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アイドルと公開恋愛中!  作者: 高木健人
13章 香月比奈編
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七話「夢の在り処」

「……本当にいいんですか?」



 H&C本社ビルエレベーター内にて。

 あのライブから数日が経ち、衆人の目をかいくぐってここにやって来た。

 今は紗良さんと共に社長室に向かっている。



「私は前に言いました。警告といっても差し支えありません」


「うん。ちゃんと聞いたよ。あの時の紗良さんの言葉は胸に刻んである」


「それでもなお立ち向かうのですか。二度もあの人に返り討ちにあっているのに」


「だから行くんだよ」



 紗良さんは訝しげに目を細める。



「三度目の正直。今度こそ一矢報いるんだ」


「……どうして貴女はそこまで」


「だって悔しいもん」



 私は紗良さんに微笑みかける。



「このまま言われてばっかですごすご引っ込むなんて悔しいし、納得いかないから」


「そんな理由で……呆れました。その調子では前と同じ結果にしかなりませんよ」



 呆れたと言う紗良さんは無表情。本当の感情は表から見えない。

 それでも私は笑みを崩さない。むしろ深く愉快に笑ってやる。



「その時はその時だよ。私が弱かった……それだけの話」


「分かりません。コテンパンに負けたのにまた勝てるかもしれないなんて希望を持つその思考が。いいですか? 人はそれをただの意地というんです」


「紗良さんの言うとおりだよ。これは私の意地。子供の私は、意地でぶつかるしか大人とは分かり合えない。自分の本当の想いを伝えることは出来ないと思うんだ」



 目的の階層に辿り着くとチン、と軽い音が鳴る。

 ここに社長がいる。意地をぶつけなきゃいけない相手がいる。

 エレベーターの扉が開く。紗良さんが社長室まで先導する。そしてノックをし、入室の許可を得るとラスボスの間が開かれる。

 さあ、行こう。これは私の戦いだ。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「来たか、比奈君。そちらの席にかけたまえ」



 社長は冷静に対応してくれる。しかしその言葉の節々や、瞳の奥には煮え渡るような業火が滾っているのが分かる。


 私が腰を下ろすと社長も向かい合うようにして座る。その横から静かに紗良さんがやってくる。



「……差し出がましい申し出をしてもよろしいでしょうか。私もこの場で拝聴する許可を下さい」


「それは構わないが……紗良君が主体的に動くとは珍しいな」


「私も少し興味があるんです。彼女の意地とやらに」



 チラリと紗良さんがこちらを見やる。



「よし、分かった。邪魔にならないように聴いてくれ」


「畏まりました」



 紗良さんは目立たないように社長の斜め後ろに静かに佇む。



「さて……まずは比奈君、君のしでかした事態の重大さは理解してるのか?」


「はい。重々理解してます」



 ライブで引退を宣言したあの日の翌日。芸能ニュースのトップを飾り、大きな話題となった。

 それだけでなく知人友人からも問い合わせのメールが多数。大丈夫だから、安心して、と皆には返信してある。



「前にも言ったが、君はうちの大事な商品だ。酷いと思うか? しかし、その通りなんだ。君一人の無責任な行動が我々の経営に大きく影響を与える。……少なくとも君は自分の立場を弁えていると思ったんだが?」


「それも理解してます。私という存在が多くの人間に影響を及ぼしています。それは嫌というほど身に染み込まれてます」



 ライブ中、私は大勢の観客達を見てそれを悟った。人の人生に介入することは少なからず何かしらの影響を与えるということを。

 それを社会的に考えた場合も把握している。車の中で彩さんに嫌になるほど説教された。私のしたことを考えれば当然なんだけど。



「では聞くが、理解していてなお引退を宣言した理由は何だ。君はアイドルという職業に憧れていると聴いていた。あれは嘘だったのか?」


「いえ、紛れもない事実です。私はアイドルに憧れて、私もアイドルになりたいと夢見ました。そしてその夢はありがたいことに叶い、それからも気持ちは一切変わっていません」


