二百二十四 痛み分け
茂みの奥からゆっくりと姿を現したのは、あのカタリナだ。いつぞや見た通り、外見だけは人形のような美しさがある。
だが、街一つを表情も変えず焼き払ったのは、彼女だ。そのカタリナが、すぐそこにいる。
「……愚か者め」
カタリナの言葉は、彼女の視線の先に転がるはさみ少年へ向けてのものらしい。つい先程、彼はヤードに斬り殺された。
ティザーベル達が対峙していた巨漢も、カタリナ登場に固まっている。それは彼だけではない。レモが当たっていた若者もまた、驚いた様子で彼女を見つめていた。
「カタリナ……何故……」
「何故? この程度の村を焼き払うのに、どれだけの時間をかけているのか、自覚しているの?」
ちらりと隠れ里の方を見たカタリナは、秀麗な顔を歪ませる。
「小細工を……!」
ほんの少し、手を軽く払ったように見えた。ただその動きだけで、隠れ里に張った結界が全て壊されている。
「バカな! 這い出る隙もなかったはず!」
「転移か。あの婆相手の時には気を抜くなと、あれ程言ったのに」
目の前で繰り広げられるやり取りに、口を挟む事も出来ない。カタリナは、ただそこにいるだけだというのに、金縛りにでもあったように体が動かない。
そのカタリナの目が、こちらに向いた。
「お前……あの時の……」
まさか、大聖堂内ですれ違った時の事を言っているのだろうか。あの時は、今と違う格好をしていたはずなのに。
カタリナの顔は、みるみる怒りに変わっていった。
「その力。魔法を使うな? 魔法は神の教えに反するもの。お父様が排除なさるもの。それを使うお前は、お父様の敵。すなわち、私の敵」
一歩、こちらに踏み込んだと、そう思った。だが、気がつくとカタリナはティザーベルの目の前にいる。
重い衝撃が、体に走った。
「え?」
気付くと同時に、目の前を風が吹く。
「カタリナ!!」
誰かの絶叫と、よく知った者の声。
「ベル殿!!」
「嬢ちゃん!!」
「しっかりしろ!」
それらの声を遠くに聞きながら、ティザーベルの意識は遠のいていった。
◆◆◆◆
ベノーダは、目の前で起こった事が信じられなかった。声が喉から出てきたのも、意識してのものではない。
「カタリナ!!」
あのカタリナが、右腕を切り落とされたのだ。誰も反応出来なかった。ベノーダはもちろん、両腕を切り落とされたオアドも、カタリナ自身も。
背後から抱きかかえるようにして相手と引き離したカタリナは、空を見ていた視線を斬られた右腕に移す。
「あ……あああ……あああああああああ!!!」
「しっかりしろ、カタリナ! 今――」
「お父様にいただいたのにお父様にいただいたのにお父様にお父様」
「落ち着け! 今――」
「ふざけるな!! お父様にいただいたのに! その体をよくも!!」
「無駄だ! もういない!!」
「!!」
カタリナを引き離した後、少し目を離した隙に、敵はいなくなっていた。おそらく、カタリナが言っていた転移の術を使ったのだろう。
だが、向こうの魔法使いはやったはずだ。腹にカタリナの腕が貫通していたのだから。連れて帰ったところで、治療する手立てはないはず。いずれ死ぬ。
「だから、今回の仕事は失敗という訳では――」
「そんな事があるか!」
腕を切り落とされて、痛みもあるだろうに、カタリナは敵憎しのあまりか声を荒げる。
「お父様からの命令は、マレジアを殺せとあったのだ! それが、マレジアどころかやつの仲間すら一人も殺せなかった! こんな結果で、お父様が満足なさるはずがない!!」
「教皇聖下だって、わかってくださる。こっちも、スニがやられてオアドも多分……」
言い切るのは、さすがのベノーダにも苦しい。視界の端に映る彼は、肘から先をなくして、流れる血に顔色も相当悪い。このまま聖都に連れ帰っても、生き残れるかどうか怪しい。
