【間章4】オリヴィエとヴェロニカ6.
ヴェロニカは商店にある私室で、盛大にため息をついていた。
「はぁぁ……」
「どうした姉上、そのようにため息をついて?」
部屋の扉を開いて問うてくる弟を一瞥すると、さらにため息が深くなってしまった。
「ジャレッドのことよ」
「……ああ、なるほど。図々しくも我が友と婚約者の家に乗り込み、側室にしろと伝えにいったのだったな。姉上の様子を見る限り、あまりよくない結果だったようだ」
「……あなたってかわいくないわね」
「姉上ほどではない」
弟――ラーズは、ヴェロニカの想い人であるジャレッドの親友だ。最近では、お互いに時間が取れず顔をあわせることは少ないせいか、変わり者の弟が寂しそうにしているのを知っている。
「逆よ、逆。オリヴィエにはしっかり私の言いたいことが伝わったわ」
「ならばよかったではないか。やはり姉上の恋を成就するための大きな壁は、オリヴィエ・アルウェイだからな」
「いいえ、きっと違うわ」
「ふむ……姉上はジャレッドのほうが壁となると思っているようだな」
「……まだ言ってないんですけど……まあ、その通りよ」
口にしていないことを先回りして当ててしまう弟に、やはり可愛くないと内心思う。
珍しく今回の一件では味方をしてくれるので心強いため、グッとこらえて文句を言うことはしない。
「ジャレッドが側室を望んでいないことはわかっていたはずだ。奴には、オリヴィエとのんびり恋愛をさせておくべきだ。成人し、宮廷魔術師として自身の足元を固めてからでも、側室を迎えることは遅くないと私は思うが」
「それじゃ納得しない人間がいるから私が嫌な役を買って出たんじゃない。私だって、ようやく愛する人を見つけることができた幼馴染みと思い人の間に割って入ったりしたくないわよ!」
たとえ、自分の恋心が成就しなかったとしても、ヴェロニカは二人を応援するつもりでいた。そんな彼女が側室として名乗りを上げたのは、ひとえにジャレッドとオリヴィエのためだった。
本人たちの気持ちはさておき、貴族たちがジャレッドに近づこうと企んでいる。いい意味でも悪い意味でも、ジャレッドは注目を集めてしまったのだから。
同じ理由で、弟のもうひとりの親友のラウレンツ・ヘリングもこれから大変だと思うが、彼とジャレッドでは少々立場も違う。
オリヴィエという問題児が婚約者であるため、ならばウチの娘も――と思う輩は多い。全員が悪い子ではないが、貴族らしい子ばかりであるため、ジャレッドには合わないだろう。
――私だっておもしろくないわ!
姉妹同然のオリヴィエならいざしらず、他の女にジャレッドを奪われるのだけは我慢ならない。ヴェロニカにとっても、ジャレッドはようやく見つけた運命の人なのだから。
すでに水面下でいくつもの話が浮上している以上、二人のために防波堤になろうと考えた結果、ヴェロニカの側室だった。
王族であることを含めても、ヴェロニカの条件はあまりいいものとはいえない。そんな人間を側室にすることで、他に側室を願う人間を拒もうと企んだのだ。
現在、その試みはうまくいっている。
――私だったら、公爵家と王女と一緒に自分の娘を側室にしたくないわ。しかも悪い噂の正妻と、行き遅れの王女なんだからなおさらよね。
考えるだけで悲しくなってくるが、実際問題、ヴェロニカがジャレッドの側室候補であることを噂にすると、縁談を取り下げる者も現れてきた。
必ずしも縁者になることだけがジャレットと繋がることではないのだ。無論、一番、縁が強く結ばれるのは事実だが、その気になれば彼をサポートすることで縁を得ることだって十分にできるのだ。
結局のところ、貴族たちも娘がかわいいのだろう。ゆえに、噂の真偽はさておき、問題児二人と娘を一緒にして不幸になられても困る、ということだ。
――腹は立つけど、今はうまくいったことを喜びましょう。
全員が全員、娘のためにジャレッドを諦めたわけではなく、まだ問題は残っているが、ヴェロニカとしては現状に満足していた。
「ジャレッドに嫌われなければいいけど」
「あ奴が姉上を嫌うことなどない。まあ、私からもフォローはしておこう」
「姉思いの弟をもって幸せだわ」
「……よく言う。ところで先ほどの話に戻るが、オリヴィエが姉上を受け入れたらどうするつもりだ?」
「側室のことよね?」
「他になにがある。うまくいうのなら、いずれ側室になるつもりなのだろう?」
うーん、とヴェロニカは思案する。
「そうね、結局、二人の一番の防波堤になるのはそれしかないわね。私にとってもジャレッドの側室になれるし、願ったり叶ったりだわ」
「問題はジャレッドがうんというかどうかだな。なんだかんだと奴はオリヴィエを愛している。出会いこそよくなかったが、今ではお互いが欠かせない存在だ」
「そんなこと言われなくてもわかってるわよ。しばらく私が二人のために壁になって、ジャレッドが成人するまでに、うん、って言わせてみせるわ」
ラーズは親友が首を縦に振らなかった場合のことを尋ねなかった。聞くまでもなく、生涯独身を貫くだろう。
少々重い姉ではあるが、幸せになってほしいと願う。
親友には申し訳ないが、頼りになる彼ならば面倒臭いところがある姉を任せられるのだ。
「頑張ってくれとしか私は言えん」
「もちろんじゃない。頑張るわ」
あくまでも当事者を納得させてから側室になることを決めている姉に、ラーズは内心感心していた。
そんな回りくどいことをせずとも、彼らのためなのだから文句など言わせずに側室に収まることだってできる。最悪の場合、王命だって使えばいい。だが、姉はそうしない。そんなことをすれば、ジャレッドに嫌われてしまうと恐れているのだ。
「不器用な姉上のために、私も一肌脱ごう」
「あら、急にかわいいこと言いだして、おこずかいでもほしいの?」
「……なに、私も恋する身だ。姉上の気持ちはよくわかるのだ」
そう言って、部屋から出ていく弟の背中を見送りながら、ヴェロニカは驚きの声をあげた。
「ちょっ、なにそれ、聞いてないわ! あなた誰に恋してるの!? 私の知ってる子? それとも別の国の子?」
返事はなく、弟は廊下の先に早足で進んでいく。
「ちょっと待ちなさいよ。あなたが恋する相手って誰よ! お姉ちゃんに教えなさい!」
変わり者の弟の恋した相手が気になり、ヴェロニカは追いかける。
王族といえど、どこの家庭と変わらない姉弟の形がここにもあったのだった。




