五話「壊れるもの」
長らくお待たせしました。今日より復帰です。
「いらっしゃいませ武士様!」
あまりにも斬新な客の出迎えに思わず頭を抱えてしまった。これを提起したのはどこの馬鹿だ。
「ちょっと、折角可愛い女の子が挨拶してくれたのに呆れた顔してるのよ」
少し離れた所から和服を着た由香梨が近づいてくる。
「……由香梨はこの挨拶に対して何も思わなかったのか?」
「直弘君曰く、インパクトに残る方がいいんだって」
馬鹿はあいつか。
「和晃は文句付けに来ただけなの? それなら邪魔だからとっととどいて欲しいんだけど」
「一応客だよ」
「なら案内するわよ。一名様ご案内しまーす」
入店時の挨拶以外は普通のようだ。
案内された席に座る。机を並べて上に白い布を被せた簡素なものだが、そこに鶴の折り紙やら、華の模様が入ったカスター台が置いてある。
この辺の工夫は流石の一言だ。
「はい、これメニュー」
由香梨がぞんざいにメニュー表を渡してくる。次に由香梨はどうしてか向かいあうように席に座ってきた。
「おいおい、どうして席に着いてんだ。仕事はどうした仕事は」
「さっきの子が和晃がいる間は休みでいいよ、なんて言ってきてね。ったく、どういうことなんだか」
「とか言いつつ休んでるじゃないか」
「ま、お言葉に甘えさせてもらうということで」
由香梨は手をヒラヒラさせながら言った。
「それより和晃こそどうしてうちのクラスに来たの? 敵情視察?」
「そう邪険に構えるなって。暇だから知人の模擬店を巡ってるだけ」
「和晃が一人じゃなければ疑わないわよ。祭りなのに何で一人虚しく行動してるの?」
こいつ痛いとこを突いてきやがって。
「たまには一人でいたい時もあるんだよ」
「……案外和晃も親しい友人は少ないとか?」
由香梨はニヤニヤ笑ながら口にする。冗談のつもりで言ったんだろう。
「ははは、そんなわけないだろ。比奈は今日もライブの打ち合わせだし、沙良はメイドとして活動中、他のクラスの皆とは予定が合わず、他の友達と回りたくても皆、同じ部活の子とか仲の良いやつといるから俺の入る隙がないんだ。友達が少ないとかそんなことないからな!」
「……あ、うん」
俺の負け惜しみに由香梨は若干顔を引きつらせた。やめろ、そんな目で見ないでくれ。
「えっと、それで和晃のクラスの方はどんな調子?」
無理に話題を変えたのが見え見えである。そもそも由香梨が余計な一言を言わなければ同情する必要もなかったというのに。
「多分だけどかなり集客率いいぞ。列出来てるし。やっぱり比奈の知名度と沙良の戦略がでかいな」
「やっぱり強敵ね、そっちのクラスは」
由香梨のクラスの方も席はそれなりに埋まっていて悪くないと思うのだがいかんせんうちのクラスには及ばない。
それに去年のライブ効果があるのか、崎高祭に訪れる人数が全体的に多くなっているという事実もある。その貢献者がメイド服を着るとなったら嫌でもうちのクラスに足を運ぶだろう。流石アイドル、あざとい。
まあ、そのアイドルは今学校の中にはいないんだけど。
「このままじゃ完敗ね。どうすれば一矢報いれるか……」
「それこそ参謀の直弘の出番じゃないか?」
その通りね、よし早速呼び出しますかと由香梨が携帯を取り出した瞬間、扉の装飾が外れて床に落ちた。カラランと大きな音を立てて転がっている。
「し、失礼しました」
クラスの子が慌てて謝り、落ちた装飾品を拾おうとする。
「あー……壊れちまったか」
ごく当たり前の感想を口にする。
だがその言葉を聞いた由香梨が何故かビクリと反応する。
「……? 由香梨? どうした?」
「あ、いや……何でもないわ」
由香梨は笑おうとしているらしいが、顔が引きつって笑えていなかった。
俺がその一言を言った瞬間の彼女の顔は同情的で、なのに悲しそうな何とも形容のしがたい複雑な表情だった。見ててあまりいい感情を持ったとは到底思えない。
しかし彼女のその表情を俺はどこかで見たことがある。それは一体いつだったか。確か……丁度この時期だったような記憶がある。あれは確か――。
* * * * *
沙良に電話越しで醜い感情を吐き出して以来、俺は生きた心地がしなかった。授業も上の空で頭の中に入ってこず、他人との会話も適当な相槌をしていた。
