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アイドルと公開恋愛中!  作者: 高木健人
13章 香月比奈編
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六話「軋轢」

 控え室に続く道は戸惑いや焦燥の声で埋め尽くされていた。彩さんは私の腕を掴んで人に溢れ変える廊下を掻き分けながら進む。そしてようやく控え室にたどり着き、私に詰め寄ろうとするスタッフや報道陣を無理矢理外に追いやり乱暴に扉を閉じる。

 次に私の方を振り向き、



「比奈……自分が何をやったか分かっているの!?」



 彩さんは血相を変えて怒声を張り上げる。



「アイドルを引退って、そんな、何で……あなた、アイドルを辞めたいなんてそんなこと一言も言ってなかったじゃない……。どうしてなのよ……!」



 髪を乱暴にかき上げながら顔をゆがめ、内に溢れた怒りと混乱をぶつけてくる。しかしその瞳には透明な液体が浮かび上がっている。



「今の職業が嫌になったからとかそういうわけじゃありません。私にはこれしか出来ることがないからこうしたんです。いえ、これは綺麗事ですね。私は勝手な我侭でこうしました、としか言えません」


「あなた、何を言ってるの!? 訳が分からないわ!」



 私の受け応えに彩さんは錯乱したように声を上げる。

 ごめんなさい。彩さんがこうなるのも私、分かってた。それでもついに実行してしまった。

 これは罪だ。自分勝手な罪。

 しかし罪を背負ってでも私にはやりたいことがある。立ち向かわねばならないことがある。



「どうしてなのよ、比奈……」



 彩さんは手で顔を覆い、力なく床に座り込む。

 そんな彼女に心の中で呪文のようにごめんなさいと繰り返しながら廊下の喧騒に耳を傾ける。

 外では人がうごめく雑踏が聞こえてくる。その中に、どいてくれ通してくれと叫ぶ男の声が聞こえた。

 男の声はどんどん大きくなり、やがて控え室の前にやってくる。

 勢いよくドアが開かれる。



「比奈……比奈はいるか!?」



 ここにたどり着くまでの困難を表すように服装や髪が乱れた男の子が入ってくる。彼は私の姿を認めると、



「ひ……な……」



 現れた男の子はカズ君だった。彼は表情をなくし呆然とする。



「彩さん」



 力を失い、床に座り込んだままの彼女に声をかける。



「お願いです。彼と二人きりにさせて下さい」



 彩さんはゆっくりと顔を上げてカズ君を見る。



「あなた、彼にも話してなかったの……?」


「はい。……まず最初に向かい合わないといけないのは彼ですから」



 ジッと彼を見据える。そんな私を彩さんが見つめてくるのが感じ取れた。



「……分かったわ。詳しい話は後にしましょう。高城君、しばらく席を外すわね」


「あ、はい……」



 彩さんは力の無い足取りで部屋を出て行く。部屋には私とカズ君の二人が取り残される。



「どういうことなんだ……」



 声を絞り上げたのはカズ君だ。



「あれは一体どういうことなんだ……!? アイドルを辞めるって……!」


「そのまんまの意味だよ」


「そのまんまって、どうしてそんな急に!? 嫌なことでもあったのか……?」



 私は黙って首を振る。



「じゃあもっと複雑な理由か? 芸能界のよく分からないルールとか、そういうの」


「違うよ」


「ならどうして!?」


「それは言えない」


「……っ! 言えないって、どういうことだよ!? この俺にも言えないことがあるのかよ!?」



 カズ君は困惑の果てについに声を張り上げ始める。



「あるよ。一度、公開恋愛を辞めようって提案した時のカズ君のようにね」


「あの時の俺……? ま、まさかそんなつまらない仕返しのためだけにこんなことを!?」


「流石に仕返しでここまでしないよ。あの時のカズ君みたいに私にも私の考えがあるってだけだよ」


「はあ? 意味がわかんねえ! 何で隠すんだよ!」



 カズ君は必死の形相で私に詰め寄ってくる。



「だから言えないよ。ああ、でも、これだけは言えるかな」



 彼の動きがピタリと止まる。

 私は考える。慎重に、慎重に。こうなるのは分かっていた。彼が酷く混乱することも。そしてこの後彼がどうするのかも何となく予想はつく。

 でもただ言い争うために二人きりを望んだわけじゃない。彼にも伝えたいことがあるからこの状況を作り上げた。

 多分、今の彼には正確な意味は伝わらないだろう。それでもきちんと言葉を選んでぶつける。



「アイドルという夢は消えたけど、私の夢はまだ終わってないから」



 力強くはっきりと宣言する。

 彼がさらに混迷を極めていくのが見て取れた。

 だが、



「――あ」



 と彼は何かに気づいたように声を上げた。



「まさかだけど、そんなことないと思うけど」



 まるで自分に言い聞かせるように呟いて、顔面を蒼白にして迫ってくる。



「夢をなくした俺に同情……とか、憐れんだ……とか。それは違うよな? ありえないよな?」



 彼は亡者のように囁きかける。俺の戯言は幻だと言わんばかりに。



「その通りだよ」



 だから私は無情に彼の幻想を打ち砕く。



「は――」



 まず彼は言葉を失った。言葉の真意を探るように。それが嘘だと願うように。私を縋るように見つめ。

 やがてそれが紛れも無い真実だということに気づくと、彼は「ははは」と小さく笑い出す。瞳には狂気を浮かべたまま、頬を痙攣させる。

 狂った笑いが収まると、その拳が丸められ、わなわなと震えだす。唇を噛み締め、憤怒の炎を燃やす。



「ふ……ざけんじゃねえ!」



 カズ君は私の胸元を掴み上げ、壁際に力強く押し付けた。手は喉元を押さえつけ、まともに呼吸が出来ず、苦しみに喘ぐ。背中に痛みが走る。だが苦痛に歪めた表情が彼には見えていないらしい。