「君の言質を聞くとますます要領を得ない。好きだった、夢だったアイドルを無断で棄てる意味が分からない」



 社長はあくまで淡々と変調のない口調で話す。だがそこに込められた重圧はあまりにも重い。



「アイドルという職業に嫌気が差したわけでもない。では何かのトラブルか?」


「それも違います。私はあくまで自分の意思で引退を宣言しました」



 社長はふむ、と顎をさすって考える。その手をゆっくり降ろすと、今迄とは比にならないぐらい慎重に、かつ重みを込めて語る。



「一番考えたくなかったことだ。もしこれが理由というなら私は君という存在を見限ることになってしまう。比奈君……君は和晃のことを考慮して辞めようと考えたのか?」



 社長は真実を見極めるように私を見て離さない。凄いプレッシャーだ。しかし私はそれぐらいじゃ揺るがない。



「ある意味ではそうです」


「…………そうか。君はそこまで愚かな小娘だったか」



 社長はゆっくりと息を吐く。残念だ、と言いたげな顔をして。



「いいか。まず、君は和晃を気遣って行動に移したのかもしれない。しかし、君の行動は和晃に何も良い影響を与えない。むしろマイナスといえるだろう。私が何を今更と思うかもしれないが、君の行為は和晃を愚弄したのと同義だ。君はあいつの唯一の希望だ。それを自ら潰したのだ。誰も報われることはない。君は満足したのかもしれないが、それだけだ。比奈君の自己満足でしかない、愚かで最低な大馬鹿者だ!」



 怒声が耳を貫く。社長にとっては商品を失っただけでなく、息子までも貶められたことに変わりない。

 彼が憤慨するのも無理はない。彼の大事なものを私は弄んでいるのだから。



「はい、その通りです。異論はありません。私は自己満足のためにあんなことをしました」


「下劣な人間め……見かけによらず、悪魔のような中身をしているんだな」


「そうかもしれません。私は地獄に堕ちるべき人間なのかもしれません。……ただ一つだけ訂正させて下さい」


「これ以上、何を言うつもりだ」


「社長はカズ君のために私が引退宣言をしたと言っていました。確かにある程度の関与があるのは確かです。けれど私は私のために引退を表明したんです」


「……それはつまり」



 社長の顔がみるみる怒りに歪んでいく。



「和晃に同情した君はあいつと同じ立場になろうとした。そのことに満足感や達成感を覚えようとした、ということか」




 彼は感情を爆発させないよう静かに言葉を口にする。拳は怒りのあまり震えている。


 しかし社長は勘違いをしている。私は私のためと言ったが、カズ君の立場なんてものは頭に入れていない。私は本当の本当に自分勝手で我儘なことをしたんだと彼は気付いていない。



「いいえ、それはちょっと違います。あれは私の決意を表した行動です。夢を叶えるために勝手に行ったことです」


「君は何を言っている? 決意を表した行動? 夢を叶えるため? 君は既に夢を叶えているじゃないか」


「アイドルになるという外面的な目的は達成しました。しかし、アイドルを続ける理由……内面的な夢はまだ継続中なんです」



 最初はアイドルになるという行為が夢の全てだと考えていた。けど河北さんの夢の外と中の話を聞いて、それは違うことを知った。外はアイドルになりたいという、本当の目的を実行するための手段。そして中は……。



「私は多分、アイドルじゃなくても良かったんです。たまたまアイドルだっただけで、私を変えてくれるものだったらきっとそれが表面上の夢となり得たんです」



 アイドルのお陰で私は己の殻を突き破ることが出来た。でも、殻を壊すことが出来たならお笑い芸人でも、看護師でも、大工とか女がするには珍しい仕事でも何でも良かった。



「小さい頃にアイドルを見て私は変われた。夢というものを持てた。夢は私の活力源になりました。素晴らしいものだと思いました。だから私はこの夢ってものを皆に与えたいと思ったんです」



 両手をそっと胸に当てる。



「私は夢というものをその人が持つ想いや心そのものだと考えているんです。心や感情を人が縛りあげることは出来ません。社長とカズ君の約束だって、もう結果を残せないからという理由で早目に切り上げる必要はないんです」



 私は立ち上がって社長に向かって頭を下げる。



「この度は迷惑をかけてすいませんでした! でもどうしてもこうするしかなかったんです。私の意地をぶつけるために、アイドルを辞退するという形で自分の意地を見せ付けるしかなかったんです。加えてお願いです。カズ君との約束をここで終わりになんかしないで下さい。期限通り、あと半年間は待ってあげて下さい!」