それでも資格の勉強には一心不乱に取り組んだ。まるで何かに取り憑かれたみたいに。
沙良という親友を失った俺は、彼女を追い込んでしまった原因の事柄をやることで罪の贖罪にしようと考えていたのかもしれない。
とにかく、資格を取らなきゃいけない、自らに絡みついた鎖を解かなければならない。それらの強迫観念だけが俺を突き動かしていた。
段々と自分が追い詰められおかしくなっているのは自覚していた。
だけどそれは沙良と電話する前のほんの僅かな自分が認識しているだけで、今の心の大部分を支配する罪に囚われた自分は気づいていない。
今日もまた、どうでもいい時間が始まる。今の俺に学校なんてものはどうでもいい。学校でどうでもいい勉強や会話に興じているくらいなら家でひたすら机に向かっていた方が――
「何そんな暗い顔してるのよ。ちゃんと前見て歩きなさいって」
背中をバシッと叩きながら隣に並んだのはもう一人の幼馴染である由香梨だった。
彼女はこちらの考えも意もせず明るい声で元気付けようとしているらしい。
「まーたそうやってこっちをチラッと見ただけで無視する。最近のあんた、様子がおかしいわよ? ……何か辛いことがあったなら話聞くわよ?」
ここ数日の由香梨は何度も俺に同じような囁きをしてくる。いい迷惑だ。
「……別に何もないって」
「そんな影さした顔でよく言うわ」
俺に構うなよ。
イライラが心の中に湧きだって来る。これを表に出してしまえば沙良の二の舞になってしまう。それだけは避けねばならない。
「うるさい。ほっといてくれ」
あえてそっけなく返事を返し、早足になって由香梨を離そうとする。
「あ、ちょ、待ちなさいって」
案の定由香梨が追いかけて来る気配がしたので俺は走って逃げた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
いつからこうして机に向かうことが嫌になったのだろう。
目の前に広げられた専門書から専門用語が出てくるだけで頭がむず痒くなる。気を逸らそうと壁に立てかけてあるカレンダーを見て、資格取得のための試験日に付けられた丸印を見ただけでげんなりしてくる。
それでもやるしかなかった。今の俺にはこうすることしか出来ないから。締め切り前の漫画家や作家もこんな気分を毎回味わっているんだろうか。
ノートに文字を書き写しているとチャイムが鳴った。もう夜だというのに誰だろう。新聞や宗教の勧誘なんかだったら怒鳴ってやる。
煮えたぎった気持ちで玄関を開けるとそこには目をつりあがらせた由香梨がいた。予想外の訪問者に怒りはどこかに消えて驚きだけが心を満たした。
「中、入れて」
「は? いやでもお前、もう外は暗いんだぞ?」
「いいから入れなさい」
由香梨は怒っているようだ。有無を言わせない態度である。けれど俺は躊躇していた。
「沙良に電話した」
だが、沙良という単語が出て体が固まった。
「沙良は……俺に何か言ってたか」
俺は震えた声でそのように訊ねることしか出来なかった。
由香梨は首を振って、
「いいえ。ただ私の代わりに謝っておいて下さいって言われた」
「…………」
「入れてもらうわよ、和晃。文句は言わせないから」
こちらに一瞬睨みを入れて由香梨はずかずかと家に上がってきた。俺はもう何も言い返せない。大人しく彼女の後姿についてリビングに入る。
「和晃がここ最近おかしい理由と沙良の態度……この二つは何か関連があるのよね? それについて詳しく話してもらえる?」
「……それは」
「話さないなら話してくれるまで帰らないから」
由香梨の決意は固い。今の彼女には何を行っても通用しないだろう。
「……分かった。長い話になる。お茶入れてくるから待っててくれ」
俺は観念して全て話すことにした。
由香梨と向かい合うようにして座ると事の始まりから全部話した。沙良の父親を救ったこと。その代償に親父と未来を賭けた約束をしたこと。それからの俺と沙良の関係。沙良の葛藤に俺の葛藤も。その果てに起きた仲違いまで。
一から十まで暴露した。いや……もしかしたら俺はこうして誰かに吐き出したかったのかもしれない。一度口を開いたらまるで止まらなかった。やはり苦しみを内包しすぎていたんだろうか。
