七話「運命の日」
「終わったー!」
心の底から開放感を喜び声を出す。ただ、これで終わりではないんだけどね。明日……本当の最後の一日が控えているけど難しい教科は今日で終わりだ。
「比奈と沙良はどんな感じだった?」
「私は相変わらずいまいちかな……」
「いまいちとは情けないですね。皆が頭を抱えているので少し不安にもなりましたが……思ったより大したことなかったですね」
学生の最大の敵を大したことないと言うか。流石沙良。
いよいよ七月に突入した。既に夏に片足を突っ込んでいて、半袖姿が心地いい。……のだが、三学期制の学生はそんなものを感じる余裕もなくヒイヒイ言ってる時期だ。
何故なら七月の初めは――テスト期間なのだ。一学期を締めくくる最大のイベント。しかも三年生はなおさら成績を気にするから緊張感は半端ない。
沙良と比奈と昇降口を出てテストの話で盛り上がっていると直弘と由香梨が合流する。
彼らもかなりヘトヘトで疲弊していた。この中で唯一通常営業の沙良が二人を励ましている。
ほどなくして最後の待ち人たちが現れる。若菜ちゃんと久志の二人だ。しかし二人の様子が何だかおかしい。
「………………」
「ほ、ほら頑張って若菜さん。あともうちょっとだ」
屍状態の若菜ちゃんを担いで久志がこちらにやってくる。
「これはどういうことです?」
「あー……沙良は知らないのよね。若菜ってこう見えても勉強が苦手なの。その癖理系クラスにいっちゃったから……死んだも同然ってわけね」
若菜ちゃんの周囲だけモノクロームのような状態だ。
「……やっぱり選択間違えたんじゃないか? 中里に理系は……」
「い、いやでも、今日さえ乗り切れば明日は楽だから……!」
「残念だけど、理系の場合明日は数学Ⅲが控え――」
「……す、数学なんて言葉……言わないで……」
それを最後に若菜ちゃんは息絶えたのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
若菜ちゃん、本当に大丈夫だろうか。
心配なんだけど、彼女にばっかり意識を取られている余裕はない。楽とはいっても明日はまだテストが控えているのだ。他人を気にする暇があったら勉強だ。
それに明日のことで懸念するのはテストだけじゃない。前々から言われていた劇の主役を決めるオーディションの日。そういった意味でも万全な状態で臨まないといけない。
……とか言いつつも、現在休憩真っ只中である。さっきまでずっと勉強してたんだ。長時間集中したらきちんと休憩が必要って慶さんも言ってた。
休憩中は明日の放課後に備えて台本を読み込む。集中しない程度に、それでいて頭に残る程度で。
そんなコンセプトでページを捲っていたら机の上に置かれている携帯が震えた。見ると比奈から着信が入っていた。
『もしもし、カズ君? 今大丈夫?』
丁度休憩中だった旨を伝える。
最初はテストの話題で盛り上がった。どの選択肢を選んだとか、どんな文を書いたかとか。不安なところが一致してたりしたら二人で小さく喜んだりもした。
次に話題に上がったのが比奈の近況である。
「最近仕事の方はどうなんだ?」
『順調だよ。……あ、そうそう、二回目のライブの開催が決定したよ!』
「お、マジか!? いつどこでやるんだ!?」
『あはは、ガッツキ過ぎだよ、カズ君。場所は決まってなくて、時期は秋の終わり頃ぐらいになるって彩さん言ってた。今度は前よりも大きい会場で、規模も大きくなるらしいんだ』
前というと学校でやったファーストライブの時か。
学校でも敷地は結構広く、かなりの人数が入った。ライブの演出なんかも初めてにしてはそれなりらしく、それを軽々しく超えるという。
期待せずにはいられないな。
『ただカズ君がどうなるかは一切分からないんだよね』
「まあ、俺目当てで香月比奈のライブに来るやつはいないだろ」
『そんなことないと思うんだけどね。前回もカズ君のお陰で盛り上がったし……』
「それでもメインは比奈なんだ。俺が出来るのもあれくらいで、楽器も演奏できないし、音痴だし踊りだって硬いし。……それに次は邪魔な思考を一切排除して一人の観客としてライブを眺めてたいかな。マネージャーさんに頼めば最前列の席取れるかな」