 引退を決意したのは汚職を犯した人間が責任を取るために辞表するのと似たようなものだ。私は過去に二度、社長に挑み失望された。きっと私の信用は地の底に落ちているだろう。そんな私が彼ともう一度会見するためには覚悟を見せ付けないといけないと思った。だから苦渋の決断をした。そして狙い通り接見の機会を貰い、本当の目的を彼に示した。

 私の本当の夢は、誰かに夢を与えること。最愛の人に夢を与えることが出来ないことが一番辛い。彼に夢を見てもらうことが私の夢を叶えることに繋がるんだ。

 社長はゆっくりと息をつく。先程よりは穏やかな顔つきで。しかし厳しさはまだ取れていない。



「君の行動理念というのはよく分かった。突拍子もない行動に出た理由もハッキリ分かった。まずは君を過小評価したことを謝ろう。しかしだ。君の要求は呑み込めない」


「それは何故ですか」


「君は夢を与えることが夢だと言った。なら君はもう目的を達成しているはずだ。君は和晃を縛っていた鎖を解いた。つまり、既に夢を与えたはずだと思うが」



 私は静かに首を振る。



「カズ君は確かに夢を見つけました。けどそれじゃ駄目なんです。私が夢を与える理由は、夢を見させるためです。本来夢とは見るものです。彼は夢を『見つけた』だけで『見た』とは違うんです。そんなの何もなかったに等しいじゃないですか。私は彼に夢を見させたいからこのように頼んだんです」



 社長は神妙に頷く。怒りも収まって理性的になってくれたようだ。



「なるほど。理屈は分かった。では提示してもらおうか。約束を果たすには一定の成果を残す必要があるが、そのための方法は勿論考えてあるんだろう?」


「いえ、それはまだ考えてないですけど……」


「では駄目だ」



 社長はハッキリ断言する。口を挟む余裕すら見せてくれない。



「そこに確かな方法がないというのに、期限の猶予を求めた所で結局何も出来やしない。二年半かけて出来なかったことを半年でするなんて無謀にも程がある」


「そんなことないです」


「では、弱小野球部が半年の練習で甲子園の優勝をすることが出来るか。遊びほうけていた人間が半年で法律家になれるか。無理なことは考えんでも分かるだろう」



 話はこれでと終わりだと言わんばかりに社長は立ち上がる。



「君の処分については――」


「待って下さい。話はまだ終わっていません」



 立ち上がり、社長の前に立ちはだかる。正面から顔を見据える。



「これ以上話すべきことがあるかね」


「あります。……あなたは夢を馬鹿にし過ぎています」


「勘違いをするな。私はあくまで現実的な観点から物事を言っている。何の策もなしにたった半年で何かをするのは不可能だ」


「――そういうことを言ってるんじゃない!」



 叫ぶ。夢というものを何も知らない彼に声高に訴える。



「私はさっき、夢は人の心や想いそのものって言った。あなたの言うことがどんなに現実的でも、ただの推測に過ぎない。つまりあなたのしていることは、夢の否定――夢を持つ人間を否定していることに変わりない!」


「なら君の言葉は理想論だ。人の想いだけで何かを成し遂げるなんてそれこそ夢のようなものだろう」


「――半年も、ある!」



 ダン、と床を強く踏む。

 しかし社長はあくまで冷静だ。



「半年しかの間違いだ」


「違う! 半年も時間がある! 夢を叶える気持ちさえあればきっと出来る!」


 

 根拠はある。カズ君が狂い始めたのは夢を探し始めてからおよそ半年。たった半年で人格が変わってしまうほど彼は夢を求めたのだ。つまりこれを裏返せば半年もあれば今までの自分自身を壊せるほどの努力が出来るということだ。

 そしてそういった理屈は抜きに、ここで負けてはならないと判断した。私が敗北した時、それは夢を持つ人間が彼という「現実」に負けたことになる気がした。だからこの人には負けたくない。負けられない。

