七話「剥がれ落ちる仮面」
いよいよ訪れた崎高祭二日目。演劇部は朝一で集合し、第一回目の公演に向けて最終確認。そして開場から一時間後、ついに幕が上がって……。
そうして今は一回目の公演が終わり、皆一息ついているところだった。
「お疲れ様、カズ君」
ついさっきまでクラスの方で働いていた比奈がこちらに来てくれていた。自分の働く時間が終わると飛ぶように駆けつけてきてくれたらしい。彼女から労いのタオルを受け取り、汗を拭う。
「本番どうだった?」
「いい感じ。朝だけど予想以上に観客も来てくれて、しかも結構盛況だったし」
それに俺自身も本番というプレッシャーの中かなり調子が良かったと思う。そういう意味でも出だしは大成功だったといえる。
「といっても本番は午後からですけどね」
祥平がこちらにやってくる。
「確かに朝から観客数が結構来ていましたけど、午後はそれ以上に来ます。前の部長なんかは一回目の公演はウォーミングアップみたいなものだって言ってましたし。満足するにはまだ早いですよ」
「分かってるって。でも一回目がつまづくよりは良いだろ?」
「その通りです」
祥平は嬉しげな顔で微笑する。
「今少し時間大丈夫ですか? 一回目の反省を軽くしたいんですけど」
「ん、そうだな。比奈、悪いけどちょっと待っててくれるか?」
「あ、構わないよ。むしろ私も一緒に聞いていいかな? どうせ時間空いてるから暇なんだ」
祥平に顔を向けて確認を取る。こくりと頷いた。オッケーのようだ。
こうして俺達三人は席を移動して一回目の公演をしてみて改善できそうな部分を挙げる。比奈もプロの視点からアドバイスしてくれたりして反省会はそれなりの成果を得たのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
演劇部の二回目の公演は午後。しかも閉場に合わせる形で行われるため時間はたっぷりある。
最初の発表を終えて、その後の後処理も終えた俺と比奈は手が空いたので普通に文化祭を楽しもうと廊下を歩いていたら見知った顔を見つけた。
「お、カズに香月さんじゃないか」
「久保田君に若菜だ。なんだか久しぶりだね」
「……久しぶり?」
比奈の挨拶に首を傾げる若菜ちゃんである。俺も同じ気持ちだ。
「あ、うん。最近仕事が忙しかったせいか準備もまともに出れなかったし、精神的な余裕がちょっとね……。私からすると皆と一ヶ月以上会ってないような気がして」
いくらなんでもそれはないだろと思いながらも、比奈の口調はマジトーンでした。
「まあでも忙しいことはいいことだよね。それより良かったらカズ達も一緒に回らない? 二人で動くつもりなら無理する必要はないけど」
「俺達も適当にブラブラ歩いてただけだし全然構わないぞ」
な、比奈? と顔を向ける。さっきまで「これ美味しそう」だとか「クオリティ高いなこれ」みたいにクラスの模擬店に感想を口にするだけだった。彼女と二人で回るのも楽しいけど、友達と一緒に回るのも同じくらい楽しいものだ。
というわけで俺達は久志と若菜ちゃんに合流し四人で学校の中を巡る。グループの中でも目立つ由香梨や直弘がいないお陰か、かなり落ち着いている。友達で楽しんでいるというより、ダブルデートをしているような錯覚を覚える。
美味しそうと思ったら中に入って買って、面白そうだと思ったら参加して楽しむ。そんな風に目的なく模擬店をぐるぐる回る。
次にやってきたのは格技場だ。普段は剣道や空手なんかを授業や部活で行う施設。しかし文化祭開催中の今は運動系のアトラクションをやっている。
「へえ、ここ卓球が出来るのか」
「しかも二対二で出来るらしいね」
「……なら分かれて対戦しよう」
「じゃあチーム分けするか」
とスムーズに話が進み、男一女一のチームになるようチームを分ける。そしてどうなったかというと、
「頑張ろうね、久保田君」
「ああ、カズと若菜さんにあっといわせてやろう」
比奈と久志のイケメン美女コンビだ。
で、もう片方の俺と若菜ちゃんチームは、
「よし若菜ちゃん、目にものを見せてやろう」
「……私の秘技に酔いしれるといい」
ふっふっふと妖しく笑いながらラケットを握っていたのだった。
じゃあ早速始めようというところで久志が俺の顔を見て唇を動かした。
