四話「花火の下の二人」
今日は地元で祭りが行われる。
去年も勿論あったのだが、一年前のこの時期は公開恋愛が低迷してた頃で、祭りなんかに顔を出している余裕がなかった。
しかし今年は違う。公開恋愛も安定期に入り、一般受験をする皆には申し訳ないが推薦で大学に入るため時間は有り余っている。そして一番の変化は、こんな俺にも素敵なお相手が見つかったことだ。
「お~い」
顔を横に動かすと素敵なお相手がちょうどやってきた所だった。
「ごめん、待たせた?」
「いや、さっき来たばっか」
嘘です。楽しみすぎて三十分前くらいにはきてました。まあ、ここはお約束ってことで。
「それにしても今日の比奈はいつもと髪型が違うんだな」
彼女はヒロインには鉄板ものの黒髪ストレートだ。けど今日は長い髪をくるくるっとまとめ、団子にしている。髪を留めるためのかんざしには桜の模様が入っていて大和撫子っぽさがある。しかも祭りに合わせた浴衣がその髪型に非常にマッチしている。
和風万歳! 日本万歳!
「ど、どうかな、似合う?」
「ああ、滅茶苦茶似合ってる。それにいつもと違って新鮮だ」
彼女は照れ隠しのために笑う。
「心配だったけど、悪くないみたいでよかった。実はこれ、お姉ちゃんがやったんだよね」
「博美さんが?」
「祭りに浴衣ときたら、髪をお団子にしても似合うわよ。和晃君もきっと喜ぶんじゃないって言ってたんだけど、その通りだったよ」
「……推測だけど、博美さん、髪をセッティングした後比奈のこと激写したりとかしなかった?」
「え、どうしてわかったの?」
「何となく……」
博美さんは決して俺を喜ばせるために彼女の髪を結んだんじゃない。自分が比奈にはこれが似合うと確信して、その姿を手中に納めるために俺を使って理由をでっち上げたのだろう。まあ、そのおこぼれで今の比奈を拝めているわけだし、文句は何もないが。
「それより、そろそろ行こうか。あまりここでのんびりしてると屋台とかも満足に見れずに本命の花火が始まっちまう」
「折角のお祭りなんだし、焦ったりとかしたくないもんね。ゆっくり祭りを楽しもう!」
屋台がズラリと並ぶ商店街に手を繋いでゆったりとした足取りで向かい始めた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「よーし、見ててね、カズ君」
比奈は銃を構えると、台に肘をついて体を支え、片目を瞑って狙いを定める。前屈みの姿勢になり、後ろから立つ俺は、腰から下の桃の部分に目がいってしまう。ごめん、比奈。駄目だと分かっているけど、生物の本能には逆らえない……!
少しでも意識を外すために視線を上げる。彼女が狙っている目標は別の地方のマスコットキャラのくせに全国に手を広げる、ゆるキャラのぬいぐるみだ。さほど大きくはないが射的で落とすとなると中々難しい。
照準が定まり、彼女の動きがピタリと止まる。引き金が引かれ、弾が真っ直ぐ飛んでいく。ぬいぐるみが揺れ、それを更に大きくするために連続して発砲する。最後の一発が放たれ、予備のために用意してもらっていた銃を比奈は手に取るが――その間にぬいぐるみは後ろに倒れた。
「おめでとう。いやー、見事な腕前だね」
屋台のお兄さんがぬいぐるみを比奈に手渡す。
彼女はお兄さんにお礼を言った後、俺の方を向き、
「どう? 今回は取ってみせたよ」
と満面の笑みと共に片手でぬいぐるみを見せ付けるように突き出し、もう片方の手でVサインを作った。
そういえば前回……おおよそ一年前の秋祭りで射的のコツみたいのをやったな。その成果を彼女は披露してくれたわけだ。
一年前のことなのにこうして覚えてくれていて、しかも自分のものにしてしまうなんて……。
「比奈は健気だなあ。いい娘に育ってくれて本当に良かった……!」
「……カズ君に育てられたわけじゃないんだけどなあ」
娘が出来たらこんな気持ちになったりするんだろうか。
余ったもう一丁の銃で小さな獲物をいくつか獲った。お兄さんに小さな袋を貰ってその中に景品を詰める。
射的の店から離れた後はそれまでと同じように屋台巡り。どちらかがこれいいな、と思ったところにふらりと立ち寄る。
