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この度、公爵家の令嬢の婚約者となりました。しかし、噂では性格が悪く、十歳も年上です。  作者: 飯田栄静@市村鉄之助
八章

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48.ジャレッド・マーフィー対ルーカス・ギャラガー4.



 ジャレッドは激昂した感情すべてを攻撃にぶつけることで冷静さをぎりぎりのところで保っていた。

 最愛の人を殺すと宣言され、まだ精神的に未成熟な少年が我慢できるはずがなかった。

 石剣で老人の体をいくら貫いても怒りは微塵も治らず、自らの拳で殴り飛ばすことでようやく胸がスッとした。

 視線を落とせば、大の字になって倒れている傲慢な老人の姿がある。あとは捕らえてしまえば終わりだった。


「……観念しろ、お前の負けだ」

「笑わせるな。私は死んでいない。敗北などしていない」

「なら殺してやる」


 石剣を作り出し握ると、切っ先を老人の喉に突きつけた。


「言い残すことはあるか?」

「まさか身体能力強化魔術だけで私を倒すと思わせながら、地属性魔術を使ってくるとは……やはり貴様は魔術師だな。しかし、その考え方は魔術師ではない」

「それが最後のことばでいいんだな?」

「いや、違う。私はまだ敗北したわけではない」


 隻腕となった老人からまだ魔力が吹き荒れた。


「――っ、諦めが悪いな」


 舌打ちして距離を取ると、いつでも戦えるように身体に魔力を巡らせる。


「諦めだと? 私が悲願を達成するために何年待ったと思っている!」

「悲願って割には大したことない夢だったな」


 ジャレッドにはやはり理解できない。魔術師だとかそうでないとか、たった「その程度」のことを理由に、優れているとかいないとか、誰が支配するとかしないとかどうでもいいのだ。

 国は優れた人間が支配すればいい。民が泣くことなく、幸せな日々を送れるのなら誰であってもいい。貴族らしくない貴族だが、民のために尽力してくれる王なら忠誠を誓おう。


 だが、魔力の有無で差別するような人間には従えない。ルーカスの考えでは多くの民が不幸になることは目に見えている。幸せになれるのは、きっとルーカスただひとりだけ。


「私を侮辱するつもりか小僧っ」

「いや、侮辱っていうよりも、かわいそうだなって思うよ」

「それのどこが侮辱ではないというのだ! 私がかわいそうだと? はっ、笑わせるな!」


 どれだけ言葉を重ねても老人は認めることはないだろう。ジャレッドとルーカスではなにもかもが違いすぎる。まだレナードのほうが分かり合えたはずだ。


「あんたはかわいそうな人間だ。魔力の有無で優劣をつけ、今の世の中が間違っていると思い込んで多くの人間の命を奪おうとしている。いや、もう奪っている。味方になった者だけではなく、息子まで……」

