36.意外な決着.
ジャレッドは体が砕けそうになる衝撃をすべて受け止めて、己の腕を思いっきり振り抜いた。
少年の拳は始祖の頰を打ち抜き、その体を宙に舞わせた。
声を上げることなく地面にぶつかり転がっていく彼女の姿に、息を切らしたジャレッドが大きく息を吐き出した。
(……やばいな、今ので大半の魔力を消費しちまった。供給はあるけど、体の方が持ちそうもないな)
まだ始祖を殺したわけではない。
彼女にはそれを叶えさせるだけの隙がなかった。
ゆえに、まず体力と気力を奪い、ダメージを確実に与えたかったのだ。
今の一撃はかなりのダメージを与えたはずだ。
立ち上がってくれるな、と願う。
――だが、ジャレッドの願いは叶わなかった。
「……生前を含めて、これほどの攻撃は食らったことがないよ。単純な力だからこそ、重く痛い。私じゃなかったら、今の一撃で首の骨が折れていただろうね。身体能力を強化できた事に感謝さ」
「……しぶとい奴だな」
頰を押さえてゆっくりと立ち上がった始祖に、失望を吐き捨てた少年は、急に目眩を覚えて膝をついた。
「――っ、くそっ」
「おや、限界がきたようだね、ジャレッド」
「ま、まだだ」
「いいや、無理だよ。むしろ、君はよく戦ったと思うよ。たった数日で、すべての魔術を捨て去り、新たな単一の魔術を取得した。うん、実に強力な魔術だ。本来は、肉弾戦できなければ無用の長物になるはずだけど、君とは相性がよかった。でもね、それだけさ」
体から砂埃を払い落とし、髪をかきあげる余裕さえ見せる始祖に対し、ジャレッドの体は疲労と限界に震えている。
「もっと身体能力強化魔術を体になじませることができれば、十全に使いこなせていれば、君が勝っていたかもしれないね。残念だよ」
彼女はゆっくりと近づいてくる。
しかし、ジャレッドの体は動いてくれない。
(動けっ、動けっ! 動けぇええええええええええええっっ!)
なにをしてでも立ち上がり拳を構えようとしたジャレッドだったが、彼の意思を体は無視した。
始祖が眼前に立つ。
彼女は慈しみを宿す瞳をジャレッドに向け、おもむろにその手を伸ばし頰に触れた。
「とても残念だ。私の望んでいたものとは違うけど、結果は結果。私の勝ちだ」
そう優しい声を発した始祖が微笑み、ジャレッドの顔を掴もうとした。
――その刹那、始祖ユナ・ミハラサキの指が崩れ落ちた。
「……な、なんだよ、それ」
「ああ、そうか、そういうことか。もう私の体は……いいや、ラスムス・ローウッドの体に限界が訪れてしまったようだ」
「限界だって?」
「ほら思い出してごらん。私の器としてもっとも理想だったのはオリヴィエ・アルウェイだよ。いくら直系子孫とはいえ、男で、しかも器として資格もないに等しいラスムスでは私を長時間縛り続けておくことは難しい」
「オリヴィエさまに戻るっていうのか?」
「いいや、それはできない。私はこのまま朽ちる」
「なに?」
始祖はジャレッドから離れ、崩れた指を見つめて――嬉しそうに笑った。
「これで私の願いが叶う。付き合わせてしまうラスムスには申し訳ないけど、彼自身もどうせ私が死ねば運命を共にするようだったから、結果は変わらないだろうね。別れくらいは言わせてあげたかったけど」
「おい、待てよ!」
「なんだい?」
「あんたの願いって、なんなんだよ? もうすぐ死ぬっていうのに笑いやがって、それじゃあ死ぬことそのものが――っ、まさか」
始祖の右腕の肘から下が、砂のように崩れ落ちた。
続いて、右足がさらさらと崩れていく。