何より、教皇から賜った聖魔法具をなくしたのが大きい。切り取られた彼の前腕は、いつの間にか消え失せている。あれが敵の手に渡ったのなら、少々厄介だ。
だが、今は何はともあれカタリナを無事聖都まで連れ帰らなくては。応急の止血はしたが、すぐに治療を受けないと彼女の命も危ない。
「戻るぞ」
「離せベノーダ! 私は――」
カタリナの言葉を聞いている暇はない。緊急用に与えられている使い切りの聖魔法具を使い、文字通り聖都へと飛んで帰る。
一体、マレジアという者は何者なのか。彼女を狙ったせいで、仲間を二人もなくす事になるとは。
この上、カタリナに何かあったら。
「頼むから、もってくれよ」
ベノーダの呟きを聞く者は、誰もいなかった。
◆◆◆◆
深い眠りから意識が浮かび上がる。ああ、自分はいつの間にか寝ていたのか。そう実感して、重いまぶたを開けた。
「! ベル殿!! 目が覚めたのか!?」
泣きそうな声が聞こえるけれど、本人の姿は見えない。
――あー、なんか寝過ぎでまぶたが重い感じ。よく見えないや……
それでも何とかこじ開けて周囲を見ようとするけれど、よく見えない。どうやら、頭が動かないらしい。
声を出そうにも出せない。一体、自分はどうなっているのか?
「嬢ちゃん! 目が覚めたって!?」
「大丈夫か?」
レモとヤードの声だ。二人とも、心配そうな声をしている。
――……心配? そういえば、なんで私、こんなところで寝てるんだ?
明るい室内をぼんやり見ながら、こうなる前の事を思い出す。確か、マレジアからヘルプコールが来て、隠れ里へ行って、それで――
「! 思い出した!!」
声を出した途端、咳き込んだ。苦しいけれど、おかげで体が動くようになった気がする。
起き上がって見回すと、そこは白一色の部屋だ。円形の部屋の中央にベッド。そこにティザーベルは横たわっていた。
部屋の上の方には、こちらをのぞき込める窓がぐるりとついている。医療施設みたいだなあ、と思って、そういえばここは病院か、と思い至った。
そっと腹部をなでてみる。痛みはない。まくって見てみたいけれど、上の窓からのぞき込んでいる存在が気になる。
「主様のお体に、傷跡など残す訳もありませんわ」
そう軽やかに笑うのは、いつの間にか側にきていたティーサだ。では、あの場でカタリナによって腹に風穴を開けられたのは、本当の事だったのか。
「よく生きていたなあ……」
「向こうに気付かれず、私がご一緒しておりましたので」
「じゃあ、ティーサのおかげなんだね。ありがとう」
「恐れ多い事でございます」
詳しく聞くと、カタリナに攻撃を受けた時点で、傷口の消毒、止血その他諸々、魔力のみで出来る事はティザーベル自身の魔力を使って行っていたそうだ。
その甲斐あって、地下都市に移動してからの治療は割と短く済み、後遺症などもないのだとか。
「そういえば、ここって……」
「一番都市の医療施設です」
「そう。もう、起きても平気かな?」
「問題ありませんよ。主様は、ここで丸三日は寝ておられましたから」
「そんなに? ……そういえば、マレジア達は?」
「本来でしたら十二番都市へ移動願うところですが、あちらにはまだエルフ達がおりますので、空いている五番都市へ案内しています」
パスティカは、マレジアに捕まって向こうの案内をさせられているらしい。ヤパノアも、隠れ里の全員を五番都市へ移す為に、隠れ里のカモフラージュに尽力してくれたのだとか。
何はともあれ、マレジア救出という今回の依頼は何とかこなせた。そして、異端管理局と当たった事で、今後も自身の課題も見えてきたというものだ。
「次は、勝つ」
誰に聞かせるでもなく、ティザーベルは呟いた。




