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アイドルと公開恋愛中!  作者: 高木健人
13章 香月比奈編
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八話「慟哭」

 社長に直に申したように、これから具体的にどうするかは何一つ決まっていない。その事に関して社長はいくらかこちらが有利になるような条件を付けてくれた。

 まず、私のアイドル引退は今すぐではなくて約束の期限と同じ、高校卒業と共に正式に引退する運びとなった。このような事が可能なのも、ライブで引退します、と宣言しただけでいつ引退するかについては言及していなかったからだ。私がもし「このライブを以って」と前述していたら話は別だったとの事。狙ったわけではなかったけど、ラッキーだった……。

 そして何故引退を延ばしたのかというと、引退を利用すれば何かしらイベントを開催できるのはないかというのが社長の考えだった。無計画なら当然却下だけど、ある程度練られたものなら企画を通してくれると社長は断言してくれた。

 つまり、カズ君が立ち上がり、そして妙案を思いついたら私のアイドル引退を逆転の一手として使うということだ。

 他にも困ったことがあるなら相談に乗ろう、出来るだけ配慮する、と言ってくれた。本当にありがたい。

 

 けれどこれらを考えるのは後だ。まずは目の前の問題を片付けないといけない。

 目の前の問題とは当然カズ君のこと。立ち上がらせるとは言ったものの、どう説得するべきなのか。

 説得のチャンスもきっと一度きりだ。今度公開恋愛の取り止めの話し合いが行われる。その場を利用して徹底口論するしかないのは確かだ。

 もしこのチャンスを逃したカズ君は二度とまともに取り合ってくれないだろう。だからきちんと考えないといけない。

 熱くなるだけじゃ駄目だ。今までの想いを総決算して彼を説得できる理論を組み立てる。冷酷になったカズ君はかなりの強敵だ。私の全てを投げ打たないと歯向かうことは不可能だ。

 さて、どうしよう。まずは――。

 

 思案に耽っていると突然肩を誰かに掴まれる。ビクッと小さく飛び跳ね振り返ると、



「ねえねえ、女の子が夜に一人で出歩いちゃ駄目だよ~? それとも何か困ってたりするのかな? おじさんが助けてあげようか? 近くのホテルに案内してあげよう。君、可愛いからお金も弾むよ」


「え、あ、あの……」



 目の前のおじさんが息を吐く。凄く酒臭い。瞳も胡乱としていて酔っ払っているのが見て取れる。

 今こそ護身術の出番。気合を入れてどうにかしようとしたが、



「いい年した御方が何を仰っているのですか。止めなさい。これ以上彼女に何かするようなら警察に通報しますよ?」



 おじさんの腕を掴み、私から放してくれたのは沙良さんだった。彼女は掴んだ腕をおじさんの背に持っていく。



「あいてててて。わ、悪かった。もうしないから許しておくれ」


「ではこの手を放したら大人しく家に帰ってください。これを守れないようでしたら……」



 沙良さんの手に力が入ったのが分かった。



「ま、守るよ~。だから放してくれ」



 沙良さんが腕を解放すると酔っ払いのおじさんは一目散に退散していく。



「ありがとう、沙良さん」


「お安い御用です。……と言いたい所ですが、勝手にはぐれないで下さい。あなたはアイドルである前に女の子なんですから。それにアイドルになれるぐらい顔も整っているのですから、その辺気をつけてください。痴女と思われますよ?」


「ち、痴女って……」



 ショックを受ける私を置いて沙良さんはさっさと歩き始める。慌てて彼女を追いかける。


 社長との対面が終わった後、別室で待機していた彩さんと合流し、車で送ってもらった。その際に沙良さんも同乗。彩さんは家の前まで送ってくれると言ったが、近くで降ろしてくれれば同伴しますと沙良さんが言ったので、こうして車を降りた今、沙良さんと夜道を歩いていた。


