【間章9】オリヴィエと家族たち1.
オリヴィエ・アルウェイの朝は早い。
「おはよう、トレーネ。あら、イェニーとエミーリアも早いわね」
「おはようございます、オリヴィエ様」
厨房に出向いたオリヴィエを出迎えたのは、幼馴染みであり家族であり、大切な妹分でもあるトレーネ・グラスラーたちだった。
「おはようございますわ、オリヴィエお姉様」
「お姉さま、おはようございます」
続けて挨拶するのは、オリヴィエの実妹であるエミーリア・アルウェイと、ジャレッドの従姉妹であり彼を慕うイェニー・ダウム。
四人は日課となっている朝食の支度をするために、厨房にいた。
今まではトレーネがひとりで厨房を仕切っていたのだが、一緒に暮らす家族が増えたこともあり、こうしてオリヴィエたちが手伝うようになっていた。ハンネローネも当初は一緒だったが、この屋敷の主人を働かせるわけにはいかないと今は控えてもらっている。
「少し肌寒くなってきたので暖かいものを増やしていこうと相談していたところです」
すでに晩秋に近づきつつあり、朝夕の冷え込みがはっきりしている。今も、厚手のカーディガンを羽織らなければ部屋から出ることが辛く感じてしまう。
とくにまだ夜明けを迎えたばかりで、厨房は食材を傷ませないことを考えられ屋敷の中でも日当たりの悪い場所にあるため、肌寒さをよりいっそう覚えてしまう。
トレーネこそいつもどおりのメイド服姿だが、妹たちはそろって暖かい格好をしている。
「日に日に寒くなっていくわね。そろそろ冬物の準備をしたほうがいいのかしら?」
慣れた手つきで鍋をかき回し始めるオリヴィエの言葉に、エミーリアが反応した。
「あら、お仕立てになるのですか?」
「そんなことあるわけがないでしょう。昨年の洋服がしまってあるから出しましょうってことよ」
「オリヴィエお姉さまは公爵家の方なので、お仕立てになった方がよろしいのではないでしょうか?」
イェニーも続けてそんなことを言うことに、オリヴィエはつい苦笑してしまう。
「確かに貴族は毎年洋服を仕立てるけれど、わたくしは別にいいのよ。流行りにも疎いし、昨年仕立ててもらった洋服が気に入っているの」
貴族の女性は、例外なく洋服を仕立てることを好む。最近では、流行りの洋服をお店に出向き、すでに作られているものを購入することも珍しくないが、基本的には仕立てることが当たり前だ。
お金がない家でも、女性の洋服を仕立てることくらいはする。とはいっても一着や二着だが。
特にパーティー用のドレスは、毎年同じものでは恥をかいてしまうので優先的に求められる傾向がある。
とはいえオリヴィエはパーティーにここ数年出たとはなく、専用のドレスも持っていない。父が仕立ててくれようとしたこともあったが、他人を屋敷に招くことに抵抗があったため断ったことは一度や二度ではない。
昨年、父に実家にくるように言われ、何着か仕立ててもらったが、あまり袖を通さずにタンスにしまっているだけだった。実は、ジャレッドとはじめて会ったときに着ていたドレスはその半年前に作られ、タンスで眠っていたものだったりする。
「わたくしはあまり贅沢を好まないのよ」
と、そこまで口にしてオリヴィエは自分の失言に気づいた。
「あら、わたくしったら。ごめんなさいね。あなたたちに洋服を仕立てるなといってるんじゃないわ。むしろ、イェニーもエミーリアも若いのだからお洒落はたくさんしなさいね」
取り繕うように聞こえたかもしれないが、嘘偽りのないオリヴィエの本心だった。
もうすぐ二十七歳になろうとしている自分と比べ、エミーリアもイェニーも十代の少女だ。お洒落に興味のある年頃だろうし、お洒落するべきだ。
口が裂けても言うことはできないが、昨年の洋服を着る理由に体型維持という乙女の目的が含まれていたりするのだが、少女たちは違う。
羨ましくなるほどほっそりした体躯を見ているだけで抱きしめたくなる衝動に駆られてしまう。オリヴィエだって細くはあるのだが、そこは年頃の女性であるためいつだって自分の体型には厳しいのだ。
「いいのですか? その私だって実家に戻れば昨年の服があります。それに、私はあまり体が成長してくれませんので」
そう肩を落とすのはイェニーだ。小柄で可愛らしい妹は、まだ十四歳であり、成長はこれからなのだが本人はそれが少しもどかしいようだ。
