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二話「最後の後始末」

 早いもので一月下旬。大きなイベントはなかったものの、ようやく戻ってきた当たり前の日常を過ごしていた。

 けれど俺と比奈が起こした問題は全て解決したわけではない。今日はそのことに関しての話し合いが行われようとしていた。

 事務所の会議室には四人の人物がいる。俺、比奈、マネージャーさん、そして河北慶だ。



「今日集まってもらったのは他でもないわ。二人に残った問題をどうにかするためよ」



 マネージャーさんを進行役に話は進む。



「最初に確認も含めて現状を説明するわ。めでたく本当の交際を始めた二人だけど、そこに至る過程が少しまずくてね。そもそも発端は比奈と河北君のスキャンダル記事だけれど、特に騒がれることもなかった些細な事よ。で、次に高城君の告白の件なんだけど……聞いてるこっちが恥ずかしくなるくらい情熱的でとてもインパクトのあるものだったのだけど、それが非常にまずい状況を引き起こしてるのよ」


「無駄に有名になってますものね。動画サイトで自分の姿を見る事になるとは……」



 どうやらあの現場を撮影してた者がいるらしく、バッチリ有名動画サイトに載っていた。コメントが流れる某動画サイトでは大百科が出来る始末。物珍しいからってそこまでしないくれ。恥ずかしい。



「その通りよ。河北君との記事がなければ問題ないし、むしろ良かったぐらいだけど……。どうして高城君がこんなことをしたのかってファンが考察して、スキャンダルの話題がここに来て持ち上がってきたの」


「特に公開恋愛に反対していたアンチがそこにつけ込んで批評の声を大きくしている。そういうことですよね?」



 河北慶の言葉にマネージャーさんは頷く。



「うう、本当に申し訳ないです」


「比奈の気持ちは分からないでもないけど、そこまで気に病む必要はないわ」


「そうそう。今回は不運に不運が重なっただけなんだから」



 と二人は弁護してくれるが、こうして集まっているのも俺達のせいだ。不甲斐ない気持ちを抱くばかりだ。



「この件に関しては俺達も経過を逐一チェックしてますが、今回ばかりは声が小さくなるのを待つしかないんじゃ……」


「……アイドル稼業っていうのはその時その時の評判が今後のことにすぐに直結する。僕みたいな役者とは違ってね」



 何も言い返すことが出来なかった。

 最近は恋に浮かれてばかりですっかり平和ボケしていた。比奈の仕事はそういうものだと最初から理解していたというのに。



「まあ、本当に何も案が浮かばないなら放置しかないけどね。手が打てるなら打っておいた方がいいと思ったのよ。……実は今回こうして集まってもらったのは私の意思じゃなくて河北君の意思よ」


「河北慶の……?」



 見ると彼はさっきまでの真面目な顔はどこに行ったのか微笑を浮かべていた。



「少し面白いことを思いついたのさ。比奈ちゃんから聞いたけど、高城君は演劇部に所属しているんだって?」


「ええ、まあ。幽霊部員ですけど」



 正直、河北慶と話すのは躊躇われた。彼が悪い人物ではないというのは既に分かっているが、いかんせん最初に持った印象が悪くてどこか取っ付きにくかった。それに加えて彼に「君と僕の仲なんだ。さん付けはよしてくれ」と初対面で言われたりしてどう対応すればいいのか本気で困っているのもあった。



「幽霊部員でも構わないさ。演技の経験があればいい」



 河北慶は一体何をしようとしているのだろう。考えが表情に出たのか彼は安心させるように笑いかけ、



「今回必要なのは僕と高城君の二人の役者だ。――僕達で一芝居うってやろう」



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 人目の少ない公園の中で作戦開始の合図を待っていた。いつもはまばらな人しかいないが、今日は何らかのイベントがあるらしく、ある時間から人が増えてくる。その時間が狙いだ。

