37.とある少女のEpilogue.
少女が目を覚ますと、見覚えのない部屋が視界に映った。
どこか懐かしさを覚える、清潔感と薬品の匂いが鼻腔をくすぐる。
(……ここはどこ?)
体を動かそうとして倦怠感を覚えた。
それ以上に、様々な線に繋がれていて、身動きをとっていいものかと迷う。
ぴっ、ぴっ、ぴっ、と単調な電子音が聞こえ、いよいよ何が起きているのかわからなくなった。
(私はどうして、ここはどこだか――ジャレッドたちはどこにいる?)
と、思考がそこまで動いて、内心で首を傾げた。
(……ジャレッドって誰?)
心当たりがない。
だが、なにか大切なことを忘れてしまったような、そんな気がしてならなかった。
「……三原崎さん?」
誰かの声が聞こえた。
声の方向に視線だけ動かすと、白い衣服に身を包んだ女性が立っていた。
すると、彼女は驚いたような顔をすると、手にしていた物を次々と床へ落としていった。
「三原崎さん!? え、うそ!? ちょっと待っていてくださいね、今先生をお呼びしますから!」
彼女はそう言うと、走るように部屋から飛び出ていく。
部屋の外で、彼女の大きな声が響いているのが聞こえる。
間もなくして次々と部屋に人がやってきた。
(医者と看護師さんか……どうして忘れていたんだろ)
名前は知らないが、彼らの職業を思い出した。
まるで長い眠りから覚めたように頭が働いてくれない。
「今、ご家族がつきましたよ。もう少しでお会いできますからね」
優しげな笑顔を浮かべた女性が、少女にそんなことを言った。
誰のことだろう、と疑問を浮かべる少女に答えが出るよりも早く、部屋の扉が勢いよく開かれた。
「由奈!」
飛び込んできたのは四十を過ぎた女性だった。
茶色く染めた髪と、ジーンズ姿だった。
彼女の後ろからは、もう少し年を重ねた男性が息を切らして現れた。
白髪混じりの髪を持つスーツ姿の人だった。
「由奈っ、ああっ、よかった、神様!」
「――ま、ま?」
自然と声が出た。
「そうよ。ママよ。よかった。本当によかった。こうして由奈の声をまた聞くことができて……パパも声をかけてあげて」
「由奈……目覚めてくれてありがとう。この一年がどれだけ長かったか」
ママとパパ。
その単語が鍵となって、少女の記憶を一気に引き起こした。
(そうだった。私は三原崎由奈。この人たちは、私のパパとママ)
なぜ忘れていたのだろうか。
涙が溢れてく。
どこか懐かしい。
もう何年も会っていない感覚さえあった。
両親の顔だけではない、声さえももう忘れていた感覚が由奈には確かにあったのだ。
「……私、どうして?」
「由奈は一年前の通学中に事故にあったのよ。なにも覚えていないの?」
少女は頷いた。
事故の記憶などない。
「外傷は少なかったのに、頭を強く打ったみたいで目を覚まさなくて……お医者様も原因は不明だとおっしゃるし……うぅっ、こうしてまた由奈が目覚めてくれて本当によかった」
ぼろぼろと涙を流して手を握ってくれる母に、少女は泣かないでと小さく呟いた。
(そっか。私事故にあったんだ。だから、なにも覚えていないんだ。でも、なにか、忘れている気がする)
気のせいだとは思うが、腕に誰かを殴った感覚を覚えている。
体に、殴られた感触も覚えている。
まるで長いこと見ていた夢を現実だと勘違いしている、そんな気分だった。
夢などかけらも覚えていないのに、そんなことを思った。
「しばらくは検査が続くでしょうけど、問題がなければ家に帰れるそうよ。またみんなで一緒に暮らせるのね」
「……先のことは考えなくていいから今はゆっくり体を治すことを考えよう」
気遣ってくれる両親に、由奈は頷いた。
優しい人たちだ。
(パパとママにまた会えてよかった……本当によかった)
両親と無事に再会できたことを心から感謝する。
そして、
(……ありがとう)
なぜかわからないけど、自然と誰かへの感謝の気持ちが湧いた。
ここではない、別のどこかにいる、誰かに向かって。
由奈は、なぜ感謝したのかわからないまま、繰り返し心の中で感謝を繰り返すのだった。
――こうしてひとりの少女の長い旅は終わった。




