第五十三話:日常の演劇と秘密の視線
放課後、学校の裏門近くで交わした秘密の時間は、蓬田香織の心を、温かい幸福感と、そして少しだけスリリングな感情で満たしていた。山本嘉位の腕の中、彼の言葉、そして触れ合い。すべてが、香織にとって、彼への愛を深めるものとなった。
しかし、翌日から、学校生活に戻ると、香織は再び現実を突きつけられた。教室での「かい」は、学園のスターだ。周りには常に人が集まり、彼の周りだけ、輝きを放っている。香織は、そんな彼を、遠くから見つめることしかできない。
授業中、香織は時折「かい」に視線を送った。彼も香織を見ているだろうか。目が合うだろうか。しかし、彼の視線は、なかなか香織の方を向かない。
休み時間になると、すぐに彼の周りに人だかりができる。彼の班のメンバー、他のクラスの生徒たち。そして、桜井さんの姿も見える。桜井さんは、相変わらず「かい」に積極的に話しかけ、楽しそうに笑っている。
香織の心に、またしてもチクリとした痛みが走った。昨夜、あんなに親密な時間を過ごしたのに。彼は、今、他の女の子と楽しそうに話している。
(大丈夫…大丈夫…彼は、私のことが好きだって言ってくれた…)
香織は、心の中で自分に言い聞かせる。彼の言葉を信じよう。彼は、桜井さんのことを「大切な友達」だと言ってくれた。
しかし、香織が桜井さんの姿を見ていると、桜井さんも香織の視線に気づいたようだ。桜井さんは、香織に気づくと、フッと冷たい微笑みを浮かべた。その微笑みは、香織に明確な敵意を向けているように香織には感じられた。
(やっぱり…彼女も、私たちの関係に気づいている…?)
不安が、香織の心に影を落とす。桜井さんは、香織よりもずっと綺麗で、人気者だ。そんな彼女がライバルになったということは、これから、様々な困難が待ち受けているということだろう。
昼休みになり、香織は八重と一緒に食堂へ向かった。食堂は、相変わらず多くの生徒で賑わっている。
「ねぇ、かおり、山本嘉位とどうなったの? 昨日の放課後、会えたんでしょ?」八重が香織に尋ねる。
「う、うん…ちょっとだけ…」香織は曖昧に答える。昨夜の、裏門での秘密の時間のことは、恥ずかしくて話せない。
「ふーん…ちょっとだけねぇ…」八重は、香織の様子を見て、何かを察したようだ。八重はそれ以上追及せず、「ま、何かあったら、いつでも言いなよ!」と力強く言った。
食堂で「かい」たちの班を見つけると、桜井さんが「かい」の隣に座り、楽しそうに話しているのが見えた。香織は、心が締め付けられるような痛みを感じる。
しかし、その時、「かい」が香織の視線に気づいたようだ。彼は、桜井さんと話しながらも、香織の方を見て、小さく、そして誰にも気づかれないように、指で「電話」の合図をした。
(電話…?)
香織の心臓がドキドキと鳴る。彼は、放課後、香織に電話をくれるのだろうか。
「かい」は、香織に気づかれないように、再び桜井さんと会話に戻った。しかし、その短いアイコンタクトと、秘密の合図が、香織の心を温かくする。
学校では、二人はまるで他人かのように振る舞っている。周りの目を気にして、 openly に話すこともできない。それは、まるで演劇をしているかのようだ。しかし、その水面下では、二人の間に、強い繋がりがある。秘密のメッセージ、秘密の電話、そして、人目につかない場所での秘密の逢瀬。
学校という日常の中での、秘密の恋愛。それは、スリルがあり、そして、香織にとって、何よりも愛おしいものだった。放課後、彼から電話がかかってくるだろうか。香織は、午後の授業が始まるのが待ちきれないような、そして、少しだけ怖いような気持ちでいた。




