第三十九話 よし、戦争しよう その六
アリシア国軍本陣。
穏やかに微笑む王妃は馬車を背にして、死肉の魔女と相対していた。
全ては第一スキル『千里眼』が『視た』可能性の一つに沿って進行している。『運命』の解放、そこから派生して誇りある滅亡に至るルートを構築しつつあった。
現在右翼と中央は精神的柱たる第四、第五の王女が無力化あるいは瀕死状態のために崩れる寸前。左翼は未だに戦線を維持できてはいるが、右翼と中央が崩れてしまえば、数の暴力に呑まれてしまうだろう。
唯一の支えは王妃のみ。
逆に言えばここが『わざと』崩れてしまえば、アリシア国軍の敗北は確定することだろう。
馬車の近くにいる第七王女セルフィーが予期せぬ『運命』の前の滅びの予兆、迫る破滅を前にすれば、どれだけ嫌がっていようとも『運命』に手を伸ばすはずだ(そのために後方に王妃が具現化した風系統と炎系統の魔法が干渉している馬車を控えさせている)。
せめて被害を最小にしたいセルフィーにとって、予測できない破滅ほど怖いものはない。そうなるくらいならば安易な救いに手を伸ばす。なぜなら、伸ばしたならば『とりあえず』は侵略を阻止できるのだから。
そうして『運命』を解放、世界に開示することでルート構築の条件は揃う。後は『わざと』敗北した王妃が魔女やヘグリア国軍を壊滅してやればいい。その結果戦に勝てる未来は『視えて』いるのだから。
だから、
「第三スキル『極ノ刃』抜剣」
ブォン!! と王妃の右手に白銀の刃が具現化された。鞘どころか柄すら存在しないその力は『斬る』という現象を極限まで研ぎ澄ました絶対両断の概念。
第一スキル『千里眼』であらゆる可能性から選ばれる未来を予測、第二スキルで敵の力を認識・消去し、第三スキルを叩き込む。予測された未来の中でもがく標的は必ずや斬られることが確定している。
とはいえ、今はまだ勝つ時ではない。
『運命』が解放されるルートを見通し、その通りに『わざと』敗北する必要がある。
「一つだけ聞きたいことがあるにゃー」
「なにかしら?」
「どうしてレッドフィールド家は貴族の最高峰たる四大貴族の堂々たる一角なのに『男爵家』なのかにゃー?」
どこかズレた問いかけだった。
なぜ、この場面で、四大貴族の話題に飛んだのだ?
いいや。
もしもこれが地続きの話題だとしても──こんな未来は見えていない。
「……王がそう定めたからですわ。誇りある獣人の血は亜種族と人類とが共存を果たした象徴だと。その誇りある血を繋げるレッドフィールド男爵家には貴族に相応しい位が必要だと。そう仰ったからこそ──」
「本当にい?」
ぐちゃり、と。その唇を歪め、引き裂き、腐敗した肉を千切りながら、死肉の魔女は笑う。どこまでも醜悪に、どこまでも悦びに満ちた笑みを。
「王がどういった理由で『それ』を隠したのか、私にはさっぱりわかんないけど、王妃様だって違和感はあったはず。レッドフィールド男爵家もそうだけど、本当にその『千里眼』は全てを見通せるのかにゃー? 例えば、そう、『何か』見通せなかったものだってあるよねー?」
「確かに物事には予想外の事象も存在するものです。定められた未来から外れることだってあるでしょう。ええ貴女の仰る通り何度か『視えなかった』こともありました。ですが、それがどうしたというのです? そのような誤差、修正すればいいだけです。一度のズレで未来が大きく変わると思ったら大間違いですよ」
現に何度かあった『視えていなかった』事象が大局に影響を及ぼしたことはない。その都度新たな可能性の中から最適の未来を選び、確定させてきた。
少しズレたところで意味はない。
絶対的な力で押し流すだけだ。
「そうそう、一つ言っておきたいんだけどさー。私には相手の力の性質を解析するスキルを授けられた同僚? 上司? まーとにかく同じ枠組みの無表情女に話を聞く機会があってさー」
「何を……」
「そいつが『あの時』王妃の力を分析してくれたんだよねー。いやあ、『呆れていた』もんだよー」
笑う、笑う、笑う。
まるでこれまでの全てが盛大な『演出』であったと告げるように。
──左手の人差し指を立てる魔女。
「第三スキル『極ノ刃』は斬るという現象を突き詰めた力。その刃はあらゆる事象を切断する……というよりも、物理的に斬れるのはなんだって斬れるってだけにゃー。現に空間や概念や亜空間内に存在する『そのまま』の魂みたいな物理的な力『以外』も必要な分野については斬れないみたいだし? ついでに言えば魂を『そのまま』この次元に引きずり出すのは普通は無理だけど、私のスキルを使えば可能だったりして」
魔女は王妃のスキルについて第三まで聞いていた。そのくせ第九章魔法が消去された際に驚いたように『演出』していた。
なぜか?
