六話「突撃! 高城家の晩御飯」
<side Hina>
拝啓、お父さん、お母さん、それからお姉ちゃん。
元気にしていますか? 私は健康上は元気です。
お母さんとお姉ちゃんは私がカズ君と交際を続けていたらいずれお互いの両親と顔合わせすることもあるかもね、なんて冗談を言っていましたよね。
私はそういった状況に陥ったら、初めて全国放送の番組に出演した時ぐらいの覚悟を決めて彼の両親に挨拶をするなんて答えました。
そんな私でしたが、今、私の目の前にはカズ君の家があります。何度も訪れていますが、今日は彼と彼の父親も一緒です。しかも中には彼のお母さんもいるそうです。
どうしてこんな唐突に事態が動いてしまったんでしょうか。
私、何の覚悟もしていないんですけど。
どうすればいいんでしょうか。胸中は不安と緊張でいっぱいです。
お父さん、お母さん、お姉ちゃん……た、助けて!
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「母さん、帰ったぞー!」
カズ君のお父さんもとい社長が上機嫌で玄関をくぐる。
「……比奈、大丈夫か?」
「ウ、ウン」
私とカズ君も社長と一緒に家の中に入る。
自分でも心配になるぐらい私は緊張していた。さながらメデューサと目が合って全身が石化したようだ。そりゃあカズ君も心配になるよね。
「おかえりなさい、お父さん」
可愛らしい声と共に足音が近づいてくる。
「あら、和晃もいるじゃない。それと……そちらの女の子は?」
現れたのは二十代前半の若さに見える女の人だった。彼女は長い髪を後ろで結んでまとめている。それでも腰ぐらいまで髪は伸びている。他に特徴的なのは目だ。ゲームや漫画でおなじみのいわゆるイト目といわれるそれだった。私には目を瞑っているようにしか見えないけど、前はちゃんと見えている模様。
一瞬、カズ君のお姉さんかなと思ったけど、彼から姉がいるなんて聞いたことないし、また先程からの一連の流れを汲むと目の前に現れた人はカズ君のお母さんということになる。こ、こんな若々しい人が高校生男児の母なの!? す、凄い……。
「ただいま母さん。彼女は――」
「この子は和晃の彼女だ、恋人だ! 丁重にもてなしてやってくれ!」
「おいこら親父」
私が固まっている間にどんどん場が動いていく……。
「あらあらあら。その子が例の?」
「おう、そうだ。和晃にはもったいないほどの女の子だろ!」
「お父さん、話が進まないからちょっと黙ってて。……ねえ、和晃。本当にあなたの恋人なの?」
「う……そ、その通りです」
照れくさいのか母親と顔を逸らすカズ君。その後ろではぞんざいに扱われた社長が一人落ち込んでいる。
カズ君の母親は私の方を見てニッコリ笑うと優しい声で言う。
「ふふふ、そういうことなら大歓迎だわ。どうかゆっくりうちでくつろいでいってね」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
折角来てくれたんだし、夕飯でも食べていきなさい。今日はいつもより豪華に振舞っちゃうわよ、とカズ君の母親は張り切って厨房に行ってしまった。
私とカズ君と社長の三人はリビングで待機ということで正座して待つことにした。
「……ってどうして正座なんだ!?」
あ、いや、私よそ者ですし小さく納まっていないと駄目かななんて思いまして。
「まあ、うちの両親と会うのは初めてだから緊張するのも分かるけど、そこまで固くなる必要はないから。難しいかもしれないけどいつも通りで構わないって。だから落ち着けって。な?」
そうしたいのは山々なんだけどそう簡単に気持ちは切り替えられません。とにかく少しでも気持ちを静めないと。えっと、こういう時はどうすればいいいんだっけ……。
「う、うん。分かった。大丈夫、大丈夫。けれどカズ君」
「……どうした?」
「ラマーズ呼吸法ってどうやるんだっけ?」
「ほんとに大丈夫かお前!?」
