38.エミーリア・アルウェイの心情1.
「いったいこれはどういうことなのっ!」
ウェザード王国王都の外れにあるアルウェイ公爵家所有の別邸の中で、エミーリア・アルウェイの怒声が響いた。
彼女の怒りは母コルネリア・アルウェイが、正室であるハンネローネ・アルウェイとオリヴィエを亡き者にするために雇った大陸一の暗殺組織ヴァールトイフェルの一員であるローザ・ローエンだった。
「どう、と言われても私はするべきことをしただけだ」
「なにがするべきことよ! イェニー・ダウムを攫うなんて、あなた頭がおかしいのではなくて!」
エミーリアの怒りはローザがイェニーを攫ったことだ。
父がもっとも信頼している部下であり、恩人でもあるダウム男爵の孫娘を攫ったことが知られれば、母子揃ってどうなるか予想もできない。
エミーリア自身も一度はジャレッド・マーフィーを忌々しく感じて排除したかったが、冷静になればしなくてよかったと心底思っていた。
ジャレッドのことを気に入り、欲しくなってしまったこともそうだが、親からの扱いはわるくてもダウム男爵の孫であり宮廷魔術師候補なのだ。オリヴィエの婚約者であるせいでとにかく潰してやりたいと思っていたが、下手をすれば父とダウム男爵だけではなく、魔術師協会まで敵に回す恐れもあるのだ。
「わたくし、言ったわよね。ジャレッド・マーフィーは殺さないでと」
「確かに聞いた。だが、私がお前に従う理由はない」
「どうしてよ!」
「勘違いするなよ、親の権力を振りかざさなければなにもできないガキが。私に、ヴァールトイフェルに依頼をしているのはお前の母親だ。お前じゃない。コルネリア・アルウェイがジャレッド・マーフィーを殺せと言うのだから、私は依頼として遂行する」
「お母様は殺せと言っていないわ!」
「いや、言ったぞ。お前のいないところで、だがな」
母の隠しごとを知り、絶句するエミーリア。彼女は今さらながら母の本気を知った。
「そう……やはりお母様は……」
暗殺者を雇っているくらいだからハンネローネたちを殺したいのだとわかっていた。だが、心のどこかでは本当に殺すはずがないという根拠もない思いがあった。
母がなぜそうまでしてハンネローネを亡き者にしたいのか、はっきりと理由を聞いたことはない。彼女を亡き者にできたとしても、母が必ず正室になるわけではないのだ。父のハンネローネに対する想いの深さを考えれば、代わりの誰かが正室になることはない可能性もある。
しかし、コルネリアはハンネローネがいなくなれば、すべてが解決すると思っている。
自身が正室となり、息子が後継ぎとなるのだと信じて疑っていない。
エミーリアも母の企みを知った当初は、おもしろがって共犯になろうと思った。オリヴィエがいなくなればジャレッドの婚約者が消える。父はジャレッドを一族に迎え入れたいはずだから、新たな婚約者を選ぶだろう。そうなれば歳が近く、想いを寄せていると明らかにしている自分をあてがうと思っていた。
そう、思っていた。
だが、そうはならないだろう。ジャレッドのことを調べたエミーリアは、オリヴィエが婚約者にならなければ彼の従姉妹でありローザに攫われたイェニー・ダウムが婚約者となることが決まっていたと知った。
ならば、オリヴィエがいなくなってももとに戻るだけだ。エミーリアは爵位など気にしないが、公爵家の娘が男爵家の側室になれるはずがない。
なによりも、ローザはイェニーを人質にとってでもジャレッドを殺そうとしているのだ。自分の想いがどうこう以前に、このままではジャレッドが死んでしまう。
正直、ハンネローネを亡き者にするためならなんでもしようとする母についていくには限界だった。
エミーリアはオリヴィエが嫌いだ。彼女のせいでどれだけ努力しても比べられた日々は忘れることができず、死んでくれるなら死んでしまえばいいとずっと思っていた。だから、ローザが現れたときもなにも思わなかった。
しかし、今は違う。
冷静ではない母を見て、エミーリアは冷静になれた。そして、思いだした。過去に、オリヴィエとコンラートと一緒に遊んだことや、楽しかったことを。あまり構ってくれない母の代わりにハンネローネが夜寝かしつけてくれたこともあった。
そして、どうしてこんなにもオリヴィエが嫌いなのかエミーリアはわかった。
自分と違い、母にも父にも愛されて可愛がられているオリヴィエが、ただ羨ましかったのだ。
所詮、嫉妬に狂った母親の娘だ、と自嘲する。だが、母のようにはなりたくない。
今までは、オリヴィエたちが側室に狙われていることもいい気味だと見て見ぬふりをした。母が本気で殺そうとしていることもオリヴィエへの悪感情から応援しようとさえした。だが、もう無理だ。限界だ。
きっと誰もが笑うだろうが、エミーリアが抱くジャレッドへの想いは本物だ。最初はオリヴィエの婚約者であることが気に入らず、害そうとした。殺そうとしたこともあるが、本気ではなかった。命じただけで、命じられた者は無理だと言ったので嫌がらせに変えた。
調べれば調べるほど、まるでずっと以前から知っていたかのように思えてしまう。錯覚だとわかっていながら、想いが深まっていく。
ジャレッドへの想いが深まれば深まるほど、母の異常さに気づき冷静になれた。そして、もうやめようと、大きな被害が出ていない今なら引き返せると母に忠告したが、結果はイェニー・ダウムの誘拐だ。
もう母を止められないと理解した。だが、見捨てることはできず、父に報告することもできなかった。エミーリアはどうしても母をこのまま破滅へ向かわせたくなかったのだ。
苦肉の策としてプファイルをジャレッドのもとへ送った。
ローザはプファイルに情報を与えない。ゆえに、エミーリアがプファイルに情報を伝え、ジャレッドに流していたのだ。
ただしプファイルにはエミーリアが頼んだことを決して言わないようにと言い聞かせてある。
屋敷でジャレッドにあったとき、警戒の瞳を向けられたことをはっきりと覚えていたエミーリアは、自分が関わっていると知れたら信じてくれない可能性があると考えた。そうなってしまえば、状況が悪くなることは容易に想像できた。
実を言うと、ローザはイェニーを誘拐したが、ジャレッドには連絡していない。プファィルにはさもローザからの言伝を預かったように振る舞ってもらうことにしたのだ。そうすれば、先手が取れると思ったのだ。
あとは、イェニーを逃がすだけでいい。
「イェニー・ダウムに会わせて。こんなことになってしまったことの謝罪をしたいわ」
「だが、お前の顔が見られることになるぞ?」
「あら、解放する気があるの?」
「あの娘に関しては、ジャレッド・マーフィーを必ず殺すための策だ。用がなくなれば解放する」
「あらそう。ところで、あなたの部下は?」
ローザにつきしたがっていたはずのヴァールトイフェルの一員たちがいないことに気付く。
屋敷の外には冒険者が数人いるので、不思議に思っていた。
「部下ではジャレッドに勝てないと判断し帰した。代わりに、使い捨てだが冒険者を雇った」
「そう、そうなのね。つまり、部下を揃えても勝てる見込みがないから、イェニー・ダウムを人質にしたのね。そうしなければあなたはジャレッド・マーフィーに勝てないのね?」




