一話「最後の文化祭」
俺は親父の次の言葉を待った。ジッと目を見つめる。が、一度閉じられた口が開けられることはなかった。
「……まさかそれで終わりなのか?」
「ああ、これだけだ。何か不満か?」
「いや、その……もっと過酷なことを言い渡されると思ったから拍子抜けしたというか」
「お前が何を想像したか知らんが、これ以上も以下もない」
「ああ、そう」
思いきり力が抜けた。かつてない程真剣な話に息も詰まる思いで親父と向かいあっていた。
案の定、親父は途轍もないプレッシャーを放ってきた。そして飛び出た言葉は「お前の未来に鎖を付けてやる」という不穏なもの。罪の判決を受ける気持ちでその内容を聞いていたのだが……。
それは要約すると、高校を卒業するまでに自分のやりたいことを見つける。さもないと勝手に就職口を決めちゃうからね、ということだった。
「簡単に見えたか?」
「正直に言うなら、まあ……やりたいことやって一定の成果を上げる。それだけだろ?」
「ほう、それだけというか」
「変に脅かすのやめろよ。そりゃ俺の場合やりたいこと見つけることからのスタートだけど、将来についてはこの時点で家の跡継ぎとか、有無を言うことも出来ないやつもいる。それに比べたら鎖も何もないと思っただけだ」
「そう考えるか。生まれた時から道の決まった者とお前では心の持ちようが随分違うがな」
そんなことを言われても実感は湧かない。
「ちなみに聞くが、お前は会社を継ぐ気はあるのか?」
「ない。そんなもの毛頭もなかった」
「なら、いい。あると言われたらただの嬉しい報せだったわけだからな」
ふ、と親父は顔を歪める。
「今から四年後、お前がどんな結論を叩き出すのか。楽しみだ」
彼は笑った。何故かその笑顔を気味が悪いと感じた。
* * * * *
崎ヶ原高校は今週より文化祭の準備期間となる。授業は全て午前中で終わり、文化祭二日前からは丸一日準備期間だ。
俺達のクラスも来るべき日に向けて様々な準備をしている。特に気合が入っているのが……。
「それではもう一度最初からいきましょう。まずはお客様が入ってきた場合です。さん、はい」
『いらっしゃいませ、ご主人様』
クラスの女子達が一列に並び、一斉に頭を下げる。事情を知らなければ奇妙な光景すぎる。
うちのクラスの催しはいわゆるメイド喫茶というやつである。男子がふざけ半分で提案したものに沙良が大真面目に乗っかり、女子達も可愛い服が着れるから、という理由で決定した。
だが、このような喫茶店は同じような企画を他のクラスも立てるため、許可を貰うのはかなり倍率が高かった。それを乗り越えることが出来たのは沙良のお陰だ。彼女は生徒会に乗り込み、直に、
「私が本物のメイド精神を見せてあげましょう!」
と言ってのけた。
そして宣言どおり、彼女はクラスの女子達に手厳しい指導を行っている。最初は興味本位でやっていた女子達もいまや本気になり、身も心も奉仕の心に満ちているとのこと。確かに心なしか、柔和な笑みを見せる女の子が増えた気がする。
沙良、恐るべし。
メイド喫茶の華となる女子はもちろんのこと、裏舞台を支える俺達男子も女子には負けてられないと気合が入っていた。
男子のやることは裏方での調理をメインにその他細かい雑務をこなす。
準備期間のこの時期は学校側の提示する販売許可の範囲の中でいかに美味しく、低コストで、面白い一品を作ることと、メニューそのものを作ること、教室の内装や外装を考え実際に施すなど、明らかに女子以上に仕事量は多い。
でも、男子側から文句が出ることはほとんどなかった。好きな女の子のメイド服姿を見れることが男子達のほとばしるエネルギー源となっている。特にうちのクラスでは比奈と沙良の二人に期待している者が多い。彼女達の幼馴染であり、彼氏である俺はひとりでに鼻を高くしていた。
「高城、部活の方はいいのか?」
作業に集中していると一人の男子から声がかかる。時計を見ると演劇部活動開始時間だった。
「やべ、集中しすぎてたか。この先は俺がいなくても大丈夫そうか?」
「平気平気。料理に関しては高城のお陰で随分と助かったしなー。他は俺達に任せろ!」
「頼もしい限りだ。じゃ、後は任せた」
女子の頭となっている沙良にも部活に行くと伝え、荷物を持って教室を出る。
部活の方も本番一週間前ということで一番慌しい。といってもやることは普段と変わらない。本番前日なんかは小道具や機器を入念にチェックする必要があるが、それはまた別の話だ。
こちらは特に集中して事を進めるため、教室で作業するよりも早く時が過ぎていくような感覚だ。
「よし、今日はここまでにしておこう」
部長の合図で今日も部活が終わった。