そんなの決まっている。
──今度は中指を立てる。
「第二スキル『根絶看破』は害意ある力を認識することができれば消去できる……というよりも、我々が存在するこの次元に存在を許される力の源泉を遮断するって感じにゃー。魔法や魔力みたいにこの次元に召喚を許された加工物ではない、亜空間に存在する『そのまま』の状態の魂を直接消去はできないみたいだし?」
死肉の魔女の行動原理は一つ。
甘美な殺しを味わう、それだけを追求しているのだ。
──最後に薬指が立てられる。
「第一スキル『千里眼』はあらゆる未来の可能性を見通す……というよりも、人間が紡ぐ可能性を見通すスキルにゃー。だからアリシア国内のほとんどの住民やあくまで人間から派生した私の動きは読めたけど、根本的に人間とは異なる獣人の未来は読めないみたいだねー。だから獣人に関する問いを予測できなかったはずだし、ヘグリア国が第一王女を要求した理由も分からなかったはずよ。なぜならどちらも『人間ではない』獣人が関与していたからねー」
それがどうしたのです、と。
そう問いかける寸前の出来事であった。
ぐぢゅり!!!! と。
ヘソから生えるように細い腕が突き抜けた。
「あ……?」
後ろから貫かれたのだという結果は分かる。だが、なぜこうなった? 王妃には有限の未来が『視えて』いる。どのような未来を辿ろうとも、こんな結果は訪れないはずなのに。
「第一スキルは人間専用の未来予測スキル。ゆえに黄泉の収束点たる我が主より生み出された『人間ではない』私の行動までは予測できません」
それは感情が読めない無機質な音の羅列であった。そう、それはまさに使者としての来訪が『視えなかった』──
「第二スキルは害意を認識する必要があるため、感知される前に仕掛ければ効果を発揮しません。第三スキルはただの刃です。第一スキルでこちらの動きを予測できるのならば有効打を決められたでしょうが、前述の通り私には効果を発揮しないため当てることは困難でしょう」
「あ、ぐぁ……!!」
「まあ、色々言いましたが、結論は一つ。定められし『運命』などに縛られるほど『魔の極致』は甘くないということです」
ぶしゅう!! とガラスが割れるように王妃の肉体がひび割れた。腹部を貫く腕から迸った力の奔流が肉体内部を荒れ狂い、肉が裂け、骨が砕け、内臓をかき乱したのだ。
「にひ☆ にひゃははははは!! 未来は見えてるから、負けはないって? 全ては王妃様の掌の上だってえ? それはちっとばっか力を過信しすぎだよねー! は、はふ、はうう。その顔さいっこう!! 負けるとは思わなかったよねー! 傲慢に自信満々に世界は自分の意のままだと思い込んでたよねー!! そういうのを踏みにじる瞬間がそそるんだにゃー。そのためなら一番美味しいところを譲ったって構わな、ふひ、ひは、にひひひひひ!!」
「まだ……せめて、誇りある滅びまで、未来を……っ!!」
「どうせ滅ぶなら私の悦びのために死ねって話だよねー」
ギヂィ!! と『極の刃』が力強く握り締められ──死肉の魔女の腹部を内側から破る光の球体。魂を『そのまま』引きずり出し、死肉の中に詰め込んだ魔石に収納していたのだろう。
砕かれた。
光の一撃が刃と激突し、そのまま粉砕したのだ。
「……ぁ……」
ずぼっと腕を引っこ抜いた途端に支えを失い崩れ落ちる王妃。肉体内部へと炸裂した力の奔流、そして頼みの綱の『極の刃』の破壊。
積み重なる悪意が最強を崩す。
アリシア国最強の女が呆気なく見えるほどに圧倒され、『わざと』などという冠をつけることもなく敗北した瞬間であった。
「所詮は人間ですね」
ダークスーツの女。
『魔の極致』が六席、ファクティス。
死肉の魔女を末席扱いするほどの怪物は王妃を下したというのに、その表情に変化はなかった。
王妃を貫いたことで血だらけになった腕を軽く振り、こびりついた液体を払う。
「お、母様……?」
馬車の近くで騎乗したまま呆然と呟く第七王女。あの王妃がこうも呆気なく敗北した。致命傷だ、あんなのすぐにでも死んでしまうほどに明白な損傷だ、腹部に風穴を開けて生きていられるわけがない。
つまり、なんだ、これは?