 沙良さんは私に構わず、とにかく付いて来いと言わんばかりに先を歩く。道中、会話はゼロに近い。

 彼女のすぐ後ろに付いた私は何となく沈黙が気まずくなって、恐る恐る会話を切り出してみる。



「そういえば沙良さん、私の意地を見たいって言ってくれたけど、その……どうだった?」


「香月比奈の主張はよく分かりました。しかし私から言わせてみれば考え無しの馬鹿だと思いました」



 流石沙良さん。私に対して全く容赦がない。



「あなたは勝手に引退表明をして、それを決意の表れだと言いましたが、浅はかにも程があります。そもそも仕事に関して大事な話があると一言添えて『カズ君との約束を期限どおり守ってください。代わりに私がアイドルを引退するということでケジメを付けますから』とでも言えば良かったのです。香月比奈がアイドルを辞めるなんてよっぽどのことだって誰もが分かっているんですから、わざわざ勝手に判断して実行する必要はなかったと思います」


「え。あれ。沙良さんの言い分が確かだとすると……」


「別にあなたがアイドルを辞めなくてもどうとでもなったということです」



 彼女は重大な真実をさらりと言ってのける。



「そ、そんな……。ってことは私のした事は一体何だったの……?」


「前しか見てない猪突猛進のアホですね」



 な、何てこと……! 頭を抱えてしまう。

 確かに答えを探すのに必死で、それを見つけた後は何でも良いからどうにかしなきゃと理性的な判断を失っていた。答えを探すのに色々な人に意見を聞いたように、辿りついた結論をどう処理するかということも相談すればこんな事態にはなっていなかった。

 うわあああああー……。私って、ほんと馬鹿。



「少しは物を冷静に見た方がいいんではないでしょうか。目標が出来たからといって一心不乱にそこを目指して突っ走ったら今回みたいに痛い目を見ますよ」


「返す言葉もございません……」



 意気消沈。完膚なきまでにやられました。ラスボスは社長じゃなくて沙良さんだったのかも……。



「まあ、でも、それが絶対に悪いとは断言できません」


「え……?」



 沙良さんが私の生きかたに肯定してくれたような。もう一度言って、とせがむが彼女は繰り返してくれなかった。しかし代わりに、



「時間はまだ大丈夫ですか?」


「え? まあ、大丈夫だけど……?」


「なら少し寄り道をしてもいいでしょうか。行きたい所があるんです」



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 沙良さんに連れられてやってきたのは住宅街の中にある小さな公園だった。



「ここは私にとって思い出の地なんです。由香梨やアキ君と初めて出会った所。いつもいつも遊んだ場所。大きくなって遊び場ではなくなりましたが、どこかに出かける時は決まってここを集合場所にしていました」



 沙良さんは公園内をゆっくりと巡回する。遊具の表面に手を当て、そっと撫でていく。かつての感触を思い返すように。



「それだけではありません。私はここでアキ君に告白をしました。他にも、私が日本を発つ前にアキ君と最後に話した場所もこの公園でした。この公園は三条沙良の始まりの地であり、私の人生そのものと言っても過言ではない場所なんです」



 公園内を一巡した沙良さんは最後にベンチの傍にやってくる。後ろをついてく私に振り向き、ベンチに座るよう促してくる。指示に従って私だけベンチに腰掛ける。

 沙良さんはそのまま背もたれに手を付いて立ったまま私と背をあわせる形になる。



「空を見上げてみてください。星が見えるはずです」



 言われたとおり、空を仰ぐ。夜空には細々と輝く星たちが点在していた。

 はあ、と息を吐く。季節はもう冬に差しかかろうとしている。もう少ししたら、白い息に変わるんだろう。



「綺麗だね」


「そうでしょう。私のお気に入りです。気温が寒くなってくると星がよく見えるんです」



 私たちはしばし黙って夜空を見上げていた。



「星は万国共通です。私が日本を離れていた時も同じ星を見上げていました。……都会ではビル群の明かりによって見えないこともありましたけど」


 

 初冬の寒いような涼しいような風が肌を優しくなでる。



「あちらに行ったばかりの頃は戸惑ってばかりでした。幾ら私が中学を卒業したばかりの小娘でも、仕事は仕事です。きっちりやらないといけません。新しい環境に慣れるまで半年近くはかかりました。その間はとにかく苦しくて辛くて、私が安らぐ瞬間はアキ君との電話と、こうして星を眺める時ぐらいでした」



