七話「社交パーティ」
ゴールデンウィーク。それは学生に限らず社会人にとっても嬉しい連休の名称だ。
けれど俺にとっては今年のそれは憂鬱になるものだった。理由はそれの初日に行われるイベントにある。
H&C社が開催する社交パーティが控えているからだ。
もはや日本だけにとどまらず世界にも事業を拡大するH&C社の催すイベントだ。当然それに相応しい人物たちがお見えする。有名な著名人、多数の大企業の代表やそのご子息、ご息女。
一介の高校生が立ち入ってはいけないような豪勢さだ。
親父の息子ということで小さい頃には母親と共に何度か行った事があるが、当時からあの空気には馴染めなかった。
今回開催するパーティも本当は行きたくない。けれど今年からは我侭も言ってられず、最悪の事態に備えて俺の顔をそれらのお偉い人物にお披露目しなければいけない。そういったこともあって今年は強制参加を義務づけられた。
この日のために用意してくれた衣装をクローゼットから取り出す。
俺以外の人間は家にいないために正装の確認はしっかりしないと。
帰国して数日は元々暮らしていたこの家で過ごしていた両親。でもここは既に俺の物という扱いになっているらしく、五月に入ってから二人は別の住居に引っ越した。
まあ、世界的大企業の会長だ。親父の持つ資産を考えると一軒家なんてお菓子を買うのと同じレベルの代物だ。
こんな父親を持ちながらよく一般的な金銭感覚に育ったものだ。これもひとえに常識から外れないよう育ててくれた母さんのお陰だ。心から感謝する。
「……こんなものかな」
鏡の前で何度も角度を変えて見直し、おかしいところがないかチェックする。
感覚的には制服を着ている感じに似ているけど正式な場だから入念に確認しないといけない。
他にも髪のセットだったり普段はつけない装飾品なんかを付けているうちに時間はあっという間に過ぎていく。
準備がほぼ完了した所で丁度迎えの車がやってくる時間になり、
「お迎えに上がりました。準備が出来次第車にお乗りになってください」
沙良が使いとしてやってきたのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「貴方が誠司さんの息子なのね。よかったら娘をどう?」
「高城さんの息子かー! いやー、どうかよろしく頼むよ」
パーティでは色々な人に話しかけられる。それこそ脇役程度のタレントであるはずの自分が、歳がいくつも上の大物俳優とかにも。
基本的にはしっかりとした大人が多いので変な対応をしない限りは問題ないのだけれど……やはりある程度は取り繕わないといけない訳で。こういった場には慣れてないからとても疲れる。
今日唯一の癒しは沙良と会場まで一緒に来れたことだろう。鬱屈とした場に向かう時に親しい知人と話すのはやっぱり心に余裕ができる。
余談だけど沙良はアメリカで免許を取得しているらしい。まだ十八歳になっていないので日本では運転出来ないみたいだが(今日は沙良とは別に渋いおじさんの運転でここまで来た)、海外ではもっぱら沙良が運転して親父を送っているそうな。親父め、許せぬ。
適当にジュースを貰い、会場の片隅で一休みする。
しかし親父、仕事の時は別の名前で活動しているらしいがこのパーティに呼ぶような親しい間柄には普通に本名を教えているらしい。
もう本名でいいんじゃないかな?