『運命』はどこにいった? 今回『は』まだなはずだ。定められし破滅の時、約束された滅亡『まで』はアリシア国は存続しているはずだ。
本当に?
ここまで致命的に追い詰められた現状から、どうやって逆転できるというのだ???
「お母様っ!!」
思わず馬から飛び降りて、駆け寄ろうとして、しかし制止するように周囲の騎士が動き──ザザンッ!! と銀が舞う。第七王女を中心として周囲数十メートルに存在する騎士の首が一斉に斬り飛ばされたのだ。
ぶしゅう!! と盛大なパレードでも連想させる赤の噴水の数々。サイケデリックな光景に第七王女の足が止まる。
恐怖に身がすくむ。
正面に存在するは無表情女。使者としてやってきた死肉の魔女に同伴してきた女にして、あの第五王女ウルティアがいながらセルフィーとミリファを人質にとってみせた超高速戦闘の担い手。
距離にして十メートルあるかないか。
こんなのすでに無表情女の間合いである証拠に第七王女セルフィーを止めようとした騎士たちは一瞬で片付けられた。
「く、そが!!」
「ふざけんなよ、次から次によ! こんなのどうしろってんだあ!!」
「喚く前に動け! せめて第七王女様だけでも守るぞ!! これ以上騎士の使命を穢してたまるか!!」
とはいえここはアリシア国軍の本陣だ。騎士はいくらでも押し寄せてくるから──いくらでも殺せた。
ザンゾンザザンッ!! と無表情女が持つ細身の剣が舞う。目にも留まらぬ速度、そんな陳腐な表現を極限まで突き詰めた先に位置する怪物が騎士たちの命を刈り尽くしていく。
「やめ、て……やめてください! もうこれ以上誰も殺さないでくださ──」
「にひ☆ それはちっとばっか甘ったれてないかにゃー? これ戦争だよ? 受けて立ったならば、犠牲は許容しないと」
「……っ!!」
「というわけで素敵に哀れに盛大に! 死んじゃおっか、第七王女様あ!!」
腐敗した左手が向けられ、そこから迸る風の槍が一直線に第七王女めがけて放たれた。
ーーー☆ーーー
少し前、ミリファはファルナを膝の上にのせてぼへーっと天井に浮かぶ火の玉を見つめていた。ふんわり柔らかな風に補強された壁に片耳を押しつけるような形で座っている形だ。
風で補強された壁は素手で破壊できるほどではない。壁に使われている材質そのものはかなり薄く脆いものなので、お守り代わりに持ち歩いている魔石を叩きつけるだけでも破ることができそうだが、件のふんわり加工が邪魔している形である。これがあるから壁を壊すこともできないし、外に助けを求めようにも声が届かない。
と。
ガツンと耳が壁に叩きつけられた。
そう、間に存在していたふんわり加工が消失したのだ。
「いったっ。なん、なに?」
合わせるように天井の火の玉も消えていた。
風と炎の超常の消失。つまりは力を維持する必要がなくなったのか、維持できなくなったのか、ともかく邪魔な防壁がなくなったことは確かである。
「お、おおっ! やった、これで脱出でき……ん?」
風の防壁は消えた。
つまり声を漏らさない仕組みが消失したということで、もっといえば外の声が中に届くようになったということだ。
だから。
だから。
だから。
ーーー☆ーーー
「というわけで素敵に哀れに盛大に! 死んじゃおっか、第七王女様あ!!」
腐敗した左手が向けられ、魔法陣が展開。そこから迸る風の槍が一直線に第七王女めがけて放たれた。
風の槍が第七王女セルフィーの胸の中心を貫く、その寸前の出来事だった。
「死なせてたまるか、こんにゃろーっ!!」
バギィ!! と彼女の後ろにある馬車が内側から壊され、そこから飛び出した小柄な少女が第七王女を押し倒した。
ゴッォ!! と頭上すれすれを槍が通過する。何本か小柄な少女の髪が吹き飛んだが、被害といえばその程度であった。