「カズ、折角の機会だ。全力で行かせてもらうよ」
挑発気味の言葉を吐く久志の瞳はギラギラしていた。勝利に飢えた獣のようだ。
やる気があるのはいいことだ。けど、そこまで敵意を剥き出しにするなんて……一体何かあったんだろうか。
いざゲームが始まるといい勝負になった。
卓球はあまり得意じゃないのか、皆の実力は拮抗していた。一点取ったら取り返しての繰り返しである。
「よし、行くぞ」
と掛け声と共にサーブを打つ。さっきのサーブは失敗したけど今回は上手くいったようだ。しかしその分甘い球になり、比奈が易々と打ち返してくる。
「……まだまだだね」
某テニス漫画の主人公のような台詞を言いながら若菜ちゃんが返ってきた球を打ち返す。ただジャストミートではなかったらしく、球はアウトラインを越すか越さないかという軌道を描く。
アウト――かと思われたが、卓球台の角に当たり、地面に一直線に落ちていく。どんなに俊敏でもこれは無理だ。けれど久志はボールに飛び込むように拾おうとする。
「久志!?」
無理矢理態勢を変えて拾おうとしたからか久志は床に無様に倒れた。ゲームを中断し、彼に駆け寄っていく。
「いたた……膝打っちゃったっぽいね」
「……大丈夫?」
「あ、大丈夫だよ。心配させてごめんね、若菜さん」
「幾らなんでも今のは無理だ。そこまで本気になる必要は――」
「あるよ」
久志はきっぱり言った。
「楽しいからね。本気になればなるほど。だから俺はこうしたんだ」
久志は笑顔を浮かべたまま立ち上がる。
「カズにそう教えられたからね」
……俺が? 衝撃に似た何かが体に走った。俺、久志にそんなこと言ったっけ? 言った覚えがあるようなないような……。
「中断させてごめん。続きやろうか」
再び所定地に着く。体は目の前の卓球のために動かしていた。しかし心は久志の言葉の真意を探るために過去へ飛んでいたのだった。
* * * * *
自由気ままに生き始めて早くも数ヶ月。季節は秋から冬に移り変わり、今年も終わりを迎えようとしていた。
「ねーねー、昨日のNステ見た?」
「見た見た。今話題の香月比奈だっけ? あの子可愛かったね。歌も上手かったし」
「しかもあの子まだ高校一年生らしいよ」
「ほんとに? すごーい」
周囲に耳を傾ければ楽しげな声。それもそのはず。学生の敵であるテストが終わり、残るはテスト返しと学期末に行われる球技大会のみだから。テストが終わったのと勉強のない学校への登校にみな一様にテンションが上がっているのだ。かくいう俺も球技大会のバレーを楽しみにしている。しかも今日は練習試合だ。
バレーボールはバレー部の体験入部期間と体育の授業でしか取り組んだことがなかったが、これが中々に面白い。面白いことはいいことだ。心に平穏の火が灯り、精神に安定をもたらす。飽きるまでいい時間つぶしになる。
放課後になると基本的な動きをした後に練習試合が始まった。
一人一人のレベルは当然違うものの、チーム全体としては五分五分だった。互角の勝負を繰り広げる。
その試合の中、チームメイトが相手のスパイクを何とかレシーブで返したが、ボールはあらん方向に飛んでいく。
「あ、やべ!」
いや、大丈夫だ。ボールはコート外に出そうだが、あれくらいなら飛び込めば充分取れる。ボールに一番近い選手である久志に目を向ける。けれど彼はボールを目で追うだけで取ろうとはしていなかった。
ボールはコート外に落ち、相手チームに一点が入る。
「うわーマジか」
「悪い、ごめんよ」
「いや、俺こそ悪い。もっとちゃんと当ててれば……」
久志とスパイクを受けた選手が話している。俺は久志の横顔をジッと見る。
あれは飛び込めば取れたはずのボールだ。なのになんで動こうとしなかったんだろう。たとえ上手く当てられなかったとしても誰も責めやしないのに。
というか俺、どうしてそのことを考える。あいつが拾いに行こうとしなかったからって何かあるわけでもないのに。
しかし俺の中に彼の行為が気に入らないという気持ちが生まれていた。よく分からないイライラに頭を抱えながらゲームに戻っていく。
結局試合は俺達のチームの負けだった。久志のせいというわけではないが、あの一件がズルズルと根を引きずっていた。でもどうしようもない。放課後、自由時間の間に少し練習して帰るとしよう。
