五話「セカンドライブ」
「……よし!」
机の上に置かれたセットリストに簡単な台本を眺め終え、意気込みを新たにする。
いよいよ明日はセカンドライブ当日。気合にやる気、共に充分。それと同時に覚悟も……多分、決まった。
チラリと覗く小さなメモに目を移す。そこに書かれているのは明日のアンコールで行う、逆転の一手が記されている。答えを出した私が必死に考え、編み出したものだ。これで良かったのだろうか、という不安が残るのは否めない。けれど一番確実な方法がこれしか思い浮かばなかったのと、全てを投げ打ってでもやらねばいけないという決死な心情が含まれている。
だから、私は明日これをしなきゃいけないんだ。
プルルと携帯が鳴ったので開くと、カズ君からこんなメッセージが入ってた。
「明日、観に行くからな! 恵ちゃんと観客席で声枯らして叫ぶから!」
枯らしたら意味無いよ、と最後に(笑)と打って返信。
でもそこまで楽しんでくれようとしているのは純粋に嬉しい。もしもステージの上でカズ君が腕を振り上げている姿が見えてしまったら。……感極まって思わず泣いてしまうかもしれない。後悔してしまうかもしれない。
それでも私はセカンドライブを完遂せねばならない。
明日は大事な大事な日。新たな道を踏み出すための日。
もう逃げることは許されない。立ち向かうんだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ライブ会場までは車で送迎を行う。運転手はもちろん彩さん。今日はいつも以上にメイクを決めて新調したスーツをビシッと着こなしている。
「どう、比奈。今日の調子は」
「凄くいいです。今なら何でもできそう」
「へえ、言うじゃない。こりゃ楽しみね」
彩さんが期待を込めた笑みを浮かべたのがミラー越しに見えた。
ライブ会場の近くまで来ると、明らかに人の数が増えた。ゾロゾロとドーム状の施設に向かっている。まるでゾンビ映画のゾンビみたい。……ファンに対しての比喩表現がゾンビって。私も偉くなったもんだ。
関係者だけが通ることの出来る入り口から身を忍ばせ、控え室に入る。スタッフ達と再度流れを確認し、しばしの雑談の後準備に入る。メイクアップアーティストにメイクを施してもらい、ライブで着る服の着付けも行う。
あれよあれよという間に時間は過ぎ、いよいよライブ開催の時間となる。
「さあ、いよいよよ。比奈、準備はいい?」
「――はい」
顔を上げる。彩さんの顔を見る。ここまで私を連れてくれた恩人に頷き返す。
さあ、行こう。ライブが、始まる。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
目の前には闇がある。私はこの暗闇というやつを何度も見てきた。
それは、心の弱った部分を見せたらやってきた。
それは、目の前の障害から逃げ出した時にやってきた。
それは、絶望が広がるとやってきた。
このステージに立つまで――それこそアイドルというものになるまでの過程でも何度も何度も現れた。
闇は深く、陰湿で、抜け出すための道は己の力で探すことは不可能だった。
ならどうやって幾度と闇から抜け出したかというと、私はそこから抜け出せるといつも信じていた。その心が脱出の要因になったこともある。絶望に支配されかけた時もあったけど、幸いにも周りには光となる存在がいた。だから私はいつでも自分を見失わずに光を見据えることが出来たんだ。
一面の闇に、ポツリポツリと光が現れ、闇夜に浮かぶ満開の星空のように世界を照らす。
「よーし、皆! 早速行くよー!」
マイクを高く掲げる。すると光が狂喜乱舞し、歓声が鳴り響いた。
スタートは挨拶もせず、ただ前置きの短い言葉だけを叫んで、一曲目に入る。歌うのは去年の崎高祭のライブで披露した恋愛の歌。公開恋愛を始めたから生まれた曲だ。
非常にアップテンポな曲で、とにかく明るく前向きに突き進む。この曲ならば、最初からトップギアのハイテンションになれる。私も、皆も、盛り上がれ!
