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この度、公爵家の令嬢の婚約者となりました。しかし、噂では性格が悪く、十歳も年上です。  作者: 飯田栄静@市村鉄之助
三章

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8.オリヴィエ・アルウェイの憂鬱1.



 ジャレッドを送り出したオリヴィエは、どこかで他人を信用しない婚約者の身を案じると同時に、もっと自身のことを大切にしてほしいと憤りを覚えていた。

 彼の経歴を調べて知っているため、他人を信用できないのはわかる。

 母が殺され、家族とも不仲。祖父と伯父、従姉妹などの限定した人間なら甘いと言えるほど親しいのだが、その一方で他人とは距離がある。

 もちろん、オリヴィエもジャレッドと距離感があることを自覚していた。

 無理もない。まだ知り合って一ヶ月も満たない。婚約者としてお互いを知ろうと努力したわけではなく、彼が一方的に自分と家族を守って怪我を負ってしまった。大切な従姉妹を巻き込み、やはり危険な目に遭わせてしまった。

 罪悪感はあるため、いまいち距離を縮めることができない。

 今まで他人を拒絶して生きてきたオリヴィエは、同じように他人と距離が開いている。親しい人間は、母とトレーネくらいだ。最近ではイェニーともだいぶ打ち解けることができたのは嬉しいことだ。そのせいかジャレッドに親近感を勝手に抱いている。

 でも、それだけ。

 オリヴィエは一定以上の距離をジャレッドと縮めることができないことを悩んでいた。

 正直言ってしまえば――怖いのだ。

 そして、同じくらいにどうすればジャレッドと近づくことができるのかもわからない。

 なによりも、まるで自分たちの仲を裂こうと言わんばかりに厄介事がやってくるのだから、やってられないと思いたくなる。

 できることなら彼と手を繋いでどこかに出かけてみたい。街でもいい。一般的な恋人がするように腕を組んで目的もなく歩いてみたい。

 しかし、立場が許してくれない。

 公爵家令嬢という立場もそうだが、今まで母を守るために強くあろうとしていた。従姉妹のエミーリア・アルウェイが流した悪い噂を利用して、近づく者を悪女のように排除した。

 恨まれているだろう。しかし、権力目当てで近づいてきた者たちなどどうでもいい。

 数年前、この屋敷に母と二人で生活を始めることになったときから、どんな手を使っても家族を守ると決めていた。そのためには手段を選ばないとさえ決意していた。

 ジャレッドは知らないだろう。自分たちに近づく者を秘密裏に排除してきたことを。噂を利用して自分と母を陥れようとする者をどれだけ潰してきたかも。


 ――オリヴィエ・アルウェイが、ジャレッド・マーフィーが命を賭して守る価値のない女であることを、決して知られたくなかった。


 いつか彼にばれてしまうかもしれないが、そのときまでオリヴィエは母を守りたい健気な女性であり続けたい。

 わがままだと承知でそう思っている。そして、そんな自分があさましく思えてならなかった。


「オリヴィエお姉さま」

「あら、イェニー。どうかしたのかしら?」

「あの、お姉さまとわたくし宛てにお手紙が届いているのですが、その、またです」


 はぁ、と思考を中断してオリヴィエはため息をつく。


「また嫌がらせの手紙なのね。誰だか知らないけど、飽きもせずによくも、こう何度も何度も送ってくるわね」


 困った顔をするイェニーから封筒を受け取る。彼女が持ってきている以上、トレーネが危険物がないことは確認済みであるとわかっている。

 本当なら読まずに捨ててしまいたいが、悪意ある文章もまた敵を知る証拠なので目を通さないという選択肢はない。


「わたくしだけならいざしらず、イェニーまで対象になるなんて……誰かがどこかで情報を漏らしているとしか思えないわね」


 イェニーが側室になるために屋敷にやってきてまだ日が浅い。しかし、彼女にももう何通も嫌がらせの手紙が届いている。

 ジャレッドの正式な側室になったわけではないイェニーは、あくまでも将来的にということで、現在はいずれ正室となるオリヴィエのもとで行儀見習いという名目で暮らしているのだ。

 にも関わらず、イェニーが側室になることを知っている誰かが悪意ある手紙を送ってくるのだ。

 おそらく、アルウェイ公爵家かダウム男爵家に、悪意を持つ誰かと内通している者がいるのだとオリヴィエは考えている。


「やはりまた同じような内容なのでしょうか?」

「そうでしょうね。嫌になるわ」


 すでに封が切られている封筒から手紙を取り出し内容に目を通す。


『ジャレッド・マーフィーとの婚約を解消しろ』

『魔術師として優れた人間を公爵家が囲うな』

『魔術師は魔術師と結婚するべきだ』

『魔術師の血を一族に欲しがるなど、恥を知れ』


 いつもと変わらない内容に、オリヴィエは嘆息した。


「たまには違うことを言えないのかしら」

「……お姉さま」

「あなたへの手紙も同じ内容かしら?」

「はい。お兄さまの側室になるな、と。他には魔術師は魔術師と結婚して優秀な血を残すべきだとありました」

「もう飽き飽きしてしまうわ。いっそ脅迫でもしてくれれば思いきり敵対してあげるのだけど、この程度ではそういかないのよね」


 オリヴィエも馬鹿ではないし、世間知らずではない。

 魔術師の血がどれだけ重要かもわかっている。

 意図せずともジャレッドと婚約者になったことで、世間からアルウェイ公爵家が家臣の優秀な魔術師を一族に取り入れたのだとみられていることは理解していた。

それも、悪い噂がつきまとうオリヴィエ・アルウェイの結婚相手として。

 魔術師を崇拝する者たちや、取り込みを考えている者たちからすれば、もっといい条件でジャレッドを一族へ招きたいという声は決して少なくない。

 実際、ジャレッドをもっといい待遇で一族へ迎える準備ができているという打診がダウム男爵にあったし、アルウェイ公爵家にも一族の優秀な男を婿に出すのでジャレッドを手放してほしいという声もあったらしい。