駄目かもしれない。
「ラマーズ呼吸法……? おい、和晃。まさかお前孕ませたのか……!?」
「孕ませるって言い方やめろ! それと俺達は自他ともに認める健全なカップルだ!」
「一足早く孫の顔が見れると思ったのに……残念だ」
「残念がるなよ! さっきまでと言ってたこと違うぞ!?」
今日はカズ君のツッコミに一段とキレがある。もっともその本人は振り回されっぱなしで疲れてるようだけど。
「あのなあ和晃。突然彼氏の両親と会うことになったんだ。そりゃ普通の人ならガチガチになる。察してやれないとは我が息子ながら見損なったぞ」
「誰のせいで突然会うことになったっと思ってるんだ……」
「変に交際を否定されるよりは充分ましだろう? それに俺だって比奈君を一目見たかったんだ。ここ数年で彼女も見違えるように可愛くなったからな。恋をして魅力はさらに上乗せ。よくやった息子よ」
「素直に喜んでいいのかそれ?」
「ああ、構わないぞ。それはそうと和晃、比奈君のセカンドシングルの衣装どう思う? 俺はあれが一番いいと思うんだが」
「おお、親父よくわかってるじゃないか! でも俺はそれよりも――」
父子の二人は何故か私の話題で盛り上がる。本人の前でそういった話をされますととても恥ずかしいんですけど……。
「全く、男はいつまで経ってもお馬鹿ねえ」
そこにカズ君のお母さんがやってくる。口では馬鹿といいながら二人の会話を楽しげに眺めていた。
「ねえ、暇だったら夕飯の準備のお手伝いをしてくれないかしら?」
「わ、私ですか?」
そうよ、と言いながらカズ君のお母さんは頷く。
「でも私、料理とかはあまり……」
「大丈夫。簡単な作業を手伝ってもらうだけだから。女二人で話したいのもあるしね。さ、付いてきて」
言われるまま私は彼女の後ろについていく。
任された仕事は本当に簡単なものだった。包丁で野菜を切ったり、盛り付けたり。これぐらいなら私にも出来る。
作業開始からほどなくしてカズ君のお母さんは口を開く。
「あなたの名前は香月比奈ちゃんでいいのよね?」
「は、はい」
「そんな緊張しなくても大丈夫よ。それにしてもテレビや雑誌で見るのとは大分印象が違うのね。生身の方がずっと可愛いじゃない」
「そ、そんなことないです」
「謙遜する必要はないわ。だって本当に可愛いんだもの。料理中じゃなきゃ抱きしめたいぐらい」
冗談なのか本気なのかよくわからない。
けれど褒められて悪い気はしなかった。こんな美人な人に可愛いなんて言われたら認められたみたいでちょっと嬉しい。
「それで本題なんだけど、比奈ちゃんは和晃のどこに惚れたの?」
危うく包丁に指が持ってかれそうになった。
「っとと、危ない危ない。動揺させてしまったかしら?」
動揺してたところに新たな動揺が掛け算された気分です。カズ君のお母さんが私の腕を掴んでくれなかったらいまごろ左の人差し指の第一関節から先がなくなっていただろう。
「もうちょっとライトな質問な方がいいみたいね。どう? 和晃は。迷惑かけたりしてない?」
「してませんしてません。むしろ私の方が迷惑かけてて」
「そんなことないわよ。二人がしているっていう公開恋愛もあの子が勝手にやったことなんでしょう? 何も知らないでテレビをつけたら息子が意味不明なことを叫んでいるんだもの。あの時は……流石に驚いたわ」
何となく申し訳ない気持ちになる。
「私はあまりテレビとかに詳しくないから、比奈ちゃんのことも詳しく知っているわけではないわ。でもね、こうして少し話しただけであなたでよかったとも思うわ」
「それは……どうしてですか?」
「伝わってくるのよ。和晃のこと、愛してくれてるんだってね」
今、顔からボッて効果音が絶対に出た。耳から蒸気も出たと思う。おでこに水を乗せたら多分沸騰する。
「そ、そそそそそんにゃことは――」
「じゃあ愛してない?」
「う……え、えっと、その……好き、です……はい……」
徐々に小声になっていく。