最初はこちらを睨むようにしていた由香梨も最後のほうにはバツの悪そうな顔で悲しげな瞳をしていた。
「……そんなことがあったのね」
「ああ。俺は夢ってやつを軽く見すぎてた。その代償か、俺は大切なものを失った。……その罪を償うためにも俺はこの鎖をどうにかしないといけないんだ……!」
腕を震わせながら拳をグッと握る。
「既にボロボロなのに和晃はまだ続けようっていうの!?」
由香梨は立ち上がって叫んだ。そこには俺を心配する様相があると見て取るように分かった。
「そりゃまあな。続ける以外に何か方法があるなら話は別だけど」
自然と口が歪む。きっと虚しい笑みだ。
「部外者の私が……大切な二人の友達の事に気づかなかった私が言えた義理じゃないのかもしれない。けど、方法なら他にもちゃんとあるわよ」
「……え?」
頭をガツンと殴られたような気分だった。由香梨を見上げる。
「逃げちゃえばいいのよ。あんたがどれだけ苦しんでいるのか、いつも和晃を見てた私には痛いほど分かる。和晃が感じている苦悩は相当なものよ。それこそ真っ向に相手したら壊れてしまうほどの……。ううん、もう、壊れかけているのかもしれない。ねえ、お願いよ和晃。あんたはこのままじゃおかしくなっちゃう。そんなの駄目よ。沙良に許してもらうためにもあんたは正常でいないと駄目。何もかも正面から向かい合う必要はない。時には逃げていいんだから……。少しの間、何もかもから離れて目を逸らして、自分の思うように過ごして頂戴」
由香梨の心配がダイレクトに伝わってくる。
逃げる。逃げる、か。俺は真っ当な方法でどうにかするしかないと思っていた。けど違うんだ。逃げることも許されるんだな。
天啓を得た気分とはまさにこのようなことをいうのだろう。
「そっか。そうだよな。ありがとう由香梨。少し気が楽になったよ」
「それが本当なら私も少しは救われるんだけどね」
由香梨が目を拭いながら笑った。俺も久々に自然な笑顔を浮かべられた気がした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
由香梨のアドバイスを受けてから、俺は資格の勉強をやめた。
代わりに自分のやりたいことを思うままにやってみた。するととても楽しかった。気持ちが抑圧されてたんだろう。何気ないことでも新鮮に感じられて、愉快な気分になった。
以前は入部を躊躇われた部活にも入った。文化祭の劇で人数が足りてなかったらしい演劇部に誘われいい機会だと思い入部した。まあ、最後の後押しとなったのは中里さんによるものなんだけど。
とにかく苦しみから解放された日々はとても充実したものだった。よくこの何気ない日常がつまらなくて刺激を求める主人公がいるが、俺は彼らに訴えてやりたい。「普通の日常万歳!」ってな。
「ついちょっと前まで辛気臭い顔してたのに。人生の春を謳歌してるみたいね」
「それもこれも由香梨のお陰だろ? 楽しむときは楽しむ。これでいいんだ」
偶然帰り道で由香梨と会ったので一緒に帰る。彼女との応酬も元のものに戻っている。俺は完全に自分を取り戻したのだ。
「でもまさか若菜を連れて演劇部に入学するなんてね」
「中里さん、部員達に誘われてかなり悩んでたみたいだからな。俺も入るから一緒に入ろうって言ったらすんなり入ってくれて」
「まあ、あんたが言ったらすんなり入るでしょうね」
「どういう意味だそれ?」
「さあね。自分で考えなさい」
少し考えてみるが全く分からない。
その後もたわいのない話をして徒歩を進める。そうして互いの分かれ道に着いたところで俺は改めて彼女にお礼を言おうと考えていた。
「ありがとな、由香梨」
「唐突に感謝するのやめてよ。びっくりするじゃない。この前のことでしょ? 気づかなかった私にも非があるわけなんだし、感謝されるいわれもないから」
「いやそれでも言わせてくれ」
「わーかったわよ。……ま、今後のことは自分で頑張りなさいよ。出来る限り力になってあげたいけど、私じゃ手助けできることは少ないから」
「自分で頑張るって何をだ?」
「……へ?」
由香梨が目を丸くする。どうしてそんな驚いているんだ?