 まだ完璧少女じゃなかった頃の沙良さん。不安げな瞳を揺らしながら空を見上げていたんだろう。



「追い詰められた私はやってはいけないことをしました。あろうことか、チャンスをくれたアキ君を私は責めたのです。彼だって私を異国の地に送ったことに呵責を感じています。私はそこにつけ込みました」



 知っている。カズ君が苦しんでいたように沙良さんも当初は苦しんでいたと訊いている。



「我に返った私は激しい後悔に襲われました。数日間、まともに食事が喉を通りませんでした。立ち直るために私は考えを改めたんです。この選択を後悔しないように、良かったっていえるように努力しようって。私が望んだ選択肢だと胸を張って言えるようにしようと奮起したのです。それからの私は見違えるように成長したと社長は述べていました。そして半年程経った頃、私は初めて褒められました。その時の私は好きな人と付き合うことが出来た瞬間と同じくらい喜びました。あの時の間違いをようやく正すことが出来ると舞い上がっていました。その日、私は意気揚々とアキ君に電話をかけました。あなたのお陰で私はここまで来れました、と伝えるために。けれど私は自分のことばかりで、彼の変調には全く気づいていなかったのです」



 その日、カズ君に電話した沙良さんは、彼の溜まった鬱憤を聞かされることになった。それが悲劇の始まりだった。



「私は再び後悔に襲われました。しばらく彼と話すことが躊躇われるほどに。なので由香梨に訊ねられた時も伝言を預けただけでした。……けれどそれが間違いだったんでしょう。私が落ち込んでいると由香梨が気持ちを代弁することぐらいは分かっていたのに」



 友達想いの由香梨は沙良さんの悲しみを汲み取った。けれどカズ君の身に起きている事実を知り、彼の身を案じて放った言葉が崩壊の引き金となった。



「それからは由香梨からアキ君の様子を聞くようになりました。アキ君が壊れていく様子を実際に目の当たりにする由香梨の心象は想像に難くありません。ですが二人の様相にどんなに心を痛めても物理的な距離のある私には何も出来なくて歯がゆい思いをするばかりでした。なので決心しました。二人の助けることが出来る人間になろうと。もはや性別が女だからとか、ひ弱な性格だからなんて言ってられません。私は何においても完璧にこなせるように取り組んできました。その結果が今の私です。物事を客観的に捉えることが出来るようになりました。けれど」



 沙良さんは言葉を一旦切った。



「二年ぶりに故郷に帰ってきて、私の想い人と再会しました。久しぶりの彼との邂逅は心躍りました。外見も昔と比べてさらに男らしくなって。優しさも雰囲気も変わっていないように見えました。けどそれは隣にあなたが……香月比奈が隣にいたから為し得たことなんだと実感しました」



 私がいたから昔ながらのカズ君がいた、ということなんだろうか。



「向こうにいる時、公開恋愛なんてことをやると知ってひたすら混乱したことを覚えています。納得がいかなかった私は独自ルートで調べ、真実を知りました。そこで私はまた驚きました。努力を諦め、前を見ることをやめたアキ君が一人の少女のために自分の意思で行動したと知ったからです。そうなると次に疑問を覚えるのは少女のことでしょう。何故彼女のためにアキ君は動いたのか。調べていくと何となく理由が見えてきました。その少女はアキ君が捜し求めていた夢を見つけ、しかも自力で叶えていたのですから。自分の到達できなかった地点に立つ少女に興味を持つのは至極当たり前のことだと思うんです。それからアキ君はその少女と共に様々な経験を積んでいきました」



