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エピローグ

 ――黒瀬祥平。

 ――クロセショウヘイ。

 ――今、黒瀬祥平と、そう言ったのか?


 えーっとだ、いや、待て待て待て。

 おい、先生。あんたはいつもいい加減だ。ついには生徒の名前すら忘れたか? 俺の名前は高城和晃だ。黒瀬祥平なんて名前じゃない。とんだ勘違いしてるぞ。



「悩んだんだがな……やはり長いこと経験積んでる黒瀬の方が一枚上手だったな。演技力こそ高城の方が上だが――自分の演技に集中しすぎて周りより浮いてしまってる。演劇は確かに個々の演技も重要だが、全体が一つになって『劇』が成り立つ。それを考えると周囲の人物に影響を与える主人公に適任なのは黒瀬だ。以上の理由から黒瀬を指名させてもらった。分かったな、高城? ……高城? おい、聞いてるか?」



 越塚先生が何かを喋っているが、言葉は文字の羅列にしか聞こえない。



「あ、はい……大丈夫……です……」



 今の声は誰のものだ? そして何て言った? 頭がそれを理解させない。

 周囲にはたくさんの人物や物が置いてある。だがそれを現実と認識できない。絵画の世界に足を踏み入れてしまったようだ。

 その絵はぐにゃりと歪んだ。色彩が滲み、原型が崩れていく。俺を中心として世界が回っている。

 いつしか歪みは渦となり、渦はその中心で全ての絵を消し去ってしまった。

 頭の中が真っ白になった。





 ――ポツリ、と頭に冷たいものが当たる。

 反射的に空を仰ぐ。灰色に染まった空は不機嫌を主張するようにゴロゴロ鳴っている。

 顔に冷たい雨粒が当たる。最初は一つ二つと数えられたけど、すぐに数えられないくらいの雨粒が降ってくる。


 そこでようやく世界が戻ってきた。

 ゆっくりと辺りを見まわす。どうやら小さな公園の中心に自分は佇んでいたらしい。

 自分がどうやってここまで来たのか、全く記憶にない。気がついたらここに立っていて、天然のシャワーを全身に浴びている。


 俺はこの光景にデジャブを覚えた。小さな公園。佇む人影。

 ――いや、違うな。既視感じゃない。俺は実際にその光景を見ている。それはあの時の――。



「……カズ君」



 その声に振り向くと比奈が立っていた。



「このままだと風邪引いちゃうよ」



 彼女は無言で近づいてきて、傘の中に俺を入れる。



「なあ、比奈」


「……何?」


「俺さ、分からないことがあったんだ」



 それは以前、今の自分と同じような姿をした少女のことだ。



「前にさ、恵ちゃんがオーディションで失敗して、似たようなことがあったろ? あんときの彼女の気持ちを俺は理解できてなかったんだ。だけど、ようやく分かったよ。あの時の恵ちゃんの気持ちがやっとさ」



 あの時――雨に打たれ、放心状態だった恵ちゃん。当時は彼女は悲しんでると表面では理解できた。けれど、その本質的な思いを俺は知らなかった。分からなかった。あれから彼女と再会したとき、俺は悪者を演じたが彼女はむしろ逆ギレした。馬鹿な俺にはそれが理解出来なくて、何も出来なかった。

 でも、ようやく分かった。分かってしまった。なるほどな。悔しいはずだ。苦しいはずだ。悲しいはずだ。あんときの俺はお節介にもほどがあったんだな。



「――馬鹿だよなあ、俺。人の気持ちも理解してないのに勝手なことしてさ。んでこうして自分が同じ立場になってようやくあの時の彼女を知るなんて。ははは……ははははははは!」



 笑いがこみ上げてくる。笑わずにはいられない。



「もう……いいよ! 今は……何も考えなくていい!」



 彼女は片方の手で傘を持ち、もう片方の手で俺の背中の服をギュッと摘んで俺に体重を預けてくる。暖かかった。


 後悔と挫折、諦観――それらのものが不遜だった心に浮かんでくる。

 ようやく頭が乾坤一擲を賭した勝負に敗北したと認知すると同時、ある一つの事実が浮かび上がる。


 

 俺の未来は――失われてしまったのだと。





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