SP「三条沙良の切望」
遅くなりましたが、一周年記念人気キャラ投票第二位、三条沙良の特別エピソードです。
「三十七度八分……典型的な夏風邪ですね。頑張るのもいいですけど、頑張りすぎもよくありませんよ。アキ君が時間いっぱいまで練習してるの分かってるんですから」
いつもは心配してくれる沙良も少し説教気味だった。おかゆを持ってきてくれたついでに体温計をチェックされている状態だ。
「ああ、悪い。ここに来て体調崩すなんて……」
「無駄口を叩いてる暇があるなら、少しでも休んでください。食欲はありますか? あるんでしたら、あーんしてあげますよ」
平時だったら恥ずかしいし断っていただろう。けど、今回は看病をしてもらってる身だ。大人しくその厚意に従おう。
上半身だけ起き上がらせ、口元におかゆを乗せたスプーンが運ばれてくる。それをひょいっと口に入れ、飲み込む。味気は薄いが、ほのかな塩味が今の身体にはよく染みた。
何度かそれを繰り返し、終わると沙良が今度は水と薬を取り出し、「食後の薬です。飲んでください」と渡してくる。
「新しいタオル持ってきますね」と言い残して彼女は立ち上がって行ってしまった。その間に渡された薬を飲んだ。
久しぶりに体調を崩した。
どうやら原因は部活の頑張りすぎ。俺は俺の役目を果たそうと毎日必死に練習していたら、いつの間にか体に疲労がたまっていたらしく、それが表に出てしまったということらしい。
沙良には恐らく演劇部の誰かが連絡したのだろう。沙良は夏休みでも暇があれば部活に顔を出して何かと協力してくれる。そのために俺の一大事が伝えられたということだ。
家にやって来た沙良はつきっきりで俺のことを看病してくれた。あいつにはあいつの予定もあるはずなのに。申し訳ないと思う反面、心も体も弱った時に隣にいてくれて嬉しいという気持ちもある。
額に乗せていたタオルを、沙良が新しいタオルに取り替える。ひんやりとした冷たい感蝕が広がる。
「何から何までありがとな、ほんと」
「これぐらいならお安い御用です。ただ、全くその通りとも言わせていただきます。アキ君が元気じゃないとなると私が落ち込みます。私だけじゃなく、他の皆も……特に香月比奈も元気を落とすでしょう。早く私達に元気な姿を見せてください」
「頑張るよ」
「頑張るつもりなら、目を閉じてください」
言われるままに目を閉じる。体中から力が抜け、気だるく重い体が眠るのには丁度良い心地よさとなる。「おやすみなさい、アキ君」という優しい言葉が聞こえた気がした。耳に幸福感を残して俺の意識はどんどん沈んでいった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
風邪は無事完治した。これも沙良の献身的な介護のお陰だ。
今日は部活が休みなので、この前の感謝でも返しに行こうと沙良の家に向かった。久しぶりに訪れた彼女の家のチャイムを鳴らす。
『はい、三条です』
「その声、沙良か? 俺だ、高城和晃だ」
『ああ、アキ君ですか。嬉しいですけど、今日はその、ちょっと……』
沙良にしては珍しく歯切れが悪い。しかもこころなしかいつもと違ってかすれた声をしているような。
「具合……悪いのか?」
『そ、そんなことは……』
と言った直後、沙良は咳をした。嘘がバレバレだ。
「……悪いけど、勝手に家に上がらせてもらうぞ」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
家には沙良しかいなかった。両親は仕事だそうだ。この時期は学生が休みなだけで社会人はただの平日だ。なので娘が体調を崩しても泣く泣く留守番させるしかない。
「大丈夫か? 新しいタオル持ってきたぞ」
「あ、ありがとうございます……」
沙良は大人しくベッドに横になってされるがままになっていた。
彼女の風邪は俺から貰ったものらしい。看病してもらった子に移させるなんて、酷いよなあ、俺。菌だから人の力でどうにもなるものでもないけど。
ただ一言言ってもらえば部活中でもなんだろうが彼女の元に駆けつけていた。彼女が黙って孤独に闘っていたのは、俺に迷惑をかけたくないからだそうだ。それこそとんだ迷惑だ。
「俺もつい先日沙良の看病受けたばっかで恩感じてたんだ。そもそも俺の体内にあった病原菌が原因なんだろ? 遠慮せず呼んでくれればすぐ来たぞ。当然この前の恩とか関係なしに。だから、一人で我慢しようなんて思うなよ」