カバンだけ取りに教室に戻ると、今まさに教室を出ようとしていた久志とばったり遭遇する。
「久志、今日はもう帰るのか?」
こちらに気づいた久志はその爽やかな微笑を見せ付ける。
「うん。カズは残って練習するの?」
「少しだけな。バレーはあんまやったことないからちょっとでも上達しないとなって思って」
「そうなんだ。凄いなあカズは」
何となく、彼の言葉には感情がこもってないような気がしてムッとする。
「それじゃあ、俺はこの辺で――」
「あ、ちょっと待った。一つ聞きたいことあるんだけど、いいか?」
「……? 別に構わないけど」
「久志ってバレーボール嫌いなのか?」
言及するつもりはなかった。しかし俺の口は勝手に動いてしまう。
「いや、別に……。何で?」
「今日の練習試合で忠岡がレシーブ受けたボールあっただろ? 久志が飛べば届くと思ったんだけど……」
「待った。それと俺がバレーボール嫌いなの関係なくない?」
「……その時、久志はピクリとも動かなかっただろ? 普通なら反応して体が動くはず。何か最初から取る気なかったのかなって思って。それに終始めんどくさいなって雰囲気醸し出してるし……あんまりバレー好きじゃないのかなあと」
「――――」
どうしてこんなお節介じみたことをしてるんだ。しかし口は意思に反してスラスラ動く。
だが久志は俺の言葉に反応した。顔をビクッと引きつらせ、いつもの微笑が歪んでいる。
「別におかしいことじゃないだろ? 本当に熱心なら放課後残ってるし。俺自身そんなに運動得意ってわけじゃないからさ。バレーには好きも嫌いもないよ」
取り繕うような言葉だった。何となくそう感じた。
「んー、そんなもんか?」
「そんなもんだよ。確かに本気で取り組んでいるといったら嘘になるけど、手は抜いちゃいない」
これは多分、嘘だ。分かる。見抜けてしまう。俺は元々色々なことに熱心に取り組んでいた。だから真剣になるということが、手を抜いてるか否か、はっきり見抜けてしまう。
「……そうか。何か悪かったな。変なことに口出しちゃって」
もうやめることにした。これ以上久志と話しても何か得られるわけじゃない。彼にしたって事情があるのかもしれない。これ以上の追求は無粋だ。
足を進めようとする。しかし今度は久志が訊ねてきた。
「構わないさ。それに俺は逆に聞きたいんだけど、どうしてカズはいつも真剣なんだい?」
久志は今まで見たこと無いくらい真面目な面持ちをしていた。
どうしていつも真剣なのか。その答えは多分、簡単に出る。まず一つ目はちょっと前までの俺は何に関しても真剣に取り組んでいた。取り組みすぎていた。だから手を抜くという術を知らない。次に真剣にやった方が雑念を消せるから。いつもついて回る黒い靄。これを消すには一生懸命になるしかない。
今回のバレーは球技大会だ。別に全国制覇を狙った大会なんかじゃない。故に軽い気持ちで取り組むことが出来る。これくらいなら鎖に巻きつかれることもない。
「そんなの決まってる。――楽しいからさ」
「……は?」
そう、楽しいから、というのもあるかもしれない。楽しいことはいいことだ。悪いことなんかじゃない。楽しいことをやって何が悪い。嫌だったら逃げればいい。ただそれだけのことだ。
「何事も本気でやるのって楽しいだろ? たかが行事に何本気になってんだって感じかもしれないけどさ、逆にいえば頂点を狙う必要もないんだ。部活やってる時みたいに変に大会で上位を獲るとか、全国大会を狙うとか、そういう責任やらプレッシャーなんていらないだろ? 何のしがらみもなしで全力でするのって楽でこの上なく楽しいんだ。少なくとも俺はな」
先を気にする必要なんてない。これは所詮お遊びだ。お遊びを楽しんで何が悪い。楽しむのはいいことだ。その「楽しむ」を最大限味わうために俺は本気でやっている。一生懸命頑張っている。心を幸福で満たすために全力で取り組んでいるのだ。
恍惚に浸るように己の理論を心中に展開する。しかしふとあれ、と思う。
何か、何かおかしいぞ? 俺は元々頑張ることから逃げていたんじゃなかったっけ? 頑張っても成果が出るはずないから、一生懸命何かに取り組むのをやめたような気が……?
