28.暗躍する影5.
胸をかきむしる腕が、太くなっていく。体毛が濃くなり、針金のように太い毛が異様なほど伸びていく。爪が鋭く長く変化し、胸を深く大きく斬り裂きだす。
明らかに異常な光景だった。
ジャレッドは言葉を失い、身動きを取ることができずドリューの変貌を眺めることしかできない。
「なんだよ、それ?」
なんとか絞り出した声は、動揺に満ちていた。
ドリューに起きていることがなんなのかジャレッドにはわからない。しかし、普通ではないことくらいは理解できる。
四肢が肥大化していく。ズボンが膨張した肉に耐えきれず無惨にやぶれた。足にまで体毛が茂り、今や体中を茶色い体毛が覆っている。
四肢のみならず体中のすべてを肥大化させたドリューの面影は、顔にわずかに残っている程度。
長身のジャレッドを優に超す巨体はニメートル半ばほどの高さだ。
変化ではなく、変貌を遂げた姿がそこにあった。
「まるで、狼人間だな、おい」
今まで魔獣などと戦ってきた経験を持つジャレッドでさえ、このような生き物は見たことがない。
もう人間とはいえない姿になったドリューは、胸をかきむしっていた手を止めて、大きく口を開いた。
鋭い牙が並ぶ口は、まさに獣だ。直立こそしているが、四肢を地面に着ければ間違いなく魔獣に見えるだろう。
見下ろされる形になったジャレッドが、未知の者に対する警戒から無意識に構えた。
刹那――。
「ぐるぅぅるるるぉぉおおおおおおおっ!」
ドリューから放たれた咆哮に、体ごと吹き飛ばされた。
ただの咆哮ではない。魔力が込められた咆哮という名の衝撃波だ。
ジャレッドは地面に叩きつけられながら、体制を立て直し立ち上がる。ナイフを懐から抜き出し、構えるが――目の前にドリューがいない。
「ジャレッド、後ろだ!」
ラウレンツの叫び声が遠くから聞えたと同時に、背後から頭を掴まれ地面に叩きつけられた。
とっさにナイフを捨てて防御の体制をとるが、何度も地面に叩きつけられてしまい意識が飛びそうになる。
それでも奥歯を食いしばり、意識を繋ぐと、もう一本ナイフを取り出し、頭を掴んでいる腕に突き刺した。
痛みに絶叫が上がり、解放されるが、頭を何度も強打したジャレッドの動きは遅い。
唸り声を上げて、こちらを睨むドリューにどう対処するべきか考えるが、思考がうまくまとまらなかった。
このままではまずい、と思ったと同時に、再びドリューの姿が消える。彼の動きは魔獣の中でも人里を襲う肉食獣の変異体である『獣王族』に匹敵する。だが、その種族なら何度も倒していた。
ゆえに、目で追えない速度で動かれようと対処するすべはある。
精霊に干渉して、ジャレッドは自分を守るように火球を周囲に展開する。すると、背後で爆音が聞こえ、体毛を焦がしたドリューが目に入る。
「背後から襲うのは、お前自身が真正面から戦えない証拠でいいのか?」
聞こえるかどうかは不明だが、挑発するように無理やり笑みを作って話しかける。
返答は、咆哮だった。
しかし、二度も吹き飛ばされるわけにはいかない。人間の喉から発せられたとは理解しがたい声と放たれた衝撃に耐えるべく、黒曜石の槍を精製すると地面に突き立てて支えとする。
衝撃波がジャレッドの体を殴打するような衝撃とともに襲いかかってくるが、必死にこらえた。
すると、今度は真正面からドリューが突進してくる。
変わり果てた腕を構え、鋭い刃のような爪をジャレッドに伸ばす。
だが、ジャレッドは落ち着いていた。挑発がきいたのかわからないが、馬鹿正直に突進してくるドリューの姿が視認できる以上、怖くはない。
周囲に浮いている火球を連続して放つ。火球がぶつかりドリューの体毛だけではなく体まで爆炎となって焦がしていく。
火球がぶつかり爆炎となる度に、ドリューの体が衝撃で揺れる。
変貌し肥大化した体はいい的であり、火球を外すことはなかった。それでも、すべての火球をぶつけられ体の前面を焦がしたドリューは突進をやめようとはしない。
黒曜石の槍を構えたジャレッドに向かい、貫き殺んと右腕を突き出してくる。あまりにも早い一撃だったが、なんとか見ることができた。
ジャレッドはしゃがんで一撃をかわすと、構えた槍を立ち上がる反動とともにドリューの喉に向かって突き立てる。
人間だったドリューになら決してしない攻撃。しかし、変貌を遂げたドリューをジャレッドは人間だと思えなかった。なによりも、殺意をもって殺しにくる相手に加減はできない。
先日プファイルに言われもしたが、甘い考えでは死ぬのはジャレッドの方になる。
なによりもここで倒さなければ暴走しているとも思えるドリューが今後どこでなにをするのかわかったものではない。
もしかしたらクリスタたちを襲うかもしれない。自分の知らないところで襲われてしまえば、守ることすらできないのだ。
ジャレッドに恨みを持っていたことを考えると、友達を狙う可能性は高く、下手をすればオリヴィエさえ標的になりえる可能性だってあるのだ。
ジャレッドは聖人ではない。大切な人が傷つくかもしれない可能性を目の前にして、潰さないという選択肢を取ることはできない。
できることなら救ってやりたいとドリューのことを思う。
接点はなく、オリヴィエを悪く言われたことには未だに思うことはあるのも確かだった。違法薬物に手を出した自業自得でもあるドリューの姿だが、変貌を含め十分すぎるほど罰を受けているように思えてならなかった。
それでも、手加減ができない相手であることは変わりなく、例えその実力が薬物の副作用のせいだったとしてもジャレッドのするべきことは変わらない。
魔獣のごとく姿となり、このままどうなるか予想することもできないのなら――ここで倒すことこそドリューのためだとジャレッドは思う。
そして、倒すことこそ、ジャレッドがドリューにしてあげられる唯一のことだった。