「そう言われましてもやはり申し訳ないです」
「沙良ほど申し訳ないという言葉が似合わない子もそうそういないぞ。普段の図々しさをそのまま前に出せばいいんだ」
「私……言うほど図々しくありませんよ」
「まあ、基準は人それぞれだ」
彼女はいつも俺を困らせる。彼女が俺に対してどのような気持ちを抱いているのかは分かっているから、その行動も納得できる。でもやはり、彼女の気持ちを考え、同時に比奈のことを考えるとどうしても沙良を切り離せばならない瞬間がある。
……けれど俺は今の彼女の方が活き活きしてていいな、と感じる。彼女の気持ちを考えたら悪い考え方なのかもしれないけど。
昔の沙良は大人しい少女だった。由香梨と俺、二人で話しかけてようやく口を開く。俺達以外の集団に混じった時は俺か由香梨のどちらかにべったりくっついていた。また、俺と沙良が二人きりになると、女の子がいない不安からかだんまりになって、俺が一方的に喋るようなこともあった。
そこまで酷いのは最初だけだったけど、人見知りは中々直らなかった。でも集団に混じって、少しずつ笑う回数が増え、年を重ねるごとに可憐で清楚な少女に変化していった。
中学生に上がる頃になると彼女は人見知りの静かな女の子から、箱入り娘のお嬢様のような少女になっていた。俺と由香梨の仲を取り持ってくれるまでは彼女に対してそんな印象を抱いていた。
このような性格になったのは随分最近のことだ。昔の彼女を知っている身としてはこれぐらい明るくて図々しい方が俺としては嬉しいというわけだ。
だから彼女のちょっと強引な所とか、決して悪いことではないと思う。
沙良が寝息を立てたので、その間におかゆを作った。次に彼女が目を覚ましたら、食欲の有無を聞いて食べさせてあげよう。俺がやれれたのと同様にあーんさせて、だ。
彼女が寝ている間、椅子に座って劇の台本を読んだ。もう何度も読んで、紙はボロボロになっている。一語一句、覚えてしまったために読み終わるのもすぐだった。
やることがなくなり、彼女が寝ている部屋――沙良の部屋を見渡す。中学を卒業した後滅多に部屋には帰っていなかったため、中学生の時の彼女の面影がここには残されている。
ベッドの端には可愛らしいぬいぐるみが幾つか置かれている。中にはプレゼントで渡したものや、一緒にクレーンゲームでとったものもある。部屋の所々には写真立てが置いてある。その中の幾つかは中学生の友達と彼女が映っている。一番多いのは俺と由香梨と沙良の三人が移っている写真だ。中学生や小学生の自分の姿に思わず若いな、なんて思う。一番目に入りやすい机の写真立てには二枚の写真がある。一枚は中学の卒業式の後に撮った俺達幼馴染の写真。三人ともいい笑顔だ。もう一枚の写真はこの前行ったばかりの海で撮った集合写真。こちらも皆いい笑顔だ。日本に帰ってきてまだあまり経っていないが、こうして写真立てに飾られるぐらい皆に馴染み、楽しんでくれたことを考えるとこちらまで嬉しくなってくる。
「ん……アキ君……?」
女の子の部屋をマジマジと眺めていると沙良が目を覚ます。俺は慌てて沙良の方に向き直る。
「起きたか。気分はどうだ?」
「悪く……ないです」
沙良の目はトロンとしている。半開きのような状態でいつまた眠りについてもおかしくない。
「食欲はあるか? あるならおかゆ持ってくるけど」
返事はない。起きたばかりだし、仕方ないか。完全に目を覚ましたら改めて聞こう。
無言のまま沙良の瞼が閉じられていく。彼女が再度夢の中に入ったのを確認し、おかゆを温めておこうと立ち上がり、離れようとしたところで、
「行か……ないで」
後ろから服を掴まれた。
「……沙良?」
「行かないで……近くにいてください、アキ君……」
彼女はまだ半覚醒状態だった。だけどか細い彼女の声には確かな感情が込められている。これは最近の沙良というより……一昔前の彼女を彷彿とさせる。
「一人じゃ、寂しいです。行かないで下さい……アキ君や由香梨と一緒にいたいんです……。傍にいてください……」
心臓を掴まれた気分だった。
病気のせいでつい弱音が出てしまったというのもあるだろう。けど俺には彼女の切望が、中学を卒業して別々の道を歩み行く時の本音の表れのように聞こえた。
それからすぐ彼女は気持ち良さそうな寝息を立てた。