『気が早いって』
彼女はそう言いながらも電話越しで笑った。
『私のこともいいけど、自分のことも考えなくちゃ駄目だよ? 明日はテストが終わったら主演を決めるオーディションがあるんだよね? それは……大丈夫なの?』
比奈が声を低くする。心配してくれているようだ。
「出来る限りのことはしてるつもりさ。比奈から電話がかかってくる前も台本を読んでたしな」
携帯を耳に当てながらチラリと台本に目をやる。
『凄く軽く話してるけど、そんなことないんだよね。カズ君の未来が変わってきちゃうかもしれないわけだし……』
「そうだな、明日は運命の日ってやつになるんだろうな」
『――応援、してるから。心からカズ君が主演を取るって信じてるから』
比奈は言葉に力を込める。激励に胸が熱くなる。
「安心してくれ。自分でも驚くぐらい自信があるんだ。それぐらいこの数ヶ月、俺は一つの目標に向かって突き進んできたからさ。俺だけじゃない、慶さんや比奈にも協力してもらって、梨花さんにも応援してもらったりさ。この中でも比奈には特にお世話になったしな」
『暇があったら二人で練習してたもんね。お陰で私も台本全部覚えちゃった』
彼女がこの一冊丸々を暗記してしまうぐらい俺達は努力した。
「これだけやって不安があったら、その時点で失敗すると思うんだ。だから俺はあくまで強気でいく。そう決めたんだ」
不安が全くないわけではない。が、自信に満ち溢れているのは本当だ。こういうのは気持ちによる影響もあるから、これぐらいポジティブな方が安心できる。
「明日、部活が終わったら報告するよ。電話するから待っててほしい」
『うん――期待してる』
彼女が電話越しに目を瞑って優しい笑みを浮かべているのが想像できた。
さ、愛しの彼女と話が出来て、明日へのやる気は充分。この勢いで今日と明日を乗り切ろう。
『あ、そうそう』
電話を切る前、最後に彼女は言う。
『その前のテストもお互い頑張ろうね』
少しだけげんなりした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「……ふふふ、別に数学が出来なくても人は生きていける」
一学期の期末テストは全て終了した。今の台詞は魂を燃やし尽くした若菜ちゃんの迷言である。
「ふー……でも本当に終わったわね。清々しい気分だわー」
「とはいっても、空は曇っていて、テスト後も受験勉強をしないといけないのですけどね」
「こらそこ、ようやく訪れた幸福を汚さない!」
由香梨と沙良がなんてことないやり取りを繰り広げる。
「ま、テストが終わった今日ぐらいはな……この前も行ったファミレスにでも行かないか?」
「名案ね。早速行きましょう」
「あー……すまんが俺と若菜ちゃんはパスで」
若菜ちゃんと俺以外は直弘の提案にノリノリだった。
「そっか、あんた達はこの後部活があるのか。それ考えたら申し訳ないわね」
「しかも今日、役を決定するんだよね? かなり重要じゃないか」
一転して皆が申し訳ない顔を浮かべる。俺は慌てて訂正する。
「いや、俺達のことは別に構わなくていいぞ? というか、あんまり気にされすぎるのもちょっと……。だから俺達抜きで行ってこいって」
「……和晃君に同意」
彼らは再び申し訳なさそうな顔を浮かべるが、その中で一人だけ慄然とした態度で発言した者がいた。
「ここはアキ君の意見を尊重するべきだと思います。私達はあくまで自然に過ごして、彼の吉報を待つべきなんです。……違いますか?」
沙良は比奈の方をチラリと見る。
「私も沙良さんの言うとおりだと思う。二人を信じるという意味でもいつも通りにして、また後日皆で集まればいいんじゃないかな」
沙良と比奈の両名の言葉により、残った三人も「そうだな」と意見を揃える。
「じゃあ、二人とも頑張れよ。ヘマするなよ、特に和晃」
「練習の時と同じようにやれば大丈夫さ。頑張れ、若菜さんにカズ」
「ま、あんたらならどうにかなるわよ。だから頑張りなさい」
「直接見られないのが悔しいですが……私はお二人を信じています」
それぞれから励ましの言葉をもらう。
最後に比奈は、
「――きっと大丈夫」