……いや、やっぱ駄目だ。俺に被害が及ぶ。
はあ、と何度目かわからないため息を繰り出す。
「そんなにため息ばかりついて……こういう場はあまり経験ないの?」
やけに馴れ馴れしい口調で話しかけられる。気だるげに視線を動かした先には、
「……比奈のお姉さん?」
確か博美さんだったっけか。比奈の面影が見える彼女がそこにいた。
「まさかとは思ったけど本当にいるとはね。主催者の息子だしいても何もおかしくないのだけど」
「比奈から聞いたんですか?」
「もちろん。聞いたときは初め悪い冗談か何かかと思ったわよ。……まさか妹の彼氏がそんなとんでもない人物だったとはね。何、このまま関係が進んだら比奈は玉の輿ってわけ? そんなことさせないわよ!」
何も言ってないし、する気も今の所はないんですが。
「博美さんこそどうしてここに?」
「あれ、比奈から聞いてないの? 私これでも結構有名な人物なんだけど。こういったセレブが集まるパーティにも何度も招待されてるわ。流石にH&C社主催のパーティは初めてだけどね」
そういや十二月の勘違い時も博美さんはパーティに呼ばれてたんだっけか。
俺の中で彼女は既にシスコン腐女子という印象しかない。
「でも助かりました。周りは知らない人ばっかでしかも俺とは程遠い世界の人たち。それでいてごまを擦ってくる人が多いもんですから知ってる人がいてちょっと落ち着きました」
「それ私に対してとても失礼じゃない?」
外見だけなら博美さんもそっち側の人間だけど、いかんせん中身を知ってるとね。
「あとあなたが知ってる人物は他にもいるわよ」
「え」
そう言って彼女が呼んだ人物は、
「河北慶……!?」
「やあやあ高城君。大体二週間ぶりかな?」
気さくに登場したのは彼だった。まさかお前までいるとは。
「比奈ちゃんに聞いたよ。僕の劇を観て、演劇部に出るようになったんだって?」
河北慶はカラカラと笑う。俺はどうしてかその態度にイラッとくる。
「何だよ、悪いかよ」
「そんなことないよ。むしろ僕としては嬉しい限りだけどね」
こいつの前に立つと調子が狂う。
些細なことでイライラするようになって、こいつと話していると自分がどんどん小さい人間に思えて仕方なくなるのだ。そして彼を妬ましく思うようになる。
「パーティの方は楽しんでいるかい?」
「いいや全く」
「折角なんだから楽しまないと損だよ」
「楽しめるお前が羨ましいよ」
嫌味たっぷりで言ってやる。
「何、本当に楽しくなるのはこの後だよ。もう少ししたら音楽が流れる。それに合わせて皆踊るんだ。高城君も踊る相手を決めておいた方がいいと思うけど?」
「俺はいいよ。隅で傍観してる。踊りたい相手とかいないしな」
「それは残念だ。……何なら僕と踊るかい?」
「いい案ねそれ! 踊った方がいいと思うわよ? というか踊れ、踊りなさい高城和晃!」
「こんな所で腐女子発揮させるなよ!」
博美さんは急に鼻息荒くしてテンションがおかしくなる。俺が言うのもなんだけど一応ここ正式な場だからな!?
「ははは、博美さんに推奨してもらえるとはね。でも……もう僕は必要ないみたいだ」
河北慶は明後日の方に視線を向けている。彼の見つめる先に俺も視線を移す。
「な、何でここにいるんだ!?」
その目線の先にいた人物はこちらにやってくる。
「あはは、ちょっと……この姿だと恥ずかしいね。こんにちは、カズ君」
純白のドレスを身にまとった比奈が目の前に立っていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……なるほど。あの時親父が比奈と話してたことは今日のパーティのことだったってことか」
「うん。……嫌だった?」
「そんなことないって。比奈が招待されてるなんて考えてもいなかったから驚いただけで。むしろ気楽に話せる相手が増えて嬉しいかな」
俺はどうして比奈がこのイベントに来ることになったのかといういきさつを聞いていた。
やはり親父の差し金か。比奈の所属する事務所はH&C社の傘下の一つということもあるし、彼女がタレントという二点で条件は満たしているから招待されても何もおかしくないわけだ。
「パーティ楽しんでるか?」
「うーん……私こういったイベントって初めてだからどうしたらいいのかいまいちわからないんだよね」
「比奈も俺と同じか」
同じ境遇というのは心が休まる。
ちなみにこういったパーティ経験のある河北慶と博美さんは会場の中心に戻っていった。……もっとも戻ったというより空気を読んだ河北慶がドレス姿の秀麗さに興奮した博美さんを連れて俺達を二人きりにしてくれたというのが真実なんだけど。