 この作戦において第三者に見られることは必須だ。あたかも人の少ない場所で激しい言い合い――彼女を寝取ろうとした男とその彼女の彼氏という修羅場を見せつけるために。

 ポケットに入った携帯が震える。これが合図だ。建物の陰に隠れていた俺は堂々と広場に出て行く。



「やあ。君が……比奈の彼氏か」



 そこには悪い顔を浮かべた河北慶――もとい比奈を寝取ろうとした男役の彼がいた。



「話は聞いたぞ。お前が比奈を無理矢理ホテルに連れていこうとしたんだってな」


「何か問題でもあるかい? 僕は立場を利用して彼女とお近づきになろうとしただけだ」



 何事かとこちらを見てくる通行人が増えてくる。



「……彼女の同意の元なら俺は何も言わなかったよ。けど、あんたは嫌がる彼女を無理矢理連れていった。そのせいであいつがどんだけ傷ついたと思ってんだ!」



 思い出すのは十二月の記憶。河北慶と比奈が映り込んだ記事を見つけた時の感情。



「あれは一時の感情が爆発してね。済まなかったよ」


「てめえ、そんな軽い言葉で済ませるのかよ……!」


「僕は謝った。許されるはずだ。別に未遂なんだから、君にこれ以上とやかく言う権利なんてないと思うが?」


「くっ……!」



 彼は責められている側だというのに余裕の表情を浮かべている。



「むしろ僕は君が興味深いよ。何で君はそこまで怒りを剥き出しに出来る? 所詮は男女の逢瀬だ。昔から幾度となく繰り替えされてきた行為だろう」


「――そんなの決まってるだろ」



 次に思い出すのは自分の持つ恋心に気付いた時のこと。あの時の燃え上がるような気持ちを湧き立たせる。



「――俺は比奈のことが好きだからだ。生半可な気持ちで公開恋愛してるわけじゃないんだ。お前みたいにチャラチャラした奴にあいつを渡してたまるか! 覚えておけ。俺が認めない限り、誰かに明け渡しりしねえ。彼女と近付きたければ――お前だけじゃない、何者もまずはこの俺を超えてみやがれ!」



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「うん、悪くない。後は神のみぞ知る、だね」



 芝居を終えた俺達はそれぞれ違う場所でマネージャーさんの運転する車に拾われた。



「いい芝居だったよ。ただの素人には思えない。あのアドバイスが効いたかな?」



 作戦前、演技中は先月のことを思い返しながらやれとアドバイスを貰った。



「いや、あんたの演技に比べたら全然……」



 演技だと分かっていたはずなのに、目の前の男は本気でチャラい奴にしか思えなかった。それこそ演技ではないんじゃないかと思うほどに。



「まあ、こんなのでも一応プロだしね。君に劣ってたら立つ瀬がないよ」



 彼は肩をすぼめる。



「でも本当に高城君の演技は素晴らしかった。普通の人は意識して、それも人に見られながらとなると動きが固くなってしまうんだ。君はそれが一切なかった。中々出来ることじゃないよ」


「そこまで過大評価する必要はないって。とりあえず礼は言っておく」


「素直じゃないなあ」



 ははは、と河北慶は笑う。何がおかしいのやら。



「でも河北さん。本当に良かったんですか? 上手く事が運べば私達の誤解は解けるかもしれませんが、河北さんは……」



 助手席にいる比奈が恐る恐る言う。

 

 今回の作戦は先月に起きた出来事に嘘の辻褄を合わせるためのものだった。

 比奈と河北慶が映り込んだ写真は河北慶が無理矢理ホテルに連れて行こうとした。それによって傷つく比奈。彼女を元気付けるため俺はあんな突拍子もないことをした。そう思い込ませるための印象操作である。

 これならば俺達に非はなくなる。ただし全ての元凶は河北慶となり、彼だけが悪い目を見ることになる。



「別に構わない。比奈ちゃんに比べたら僕は周囲に影響されるような立ち位置とは遠いしね」


「あんたの本職は舞台の役者かもしれない。けど、一応芸能人だろ? 多かれ少なかれ、周りの人間の評価が仕事に影響するだろ」


「まあね。今回の事で役者を降ろされたなら、僕はその程度の人間だったというだけだ」


「……な!? そんなの――」


「僕は小さい頃から役者になるのが夢だったんだ」



 俺の言葉を遮って彼は彼自身の事を語りはじめた。



「そのきっかけは別に珍しいものじゃない。幼い時の僕は内気な人間でね。周りに流されてばかりで自分から行動したり、意見したりなんてことは一度もなかった。そんな僕はある時両親と一緒に舞台を見に行ったんだ。ステージの上で舞う役者を見て僕は一瞬で惹かれた。それ以来僕は役者を夢見てきたってわけだ」