 私は夢を見たことがある。美しく素晴らしい、恋のようなそれを知っている。それを持つたくさんの人を知っている。それを支えてくれるたくさんの人を知っている。

 ――だから。


「あなたは以前、私が夢を諦めた人間を見てきたと言った。その通り、私は多くの人間を見てきた。時には挫折しかけたけど、救われた人間もいた。絶対の窮地に立たされても諦めない子だっていた。夢を諦めた人間も、そのことに後悔した人もいたし、そうでなくてもやっぱり気にかかって応援してくれた人もいた。夢を見るとなると、辛いことも苦しいこともある。けどそれ以上に大切な想いがそこには宿る。あなたにはその心や想いまで否定する権利はない!」



 息を吸う。

 空気を言葉に変えて。

 言葉を想いに変えて。

 想いを魂に変えて。

 目の前の現実に叩きつける。



「――夢をナメるな!!」




 魂は部屋の中で跳ね返り、散って、やがて静寂を生む。



「私は君のその瞳に希望を抱いたのだ」



 社長は目を閉じて静かに口を動かした。



「いずれテレビ関係にも手を出そうとは思っていた。しかし誰を雇用するか悩んでいた。その時、君を見た。その真っ直ぐな強い瞳を見た。非礼を心から詫びよう。君を……香月比奈を侮辱した私を許してくれ」



 あろうことか世界的大企業の社長が私に向けて頭を下げた。

 先程までの威勢はどこかに吹っ飛び、慌てふためく。



「しゃ、社長! か、顔を上げて下さい!」


「君に許されるまでは……!」



 こういう変に律儀なところを見るとやっぱりカズ君の親なんだなって思う。……じゃなくて!



「ゆ、許しますから! 大企業の社長がたかが小娘に頭なんて下げないで下さい」


「たかが小娘なんかではない」



 なんとか社長が顔を上げてくれる。ホッとするのも束の間、真摯な瞳が覗き込んでくる。



「君は自分の意思を持った立派な人間だ。まだ大人ではないにしろ、大人になろうと足掻く、賞賛に値する子供だ」



 あれ、もしかして私……褒められてる?

 態度の急変に唖然とするばかり。



「君の勝ちだ、比奈君。私は君の主張に反論が出来ない。……しても君の言葉以上の説得力はない。君の要求を呑もう。既に切り上げた和晃との約束を期限の高校卒業まで待とう」



 社長の言葉に顔が思わず綻んでしまう。良かった、本当に……良かった。



「ただし、高校卒業までという規定は変わらない。君の主張する、夢の力というやつを見せてみろ」


「はい! ありがとうございます!」



 バッと頭を下げる。

 社長は笑いながら礼なんていらない、なんて言ってるが。



「それに問題はこの半年間だけではない。君の行動で和晃はカンカンに怒っているんだろう? まずは本人をやる気にさせないといけないはずだ」


「ええ、まあ……そうですね」



 それについては苦笑するしかない。



「最初の関門は和晃を立ち上がらせること。どうする? 君の説得に応じず、不動のままを貫いたら」



 腕を組んで考える。夢に向き合おうとしないカズ君か。そんなの私、許せないな。



「その時は私に不釣り合いだったということで別れを切り出します」


「……随分とまあ、思い切ったことを言うね」



 社長が驚いている。無理もない。私から交際の取り止めなんて言葉が出るとも思わないだろう。私自身、ちょっと驚いてるし。



「あはは……。でも裏を返せば信じてるってことです。説得には骨が折れるかもしれないけどカズ君は必ず立ち上がってくれると考えているんで」


「……そうか。それともう一つ訊きたいことがある。君自身はこれからどうするつもりなんだ?」


「先程も言ったように、私の夢はまだ継続中です。アイドルという肩書きはなくなってしまいましたけど」



 こればっかりは自分で招いた結末だ。今更ひっくり返すことはできない。



「私ももう一度手段を探します。望んだわけじゃありませんが、カズ君と同じラインに立ってしまったのは事実なので。今度は彼と一緒に。もっともっとたくさんの人に夢を与えるために。夢を叶えることを私は絶対に諦めません」


「……流石の貫禄だな」



 社長は小さく綻んだ。



「では期待しよう。君と和晃が紡ぎ出す物語は果たしてどんな未来を示すのかを」


「待っていて下さい」



 決意を言葉に乗せて、私は言う。



「今度は二人であなたの約束を果たしてみせます」




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