短い言葉に彼女なりの気持ちを込めて頷いた。
「じゃ、俺達は決戦の舞台に行くとしようか」
「……オー」
皆の背中を見送った後、俺と若菜ちゃんは部室に向かった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「うし、じゃあ始めるぞ。今出せる力を全て出し切れ。それこそ本番と同じくらいの気合でな」
昼食を取った後、顧問の越塚先生から本日の活動内容を説明された。
今日は今までのようにワンシーンワンシーンの練習ではない。
最初から最後まで通して劇を行う。
それは当然、俺のような役者以外にもライトアップや音響などの裏方も本番と同じ形で行う。例えるならベータ版のリハーサルといったところか。
通しは二回行う。一回目と二回目で配役をチェンジしたり、一回目で失敗した所を見直すといったことをするためだ。
その中でも特に大きい変化が俺と祥平の二人の役割だ。
「特に高城と黒瀬は今日の通しで配役を決定するからな。お前らの要望通り、学年の差とかは考えずに純粋な実力で決める。だから後悔だけは残さないように力を出し切れよ」
今日は全体の進捗状況を確かめる意味合いもあるが……先生の言うとおり、メインイベントは配役の完全決定にある。
ちなみに主演争いについては結局俺と祥平の二人の勝負となった。
「それでは一回目――スタート」
越塚先生の合図で劇がスタートする。
先攻は祥平だ。彼が主演を演じ、俺が主演の次にでかい男の役――サブ主人公的な立場を演じる。
さて、今回の劇は大まかに言うと三角関係の恋模様と二つの国の戦争が同時に進行するといったものだ。とはいっても悲恋ものではない。
二人の男と一人の女がいた。彼らは小さい頃からの仲良しで暇があれば遊んでいたという。小さなながらも二人の男はその女の子に恋をした。その時点から複雑な関係であったが、絆の強さは硬かった。
しかし、隣国との戦争によって彼らは離れ離れになってしまう。
数年後、片方の男である勇敢で正義感の強い彼(今回の劇の主人公である)は同じような悲劇を繰り返さないため、国を守る騎士となった。
ある日、彼は国の外からやってきたという少女を保護する。その少女はなんと小さい頃離れ離れになった少女であった。
彼女は記憶を失っていた。彼は昔の恋心を、そして少女は自分を救ってくれた男に恋心を抱くようになる。
だが再び隣国との戦争が起きる。そこで主人公は一人の男と戦うことになる。手強い相手だが、どうにか押し切り、兜を壊すと――人相は違っていたがその男は小さい頃に遊んでいたもう一人の男だった。
彼は言う。囚われた少女を解放しに来たと。それが原因で戦争が再び起きたと。
その囚われた少女は主人公が助けた幼馴染の少女のことだ。
本来、彼女は敵国のかなり重要な立ち位置に立っているとのこと。さらにもう一人の男と婚約を結んでいた。しかし、彼女は既に主人公に想いが傾いていて――。
そこから主人公は悩むことになる。自分の気持ち、母国への守護心、かつての親友のこと……。
もう一人の男(敵国の騎士であり、今回のサブ主人公。通しの一回目で俺が演じる役だ)も主人公と同じように悩むことになる。
二人は当然敵対し、また少女も揺れる国同士の情勢、かつての親友達の心情に頭を抱えることになる。
だが――物語の最後に主人公は答えを出す。自分は大切なものを二度と失わせないために、騎士となったと。その想いがたどり着いた答えは、二つの国を敵に回しても二人を守ろうと。
もう一人の男は主人公と違って国に従事し、主人公と敵対する道を選ぶ。そしてあの少女を取り戻し、彼女との結婚を果たそうと考えた。
かくして二人の戦いが始まった。激しい戦いの中、親友を説得する主人公。自分の道を貫き通そうとするもう一人の男。
だが結局、もう一人の男もかつて親友だった彼らに情を持ってしまい、主人公の説得に応じる。
ついに昔の関係に戻った三人は国からの脱出をはかるが、二つの国から妨害を受ける。少女を守りながら二人の男は協力して次々と突破していくが――やがてもう一人の男が限界を迎える。
彼は二人に感謝の言葉を述べる。無念もあるが、これでよかったと。お前らが俺の意志も継いで生きてくれればそれでいいと。