 そうか、だからカズ君はあの時私を助けてくれたのか……。

 ぼんやりとは察していたものの、こうして言葉にされることでようやく実感が湧いた。



「では、私がその少女のようにアキ君と行動し、彼を救えていたかどうかと聞かれたらどう答えるでしょう。答えは何もできない、です。どんなに様々な知識や経験を学んでも、私は彼の心に干渉することはきっと出来なかったはずです。ボロボロになっていく彼の横に立って見守ることしか出来なかったはずです。だって私も夢は叶えられなかったから。私は迎えたかった未来を早々に諦めたのです。当時はそうするしかなかった、というのは言い訳です。そもそも私はどうにしかようと考える前に運命を受け入れてしまったのだから」



 すぐ横にある沙良さんの腕が震えているのが分かった。



「私も結局、目の前に壁に目を向けず逃げてしまった一人です。過程は違えど壊れていた時のアキ君と何ら変わらない。そんな私が彼を救おうだなんて傲慢にも程があります」



 でも、と彼女は続ける。



「あなたは違った。あなたは道中、何度もボロボロになりながら、それこそ誰かの手助けのお陰で来れたというのもありましたが、決して諦めることはなかった。どんな絶望に立たされても前を向いた。もしかしたらあなたが諦めないから助けが来たのかもしれません。アキ君もあなたの傍にいようと決心したのかもしれません。……壊れた彼を救えるのはきっと、あなたしかいなかった」



 ポツリ、ポツリと。彼女はゆっくりと紡ぐ。丁寧で淡々としていた口調が崩れていく。



「本当は私だって苦しかったんです。由香梨から彼の様子を聞くたびに、昔の彼と離れていくような気がして。私はずっと前から、こうなるかもしれないって考えていたのに、彼なら大丈夫だろうと高を括って。彼は超人なんかじゃない。普通の人間です。普通の人間だから、私は彼に好意を持ったんです。本当に、本当に彼を心の底から愛していました。ですから彼を救えず、彼が壊れたままでも、狂ったままでも私は彼の傍にいようと考えていました。でも、やっぱりそれは嫌です。前を向いて、何事も全力で取り組む彼を愛していました。私に無邪気に微笑みかけてくれる彼を愛していました。私はひたむきな彼が大好きだったんです……! 私はすぐに諦めてしまう自分が嫌いです。だから前を向くのをやめて運命を受け入れた彼を見るのが嫌なんです。お願いです、比奈さん。私じゃ彼を救えません。比奈さんだけが彼を元に戻すことが出来るんです。ですからどうか、彼を助けてください。私が果たせなかった願いを、あなたが代わりに叶えてください。どうか……どうかお願いします」



 声は震えていた。きっと彼女は今、弱っている。少しでも刺激を与えたら彼女はたちまち崩れ去ってしまうだろう。

 彼女は……沙良さんは完璧な少女なんかじゃない。誰とも変わらない普通の人間だ。弱い人間だ。

 弱いのは彼女だけじゃなくて、カズ君も。もちろん私も。由香梨や若菜だって。恵の弱音だって見た。岩垣君や久保田君もきっと何かの弱音を持っている。

 子供達だけじゃない。彩さんや伊賀さんのように大人だって弱い部分を持っている。あの鉄壁に見える社長だってきっと何かあるはずだ。

 この世を生きる人間は一人の力では弱すぎて生きていけない。その弱さを隠して皆、生きていく。

 けれどいつまでも隠すことが出来ることもまた数少ない。時にはそれを晒して、支えてもらうことでこの世を生き抜くことができる。

 私は何度も何度も弱い部分を晒して、その度に誰かに支えてもらった。

 だから今度は私が支える番。皆を。カズ君を。そして背中で泣いている少女を。



「任せてよ――沙良。あなたの願い、きちんと受け取った」


「はい。……はい。あなたに全てを託します。あなたなら必ず叶えてくれると信じています。だから彼を……高城和晃をよろしくお願いします――比奈」



 背中越しに一人の少女の願いを受け取って。後はひたすら彼女の慟哭を闇に溶けて消えていくのを待つ。

 空を見上げると星が瞬いた。煌びやかな輝きは星から星へ伝播していく。光はありとあらゆる場所を辿り、そうしていつどこでも私達を見守ってくれるのだろう。そう思った。




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