俺は足に重りがついたような足取りで彼女の元を離れた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「私、さっき、弱音でも吐いていましたか?」
目を覚ました沙良はそんなことを聞いてきた。
「気のせいだ」
「……嘘はつかないでください。アキ君の顔、いつもより深刻です」
どうやら表情に気持ちが表れてしまっていたようだ。
「……よく見抜いたな」
「昔からアキ君の顔見てますから。当然です」
彼女は笑顔を作る。儚い笑顔だった。
沙良はどんな弱音を吐いたのか訊ねてきて、今更誤魔化しようのない俺は正直に本当のことを言った。
「私がそんなことを……そうですか」
沙良はひとりでに納得する。
「……確かに私だけ高校に行かず、外国に行くと決まった時は、そんな風に思っていました。二人を心配させたくなくて表面には出さないようにしていました。……風邪は人を弱くさせますね。三年前のことを今になって知られたくなかった弱音を知られたくなかった人に話してしまうなんて」
俺は何も言えなかった。何か一言、彼女を元気付けるような言葉を言ってやらねばいけないはずなのに。
でも彼女は俺を見るとあろうことか、柔和な笑みを見せた。
「……私、夢を見たんです」
「夢?」
「不思議な夢でした。私は暗闇の中で一人で立っていました。孤独で、不安で、怖くて、寂しくて、悲しかったです。でも一人の少年が現れて、私に何か言いました。何を言ったかは分かりませんが、私を誘うような言葉だったと思います。彼は私の手を引いて走っていきます。縦横無尽の闇なのに、彼の走る先には光がありました。彼は私を闇の外に連れ出すと、そこにはたくさんの人がいました。皆、笑顔を浮かべていました。さっき私を光に連れてきてくれた少年の成長した姿が中心にありました。彼は手を差し伸べます。私はその手を掴みました。すると私を歓迎するように皆が私を取り囲みます。最初と違って、暖かくて、優しくて、楽しくて、嬉しい気分でした」
夢の中で抱いた気持ちを思い出したのか彼女はふふ、と嬉しそうな顔を浮かべる。
「アキ君」
彼女は俺の目を正面から見据える。
「あなたのことが好きです」
反則だった。彼女の笑みは周りの人を優しい気持ちにさせる魅力がある。でも今の彼女のそれは、違う。恋する女の子のそれだ。女を感じさせるそれだ。
体がかあっと熱くなるのがわかった。
「あ、ええと……」
思わずしどろもどろになる。
「返事はいりません。あなたが香月比奈に恋心を持っているのは重々承知です。私は出来るなら、由香梨のようにあなたの恋とあなたを好きになってくれた比奈さんの恋路を応援するべきなんです。でも、私には無理でした。アキ君以上に素晴らしい、私の心を射止めてくれる殿方が現れるまで、それはきっと出来ないんです。だからそれが叶わぬ恋でも私はあなたを想い続けていたいんです」
「沙良……」
「……あ、でも叶わないからと決め付けて、何もせず傍観するのはもっと嫌です。図々しいと思われても、やかましいと思われても、私はヤンデレになる勢いでアタックを続けます。それぐらいは許してもらえますよね?」
沙良は笑顔のまま言った。
「ヤンデレだけは勘弁願いたい」
「精進します」
俺も彼女に笑顔を見せる。彼女は満足したような清々しい顔をしていた。
「そういえばおかゆを作ったって言ってましたよね? それもらえませんか。少しだけお腹空きました」
「ああ、わかった。今持ってくるよ。あーんの準備しておけよ」
「それじゃあ満たされません。口移しじゃないと私、死んじゃいますんで、是非、是非口移しで!」
「大丈夫。口移ししないと息絶える死因なんて世の中には存在しないから」
「なら私が初の例になってやります!」
「なるなよ!? ……頭なでなでとかで勘弁してくれません?」
「いいでしょう。そうと決まったら早く実行しましょう。さあ、アキ君、おかゆを!」
「急に元気になったな……」
おかゆを持ってきた後、スプーンにおかゆを乗せ、あーんで食べさせた。
食べ終わると彼女はそわそわと落ち着かない様子で、ご褒美を待つ飼い犬のようになっていた。
そんな彼女の頭をさすり、幸せそうな女の子を眺めるのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
――後日。
「……私の専売特許が」
何故か若菜ちゃんが跪き頭を垂れていた。




