている。



「ま、まあ、とにかく」



 コホンと咳払いして気持ちを入れ替える。



「折角比奈に貰ったチャンスです。もう一度頑張ってみようと思います。ただ俺一人じゃ多分、何も出来ないから、願わくば彼女と一緒に力を合わせて」



 その彼女は今、天にも昇ってしまいそうな様子だが。



「まずは情報の整理。現状を打破する方法を考えるのはそれからですね」


「……ねえ、高城君。私はあなたが社長の子息であることは把握してるわ。けれど何が起きたかまでは詳しく知らないわ。良かったら教えてくれないかしら」


「僕にも教えて欲しい。二人が困ってるのに大人の僕たちがただ黙って見ているのもね。話を聞いてその上で協力できることがあったら協力するよ」



 勿論私も手伝うわよ、とマネージャーさんが続けてくれる。



「ありがとうございます」



 俺だけじゃない。傍には比奈もいてくれて。他にも手を差し伸べてくれる人がいる。

 

 もう一度、始めよう。

 俺の……いや、俺達の物語はまだ終わっていない。




いよいよ最終章に突入いたします。記念に第二回人気キャラ投票を行います。

完結後のおまけ話に関する質問もございます。

今回もよろしければご協力お願いいたします。

http://enq-maker.com/ZWTKhP


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