さてこれからどうしよう、という所で会場中にBGMが流れ始める。それを機に何人かの男性が移動を始める。目当ての女性の前に行き、跪いて「一緒に踊りませんか」と問いかける。
いわゆる社交ダンスのお時間のようだ。
「か、カズ君!」
「ん?」
場の一部始終を見ていたはずの比奈が声を上げる。
「あの、わ、私と一緒に踊ってくれませんか……?」
「…………ぷっ」
「ええ!?」
思わず笑ってしまった。
「何でいきなりかしこまってるんだ。俺が断るわけないだろう。というかダンスに誘うのってむしろ俺の役割じゃないか?」
「早めに言わないと他の女性に取られちゃうかもって思って」
「それはないって。例え誘われても断って比奈に申し込んでたよ」
俺も周囲と同じように比奈の前で跪く。彼女の片方の手を取って、
「俺なんかでよろしければ是非」
と言って微笑む。
不意を突かれたからか彼女はうっと小さく唸って顔をほんのり赤くさせる。
「は、反則だよそれ」
「ただ誘いに乗っただけじゃないか。ほら、俺達ももうちょっと前に出ようぜ」
周りも皆踊っている。ダンスの相手がこうしてちゃんといるのなら、折角だし楽しんでやらないとな。
「その、自分から言っておいてなんだけどこういったダンスは得意じゃないよ?」
「俺もだ。変に形式ばった形にする必要はないよ。俺達流の社交ダンスを見てもらおう」
感覚はあの時と同じだ。一年前の崎高祭の終わりに彼女と公演で踊った二人きりの後夜祭の時と。
彼女の手を持つ。彼女の顔を見つめる。
音楽に合わせて体を動かす。俺がリードしすぎてしまったら動くのをやめて彼女の動きに合わせる。また彼女も俺の動きに合わせて踊る。
どちらか一方がリードし、片方はそれにあわせる。これを音楽が鳴り続ける間延々と繰り返す。
最初はちょこっとだけ周りも気にしてたがやがて全く気にならなくなった。
俺は彼女の顔を一点に見つめ、身体の動きに注意を払う。彼女が優雅に舞う姿とそれに合わせた音楽だけが世界だった。
夢中になって踊っていると音楽が止まる。それと同時に集中力なんかも切れて周りの世界が戻ってくる。
周囲からは手を叩く音が聞こえてきていた。
「な、何だ?」
周りの人たちは俺と比奈を中心に円を描くように立っていて、ひたすら拍手を送っている。どうしてこんな注目を浴びてるんだ俺達?
「……それだけお二人のダンスが美しかったということです」
観衆が沸き立つ中で俺達に近づいてきたのは沙良だった。
比奈と俺が揃っている時の彼女の対応を思い出して、つい身構えてしまう。
「まるで二人の息が重なっているようでした。見てて嫉妬してしまう程の素晴らしさです」
しかし彼女は顔色一つ変えずに淡々と喋る。緊張を解くと同時、目の前の彼女は幼馴染としてではなく会長の秘書として接してきていることを悟る。
「そんな和晃様と比奈様に会長からのお呼び出しがかかっております。ついてきてもらえますか?」
「ああ、構わない。けど……比奈も一緒なのか?」
「ええ。比奈様も必ず一緒に連れてくるようにと言われております」
沙良からは今までに感じたことのないほどの緊張感が漂っていた。つまり親父の呼び出しはふざけたものなんかではなく、とても真剣な話なんだろう。あいつの真剣な話ならどんな目的で集合をかけているのかある程度予測はつく。
だが比奈も必ず、ときた。これはつまり、
「……最初から比奈はこのために招待されたのか?」
比奈の方を見て訊ねる。
「うん。私自ら頼んだの。……ごめん」
彼女は申し訳なさそうな顔を浮かべる。
「……謝らないでくれ。俺が比奈に黙ってたのがそもそもの原因だし。それにいずれ君には話しておかないといけないことだったと思うから」
これから話されるのは俺と親父の間で交わされた約束の話だろう。彼女に直接関係ないとはいえ、これを隠し続けるのはきっと無理だった。
「待たせてすまない。親父の元に案内してくれ、沙良」
「かしこまりました」
歩き出した沙良についていってパーティ会場を出る。そこからエレベーターに向かい、親父がいるという部屋を目指す。
今日のパーティ会場はホテルの階上にあるパーティホールを貸し切って行われている。そこから数階下までもH&C社の貸切状態だから、親父はその一室にいるということだろう。
「ここに会長がおられます」
案内されたのはやはりホテルのとある一室だった。
沙良がドアをノックする。
「失礼します。高城和晃様と香月比奈様。両二名をお連れいたしました」
「よし、入ってくれ」
「はい。では中にどうぞ」
沙良は俺達が入るのに邪魔にならないようにドアの横に移動してドアノブに手をかける。
そして、扉が開かれた。