他に立ち寄った屋台と言えば、金魚すくいやスーパーボールすくいなんかだ。
最初に比奈がチャレンジするも、成果はなし。難しいなあ、と呟く彼女の横に立って料金を払い、俺も挑む。少ない数だが何匹か取ると、比奈に「どうやってるの?」と聞かれるので簡単にコツを教える。もう一度比奈が挑戦し、今度は二匹ほどすくうことに成功する。じゃあ次は二人で勝負しよう、ということになって、二人で並んでポイを水の中に入れる。結果は俺の負けだった。比奈は最初だから出来ないだけで、コツを掴んだらあっという間に上達する。運動神経も悪くないし、そもそもダンスとかのために鍛えてるわけだし、俺なんかよりも逞しいかもしれない。
敗者の俺はとりあえず隣の屋台にあったカキ氷を奢った。
一番立ち寄った屋台はやはり食べ物系の屋台だ。
祭りといえば、というものはほとんど制覇したと思う。
一悶着あったとするならバナナチョコぐらいか。
バナナチョコを持った比奈に食べる前、
「なあ比奈。別に何の意図もないけど、本当に何もないけど、先端を舌を出してぺロって舐めてくれないか?」
「……何もないならそんな提案普通しないけどね。本来ならセクハラものだよ、それ」
ほほう、先端を舐める行為のどこがセクハラ行為なのか。
意地悪に問い詰めてやろうと思ったが、
「……今回だけだからね?」
とあろうことか比奈はそれを実践してみせた。上手くかわされるだろうと思っていただけに本当に驚いた。とりあえずあの光景は脳のHDDに半永久的に保存しておいた。
そうやって、馬鹿をしながら屋台を巡った。人の流れに沿って同じ方向に流れて、いつしか屋台の数が減り、人もまばらになってきた。
その中でガラス細工の小物が色々売っている露店があった。比奈はその店に食いつき、「うわあ、綺麗」と呟きながらじっくり見ている。
「気に入ったのあったら、何か買おうか?」
「あ、別にいいよ。こうして眺めてるだけでも満足だから」
確かに見るだけでご満悦のように見える。けど彼女の目はキラキラとしていて、プレゼントで買ってあげたら喜んでくれそうだなあとか思う。
露店を離れた後、少し休憩ということで、設置された休憩所に腰をかけることにした。俺はお手洗いに行ってくると抜け出して、先ほどのガラス細工の店に戻った。
「あら、さっきのお兄さんじゃない。彼女にプレゼント?」
「ええ。ここらへんのもの下さい」
指定したのはガラスの指輪だった。問題は彼女の指のサイズがいまいち分からないことで、とりあえず幾つかのサイズを買っておけば大丈夫だろうと考えた結果だ。
「ちょっとお安くしとくわね。ちゃんと薬指に収まる指輪をあげなさいよ?」
「はは……善処します」
薬指……これを結婚指輪とするには少し心もとないな。ま、でも左手の薬指にはめてあげて、驚きと嬉しさで戸惑う彼女の姿を見るのも悪くないのかもしれない。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
屋台の並ぶ商店街を抜け出して河川敷の土手に来た。ここは知る人ぞ知る穴場スポットだ。主に地元の人が集まり、打ち上がる花火に驚嘆を漏らす。
俺たち以外にも花火目当ての人達が少しずつ増えていく。
「そろそろ始まる頃かな?」
「ぼちぼち集まってきたし、始まってもおかしくないはずだけどな」
一足早くここに来たのは花火を少しでも良いところで見るためだ。穴場スポットとは言ったものの、あくまで人が集まりやすい場所に比べたら、ということだ。
「どうだ、今日楽しかったか?」
前を向いたまま今日の感想を聞いてみた。
「うん、楽しかったよ。祭り自体あまり行ったことないから」
そうなのか、と顔を比奈の方に向ける。
「体力的にも、精神的にも、あと時間も昔は余裕がなくて、遊べなかったからね」
思えば比奈は小学生の頃からアイドルになるという目標に向かってひたむきに進んできたんだ。彼女がプライベートで友達が少なかったのもその影響だったはず。様々なものを犠牲にして、彼女はここに立っている。
小さい頃出来なかったことを経験して、それを喜んでくれてるなら俺はそれだけで充分満足なんだけどな。