皆と一緒に片づけをしていると、部室のドアが開かれる。訪問者は沙良だった。
担当する後片付けを終え、着替えも済ませ、沙良の元に急ぐ。その間に彼女は部員達に労いの言葉をかけたり簡単な手伝いをしてたようだ。
合流して話を聞くと、教室の作業は終わったから一緒に帰ろうとこちらに寄ったとのこと。
「今日は教室の方も終わるの早かったな」
「皆さん、頑張っていますからね。想像以上の成長ぶりです。それにあまりやりすぎても疲労が溜まる一方なので、当日に向けてそろそろ調整に入らないといけませんから」
彼女はよく先を見据えているようだ。
二人で歩いて校門を出ようとしたところで見知った人物と鉢合わせした。
「あれ、そっちも終わったの?」
「そちらこそ。調子はどうですか? 油断して負けるのはよくあることですよ」
「こっちも同じ台詞をそっくりそのまま返すわ」
見知った人物の正体は由香梨だ。
沙良と由香梨はばったり会った瞬間からこのような煽りあいを始める。
普段の二人を知る者にとっては、仲のいい二人が喧嘩でもしたのかと勘違いする。けど、このようなことは過去に度々だがあった。
性格が大きく異なるからか二人の意義主張は大きく離れることがあり、その度に二人は一歩も譲らなかった。決着は大抵俺や第三者による介入か、今回の文化祭に関する対立なら、文化祭そのものが終わった時に着く。
今回は俺達のクラスと由香梨のクラスの催し物が似てることがきっかけだった。
由香梨達のクラスは和風喫茶といって、女子は和服、男子は袴を着て和菓子や緑茶などを提供するといったもの。
お互い最初は称賛しあったり、どうすればよくなるか話し合ってたりしたのにいつの間にかメイドと和服、どっちがいいのかという議論になり、最終的には、
「そっちがそこまでメイドを推すなら、勝負よ、沙良!」
「ええ、望むところです!」
となってしまったわけである。
今回の決着方法は後夜祭で行われる優良催しランキングという、毎年人気のある企画を立てたクラスや団体をランク付けして発表するというものがあるらしいので、それの順位が高い方が勝ちということらしい。もし二つともランキング入りしなかったら客数がどの程度入ったかで勝負を決めるとのこと。
「で、本当にどうなのよ、今のところ」
「悪くないですよ。女子に限らず、男子もアキ君や他の方を中心に順調に進んでいるところです。それで由香梨の方はどうなんですか?」
いがみあっているといっても、それも最初だけだ。二言ほど火花を散らしたら、その後はいつもの仲良し二人に戻る。
幼馴染の女子二人に混じって俺も言葉を挟みつつ帰路につく。
中学時代は沙良が違う学校だったけど、帰り道の途中で合流することがあった。俺と由香梨も毎日一緒に帰っていたわけではなかったから三人で帰ることなんて滅多になかったといっていい。
今も他の友人達と帰ったりしてるので、もしかしたらこのメンバーだけで帰宅するのは数年ぶりになるのかもしれない。
この三人で帰るとき、必ず通る小さな公園がある。そこは思い出の場所だ。沙良に想いを伝えられ、つい一年前はそこで若菜ちゃんに告白の返事をした。他にもあったな。中学の卒業式を終えて数日が経って、沙良が親父についていくために日本を離れる前日もここで二人で話してたはずだ。
* * * * *
「明日からアキ君は一人暮らしになるわけですね。大丈夫……なんですか?」
「それくらい心配いらないって。俺の事なんかより、自分自身を心配した方がいい。なんせ明日から見知らぬ場所で見知らぬ経験をしていくことになんだから」
今まで母に頼りきりだった料理や洗濯などの家事達。不安がないといえば嘘になるが、沙良に比べたら屁でもない。むしろ自立する上で大いに役に立つことになるだろう。
「アキ君のお父さんにあちらに行った後の事を話されていますが、最初はまず外国に慣れること、それと同時に少しずつ仕事を覚えていくこと。初めは簡単なことから教えていくから、あんまり不安になるなよ、とのことです」
「ま、そうなるだろうな」
いきなり前の秘書のように沙良をこき使ったりはしないだろう。というかそんなことしたら外国に乗り込んで親父をぶん殴りにいく。
「しばらくは母さんが沙良をサポートするって言ってたから、何かあったら母さんに頼るといい。あと、遠く離れても電話ぐらいなら出来るわけだしさ、愚痴とか弱音とか、些細な嬉しいことを報告するためでもいい。とにかく寂しくなったら電話かけてくれ。いつでも待ってるよ」
「大いに活用させてもらいます」
沙良は淑女の笑みをした。