 このような話はオリヴィエが婚約者だからではなく、ジャレッドだからでもない。

 貴族ほど一族に魔術師の血を取り込みたいと思っているのだ。最近では、力ある商家も同じように魔術師を求めているらしい。

 そのため、魔術師協会は魔術師が取り込まれないように目を光らせているのだが、その魔術師自身が権力を求めて受け入れてしまうので頭を悩ませていると聞いている。もしかしたら、魔術師協会にも貴族と繋がり情報を提供するものだっているかもしれない。


「イェニー。このことをジャレッドに言わない約束は覚えているわね?」

「もちろんです。お兄さまにこのようなことが伝われば、きっとお心を痛めてしまうでしょう。なによりも、忙しいお兄さまの手をこのような嫌がらせ程度で煩わせたくありません」

「いい心掛けね」


 気丈な子だと感心する。

 オリヴィエが知る一般的な貴族の子女なら、脅迫ではなくとも嫌がらせの手紙を受ければ怯えるはずだ。

 だが、イェニーは違う。怯えることはなく、立ち向かおうとしている。

 彼女が武力を持っていることは先日知ったが、戦う力があるから立ち向かおうとしているのではない。ジャレッドへの想いが強いからこそ、嫌がらせに負けるものかと思っているのだ。

 そして、その気持ちはオリヴィエも同じだ。なによりもイェニーに負けたくないと思っている。

 イェニーの方がジャレッドを想っていた時間は長いかもしれない。オリヴィエは彼のことをイェニーほど知らないのもまた事実だ。

 だからといって、偶然与えられた婚約者という立場にあぐらをかくきは毛頭ない。


「これからどうしますか?」

「今は放置でいいわ。この手の嫌がらせはエスカレートしていくはずだから、そうすれば犯人の尻尾もつかめるでしょう。もどかしいかもしれないけれど、今は耐えてね」

「わかりました。ですが、もし――武力が必要になったら遠慮なくお声をおかけください。わたくしは、お兄さまのために、お姉さまたちのために剣を振る覚悟はできています」

「ありがとう。でも、今はそう気負わなくてもいいのよ。さあ、お母さまのところでお茶にしましょう。今日はプファイルがいないから、きっと寂しがっているわ」


 貴族の中には率先して魔術師を取り込もうとしている一族は珍しくない。

 特に代々魔術師を輩出している家は、より優秀な魔術師を迎えたがる傾向が強い。

 そのような一族は、魔術師至上主義であるため公爵家だろうと突っかかってくる場合がある。

 現状では誰が嫌がらせをしているのか皆目見当はつかないが、いずれ嫌がらせは脅迫に変わり、そして実力行使となる可能性もある。

 魔術師と非魔術師が結婚しようとすると、だいたいこのような揉め事は起きるのだ。

 だが、言うまでもなくオリヴィエはこの一件をジャレッドに伝える気はない。

 これは女の戦いなのだ。ジャレッドが魔術関連になるとひとりで抱え込むように、オリヴィエもまたひとりで抱え込もうとするのは似ていた。


 ――絶対にジャレッドを渡すものですか!


 貴族社会に身を置くため、彼に側室や愛人が増えることに抵抗はない。

 例え母が側室に命を狙われたからとはいえ、貴族とはそういうものだと割り切れる教育をされている。

 正直に打ち明けるならば、ジャレッドを独占したいという想いは強い。

 しかし、出会ったときに彼に告げたように、自分が認めた相手なら側室も許せると思えてしまうのはやはり貴族社会に染まっているせいだろう。

 貴族とは例え爵位が低かろうと、成り上がりだろうと、次の世代を残すことが大事である。

 すでにオリヴィエとジャレッドの間に子供がいるのなら、また違った選択をするかもしれないが、未だ子供ができるほど近しい関係ではない。

 お互いに大切に想いあっていることはわかっているのだが、その先に進めないのが不満だった。

 無論、まだ恋愛に対する経験値が少なすぎるオリヴィエにとって、ちょうどいいのは確かだ。しかし、もしかして自分に女としての魅力がないのではないかと不安もある。

 つまり、オリヴィエは自分に自信がないのだ。

 そして、年齢差が十歳も離れていることも気になっている。

 考えだしたらきりがないのだが、良くも悪くもこれからもジャレッドのことを想い、右往左往してしまうのだろう。

 そんな日々はきっと楽しいはずだ。

 ゆえに、ジャレッドと離れる気は毛頭ない。


「では、いきましょう」

「はい、お姉さま!」


 かわいい妹分と一緒に母のもとへと向かう。

 嫌がらせに負けないよう、ジャレッドを他の誰かに奪われないよう、静かに戦いの準備をしよう。

 そのためならなんでもする覚悟はある。かつて母を守ったように、今度はジャレッドを守ろう。

 家族のために命懸けになってくれた愛しい婚約者に報いるべく、そして明るい未来を手に入れるためにオリヴィエは決意を固めたのだった。




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