 彼が役者を目指した理由は比奈がアイドルを夢見た理由と似たものだったらしい。



「だったらなおさらだろ。折角夢が叶ったのにそれを手放すようなことをしてるんだぞ」


「普通はそう思うか。けど僕の場合、この職業を目指したきっかけはそれなだけで、動機はまた違うんだよ」



 きっかけと動機が別……? 彼の言ってることはよくわからない。



「僕は演技をすることが好きだ。それは夢だった役者になれたからじゃない。僕は僕以外の何者かになりきることが好きだったんだ」


「……どういうことだ?」


「言ってる通りの意味さ。本来、人は一つの自我しか持ち得ない。どんなに理解しようとしても誰かの全てを理解するなんて不可能だ。けれど役者は違うんだ。役の数だけ意思が存在する。劇で与えられた役は誰でもない自分のものだ。かといって役には自分の意思は反映されない。僕が考える演技っていうのは、その役の人間になるってこと。通行人Aの役ならば、通行人Aを演じている河北慶じゃなくて、河北慶という器が通行人Aになっている。そう考えているんだ」



 つまり体という器と中の自我をそのまま残して、別の人間に生まれ変わる。役者はその役そのものに憑依するという認識だろうか。




「考え方は分かったけど、別の誰かになるのが好きってどういうことなんだ? 悪いけどいまいち理解ができない……」


「まあ当然さ。自分の考え方が特殊なことぐらい分かってるつもりだからね。でも好きなものは好きなんだ。だって凄いじゃないか。僕は僕という人間以外の何かになることができる。今まで見えてこなかった景色が見られるんだ。僕はその瞬間が好きなんだ。役者を目指す上で僕はその楽しさに目覚めた。ただ憧れていただけの気持ちが、本当の夢になった瞬間はその時だ。――比奈ちゃんもそうじゃないかい?」



 河北慶は比奈も同類だと言う。



「私もですか?」


「そうだ。夢には外側と内側があると僕は見ている。外側は何かになりたい、やってみたいという願望や羨望だ。子供の頃、野球選手になりたいだとかパイロットになりたいだとかの口先だけの夢だ。この外側しか持たない人間は大抵どこかで挫折する。例え夢を叶えてもそこで満足してしまう。なら内側は何だっていうけど、僕が言ったような動機だね。夢を叶えるための目的が内側だ。こういう理由があるからどうしてもこれになりたいっていう感じだね。この内側が存在するだけで意思は強固になる。はっきりした理由があればあるほどね。例え夢を叶えてもさらにその上を目指そうとする意欲がある。こちらの方が長く物事が大成する。比奈ちゃんもただアイドルになりかっただけならここにはいないよ。君は内側があるから、幾多の危機を乗り越えここにいる」


「……河北君の言うとおりかもしれないわね」



 運転しながら黙って聞いていたはずのマネージャーさんが口を出す。



「正直に言わせてもらうと比奈はアイドルに適正な性格を持ってるとは言い難いわ。けれどそんな逆境を乗り越えて比奈はアイドルになって、今も続いている」


「そういうことですね」



 河北慶がマネージャーさんの言葉を肯定する。



「私がアイドルになった動機……」



 比奈は比奈で二人に言われたことを自分で考えているらしい。



「……っと、ごめんよこんな話をするつもりじゃなかったんだが。ともかく役を演じる河北慶じゃなくて僕は河北慶が演じている役そのものだけを見てほしいんだ。そこに僕自身は関係ない。だから第三者に悪いやつって思われてても構わない。舞台の上の別人の僕さえ見てくれればそれでいいんだから」



 河北慶の考え方は俺には理解できない。しかし彼は確かなる意思を持っていて、それに従って行動している。それはとても崇高なことだ。簡単に出来るとは思えない。



「でも僕もまだまださ。若い二人にこんな説教じみた話をしてしまうなんてね。ここは二人を安心させることを言うべきだったというのに」


「若い二人ってあんた俺達と四つしか年変わらないじゃん。まだまだ若者だろうが」


「そんな細かいことは気にする必要はないさ。ノープロブレムだ」



 彼ははははと髪をなびかしてキザな演出をする。



「というわけで発展途上の二人にはこれを上げよう。今回付き合ってくれた礼と、無事恋人になった二人への祝祭を兼ねてね」



 彼が懐から取り出したのは二枚の紙だ。



「これは今度僕が出る舞台のチケットだ。君たちに是非見てもらいたい」


「礼を言うのは私達です。なのにここまでしてもらう必要は……」


「なに、謙遜する必要はない。……それでも思うことがあるなら、こう言い換えよう。君たちを助けてあげた恩人の舞台だ。見に来ないと酷いぞ」


「なんだそりゃ……」


「でもそういうことなら受け取るしかないよね」


「うん、それでいい」



 俺と比奈は顔を見合わせ、苦笑する。思わぬところで四月のデートの予定が決まってしまった。

 俺達は河北慶から差し出された二枚のチケット受け取る。


 

 ――それがこの一年の全てを決め付ける引き金になることも知らずに。





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