それから俺達は色々な話をした。本当にどうでもいいような世間話も、中学で互いに知りえなかった話も、何度も何度も聞いて聞きあった話も、俺達二人と、由香梨を加えた三人の過去の話など。本当にたくさん。
そして最後の最後に未来の話が戻ってきた。
「……そういえば沙良君も関係があるからと言って、聞かされたんですが」
「何を?」
「アキ君の『約束の鎖』のことです」
「ああ、なんだ、それか」
高校までに自分の道を選べ。さもないと……ってやつか。
「その、そちらの方は大丈夫なんですか?」
「ああ、全然問題ない」
だけど沙良は不安な表情を戻していなかった。彼女を安心させるために笑顔で言う。
「まだ何をしたいかどころか、自分がどんなことに向いてるのかも分かってない。だからまずは色々なことを経験していこうって考えてるんだ。高校入ったら全部の部活で入部体験させてもらおうと思ってる。そこでこれだって思ったらそれを続ければいいし、なかったら違うことを色々やってみる。中学生だと制限かかってて出来なかったことも多いしな。ちょっと調べてみると漢検、英検みたいな資格ってそれこそ数えられないぐらいあるらしいんだ。それを獲得していって、将来の足がかりにする計画も立てているんだ」
自分には無限の可能性がある。それを一つ一つ試していって、自分に合った道を選ぶ。既に算段はついている。
中学の時だって、一年前に親父に約束をつけられた後は暇を盗んで資格の勉強も早めに始めておいた。
「ちゃんと見立ては立ててる。それでももし、頭抱えることがありそうなら俺も沙良に弱音を吐くよ。それじゃあ駄目か?」
「いえ、構いません。私と話すことでアキ君の重みが少しでも消えるなら大歓迎です」
「その重みが発生するかもまだ分からないけどな。とにかくお互い、頑張ろう。そんでまたこの公園で色んな事語り合おう」
「はい。その日を楽しみにしています」
二人で笑いあう。
俺達は未来を純粋に信じ突き進む綺麗な若者だった。
* * * * *
クラスの作業を進め、時間になったら部活に出る。部活終了後、時間が余っていたらまた教室に戻って手伝う。
これがここ最近の一日の過ごし方だ。充実した日々だ。
でもこれだけってわけじゃない。夜には芸能関係の仕事があるときもある。
「今日はどうだった?」
「いい感じに進んでる。たった一日だけど比奈が大分遅れるくらいに」
「嬉しいような悲しいような……」
比奈は今日、セカンドライブの打ち合わせがあるため学校を休んでいた。
「明日は頑張らないとなあ。じゃないと沙良さんに何か言われそう」
「今回はあいつも比奈に重点を置いてるしなあ。芸能人の宿命って感じだけど」
沙良と由香梨の対決の鍵を握る存在は傍にいる香月比奈だ。
何といっても彼女はアイドルで、それ故の集客能力がある。それを大いに活用する手はないだろう。
というわけで沙良は比奈を誰よりも徹底的に鍛え上げようとしていた。……日頃の鬱憤を晴らすため、というのがないのを祈る。
「でも皆、本当に真剣なんだよな。去年なんかは何人かふざけてたのに、今年はそんなやつ一人もいない」
「やっぱりこれが最後の楽しい行事だからじゃないかな?」
三年生は文化祭が終わると残りのイベントは受験のみになる。つまり、勉強を考えずに他のことが出来るのはこれが最後。高校生活の楽しい思い出を作るのも最後といってもいいかもしれなかった。
確かにそりゃあ気合いも段違いになるわけだ。
「そうだよなあ、もう高校入ってから三年近くも経ったのか。色々あったよな。特に比奈と出会ってからは」
「私達が出会ってからも一年経過してるもんね。この前やった一周年記念ラジオは楽しかったなあ」
俺達が定期的に放送している公開恋愛ラジオ。ありがたいことに、今年に入ってから番宣などで色々な芸能人がゲスト出演するようになり始めた。
そしてつい一ヶ月前の記念ラジオでは一緒にラジオを放送したゲスト達からお祝いを頂いた。
さらに特別ゲストとして慶さんも初めてのラジオを出演を果たしてくれた。
あまりの嬉しさに比奈は本番中に涙ぐんでいた記憶はまだ新しい。
「そうそう、その影響でお便りのほとんどが思い出に浸るものばかりなんだって。過去の放送回で飛び出た迷言集なんてのもあるよ」
何やってんだうちのリスナーは。
「一周年記念の回は一年をお祝いしただけで過去を回想したりはしなかっただろ。なら、今回は過去を振り返る回なんてのはどうかな?」
「いいかもね、それ。私は賛成だよ」
丁度最後の文化祭ということで高校の三年間の思い出やらなんやら言ってたんだ。話の流れ的にはちょうどいい。
未来を見るのはもちろん大切だ。でも、たまには後ろを振り返ったって、怒られたりはしないはずだ。
だから――今宵は過去を見てみよう。