ジャリ、とどこからか金属が擦れる音がする。体が反射的に震える。もうそれだけで分かってしまう。鎖が引きずられる音だ。
これ以上考えるのはよそう。このまま深く潜ったらまた鎖がやってくる――。
「なあ、久志。手抜いてばっかじゃ人生つまらないぞ。たまには本気出してみなって。爽快だぞ」
声が震えそうになるのを抑えながらようやく言葉を口にする。とにかく流れがおかしくならないように何かを言ったつもりだが、具体的な内容まで意識できずに形にした。
ついでに顔に笑顔を貼り付ける。演劇部に通うようになって取得した演技の笑顔だ。これは今後の人生においても使えそうな技術である。獲得しておいてよかった。
「呼び止めて悪かった。じゃあな、久志。また明日」
俺は逃げるように久志から距離を置いた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
それから数日後。以前練習試合を行ったチームとぶつかる。今回は練習じゃない。トーナメント形式の本番だ。
お互いの力はやはり同等。取られたら取り返し、取り返されたら取るといったことを何度も繰り返す。
その途中、チームメイトの一人がスパイクを受けた。パンと弾かれたボールはコート外に放物線を描いて飛んでいく。ボールの近くには久志がいる。前と同じシチュエーションだ。
しかし、今回は飛び込んでも届くか届かないかの瀬戸際。今回は無理する必要は無い。点差も開いてないのだし、ここで体力を消費するより次に繋げた方が――。
けれど久志は飛んだ。ボールに向かって。落ち行くボールの真下に腕を伸ばし、当てようとする。
「届けええええええええええ!!」
久志の叫びを聞き入れたボールは再び空中に浮く。偶然にもそれは絶好球となった。これは……いける!
「――ナイスだ、久志」
思わず、言ってしまう。高く浮いたボールに手の平を当て、相手コートに叩きつける。ボールが床に当たり軽快な音が体育館に響く。すると返事を返すように笛の音が鳴り響く。
「よっしゃー勝った!」
「どうだ見たかこらー!」
チームメイトや観戦していたクラスメイトが歓声を上げる。皆がチームに勝利に湧く中、俺は必死にボールを取りにいった久志に駆け寄る。
「ナイスアシスト!」
「はは、がむしゃらだったけど、届いたんだね」
疲れきって無理矢理浮かべた笑顔だったけど、悪い感じではなかった。
この前のことを思い返すと俺は言わずにはいられない。
「おおよ! やっと本気出したんだな。どうだった?」
「……悪くない」
「ならよかった」
彼の言葉には達成感が存分に含まれていた。やっぱり本気を出すことは、頑張ることは悪いことじゃないのかもしれない。
俺も久志と同じような満面の笑みを浮かべようと思った。けれど邪魔したのは黒い雑念だった。
自分自身を蝕むように――何故、またこいつが――黒い霧が発生する。霧に支配された世界の奥には長い長い鎖に繋がれた怪物がこちらをジッと見ている。
何なんだ、お前は一体何なんだ。
姿は見えない。けど直感が告げる。あの霧の先にいるのはもう一人の自分自身だと。だけど、あれは以前の俺なのか、今の俺なのか、分からない。この体を動かす自分は、鎖に繋がれた自分は一体どっちなんだ……?
