【間章4】オリヴィエとヴェロニカ2.
「…………」
「ジャレッドなのよ」
「――畳み掛けなくていいわよ! いつだってそう! 昔からヴェロニカはわたくしのものばかりほしがる! 大きな猫のぬいぐるみも、お洋服も、そしてジャレッドまで奪おうなんてっ!」
怒りに震え、顔を真っ赤にして立ち上がったオリヴィエに、ヴェロニカは慌てた。
「お、落ち着いて! 怒るのはわかっていたけど、最後まで話を聞いて!」
「……いいわ。聞いてあげようじゃない。さ、話してちょうだい」
何度か深呼吸を繰り返して、ソファーに再び腰をおろすと、冷めやらぬ怒りを胸に抱えたまま先を促す。
「た、態度が急に変わったわね。私としては、以前のように遠慮なく話せるのは嬉しいけど、あまり怒らないでよ」
今までは、公爵家と王家という対面を保ったまま接していたオリヴィエだったが、感情的になったため態度が変化した。いや、かつての態度に戻ったと言うべきか。
もともと幼馴染みのオリヴィエとヴェロニカは、姉妹のようにしたしかった。親戚でもあるため、口調や態度は姉妹同然に気やすかったのだ。
今回も、久しぶりに会うことや、一応王女として訪ねて着ていたので、相応の態度で臨んだのだが、体面など気にしていられなかった。
「怒らないで、ですって? 私からジャレッドを奪おうとしているのに、よくもそんなことが言えるわね!」
「だから違うわよ! 奪うつもりなんてないの!」
「じゃあ、どういうことなのか早く説明してちょうだい!」
冷静にはなれないオリヴィエの態度に、ヴェロニカは顔には出さずに微笑む。
母親とトレーネ以外に頑なな態度しか見せず、幼馴染みの自分とも距離が開いていたことを考えると、ジャレッドと出会ったことで失った時間を取り戻そうとしているように感情的で可愛らしい。
「私が周りの人たちからなんて言われているか知ってる?」
「なによ、唐突に。行き遅れでしょう?」
「……行き遅れのオリヴィエにそうはっきりと言われると腹が立つわね。でも、そうよ。行き遅れよ。近年では晩婚が多くなったのに、どうして貴族や王族は早く結婚しなければいけないのかしら?」
「わたくしが知るわけないでしょう」
「焦って結婚したせいで、離婚とかになったほうがよっぽど世間体が悪いじゃないの」
「あのね、貴族はそうそう離婚できないわよ」
「それも気に入らないのよ! 一度結婚したら離婚しないのが当たり前。そんな風に考えている方々の頭の中って本当に化石のようだわ。なにも私だって離婚を前提に結婚するわけじゃないの。でも、親が勝手に決めた結婚で必ず幸せになれるとはかがらないでしょう。なのに、離婚はできないっておかしくない?」
実際、貴族の離婚はそうそうない。夫婦仲が不仲になると、別居がほとんどだ。そのほとんどが、妻側が家から出て行く形になるのはいうまでもない。
無論、新しい相手を探すことは論外であり、家同士の事情もあるので、別居先でおとなしくしているしかない。
夫には側室が何人かいる場合が多く、酷い男だとひとりくらい妻が離れても気にしない者までいる。
貴族の結婚は女性に対し配慮が足りていない。無論、円満な夫婦の方が多いし、悪い夫ばかりではないのだが。
一般になると、簡単ではないが離婚も多いと聞く。金銭問題、夫婦間の問題などから一緒に暮らせないと判断した夫婦が別れることは、近年では珍しくないのだ。
「……気持ちはわからないわけじゃないけれど、どうしたの急に? 私の記憶が確かなら、今まで、友好国の王族や、公爵家の後継の方も、全員断っているじゃない」
結婚に関して興味がないのか、それとも相手に求めているものが違うのか、今まで何人もの夫候補を断り続けてきたヴェロニカの口から、結婚後を想定した話が出てくるのは意外だった。
つい先ほど、ジャレッドと結婚したいなどといったので、結婚願望がないわけじゃないのだろうが、いささかマイナス思考すぎるのではないかと思えてならない。
確かに貴族の婚姻はお堅く、女性の条件は悪いかもしれないが、夫婦仲がどうなるかなんて一緒に暮らして何年もたってみないとわからないものだ。これは夫婦間だけではなく、友人関係だって同じだ。
付き合いが長くなってから見えるものもあるのだから。
「数年も前のことよく覚えているわね」
「ことごとく縁談を断ったでしょう。有名じゃないの」
「誰も彼も外面はよくても、中身が最悪だったのよ。愛人や、お手つきばかりで、まともに責任も取らないような男と結婚なんてできないわ。お父様だってそのことを知っていたから断っても平気だったのよ」
それならしかたがないのかもしれない。貴族の男性が女性にだらしないということは少なくない。特に若いとそうらしい。オリヴィエにはわからないことだが、もし自分の結婚相手がそんな男だったらごめんこうむりたいと思う。
「その後も縁談はあったわ。でも、狙っているんじゃないのかってくらい、問題のある男ばかりだったのよ。歳を重ねれば重ねるほど、訳あり物件を押し付けられそうになるから、断るしかないじゃない。あなただって覚えがあるでしょう」
「ええ、まあ」
オリヴィエにも、行き遅れだからといって、普通に考えて結婚したいと思えない相手から縁談の話もあったりした。
相手側にとっても、行き遅れと言われ、悪い噂がつきまとうオリヴィエは訳あり物件だったかもしれないので、どっちもどっちだが。
「ヴェロニカが貴族の結婚に関して気に入らないと思っているのはよくわかったのだけれど、結局それがどうジャレッドと繋がるのかしら?」
「私たち家族が、身分を隠して商店を営んでいるのは知っているでしょう」
「ええ、王都でも五指に入る売り上げだとか」
「ありがたいことに経営は順調よ。一年前かしら、弟が友人ができたと喜んで連れてきたの」
「あの変人……ごめんなさい。変わり者に友達――まさか、それがジャレッドなのね」
ヴェロニカが幼馴染みである以上、彼女の弟のことも知っている。年齢が離れているため交流こそ少ないが、彼が変わり者であるのを十分知っていた。
「ええ、私たちも驚いたわ。馬鹿と天才を行ったり来たりしているあの子に友達ができるなんて思わなかったから。ジャレッドは私にとっても友人であり、弟であり、そして次第に愛しい人になったわ。彼なら私がありのままでいられるの」
「その気持ちはとてもよくわかるわ」
他ならぬオリヴィエだからこそ、ヴェロニカが抱く感情は痛いほど理解できた。
「出会いと、想いならあなたよりも私の方が先なのよ」
「ちょっと待ちなさい! 先とか後とか、そんなことを言い出したらきりがないじゃないの!」
出会った順序が大事なら、側室として話が進んでいるイェニー・ダウムが最優先されなければいけなくなる。
従妹である彼女は幼少期からジャレッドを兄と呼び慕っているのだ。
「うん。わかっているわ。ちょっと意地悪なことを言ってしまったけど、あなたからジャレッドを奪ってやろうなんて考えてないわ。どうせできないしね。あの子にとって一番は、オリヴィエ・アルウェイよ」
ヴェロニカにとっては悔しいことではあるが、ジャレッドの一番は紛れもなくオリヴィエだった。
「でもね、私は一番じゃなくていいの。私が一番、ジャレッドを愛しているなら、それで構わないの」