私には「愛してる」という言葉はまだ言えなかった。好きが限界だ。
「うふふ、若いわね。そういうウブな所が可愛いわよ。同時に安心もできるわ。恋愛に対して初々しいってことはそれだけ純粋でいい子ってことだもの。若い女の子の皆が皆そうってわけじゃないけど、最近は進んでいる女の子が多いじゃない? それもいいかもしれないけど、やっぱり親としてはこういった純情な子の方が安心できるっていうのもあるしね」
凄く褒められてるけど、私そんな大層な人間じゃないと思う。
「……特に和晃にとってはこの一年が山場よ。あなたみたいな子が傍にいてくれたら息子も乗り越えられるかもしれない」
ただ最後の一言だけは今までとトーンが違った。
「二人ともまだ学生だし、この後二人がどうなるかなんてわからない。けどこうなったのも何かの縁よ。これからも和晃をよろしくね。出来たら末永く、ね」
そう言って彼女は悪戯に微笑んだ。
結局カズ君のお母さんと話したのが大半で私はあまり作業をしなかった。でもあちらにとっても私と会話するのが主な目的で手伝いというのはあくまで方便だったのだろう。
料理を運ぶのは男の仕事よ、と言って先にリビングに行くよう促された。入れ違いでカズ君がキッチンに向かっていった。
リビングでは先程よりは幾分か大人しい社長がいた。
「おお、比奈君。今日の料理は何だった?」
私はカズ君の母親が作っていたものを告げる。
「俺と和晃が好きなメニューじゃないか! 今から晩餐が楽しみだ!」
はっはっは、と社長は高らかに笑う。
私の中の社長のイメージはこんな朗らかな人って印象じゃなかったんだけどなあ。少し聞いてみようかな。
「あの、社長。本当にカズ君と仲が良いんですね。私てっきり……」
「――不仲だと思っていたのかい?」
「それは……えっと……」
「臆す必要はない。何、仕事の時の俺とプライベートの時の俺は様子がまるっきり違うからな。そう思われても仕方ない」
私の中の社長っていうのは理知的で真っ直ぐな人で、それでいて尊敬に値するような人物だった。けれど今日の社長は雄大に振舞いながらもふざけていたり家族とのコミュニケーションもしっかり取っているお茶目な人って感じだ。
私も仕事の時とプライベートの時は気持ちを切り替えるようにしてるけど、流石にここまで豹変しない。
「和晃と付き合い始めて今どのくらい経ったんだ?」
社長が訊ねてくる。
「十二月の終わりからなんで……四ヵ月ぐらいです」
四ヵ月。もう四ヵ月。いや、まだ四ヵ月なのかな。それ以前からのカズ君との交流があるからそれ以上の期間交際していたような錯覚を覚える。
「四ヵ月か。時が流れるのは早いもんだ」
社長はしみじみと呟いた。
「さっきまでの俺の比奈君の扱いや四ヶ月という期間を経て言うものでもないのだが……もし比奈君があいつのことをかっこいいから、単純にいて楽しいからといった軽い気持ちの交際であるなら俺は二人の恋に反対だ」
彼は突然真面目な口調で話し始める。
「それについてはどうなんだ?」
「軽い気持ちではありません。ちゃんと明白な理由があります」
「なら構わない。……と言いたいところだが一つ訊かせてもらおう。和晃はどんな人物だと思う? 性格や外見ではなく、本質的に彼はどんな人間であるかということだ」
カズ君は本質的にどんな人間であるか? 中々難しい質問に思えたが考えてみると答えがポンポン頭に浮かんできた。
「彼は……自分の事になると途端に不器用になる傾向があります。この前ちょっとしたことで彼の心に触れる機会がありました。その時彼は戸惑っていました。私や友達にアドバイスを貰ってようやく自分の本当の気持ちに気づいたみたいです」
これは河北さんの劇を観た後のカズ君のことだ。彼は答えを導き出すのに相当の労力を要したけど、普通の人ならそういった願望はすぐ気づく人の方が多いと思う。
またこの傾向はそれだけじゃない。カズ君が自身の恋心に気づく過程でも似たようなことがあったと聞いている。久保田君や岩垣君も己の想いに向き合う姿勢をアドバイスしている。
