一話「三年生の始まり」
どこからかけたたましい音が鳴り響いている。その音によって意識が無理矢理覚醒させられる。体が思うように動かない中、音の出所にどうにかして手を伸ばす。
ピ、と目覚まし時計を止めると次は体を起き上がらせる。カーテンから漏れた太陽の光が丁度頭に降り注ぐ。
目覚まし時計の隣においてあった携帯画面を開く。日付は四月に入っておおよそ一週間。
「……うし、今日からまた頑張ろう」
今日は新学期の始まりだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
朝やることは案外多い。特に一人暮らしとなるとなおさらだ。まあ、誰も見てないし手を抜いても構わないんだろうけど……一度妥協したらとことんやらなくなる気がするので極力頑張る。
起きて着替えた後は朝飯の準備。テレビでニュースでものんびり見ながら食事をして、食べ終えたらパパパッと食器の片付け。次に洗濯物。今日は一日中晴れらしいから干せる!
こんな感じに朝のうちに出来ることをこなしていく。流石に二年間経過しているともう手馴れたものだった。最初はなあ……酷かったよなあ、うん。
「よし、準備オッケー」
最後の学校の準備を終える。今日は始業式がメインなので荷物は少ない。
後は家を出て学校に向かうだけ。まだちょっと早いけど、もう行くのもありかな?
そんなことを考えているとチャイムが鳴った。こんな朝っぱらから一体誰だ。前回みたいに宅配便でもきたのだろうか。もう等身大チョコとか本気で勘弁だぞ。
「おはよう、カズ君」
あまり良い想像をしていなかっただけに玄関を開けた先に立っていた人物の正体に驚きを隠せなかった。
「ひ、比奈? どうしてこんな朝早くから俺んちに……?」
「い、一緒に学校に行きたいなーなんて思ったんだけど、駄目かな?」
「駄目なわけないじゃないですか!」
むしろ新学期早々からこんな幸せなことがあっていいのかと声高に叫びたい。
「でもどうして突然……?」
「カズ君も最近私の仕事が増えてきたってことは知ってるよね? それで去年よりも学校に行ける回数が減っちゃうと思うんだ。つまり……皆と一緒にいる時間も減っちゃうわけで。少しでもカズ君と一緒に過ごしたいから、こうして来たんだけど」
「なるほど」
「それで、もしカズ君がよかったら、こうして余裕がある日は迎えに行きたいんだけど……どうかな?」
つまり比奈が朝から学校に行ける日はこうしてうちに寄ってくれると。
「おう、全然構わないぞ。とりあえずそのままだと寒いだろ。今荷物取ってくるから玄関でちょっと待ってて」
身を翻した俺はすぐさま荷物を取りに行かずにある場所に向かう。そこは由香梨が無断でたこ焼き器を置いていた、つい最近まで知らなかった空きスペース。今は色々保存の効くものをしまっているのだが、そのスペースは何故か防音仕様らしい。
だから俺はそこに向かって叫ぶ。
「通い妻きた――――!」
感動の咆哮だった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「新しいクラスどうなってるかな」
「確か三クラスが理系クラスで残りが文系のクラスだったよな」
崎ヶ原高校は二年生までは文理合同のクラス(ただし物理など一部の授業は選択)で、受験を控える最高学年から理系と文系のクラスに分かれる。
「比奈は文系だっけ?」
「うん。理系クラスにいける程頭よくないしね」
理系クラスだからって頭いいってわけでもないけどね。
「俺も文系だから同じクラスになる可能性もあるけど……五クラスもあるしどうだろうなあ」
「違うクラスになっちゃうかもしれないね」
「ま、そうなったとしても誰かしら知り合いはいるだろ」
「そうだといいけど……。もし知らない人しかいなかったらどうしよう……」
比奈の周囲から黒いオーラが出ている。多分崎ヶ原高校に来る前の彼女の影響だろう。
例え誰一人知らない教室に放り投げられても同級生達の方から比奈に寄ってくると思うけどな。特に男子なんかは喜んで。ぐぬぬ……悪い虫は近づけないようにしないと。
俺は俺で腹黒い考えを浮かべながら学校にたどり着く。学年が変わると昇降口も変わる。三年生が使う昇降口から中に入ると掲示板に紙が張り出されていた。新しいクラスの発表だ。その周りには生徒がわらわら集まっている。
俺達もその波に突っ込んでいく。
「えーっと、俺と比奈のクラスは……」
文系クラスは前述の通り五クラス。なので一組から五組までが検索範囲だ。
「あ、あった! カズ君も同じクラスだよ!」
「ほんとか?」
比奈が指し示すのは三組と書かれた紙だった。名簿順に書かれたそれを見ていくと、確かに俺と比奈の名前が存在した。
「比奈とはまた同じクラスか。二年の時と同じクラスメイトも結構いるな」
「ほんとよかったあ。ようやく一安心できるよ」
比奈が隣で胸を撫で下ろす。そんなに気がかりだったか。
「和晃と比奈は仲良く同じクラスか。ほんとナイスカップリングよね」
わけのわからないことを言いながら現れたのは由香梨だ。
「由香梨はどこのクラスだったの?」
「私は一組。直弘君と同じクラスだった。他の男子も結構賑やかなやつばっかりだからうるさいクラスになるわね多分。苦労しそうだわあ」
「それお前が言うか?」
