【間章3】ヘリング家の事情4.
ベルタ・バルトラムは突然のユマナの訪問を受けていた。
ヘリング家に呼ばれることがあっても、わざわざ本家の正室が分家の屋敷まで足を運ぶことはそうそうない。
あるとしたら、厄介ごとを持ってくるときばかりだった。
内心どんな無理難題を押し付けられるのか緊張しながら、ベルタは自室にユマナを招き入れ、ソファに座ってもらう。
「今、お茶を用意します」
「お茶なんていいから座って。今日は、あなたに話があってきたの」
「どのようなことでしょうか?」
ごくり、とベルタは唾を飲む。
「そのね、あなたに、お願いというのかしら、大事なことを伝えたくて」
緊張しつつも首を傾げてしまう。いつものユマナなら、言いたいことを言うはずなのに、今日の彼女はどこかおかしい。
言葉を濁すのも彼女らしくないし、こちらの様子を伺っているのもなにか変だ。
「あの、もしやラウレンツさまになにかあったんでしょうか?」
よくも悪くもユマナの一番は一人息子であるため、察しはつく。もしや、敬愛する主人になにかあったのではないかと不安にもなる。
「いいえラウレンツになにかあったわけでは……あるのかしら?」
「奥様? それは一体どういうことですか?」
「落ち着きなさい。ラウレンツに問題があったわけではないの。でも、あの子を取り巻く環境が変わってしまったでしょう。そのことで悩んでいて」
「……そうでしたか。宮廷魔術師に推薦されたのですから、やはり今まで通りというわけにはいかないですよね」
「そうなのよ。あなたも知っていると思うけど、すでに縁談の話が後を絶たないわ」
なるほど、とベルタはユマナがなにを心配しているのかわかった気がした。一人息子の嫁になるべきふさわしい相手がいないことを嘆いていることは知っていた。宮廷魔術師に推薦される前から、嫁探しをしていたユマナが満足する条件の相手を見つけられないことは愚痴として聞かされていたのだ。
「宮廷魔術師に推薦後も、よい方が現れなかったのでしょうか?」
「まったくいないというわけではないの。でも、本当にラウレンツに合うかどうかわからないよ。何人か幼少期から知っている方もいるのだけど、ほかの方になると初対面よ。果たして、宮廷魔術師という立場を支えることができるのか不安だわ」
「ユマナさまはラウレンツさまが宮廷魔術師になると考えているのですか?」
「当たり前でしょう。親としては危険が伴う地位など蹴ってもらいたいのが本音よ。でもね、幼い頃から魔術が好きで、魔術師として大成する夢を見ていたのはベルタも知っているでしょう」
「……はい」
「だから私が危険だからやめなさいといっても聞かないわ。それに、危険だからといって将来を潰してしまうこともできない。親というのは厄介よね。どちらに転んでも、心配は尽きないのだから」
ユマナと同じようにベルタもラウレンツを案じている。
先日、主人が大怪我をしたことは記憶に新しい。いくら戦う理由があったからとはいえ、無茶をして欲しくない。
宮廷魔術師になれば危険は増えるだろう。国が与える魔術師としての最高位の地位である以上、国の危機には戦いが待っている。今でこそ戦争はないが、いつ近隣諸国との関係が変化するかだってわからないのだ。
「心配はこれからもしていくでしょう。でもね、それだけでは駄目だわ。親としてしてあげられることは全部してあげたいの」
「きっとラウレンツさまもユマナさまのお気遣いに喜ぶはずです」
「ありがとう。私が思うに、今、ラウレンツに必要なのは支えてくれる妻よ。そして、あの子が心から愛せる女性だわ」
「そう、ですね。ラウレンツさまをお支えできる方がいれば、安心です」
胸が痛い。叶わぬ恋だとわかっていても、愛する主人のまだ見ぬ妻に分不相応だとわかっていながらも嫉妬心を抱いてしまう。
幼い頃から彼だけを見てきた。はじまりこそ、ユマナとケンドリックによって彼のお目付役だったが、今では家臣としてそばに控えているだけ。対して、ラウレンツは家族として自分たちに接してくれている。
それだけでいいと思っていた。いや、思い込んでした。しかし、実際に主人の結婚話を耳にすると冷静ではいられない。もっと先だと思っていたのに、感情を整理するよりも早く、主人は前に進んでいってしまう。
置いてかれる気分だ。妻になれずとも、そばにいたい。ならば、感情を、気持ちを、分不相応な恋心を綺麗に片付ける時間くらい欲しかった。
「同じ意見でよかったわ。じゃあ、ラウレンツのことを任せたわよ。ベルタ」