歌唱部分を終え、最後の一音がシンと広がる。
するとすぐに拍手喝采が巻き起こる。それを聞きながらマイクを手にとって、
「皆さん元気ですかー! 今日は私、香月比奈のセカンドライブに来てくれてありがとうございます!」
一言喋るだけで何かしらの反応が返ってくる。とても嬉しい。出来るなら一つ一つに対応してあげたいんだけどね。こればっかりはしょうがない。
ステージの前にズラリと並ぶ数多の光点達。一体どれくらいの数あるんだろう。
この光の一つ一つが私を見てくれる、観に来てくれたと考えると胸に来るものがある。
小さい頃の内気な私からしたら考えられない。タイムマシンに乗って、子供の私に「未来の私はアイドルになってたくさんの人に応援されて幸せになるんだよ」と言ってもきっと信じてもらえないだろうなあ。
「ライブはまだまだ始まったばかり。早速二曲目行こう!」
私を観に来てくれた皆は、どうして私のライブに来ようと思ったんだろう。やっぱりファンだから? それとも純粋に歌が好きだから? 友達がチケット多目に取っちゃったからっていうのもあるかもしれない。
そもそも皆はどうして私の存在を知り、ここに来るまでに至ったんだろう。色々な理由があると思う。容貌を見て気に入られたのかもしれないし、バラエティ番組を見たら面白い人物だったから興味を持ってくれたのかもしれない。
とにかく、ここにいる皆は何かしらの琴線に触れて観に行きたい、観に行ってもいいかなと思ってくれた。私の何かに魅力を感じて思うものがあった。その何かはどうであれ、こんなに幸福なことはない。
一人一人がこの会場にたどり着くまでの過程がある。同じように私だってこのステージに立つまでの過程がある。私の過程が嬉しいことばかりではなく、困難や悲劇があったように皆もまた様々なドラマを辿ってきたのだろう。
そう考えると巡りあわせというのは面白いなって思う。人の無数のレールの上に私の存在が乗ってると考えると非常に興味深い。当然逆も然り。
私は水面に小石を投じたイメージを思い描いた。
一面に張られた水膜に固形物が混入し、波紋となってどこまでも続いていく。それはまさに個の人生に他人が介入した様子に他ならないんじゃないだろうか。
目の前に広がる無数の水源に私という小石が投げ入れられる。
逆に私の水面には眼前の光の数だけ石が落とされる。
穏やかに波紋が広がり、別の波紋とぶつかって混ざり合う。そしてまた新たな波紋となって別の波紋とぶつかり合う。
それを何度も何度も繰り返して、ようやく一つの湖が出来るのではないか。
けれどきっとそれだけじゃない。
折角、来て貰えたんだ。こうしてそれぞれの人生に干渉しあうことが出来たんだ。
ただ私が歌って踊る。観客がサイリウムを振って、歓喜する。それだけじゃちょっと悲しいし、人生という大きな湖の中では小石どころか一枚の葉っぱのように波紋すら立たない……つまり、無意味も同然だ。
それぞれ石とは、ただの小石なんかじゃない。大小様々、形も千差万別。人にとってそれぞれ違う石を投げ入れ、不規則な波紋を立てる。そうして、自分だけの湖を展開する。
人生とは多分、そんなものだ。
色々な人間――人だけじゃなくて事象とかもっと多種多様の要素を含むだろうけど――と出会い、影響を与えあい、自分だけの人生を作る。そこに別の人生が重なることもあるかもしれないけど。
私も、そして目の前の大勢の人達も。ここで出会えたことにきっと意味がある。
そして私はここに来てくれた皆のために一風変わった石を投入してやりたい。それがここに来た意味だといえる何かを与えたい。
それが何なのかはもう、分かっている。私が出来ることは、私が皆にあげられる石は自分自身で把握している。
だから私はここにいる。
この無数の光の中、朧げになっている光を新たに照らすために。湖を広げるきっかけを作るために石をぶつけに来た。
ジャーン、と楽器の甲高い音が鳴り、演奏が終焉を告げる。
「今日はここまでです! 本当にありがとうございました!」
頭を下げるも、皆のコールは止まらない。最初は私の名を叫んで、段々とアンコールという単語が飛び交い始める。