「俺を哀れんでアイドルを引退した、だと……? 何だよ、それ。お前、澄ました顔の裏で俺のことを見下げてたのかよ! 人を小馬鹿にし過ぎじゃねえか……? 俺のことをそうやってあざ笑ってやがったんだな!?」



 彼は顔をしかめて目を眇める。胸元に伸びる腕は極度の怒りで震えている。



「……別にそれは百歩譲っても構わねえ! 哀れむのも仕方ないことだし、夢を叶えた比奈から見たら俺はさぞかし滑稽だろうけどな! だけどそれがお前の夢を放棄させるのはお門違いだろうが! 俺に同情した? 可哀想だと思った? だからアイドルを辞めて、同じラインに立とうとでも思ったか? こうすればいとしのカズ君なら喜んでくれるとでも思ったのか? ――んなわけねえだろうがっ!」



 もう片方の拳を強く握り締め振りかぶる。殴られる――。私は思わず目を瞑る。

 けれど衝撃は来なかった。代わりに背後の壁に振動が走る。鈍い音が鼓膜に入り込む。



「俺は――俺はもう、お前が全てだったんだよ! 比奈は俺と違って夢を叶えた。未来を掴み取った。俺の未来にはこの先もう、何も無い。だから比奈が夢を見ている姿を眺めて、それをできるところまで応援しようって思ってたんだ。他のアイドルに人気奪われたとか、苛めが発生したとか、正当な理由さえあればお前がアイドルを引退したってよかったんだ。その時俺は、お前にお疲れ様って言えると思ったんだ。――なのにお前は、俺みたいな存在に惑わされて、自ら未来を放棄して! そんなの誰が納得できるってんだよ!」



 彼の強い想いが伝わってくる。怒りが。悲しみが。――後悔が。

 カズ君は乱暴に胸元に押し付けた手を放し、距離を置く。片手でもう片方の手首を掴み、唇を噛み締める。



「これ以上お前といると気が狂いそうだ。だからもう、行く」



 解放され、ようやく自由となった喉元を抑えながら咳き込む。まだ苦しい。でもこの程度の苦しみ、彼の心に比べればなんてことない。

 キッと彼を見上げる。



「あなたの……言いたいことはそれで終わり?」


「黙れ。もうお前の顔なんて見たくない」



 彼は一度だけ横目で睨み、前を向いた。



「残念だけど、公開恋愛の正式な取り止めの話し合いがあるから、また見ることになるよ」



 ドアノブに手をかけた所で彼の動きが止まり、



「なら、そん時が俺とお前の断絶の時だ」



 一度も振り返ることなく、ドアノブを回して外に出て行ってしまった。

 後には静寂が残る。

 よろけながら何とかソファに手をかけ、上手いこと座り込む。

 天井を見上げながら盛大に息をつき、



「分かってても、苦しいなあ……」



 カズ君のことだからこれまで以上に激怒するだろうなってことは容易に想像できた。もしかしたら私のことを見限ってしまうかも、という考えも見事に当たってしまったようだ。

 全部分かっていた。なのに、こうして彼の叫びを聞いて、そして彼の苦悶の表情を見て、私は胸を痛めている。もう顔も見たくないという言葉も地味にキてる。

 本当にこれが正解だったのだろうか。こうして一人でいると、自分は自分で大事なものを捨ててしまった愚かな人間でしかなかったんでは、と考えてしまう。

 大好きな人に嫌われる辛さに、トラウマを抉り出し痛みつける非道な行為への罪悪感……それらが胸を締め付ける。

 うずくまってしまう。うう、と思わず泣き声を上げてしまう。

 駄目だ。駄目なんだ。泣いちゃ駄目。だってこれは自分で決めたことだから。覚悟は決めたはずじゃない。もっと頭がよければこんなに心が痛むことはなかったかもしれない。けれど私は馬鹿だから、こんな方法しか思いつかなかった。

 私がやりたいこと。やらなければいけないこと。そのために。

 これはまだ始まりでしかないんだ。


 ドアの方から物音が聞こえた。起き上がってそちらに目を向けると、恐る恐るといった様子で彩さんが顔を覗かせていた。



「比奈、目が真っ赤よ」



 言われ、慌てて目を擦る。



「さっきすれ違いに高城君を見たわ。声をかけても無視して彼は行っちゃって。凄い表情を浮かべていたわ。……比奈は彼のこと本当に好きなんでしょ? そうじゃなきゃあなたは今、涙を流すはずがないもの。そうやって自分を傷つけてまでどうして……」


「……私の夢はまだ続いています」



 もう一回。まだ私だって完全に立ち直れたわけじゃないけど。決然とした表情で彩さんを見つめる。

 既に火蓋は切られているんだ。後戻りはできない。なら前を見るしかない。弱音を見せるのはまた後でだ。

 私は自分の夢を信じる。夢そのものを信じる。

 信じる心を私の水面に石として落とす。自らの力で波紋を生み上げる。



「彩さん。お願いがあります。私をもう一度社長に会わせてください」




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