その少女はメイド服を着ていた。
その少女は黒髪黒目と大陸でも珍しい容姿だった。
そして。
その少女はミリファという名であった。
「み、ミリファさま!? どうしてここに!?」
「ちょろっと拉致、監禁されててさ。正直けっこーキツかったけど……そのお陰でセルフィー様の危機に間に合ったんだし、監禁された甲斐があったってものだよ」
「ミリファさま……」
「って、何言ってるんだろ。一人逃げ出した私にそんなこと言う資格、ないのに」
「……え?」
表情を苦しそうに歪めるミリファは、しかし切り替えるように首を横に振る。押し倒した形のセルフィーの手を取り、起こしてから、馬車の中からおっかなびっくり顔を覗かせるファルナを見つめ──そして、正面のトラウマへと視線を移す。
「これはまた『演出』過多だねー。ミリファちゃんは別口でじっくりコトコト煮詰めて殺すつもりだったんだけど……こちとら興奮しきってるからさー。我慢できそうにないんだよねー」
「っ……!!」
じりっと後ずさるミリファ。
死肉の魔女の存在は気づいていた、その声は聞こえていた。それでも、分かっていても、駄目だった。
その手を握った第七王女、そして背にはファルナ。失いたくない存在が二人もいて、それでも心の中は今すぐ逃げ出したいと叫んでいた。
ああ、だけど。
本当にそれがミリファが望む『答え』なのか?
もちろん恐怖はあるだろう。
もうあんな怪物には会いたくもなかっただろう。
だが、後悔したではないか。第七王女が帰っていいと言ったから、そんな理由では納得できないくらい自分を責めて、もう友達になりたいなんて『言えない』と思ったではないか。
それは、なぜだ?
本当に逃げ出す『まで』が最善の答えならば後悔なんてしないはずだ。もちろん失うものだってあるのだから引きずりはするが、最終的にはこれで良かったと締めくくることができたはずだ。
では、なぜ後悔した?
決まっている、あれでは駄目だったからだ。
あんなのミリファが本当に望んだ『答え』ではなかったのだ。
ならば、本音はどこにある?
周囲の意見なんてどうでもいい。責任だの常識だの定説だのを汲み取った、誰かに認めてもらう形になんて整える必要はない。
例え後ろ指を指され、周囲の人間に責められ、国を見捨てるような選択肢であろうとも、関係ない。どこかの誰かなんて知ったことではない。そこまでミリファは背負えない。
そう、本質的にはただの村娘でしかないミリファが背負えるのなんてちっぽけなものだ。それでも、せめてこれだけは守りたいと強く願う。そのためなら死の象徴から逃げ切れる確率を引き下げたとしても──背負うしかないではないか。
本当に、心の底から絞り出した、誰に取り繕うでもないミリファの『答え』は──
「セルフィー様、ファルナちゃん! 逃げよう!!」
未だ馬車の中のファルナを逆の手で引っ張り出して、そのまま死肉の魔女に背を向けるミリファ。全力で駆け出し、逃げ出したのだ。
『答え』なんて決まっていた。
セルフィーを置いて逃げ出したのだと、そんな自責の念で壁を作り、離れるなんて嫌だった。ならば共に逃げればいい。第七王女という立場なんて無視して、踏みにじって、己の感情を押しつける所業だろうが、関係ない。
『大きな枠組み』はこれを善とするか悪とするか。セルフィーに才能がないからと無能の烙印を押し、蔑むことが当たり前な世論は王族の立場で敵に背を向けるなど誇りを穢す行為だだの庶民の感情で王族が果たすべき義務を妨害するなだの『大きな枠組み』にとっての正しさで非難するかもしれないが、知ったことではない。ミリファはセルフィーが欲しいのだ、仲良くなりたいのだ、死んでほしくないのだ。
だったら、逃げてしまえ。
そうすればこれからもずっと一緒にいられるのだから。