男子だけで騒いでいても、内容が面白そうだったらその輪に加わってさらにやかましくするのが由香梨だ。苦労するのはどちらかというと直弘だろう。
「で、後は久志と若菜ちゃんか。あの二人のクラスは分かってるのか?」
「ああ、うん、とっても分かりやすいと思うわよ」
由香梨は呆れ顔で理系クラスの紙が張られている方に指を向ける。俺と比奈はそれにつられて視線をそちらにやる。
「やったあ! 若菜さんと同じクラスだ!」
大穴狙いで所持金を全てつぎ込んだ馬が一等を取ったぐらいのテンションでガッツポーズをしている久志の姿がそこにはあった。
久志……恋は人を変えるっていうけど、お前の場合は豹変ってレベルじゃすまされねーぞ。
「ま、まあ嬉しそうで何よりってことで」
「……私はそうはいかないけどね」
比奈が無理矢理締めようとしたところでぬっと若菜ちゃんが姿を見せる。
「……クラス替えの紙を見る前にクラスがわかっちゃった。楽しみを裏切られた気分」
その若菜ちゃんはとても不服そうでした。
「しかし改めて思うけどあんたよく理系クラス行く気になったわね。勉強の方、本当に大丈夫なの?」
「……きっとなんとかなる」
若菜ちゃんは周りから猛反対されたにも関わらず理系の道を選んだ。確かに今までなんとかなってきたけど、かなりギリギリだったし、それに理系となると久志以外は勉強を教えられないわけで。彼女の選んだ道だしあまり言いたくないんだけど……やっぱり不安です。
「私達、上手く二人ずつ分かれたんだね」
「そうみたいね。バラバラにならなくてよかったじゃない」
「……私としては久保田君とは別のクラスがよかったけど」
若菜ちゃんに関しては頑張れとしかいえない。
「ここでずっと話してるのもなんだし、新しいクラスに行こうぜ。放課後にまた皆で集まろう」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
始業式と入学式を終えて新しい自分達のクラスに戻ってきた。前回に引き続いて同じクラスになった者や一年の時に同級生だった友達と先生が来るまでの間交流を重ねる。比奈の方も女子のグループに入って楽しそうに話している。俺も比奈もこのクラスに上手く馴染めそうだ。
そうこうしていると先生が教室に入ってくる。三組の担当の先生は越塚先生。つまり俺にとっては前と同じ担任ってことになる。
「俺が担任していたクラスにいたやつも多いな。三年三組の担当になった越塚だ。よろしく」
先生は相変わらずぶっきらぼうだ。
「俺は長いのも説教するのも面倒だからさっさと終わらせたいんだが、お前らも最高学年になったことだしちょっとだけ言わせてもらおう」
前置きはいらなかったと思うんですけど、どうでしょうかね先生。
「三年生になったってことはお前らは今年受験ってわけだが、これについては耳にタコが出来るぐらい聞いたし改めて言う必要はねえよな。ま、進学じゃなくて就職目指すってやつも中にはいるかもしれないけどよ」
崎ヶ原高校は一応進学校だ。いわゆる進学校(笑)的な学力だけど。それでも九割九分の人間が進学を選ぶ。
「この一年後、お前らは全員違う道を歩むことになる。どの道を選ぶかはお前ら生徒が一人一人にかかってくる。中には自分の決めた道が険しいってやつもいるだろう。そういうのは俺ら教員に頼れ。俺達がしてやれるのは道を進むための力をつけてやることと、その道に進んでいいのかどうか相談を聞いてやれるってぐらいだ」
つまり志望校で合格するために勉強で分からないことがあったら聞きにこいってことだ。あとは志望校選びの相談にも乗るってことか。
「でも俺達がお前らに対して出来ることはそれだけだ。お前らが最終的にどの道を進むか決めるのはお前ら自身だ。選んだ道によって今後の人生が大きく変わるといっても過言じゃない。だから言っておくが、出来る限り妥協するんじゃないぞ。真に自分がやりたいことを目指せ。自分自身に嘘をついたりするなよな。素直になって、その上でやりたいことを吟味して、自分達が進む道を行け」
いつもは適当な先生だが今日はとても真面目だった。でもこういうものなのかもしれない。高校三年生っていうのは。
「ま、要するにだ。この一年はこれからの長い人生の準備期間だ。時間をかけてでもいいから自分の進路を見極めろ。以上だ。今日はこれでおしまいだ」
でも最後はやはりいい加減なのが越塚先生らしいなと思った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「それでどこ行く?」
「お腹空いたしまずは何か食べたいね」
「そういえばこの前新しいファミレスが出来たと聞いたぞ。そこに行ってみるのはどうだ?」
今日は始業式と入学式だけなので午前中で終わる。俺達はいつものグループで集まってどこかに遊びに行こうという話になっていた。
「まあ、こうしてゆったり出来るのも今だけだしな」
あと数ヶ月もしたら受験勉強を本格的に始めないといけない。こうして集まって駄弁ってる余裕なんてなくなるだろう。
「今は皆で笑いあえればそれでいいよね」
一人でぼやいたはずだったが、隣にいた比奈には聞こえていたようだった。
「そうだな。変化は必要だけど、それは今すぐじゃなくていい」
今は何も変わらないこの日々を堪能しよう。この先訪れる変化に備えて。