「俺はこの先何か頑張る必要はあるのか? だって何をやっても結局、長続きしないわけだし。何か一つを極めるにしたって完全な保証はないし。昔からピアノやってるからってプロの演奏家になれるかどうかっていわれたら、大体が無理に決まってるだろ? それと同じだ。何をしても結局無意味なんだ。つまり頑張ってもむくわれない。俺はそれを誰よりも知ってる。何をしても無駄なら、何もする必要ないだろ? つまりもう、頑張ることは何一つないんだ。頑張らなきゃいけないような面倒ごとが発生したら今みたいに逃げればいい。逃げるのは許されることなんだ。逃げて逃げて逃げて、今の自分を保つことが大事なんだ。そうだろ、由香梨?」
俺はニコリと彼女に笑いかける。
由香梨も笑顔になってくれるかと思ったのに、その体はどうしてかかわなないていた。
「……? どうかしたか? そんなに顔を引きつらせて」
「……あ、いや」
彼女は震えている。今にも泣きそうな顔をしている。口に手を押さえて後ずさっている。
「あんた、もう、こわれて――」
彼女は自分自身の口から発しそうになった言葉を止めた。俺にはその訳が分からない。
「何だ? よくわかんないけど、辛いなら逃げればいいだけだろ?」
「…………ええ、そうね。でも、今回ばかりは逃げられないかも」
「どうして?」
「それは言えないわ。けど、これだけは言わせて。あんたには私がついているから」
彼女は同情的で、なのに悲しそうな何とも形容のしがたい複雑な表情で俺のことを見てきたのだった。
* * * * *
「そこをこうしてこうすれば出来るはずだ」
「うーんと……あ、ほんとだ出来た!」
おお、と歓声が上がる。この手の装飾は自分のクラスでもやっていたので対処はすぐに出来た。
しかしどうして俺が由香梨のクラスの手伝いをしてるんだろう……?
「もう大丈夫なの?」
「おう。俺がやるからにはもう心配はいらんよ」
といっても文化祭はまだ一日目。あと二日もあればどこかでまた外れてしまうかもしれない。
「わざわざ敵の手助けするぐらいだからちょっとは警戒しないとね」
「……言っておくけど俺は二人の対決に関与するつもりはないからな?」
「沙良が関わってる時点でそれは無理だと考えておきなさい」
不満しか出てこない。俺は争いなんてせず平和に生きたいというのに。
「ま、ここで意地悪なんかしないって。何なら触ってみなって。すぐには取れないはずだから。もう壊れてないってはっきりわかるよ」
「……もう壊れてないのね?」
由香梨はジッと俺の瞳を覗き込んでくる。
「お、おう」
「じゃあ、幼馴染のよしみで信じてあげる」
彼女はニヒヒ、と笑いながら身を翻した。




