問題児は廊下に立つべし(前)
■■■
「はい、どうもー! 蒼空遊星でーす!」
バズる、という言葉がある。短期間で爆発的に話題が広がり、多くのユーザーから注目を集めることを意味する。流行、流行る、ブーム、ホット、等、様々な言い回しがあるが、要するに大衆の興味を引くことである。
日常生活ではありえない怪奇に遭遇する冥道めいの配信は世間を賑わせ、多くの人に関心を抱かせた。そしてバズリにあやかろうと試みる模倣者が現れるのは自明の理であった。具体的には、心霊スポットや怪奇現象が起こったと噂される場所にUdol達が集うようになったのだ。
蒼空遊星もまたその一人であったが、彼の場合他の者たちと一つだけ異なる点がある。それは冥道めいの配信から幽幻ゆうなのマンションの在り処を突き止め、それを生配信していることだ。
「というわけで俺っちは某人気Vtuberの住むマンションに来てまーす。何か色んな噂を聞くし、それっぽい配信もあるっぽいんだけど、それが本当か確かめに行くんで、よろしく!」
真夜中に背景にモザイクをかけて場所を特定されないよう工夫していた冥道めいと異なり、明るい昼間の環境でマンションがはっきり見える背景そのままな映像。もはや幽幻ゆうなのマンションに話題目当ての者たちが集うのは時間の問題だろう。
それでも今は蒼空遊星が一番乗りだ。正確には冥道めいや、彼女以前にライブではない動画撮影に来て帰らぬ人となったUdolもいるのだが。蒼空遊星こそが便乗一番乗りという事実に変わりはない。
「はい、エレベーターに乗り込みました。これで某人気Vtuberが住んでる階に行ってみますか。つーか、エレベーターで同じ操作してるのに違う階に行くとかありえなくね? リアルタイムで映像いじってるよね彼女」
蒼空遊星は別に冥道めいのファンではない。そのため彼女のプロフィールなど知る由もないし、どうしてエレベータ操作パネルのセンサーに手をかざしていたのかも分からない。故に、蒼空遊星が目的とする幽幻ゆうなの住むフロアにたどり着けるわけもなかった。
着いた先は一見すると普通の居住階だった。蒼空遊星は何のためらいもなくエレベーターから降りて、エレベーターホールから左右に伸びる廊下を眺める。しかし彼の視界に入ってきたのは、エレベーターホールに貼られた注意書きだった。
・廊下を走るべからず。
・廊下で大声を出すべからず。
・廊下に私物を置くべからず。
・廊下に落書きをするべからず。
・廊下を汚すべからず。
・廊下で遊ぶべからず。
・廊下は左側通行を心がけて譲り合いましょう。
・違反者は廊下に立ってもらいます。
「何か当たり前のマナーが書かれてるけど、廊下に立たせるって学校かよww。もしかしてコレ守らない連中でもいるのかな? そう言えば俺っちもガキの頃は団地ドロケイとかしたなぁ」
生配信が盛り上がるように雑談しながら廊下を歩く蒼空遊星。すると向こうから住人らしき乳母車を押す女性が来たので、彼は注意書きの通り左側に寄った。互いに「こんにちは」と挨拶を交わして通り過ぎる。
廊下には各部屋の扉が並び、カーペットや壁紙等、ホテルを思わせる豪華な作りとなっている。これは冥道めいの配信でも公になっていたが、一点だけ異なる点があった。扉とは反対側の壁に起立する人の影絵が複数描かれていたのだ。
「何だ? このトイレの男マークみたいな棒人間達が並んでるの。前衛的アートにしちゃあ趣味悪すぎっしょ。芸術作品だったらもうちょっと物語性があるべきだよな」
何も盛り上がりのない散策となっていたその時だった。廊下の向こう側の部屋の扉がゆっくりと開いていく。プライベート空間が配信に映らないようカメラマンにカメラを下げさせ、そのまま素通りしようと歩行を続ける蒼空遊星。
扉の向こうは真っ暗だった。
まだ昼間で、廊下の照明も灯っている状況下で。
まるで全ての光を吸収する濃い黒い霧がこもっているかのように。
「……は?」
蒼空遊星のトークは中断した。それどころかいつの間にか足も止まっていた。
目が釘付けになって離れない。
何かがおかしい、何かまずい。分かっていても金縛りにあったように動けない。
リスナーも蒼空遊星の様子が変だと気づき、コメントが不安に彩られる。
暗黒の中から、真っ白な手が伸びてきた。
血が通っていないとしか思えないほど青白く、骨と皮だけで肉が無い細い腕だ。
次に暗闇から出てきたのは顔だった。
血の気が引き、髪が振り乱れて垂れ下がり、死んだ魚のような濁った瞳だ。
ソレは少年のように見えて、少女のようにも見えた。
ソレは口を開いた。口の中は墨を含んでいたかのように真っ黒だった。
「ひっ、あ、あ……!」
途端に廊下の照明が点滅しだした。
もはや蒼空遊星達の恐怖は限界に達した。
「う、うわああぁぁっ!」
大声を上げて走り出したのはカメラマンの後ろに控えていた蒼空遊星のマネージャーだった。彼は得体のしれないソレから逃げるように駆け出した。蒼空遊星達のことなどまるで意に介さず。
そう、廊下で大声を出し、廊下を走った。
「はぁ!? おい、ちょ――!」
怒ろうと声を上げた瞬間だった。突然マネージャーから一番近い部屋の扉が勢いよく開き、無数の手が伸びてきた。それらは瞬く間にマネージャーの頭、腕、脚などを掴むと、そのまま部屋の中へと引きずり込んだのだった。