「――カズは」
「ん?」
久志が尊敬の念を瞳に据えてこちらを覗き込む。
「凄いやつだな」
その時生じた感情を言葉にすることは出来なかった。嬉しさとそんなことない、と謙虚な気持ち、それから恐怖に怒り、悲しみもあったかもしれない。とにかく様々な感情が入り乱れて――何がなんだか分からなくなった。自分を見失った。まともに考えようとすると、まるで心臓をわしづかみにされたような苦しみに支配される。まずい、これは洒落になれない――。
逃げようと思った。頑張ることから、苦しいことから俺は逃げる権利がある。なら今回もそうすればいい。
だから目を逸らして見ないことにした。俺は心や感情から――自分自身からも逃走を決意した。
気がつくとクラスメイト達に囲まれていた。俺は剥がれ落ちた仮面を取り戻すかのように、久志と共に偽りの勝利の余韻に浸ることにしたのだった。
* * * * *
卓球勝負を終え、またのんびり学校を回っていた。
その最中、女子がお花を摘みに行くということ男子は適当に待機。
「やっぱり本気でやると爽快だね」
聞いててむずがゆくなるような台詞も久志が口にしたら本当に爽やか過ぎてこちらが困る。イケメンめ、ぐぬぬ……。
「本気でやるとどうしてこんなに気分がいいか、原理がわかったよ」
「凄いな。是非ご教授願いたい」
「本気っていうのはある意味で自分の心を曝け出すのと同義なんだ。溜まった鬱憤とか、隠していた本音とかを外に出すと清々しい気分になるっていうじゃないか。それを言葉じゃなくて体でやってるんじゃないかなって」
「ジッとしてるより動いてる方がいいっていうしな」
久志の言葉に頷く。その通りだと思う。本気になるというのは自分の真意を晒すことと同じ。だから気持ちがいいのだ。
「カズは今回本気出した?」
「ずっとじゃないけど、危ない場面では時折な」
ハハッと笑う。昔と比べて純粋に本気を出せた。そんな気がした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「面白かったよ、カズ君!」
「会心の出来だったからな!」
二回目の公演を終え、俺は有頂天に立っていた。一回目の反省がきいたのか、午前以上の力を発揮。観客も倍近く来たが、ほとんどの人が大満足の顔を浮かべて席を立つのが見えた。
それに加えアイドルの彼女からも心からの大絶賛。これで気分が良くならないわけがない。
「この調子なら明日もいい結果を残せそうだ」
三年生最後の引退の舞台。明日の一回こそが本当に本当の最後だ。今日の二回も全力投球だが、明日はそれ以上に……悔いの残らないような劇をしたい。
「そういえば明日は社長も観に来るんだよね」
「ああ、そっか。親父来るって言ってたな。あんまりいい気分じゃないけど……」
でも、今回の出来具合はちょっと見てもらいたいと思う自分がどこかにいた。何だかんだでこの半年、全てをなげうってやってきたものだ。例えその途中で痛い目にあっていたとしても……頑張ってきたのは事実なのだ。
それに多分、自分の意思でやり遂げることの出来る最初で最後の行為だ。今まで怠惰に過ごしていた俺がやる気を出した集大成。俺の憧れる父に息子の頑張りを見て欲しい。努力の報われる瞬間を見て欲しい。
「少し時間あるし、帰りにファミレスでも寄ってかないか? 明日の渇を入れるためにも」
「いいね。あ、そうだ。久しぶりにあの店行こうよ」
あの店とは初デートで訪れたお洒落なイタリアンの店だ。
俺と比奈は手を繋いで方向転換し、商店街に足を向ける。だがそこでポケットに入れていた携帯が震えていることに気づいた。電話の着信相手の表示を見ると梨花さんからだった。
「梨花さんから電話だ」
「梨花から? 何かあったのかな?」
「劇が大成功したからそのことに関してじゃないか? とりあえず出てみよう」
応答と書かれた文字をタップして携帯を耳に当てる。
「おお、梨花さん、どうかしたかー?」
繋がった瞬間、俺は陽気な声で用件を訊く。しかし中々返事が返ってこない。どうかしたのかという疑問がわきあがってくる。
「……君が……」
ようやく聞こえた梨花さんの声はか細い。今にも掻き消えてしまいそうだった。何か良くないことが起きているようだ。間抜けな顔を引き締めて電話の先にいる彼女の声を漏らすまいと耳をこらす。
すると彼女は言葉にならない声を出していた。しゃくりあげるような彼女の声。苦しみに堪えるように低く唸っている。これはもしや……泣いているのか……?
「どうした梨花さん? 何かあったのか?」
隣にいる比奈も異常を察して心配そうな顔をこちらに向けている。
しばらく返答を待って、梨花さんは衝撃の事態を告げる。
「……君が……祥平君が……車に、轢かれて――」