親友は最後の力を振り絞り、二人の道を邪魔する者を片付けていく。二人は親友をその瞳に刻み――ついに脱出に成功する。
最後、二人は丘の上に彼の墓を作り、見届ける。決意を新たにした二人は手を繋いで歩いていく。
これが物語の全容だった。
流れを見れば把握できるのだが、主人公の親友役も主人公みたいなものだ。が、あくまでライバルポジションである。
主人公は親友の男に比べて遥かに出番が多いため、その分苦悩する姿を魅せないといけない。それでいて親友の男を引き立てるように動かないといけないのだから……やっぱり主役は勇敢な騎士の方なのだ。
「うん、よかったぞ。それぞれ反省点を挙げて二回目に臨むんだぞ。じゃ、少し休憩」
一回目の通しを終える。
「やっぱり流石の演技だな、祥平」
「ありがとうございます。ですがこれは勝負ですよ。相手を褒めてる余裕なんてあるんですか?」
「そんな捻くれるなよ……。労いの言葉だよ、あくまで。勝つのは……俺だ」
「その意気ですよ、先輩。期待してますから」
「お前の方こそ勝負してる相手に言う言葉じゃないんだけどな。ま、見ててくれや」
勝負前の口上を終える。
水を飲みに部室から出ると、ヒロインの少女役を演じる若菜ちゃんがやってきた。
歩きながら彼女と話す。
「……次和晃君の番だね」
「ああ。一回目も若菜ちゃん、凄く役に嵌まってたから……今回も頼むぜ」
「……任せて。一回目以上に……和晃君が役に更に入り込めるよう気合入れるから」
彼女も若干俺に肩入れしている部分が見受けられるが……まあいっか。
彼女の演技がどんなに凄くても、主演を勝ち取れるか否かは自分の実力にかかっているのだし。
「よし、全員準備はいいかー? 二回目の通し、始めるぞ」
休憩が終わり、いよいよ俺を主演とした二回目の通しが始まる。
緊張はしていなかった。頭はすっきりしていて、清々しい気分だ。
「それじゃあ、スタート!」
先生の合図により、いよいよ始まった。
最初の声だけの説明が終わると早速自分の出番だ。天井の照明が一斉に俺に向けられる。
体は勝手に動いた。声もあらかじめ決められていた台詞とは思えないくらい自然と出せた。頭の中には台本に幾重にも引かれた赤い線や隅に書かれたメモ書きが浮かぶが、それがおのずと外に出て行く。
心地よかった。自分が自分じゃないようだ。
そう――今の俺は高城和晃ではない。国を守る騎士なのだ。少女に恋をし、かつての親友と敵対したことに頭を悩ませる青年なのだ。
劇をしていると「演じている」ではなく「生きている」になる瞬間があると慶さんが言っていた。それはこういうことなのかもしれない。
今日、学校に行く前に慶さんからも応援のコメントを頂いた。慶さん、俺、ようやくあなたの言ってたことが理解できたかもしれない。そこに充足感があるかどうかは分からないけど、俺、絶好調だ。
どんどん意識が深くなっていく。自身の挙動が頭のてっぺんから足の先まで支配されていく。
さあ、集中しろ。主人公は――俺自身だ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「総括すると……どちらも凄かった。今までも演劇部の顧問として劇を見たことがあるが、ここまで粒ぞろいなのは今年が初かもしれない」
通しを終え、残るは配役の発表を待つのみだった。
先生の口から結果が出されるのを祥平と並んで心待ちにする。
「正直、どちらも甲乙つけがたい出来だ。その二人から選ぶのは大変だった。黒瀬は毎回部活に出てるのと去年の劇でその実力は知ってはいたが……高城に関しては驚いた。怠けてたお前も本気出せばこうなるんだなと。後は勉強もこれぐらい集中すれば上位を狙えると思うぞ」
「最後の勉強についてのコメントはいらないです」
こっちはドキドキして待っているというのに勉強の話でお茶を濁さないでほしい。
「うし、あんまり待たせるのも悪いな。引っ張らずにどちらが主演をやるか発表しよう」
引っ張るのは悪いとか言いながら、先生は俺達二人を見比べて焦らしてくる。
「今年の劇の主演はお前に任せる」
先生はその名を口にする。
「頼んだぞ――黒瀬祥平」