「自分のことに無頓着であるといった可能性もあるかもしれませんが、彼はきっとそうじゃありません。彼は何かするにしても自分へのメリット・デメリットを考え、それを納得した上で実行しています。最たる例が公開恋愛です。このことから……彼は自分の中に空いた穴を埋める『何か』を探している――そんなところじゃないかなと思っています」
これだけ偉そうに言って的外れなことを言ってたらどうしよう。
そんな心配を一瞬したけど、社長は深く頷いた。どうやら正解のようだ。
「これ以上ないくらいの模範解答だ。正直面を喰らったよ。これは軽い気持ちで交際云々言ったことを謝った方がいいかな?」
「いえいえ、そんな必要はないですよ」
手と合わせて顔をぶんぶん横に振る。
「比奈君は私が君をスカウトした時の台詞を覚えているかい?」
「はい、覚えています」
忘れるわけがない。あの時目の前の社長に誘われたからこそアイドルの香月比奈がいるのだから。
「自分自身をまだ理解できておらず、ただ流されるままに生きている人間を知っている。流される道の中、夢を見つけようとしている人間を知っている。社長はそう仰りましたよね?」
「ああ、その通りだ。そしてその人間が誰であるのか比奈君はもう分かっているんじゃないか?」
「――カズ君のことですね」
社長のこの言葉の前には個人的なこと、と言った。後には元気でいてくれるといいんだが、と言った。それらの台詞は見知らぬ誰かではなく、社長のよく知る人物ということになる。
社長が話の流れを彼の本質に持っていったところで薄々感づいていた。
「私はその後君とその人物が関わることはないと言ったが、そんなことはなかったようだ。間接的にどころか直接関わることになろうとは。しかも恋仲という深い関係でだ。全く世間は狭いものだ。どこでどう繋がるか予測がつかん。これを運命というのだろう」
彼は小さな含み笑いをする。それはさっきまでの社長とは違う姿であることを表している。
「一つだけ付け加えておこう。君は和晃は自分の事になると不器用になると言ったね。それについて和晃自身は気づいていない。つまり無意識であるということだ。また彼は空いた『何か』を探しているとも言ったな。何故彼がそんな人間になったと思う?」
「それは……わからないです」
彼がそうなった「何か」があるのもまた理解していた。けれどその正体までは分からない。いつかカズ君から話してくれるのを待っていたのだけど。
「香月比奈はその正体を知りたいか?」
私はそそのかされている。それに乗るか乗らないか。彼の断りなしに誘いに応じるのは悪い気がする。
「はい、知りたいです」
しかしそれ以上に私の欲求が上回った。
私は彼が抱える問題を知りたい。知ってどうにかできる問題ではないのかもしれないけど。でも私は彼の深奥に踏み込みたいと願った。
「……そうか。ただ、それを知ることで和晃への見方や接し方も変わってしまうかもしれない。その問題を知るということは君も渦中に放り込まれるかもしれない。それでも構わないか?」
「構わないです」
だって無知なままでは何も始まらないから。その正体を知ってようやく私は彼の隣に並ぶことができる。
「ゴールデンウィークの初日に我がH&C社が開くパーティがある。事務所を通じて君をそのパーティに招待しよう。君は芸能人だし、我が息子の恋人であるし、H&C社の傘下の一つとして充分に参加権を要している。そこで全てを語るとしよう」
「……はい」
神妙に頷く。ゴールデンウィークの初日。それを過ぎたら私はもう戻れない。
「ご飯出来たわよ~。あらあら、二人で深刻な顔して何話してたの?」
「何、俺が比奈君をちょちょいと口説こうとしただけだ」
「殴るぞ親父」
「俺を殴るのにはまだ百年早いぞ」
こうして高城家の夕飯が整った。さっきまでとは一転して場は明るくなり、私も最後には完全に緊張が解けてこの日の団欒を楽しんだ。