私がステージの端に移動した時には、アンコール一色に染まっていた。
パッとステージの照明が落ちる。それでもなお、皆の熱気は溢れている。
「お疲れ様、比奈。少ししたらすぐアンコールに応えるわよ」
「はい」
興奮気味の彩さんにしっかりと返事をする。
息を整え、まだ終わらないライブに向けて再度気合を入れる。
目を閉じてジッと黙ってその時を待つ。その間、色々なことを回想した。
まずは幼少の頃の自分。それから養成所時代の思い出。アイドルデビューした時の思い出。それから公開恋愛を始めてからの思い出。
たくさんの出来事があった。その一つ一つが大きな大きな波紋となり、私なりの湖を形作ろうとしている。
そして、そこに込められたたくさんの感情を想起する。嬉しいとか悲しいとか、一言では表すことの出来ない、ありとあらゆる感情が湧き立つ。けれど最終的に一つの想いに収束していく。
「そろそろ時間よ」
スッと目を開ける。大丈夫。景色は鮮明に映っている。頭も克明に働く。手足もバッチシ動く。
覚悟は――決まっている。
彩さんに先導され、もう一度ステージの端へ。GOサインが出たら再び舞台に舞い戻る。
その前に一言だけ伝えねばならないことがあった。
「彩さん」
「どうかした?」
「今迄ありがとう」
彩さんは肩を竦めて笑ってみせる。
「何言ってるのよ。これが終わりじゃあるまいし。比奈の夢はいまだ継続中でしょう?」
良いこと言うな、彩さん。その通りだよ。私は微笑み、同意を示す。
「さ、行ってきなさい」
彩さんの声に引かれるように舞台に飛び出した。
ステージは当然まだ真っ暗。
アンコールのステージは照明が照らされてから始まる。
私の夢は光に当たることで皆に与えることが出来る。
ゆっくりと目を閉じる。顔を下に向ける。
バッと照明が点いた音がした。
そして、私は――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ふと顔を上げると暗闇が広がっていた。
私はこの光景を何度も見ている。例えばそれは、挫けそうになった時。例えばそれは、諦めた時。例えばそれは、希望が消えてなくなった時。
ここに来るまで何度も何度も目の前は真っ暗になって、それでも私は足を動かした。進んだ先にあるはずの光を目指して。
そうして私はついに光の下にたどり着くことが出来た。アイドルになるという夢が成就したんだ。
けれどすぐに暗闇はやってきて、再び私の視界を覆い隠してしまった。
流石にもう駄目かと思った。私は体育座りで暗闇を眺めて全て終わりにしようとしたことがある。
そんな時、不意に光が差し込んだ。光の先から手が差し伸べられた。
――香月比奈は処女だ!
それはあまりにも最低な告白だったかもしれない。けれどその言葉は私を掬い上げるきっかけとなった。今では変わったキメ台詞として私の中でお気に入りワードと化している。
私を暗闇のどん底から助けてくれた彼。
今は彼が暗闇に同化しようとしている。
彼はもしかしたらそれを望んでいるのかもしれない。――けれど私はそんなの納得いかないから。たとえ迷惑といわれても私は彼をこの明るい世界を見て欲しいと願う。
ふと顔を上げるとそこにはたくさんの光源があった。その一つ一つの光が私なんかの舞台を期待して待っている。皆キラキラした笑顔で、私も釣られて笑顔になってしまう。
大丈夫。私はここに立つ理由を知っている。ここに立ちたいと思った理由を知っている。
だから私はもう一度、夢を叶えるために努力しよう。
「みんなー、今日はありがとう! 最後の曲を歌う前に私からお知らせがあります」
眼前の光達はザワザワと騒ぎ出す。そのほとんどが期待の眼差しだ。私が笑っていることが彼らの希望を作り上げているのかもしれない。
ごめんねは言わない。こんなことしなきゃよかったなんて後悔もしない。目の前の皆に感謝してありがとうって伝えるべきなんだ。だから満面の笑みで宣言してやるんだ。
「私、香月比奈は――アイドルを引退します!」