「この前祭りに行ったのは去年の秋だよね? ああ、そういえばもうすぐ公開恋愛を始めて一年が経つんだよね」
彼女の発言で思考は過去に飛ぶ。
比奈と出会ってからは既に丸一年が経っている。この頃には公開恋愛自体は始めていたんだけど、それは最初の失敗作の方で、正式に……というより、公開恋愛宣言自体は八月の半ばだったはずだ。
一年か。早いなあ。やっぱり一周年記念としてイベントみたいなもの、やるのかな。そういえば最近、マネージャーさんが「楽しみにしてなさい」なんてニヤニヤしながら言ってたな。
「私ね」
一年という節目を色々考えていると比奈がポツリと呟いた。
「昔が凄く楽しかったかって聞かれたら、すぐにうんとは言えないと思う。同じようなことまた言っちゃうけど、ここにたどり着くまで雲を掴むような感じだったから。思い出したくないとか、黒歴史だったってわけではないけどね。今ではむしろ良い思い出。あれがあって今の私がいると考えたら、どうしても切り捨てること出来ないから」
比奈の過去には何度か触れる機会があった。梨花さんと久しぶりに対面した時、恵ちゃんがアイドルを辞めると言い出した時、比奈は決していい顔はしていなかった。
例えゴールに着いたとしてもその過程は確実に存在する。その過程でつまづいたことはゴールした後も引きずることになる。それを乗り越えて更なる強さにするか、抱えたまま背負っていくか……どうするかはその人次第だ。
「じゃあ、今はどうなんだ?」
彼女は「昔は」と言った。なら今は違うことになる。彼女は「今」をどう思ってるんだろう。
「私が言いたかったのは今のことなんだよね。凄く充実してるよ。夢を叶えたのもあるけど、ただそれだけじゃない。友達に恵まれて、楽しい時を過ごせて、カズ君とこうして二人並ぶことが出来て。今を構成する全てが楽しいんだ。今まで生きてきた中で一番、楽しい」
「まだ二十歳にもなってないのに」と笑うと「そうだね」と笑い返された。
比奈は後ろで手を組んで、しばしの間土手の先を無言で見る。小さくよし、と気合いを入れる声を出すとクルッとこちらを向く。
「ありがとう、カズ君」
微笑む。それは自分が幸せだと心の底から思える人間だけが出せる笑顔だった。
「これからもよろしくね」
彼女は言い切るとすぐに体の向きを元に戻す。
耳が赤いところを見ると恥ずかしいけど勇気を出して言ったってところか。今が一番楽しいと堂々と言えるのにこういう所は恥ずかしいんだな。
――今だけじゃない。これからも「今」が一番楽しいって言わせ続けてやる。
そんな台詞が頭に浮かんで、実際に口にしようとしたが、星空が光ったかと思うと遅れてパァンと音がやってきた。花火が始まったようだった。
比奈は食い入るように次々と打ち上がる花火を見つめる。そんな彼女を一瞥して俺も花火に視線をやる。
比奈と出会って俺は変化した。勿論、良い方に。
彼女と出会う前までの俺は酷いもんだった。今まで聞かれなかったし、自分から話したい内容でもないから、言わなかったけど、いつか彼女に、彼女と会う前の過去を話そう。愚痴っぽくなるかもしれない。でも彼女ならきっと受け入れてくれるはずだ。
最後まで話終えたらその時こそさっき頭に浮かんだ言葉を彼女に言おう。感謝と共に。
俺の未来はもう確定してしまったけど、俺と比奈――二人の未来はまだ未知数だ。だから、これから二人で築いていこう。
「……終わったのかな?」
花火が終わり、比奈が残念そうに言う。
「まだだ。最後に一発、大きいのが残ってる」
「あ、まだあるんだ」
彼女はあくまで冷静に言ったつもりのようだが、顔が綻んでいたのを見逃さなかった。
「なあ、比奈」
「ん?」
「こちらこそこれからもよろしくな」
「――うん」
今はこれだけでいい。こうして二人で一緒に花火を見て、思い出を作れれば。
最後の花火が打ち上がる。手を繋いだ俺たちを照らすように花火は大きく光り輝いた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……指輪渡すの忘れてた」
最後の最後で台無しだったとさ。