「ふふっ、その通りさ。私は死にたかったんだ。二度と復活できないように、完全な死を迎えたかったのさ。そのために君を利用した」
「俺に殺されようとしたっていうのか?」
「利用したことについては謝罪するよ。私だって不本意なことをたくさん言ったし、悪い奴の演技は大変だったんだよ?」
ついに右足が砕け、始祖が地面へと倒れた。
「おい!」
ジャレッドは慌てて駆け寄り、彼女の体を抱きかかえた。
「まだ少し時間があるから聞いてほしい」
「なんだ?」
「私はね、ずっと死にたかったんだ」
「どうして?」
「私にとってこの世界は現実じゃなくて、夢のような世界だ。だからかな、結婚しても、子供を産んでも、心のどこかで故郷を思っていた。両親に会いたい、一度でいいからまた会いたい、と」
「子供なら親を恋しがるのは普通、なんだと思うけど」
「優しいね、君は。ついさっきまで戦っていた相手にさ」
始祖は微笑む。
まるで親が子を見るように目を細め、失われていない左腕でジャレッドの頬をそっと撫でた。
「復活した私は、次こそ完全に死ねる。ならば、もしかしたら、死ねば夢が覚めるかもしれない。元の世界の、私がいた時代で目を覚ますかもしれない。そんなことを思ってしまった」
それが始祖ユナ・ミハラサキの行動理由だった。
「あんたは、この時代で、この国に、なにもするつもりはなかったんだな?」
「実を言うと、君が私に負けるようなら自棄になってもいいかなとは思っていたんだ」
頬を撫でていた腕も、灰のように崩れ落ちた。
「……ああ。もうすぐだ。もうすぐ、ようやく眠れる」
「始祖」
「ユナ、と呼んでほしい。頼むよ」
「ユナ」
「ありがとう、ジャレッド。ありがとうついでに、お願いを聞いてくれないかい?」
「言ってみろ」
「私のことを褒めてくれないかな? 最期に、見知らぬ世界でよく頑張ったと褒めてほしいんだ」
ずっと故郷に帰りたかった少女は、その願いを叶えることもできずこちらの世界で生き続けた。
当時の人間のために戦い続け、死してもなお復活を願われ、今、目の前にいる。
彼女がなにを思って生きてきたのか、ジャレッドには想像もつかない。
だけど、死にゆく彼女に贈る言葉はひとつしかなかった。
「ああ、あんたは頑張ったよ。ユナ・ミハラサキ。知らない世界で、知らない人間たちのために頑張り続けたんだな。尊敬するよ。俺にはとてもじゃないけど真似できそうもない」
「……ふふ、嬉しいな。うん、頑張ったんだ。何度も逃げ出したくなったけど、私がそんなことをしたら泣く人たちがいっぱいいたから、ずっと我慢してきたんだ。でも、もう我慢しなくていいよね?」
「もういいよ。我慢する必要なんてないんだ。あんたはみんなのために頑張ってくれた、これ以上頼ったら、罰が当たってしまう」
「じゃあ、もう休んでいいよね? とても疲れたんだ。とても眠くて、我慢できそうもないんだ」
「眠るといいさ。もう頑張らなくていいんだから、ゆっくり眠ってくれ。ありがとう、ユナ」
「うん。じゃあ、少しだけ眠るね」
その言葉を最後に、ユナの体が崩れる勢いを増していく。
灰となった体が、ジャレッドの手を白くしていった。
「……パパ、ママ……また会いたいよ」
ユナはそう言い残して崩れ去った。
ここに始祖ユナ・ミハラサキは、長い眠りについたのだった。
「……おやすみ。ユナ・ミハラサキ。どうか、ゆっくり眠ってくれ」
最初は憎しみさえ抱いてユナと戦ったはずなのに、今はただ安らかに眠っていてほしい。
ジャレッドは、古の時代から彷徨い続けた少女に安息が訪れることを願うのだった。