イェニーがオリヴィエたちと暮らすようになってから、この屋敷に女性が増えていた。オリヴィエはいうまでもなく美人であり、スタイルもいい。彼女の母であるハンネローネだって、おっとりした美人で上品な雰囲気を崩さない体型の持ち主だ。トレーネもオリヴィエに負けずスタイルはよく、無表情な容姿も整っているため美人と言って差し支えがない。
戦闘者ローザ・ローエンは体を動かすことを得意としているだけあり、スタイルの良さは群を抜いている。手足が長く、言動もはっきりして胸を張っているため体格がよく見えもする。
リリー・リュディガーはスレンダーだが、快活な印象を与え、彼女の性格と相まって魅力的だ。エルネスタ・カイフは知的で大人な印象を与え、憧れめいたものを抱くには十分だった。
そんな女性陣に囲まれているイェニーは自分の小柄な体型を恨めしく思うことがあるようだ。周囲からすれば、自分たちにはないうさぎのような可愛らしさを羨ましく思っているようだが、お互いに無い物ねだりなことに気づいてはいない。
そしてエミーリアは、銀縁の眼鏡をかけた才女という印象を与えるも、スタイルそのものは少し痩せ型であるためよいとは言えない。背丈も高くもなく低くもなく、平均だ。特別目を引くものを持たない少女ではあるが、容姿は整っている。が、エミーリアもイェニーと同じように、周囲の大人の女性に憧れているのはいうまでもなかった。
「わたくしも実家から持ってきた洋服はまだまだ着れますわ」
「まったく……わたくしが余計なことを言ってしまったせいね。ごめんなさい。でもね、あなたたちには歳相応にかわいくしていてほしいの」
オリヴィエの気遣いが大人の余裕に感じられてしまい、妹たちは早く大人になりたいと強く思えてしまう。とくに兄と慕うジャレッドを思うイェニーは、オリヴィエのようになりたいといっそう思うようになる。
とはいえ、やはり年頃の少女でもあるためお洒落をしたくないといえば嘘になる。
イェニーもエミーリアも大人になりたい願望と、子供らしい感情が相まって、胸の中をもやもやさせるのだった。
「では、皆様でお洋服を仕立ててはいかがですか?」
黙々と調理に精を出していたトレーネが、ふと手を止めて提案する。
「ジャレッドさまのお披露目パーティーもあるでしょうし、近々、ご縁のある宮廷魔術師のお二人の席次が上がることを祝うパーティーもありますので、ドレスを仕立てるのはいかがでしょうか?」
「そうだったわね。トレスさまとアデリナさまの席次が上がるのだったわね」
ジャレッドと縁を持ったことで、オリヴィエ、ひいてはアルウェイ公爵家と親しくなったトレス・ブラウエルとアデリナ・ビショフは、この度宮廷魔術師の席次が上がることとなった。
トレスは第四席に、アデリナが第五席だ。大きな活躍こそなかったが、こつこつと積み重ねていったものが正当に評価された結果となる。トレスに至っては、王立魔術師団と王立騎士団をひとつにした王立魔術騎士団の団長となることもあり、相応の立場が必要とされたこともある。
また、若き魔術師たちが宮廷魔術師になることから、席次の調節という名目もあったのはいうまでもない。
「公爵家としても、ジャレッドさまのことを考えても、着飾って困ることはないと思われますが?」
「……そうよね。そうだったわ。わたくしったら、もう以前と違うのに」
数年にわたり、貴族として集まりに不参加だったオリヴィエは、今までの習慣が残っていたことに気づいた。
これからは、公爵家の行き遅れではなく、宮廷魔術師ジャレッド・マーフィーの婚約者として見られるのだ。愛する少年に恥をかかせるわけにはいかない。
「わかったわ。なら、時間を見つけてドレスを仕立てましょう。もちろん、イェニーとエミーリア、そしてあなたもよ、トレーネ」
「わ、わたしもですか?」
無表情なメイドが、珍しく慌てる姿にオリヴィエだけではなく妹たちも笑みを浮かべる。
「もちろんじゃない。あなただって大切な家族であり、わたくしの妹よ。仲間はずれなんかにしないんだから」
かつて、母とトレーネだけいればいいと考えていたオリヴィエだったが、今では世界が広がった。婚約者がいて、血の繋がりこそないが家族と呼べる人たちがいる。
間違いなく、オリヴィエ・アルウェイは幸せだった。




