【間章2】国王と王女と五人の少女のこれから3.
「いやいやいや、待って待って待って、ないないないでしょう!」
ジャレッドは己の耳を疑った。
おじさんと慕うラーズの父親が、自分のことを自国の王ホルスト・W・フェアリーガーと名乗ったのだ。
信じろと言うほうが無理である。もしも、男性が本当に国王であれば、おばさんと呼ぶラーズの母は王妃であり、先ほど顔を合わせたヴェラは王女だ。さらに言えば、顔を合わせてはくだらないことを言ったり、時には頭を引っ叩いたりしたことのあるラーズは王子である。
「……嘘、でしょ?」
「残念だが、本当だよ。考えてごらん。私がジャレッドに、自分のことを国王だと嘘をつくメリットはあるかい? 第三者に聞かれていれば、大変なことになるにもかかわらず、だ」
「ない、ですね……つまり、おじさんとラーズたちは王族の方々ってことですよね?」
「ま、そういうことだね」
「はぁああああああああああ!?」
ジャレッドはすぐに膝をついた。
今まで知らなかったとはいえ、商家の家族だと思って接していたのだ。
――不敬どころの騒ぎじゃない!
王族なら王族だと言って欲しかった。ラーズへの態度はさておき、せめて国王と王妃になら失礼にならない態度を取っていたのに、と思わずにはいられない。
――ていうか、王族の顔なんて知らないから!
オリヴィエのように公爵家令嬢であり、王家の血を引くのなら、会うこともあるため知っているだろう。だが、ジャレッドは男爵家の、しかも家督を告げない長男だ。
宮廷魔術師になるにあたり、国王と会うようだが、まだその時ではなかったため顔などわからないのも無理がないといえばそうであろう。
国王は民に顔を見せることもあるが、決まって人が集まる場所にジャレッドは好んで行こうとは思いもしなかった。
なので、国王の名を知っていても、顔までは無理だったのだ。
「今までの態度、大変失礼しました!」
さっと血の気の引いたジャレッドは、膝を着いて頭を垂れた。
「構わないよ。黙っていた私たちも悪い。君に、そのような態度をとって欲しくなったから、なんだが。できることなら公の場以外では、今までのように接してもらえると嬉しいよ」
「いや、じゃなくて、いえ、その、ですね、それは難しいかと」
「意外とあっさり信じてくれたようだな。私が王じゃないと疑わないのかい?」
そう問われて即座に答えが出てこない。
今さらであるが、思い返せばおかしいこともあった。ラーズと初めて出会ったとき、彼の頭を叩いた瞬間、周囲が絶句していた。当時は理解できなかったが、今ならわかる。
――そりゃ、王子の頭を叩いたらみんな驚くにきまってる!
入学式から数日後、祖父に「友人の頭を気安く叩かないように」と困った顔をで言われたこともあった。おそらく、知っていたのだろう。孫が王子の頭を大勢の前で叩いたことを。
「その、先ほど国王自身がおっしゃっていたように、王を偽証するメリットがないかと思います」
「ま、その通りなんだけどね。王族を偽証すれば死罪だ。そもそも、私が王でなかったとしても、君を呼びつけて王だと騙る理由もないんだがね」
膝を着き、顔を伏せている状態では国王の顔は見えない。だが、声音が楽しそうなのはわかった。
少しだけ安心する。国王だとわかっても、ジャレッドの知るおじさんまでが作られたものではなく、王自身であったことに。
「さ、いい加減顔をあげてくれ。ここに君を呼んだのは国王としてだが、今までのように接して欲しいと言っただろう? お互いに慣れないことをしていると肩が凝ってしまうじゃないか」
「ですが」
「国王がいいと言っているんだから遠慮なんてしないでほしい。それに、この一年、私は君のおじさんとして接してきたつもりだ。今さら態度を変えられたら悲しくなる」
国王のそんな言葉を受けて、ジャレッドは恐る恐る顔をあげた。
眼前に座るホルストは、困ったような、悲しげなような顔をしているのがわかった。言うまでもなく、ジャレッドの態度のせいだ。
――今さらか。うん。今さらだな。
この一年、ラーズの家族と食事をした。商品を値切ったこともあるし、馴れ馴れしいどころの騒ぎではない態度も取った。もし、彼らがジャレッドの態度を王族に向けるべきものではないと怒っていたのなら、とうになんらかの処分がされていたはずだ。だが、なにもされていない。
ならば、国王の言葉通り、態度を変えないほうがいいのだと判断する。とはいえ、国王にフレンドーリーに接するのはなかなか勇気がいるのだが、ジャレッドはもうあまり考えないことにした。
「じゃあ、今まで通りにするよ。おじさん」
「ああ! そうしてくれ! いつまでも膝なんてついてないで、ほら、ソファーに座りなさい」
ジャレッドの態度と言葉に、破顔するホルスト。自分の行動が間違っていなかったと内心安堵する。
「正直に白状すると、ジャレッドとの関係が変わってしまうのではないかと怖かった。だからこの場に、妻も息子もいない。娘だって、用があったからここにいるが、内心ではきたくなかったはずだ」
おばさんたちもそうだが、一番顔を合わせていたラーズの心情は察するに余りある。
単に、王族ではない日常を楽しんでいたのだろうが、王子だと隠していたことにも思うことはあったのかもしれない。
不思議と隠されていたことへの不満や怒りはない。むしろ、気づかなかった自分自身に呆れている。
「でも、どうして王家のみなさんがそろって商家なんて?」
「実は、この商店は妻の実家が経営していたんだが、経営があまりよくなくてね。そんなとき、王宮暮らしに疲れた家族総出で立て直してみようと考えたんだ。はじめはちょっとした戯れだったんだが、これが意外に楽しい。成功すれば失敗もある。損だってたくさんした。だが、王宮では、いや、国王という立場ならなかなか経験できないことばかりだ」
「それは、そうでしょうね」
「とくに娘、ヴェラ――いいや、ヴェロニカは驚くほどのめり込んだ。今では、王宮にいる時間よりも、ここにいる時間のほうが長いくらいだ」
王族としてそれはどうなんだろうか、と思う。
ジャレッドの知る限り、王女ヴェロニカは王位継承権を放棄しており、最近では公務にも顔を出さなくなっている。王女が主導で取り掛かっている、国営の孤児院などの運営にはいまだに携わっているようだったが、世間では弟が王位を継ぐために極力公に現れないようにしていると聞いたことがある。
実際は、商店経営にのめり込んでいた、というのが真相らしい。
「君と重要な話をする前に、ひとつだけ、父親として言わせて欲しい。私たちはもちろん、息子も娘も君を騙すつもりはなかった。ただ、王族と気づかない君とありのまま接することができたことが楽しかったんだ。どうか許してほしい」
「許すなんて……。俺だって、楽しかったです。ですから、こうしておじさんたちと知り合えたことがなによりも嬉しく思います」
嘘偽りのない言葉に、ホルストはありがとう、と笑った。