「それがどうしたというのだ? 使えないものは切り捨てる。私は間違ったことなどしていない」

「あんたの中ではきっとそうなんだろうさ。だけど俺には間違っているとしか思えない」


 無駄だと思うが言っておく。言っておかなければならない。


「よく聞けルーカス・ギャラガー。あんたは間違っている。人間は平等だ。魔力の有無や魔術師だとか魔術師ではないとかいう理由で優劣は決まらない。よく覚えておけ」

「……たった十六年しか生きていない子供に説教されるとは思っていなかった」


 失笑、というよりも失望したと言わんばかりに苦い笑みを浮かべたルーカスは隻腕となった腕をジャレッドに向けた。


「もう貴様との問答も続ける必要はない。どれだけ言葉を重ねても私たちは理解し合うことができないのだろう」

「違いない」

「ならばもう殺すだけだ。私の腕を奪ったのだから惨たらしく殺してやりたいが、予定が押しているのでね。苦しまずに殺してやろう。感謝しながら死ぬがいい」


 轟っ、と音を立てて老人の隻腕に炎が宿る。

 周囲の酸素と魔力を取り込み、轟轟と唸りをあげて火力の勢いを増していく。

 赤い炎が真紅となり、燃え盛る灼熱の業火となった。どれだけの魔力を費やしたのか、もはやジャレッドには想像することもできない。


 十分な距離を取っているにも関わらず身が焼かれてしまいそうな熱を感じ、呼吸さえ苦しくなった。業火に酸素を奪われているのだ。


「私は魔術師として大したことはなく、属性も炎だけだ。だが、時間をかければ極めることが不可能でもこのくらいはできる」

「……あんたすげえよ。俺の中で一番の炎使いだ」


 今までジャレッドの中では炎属性魔術師として最優なのはローザ・ローエンだと思っていた。だが、上には上がいる。身震いするほどの火力を秘めた業火を宿す老人は、宮廷魔術師すらを凌駕した魔術師だと言っても過言ではない。


 それだけに惜しまれる。なぜ私利私欲のためにしか、己が正しいと信じたことにしかその魔術を使うことができなかったのだろうか。


「お褒めに預かり光栄だと言っておこう。さあ、貴様はどうする? 私を殴り殺すか? それと――」


 ルーカスは不意に言葉を止めた。

 その理由は彼を中心に影が覆ったからだった。最初は雲が頭上に広がっているのだと思った。しかし、魔力を感じだ。今まで老人が感じたこともない壮大な魔力だ。眼前に敵がいながらも確認しないことはできなかった。


「馬鹿、な」


 顔を上に向けた老人は、言葉を失った。

 空に広がるのは視界を覆うほどの質力を持つ岩石の塊だ。まるで小規模の山が空に浮いているかのごとく、巨大な岩石が宙に鎮座している。

 誰が、いつの間に、などと愚かな問いかけはしない。なぜなら誰がこのようなことを成し得たのかはわかっているのだ。


「貴様の仕業か……貴様のどこに、これほどの質量を生み出すことができる魔力が備わっているのだ! 人間が有していい魔力量ではないぞ!」


 ルーカスはまたしてもジャレッドを見誤っていたと悟った。彼の魔力量は魔術が最も盛んだった時代でもそうそういなかった。魔力量とは生まれながらに決まる。人間も、竜も、魔物も、途中で魔力が増えることはまずない。

 過去の時代においても、魔力量だけは増やすことができず、永遠の課題だった。現代のように魔術が衰えた時代ならば、後天的に魔力量を増やすことなどまず不可能である。


 ならばやはりジャレッドの魔力量はありえない。人間が有していい範囲を超えている。いや、それ以前の問題だ。山のような岩石を、たった数分の会話の最中に生み出すことなど人間では不可能なはずだ。ルーカスが知る限り、そんなことができるのは精霊か竜だけだ。

 ジャレッドが精霊に干渉を可能とする精霊魔術師であることも理解しているが、それでも人間の範疇から超えることはまずありえない。


「……化け物め」


 はじめてルーカスは少年を魔術師とではなく、理解ができない化け物として認識した。


「だが負けるわけにはいかないのだ!」


 魔術の衰えた現代に、規格外の魔術師が生まれたことは不幸だろう。少年が使うような単純な魔術しか残っていないのなら、魔力も宝の持ち腐れである。

 と、本来なら言っていただろう。だが、頭上に間違いなく自分を圧殺するために生み出された小山を掲げられては、なにを言おうと負け惜しみになる。


「覚悟はいいか?」

「もう勝者のつもりか! 確かにあの質量の岩石を生み出したことには驚嘆する。だが、私の炎があれば敗北することはないとなぜわからない!」


 老人には自信があった。確かに岩石の山を生み出されたことには驚愕したが、所詮はそれだけ。業火によって焼き砕けばいい。それができる自信と、経験がルーカスにはあるのだ。


「なら力比べだ。全力をもってお前を倒す」

「望むところだ。我が炎と貴様の岩石のどちらが上か確かめようではないか!」


 あらん限りの魔力を業火に継ぎ足し解き放った。

 頭上に向けて放たれた業火は、竜の吐息のごとく。余波で生まれた熱波は、倒壊した建物の残骸を燃やしながら吹き飛ばす。


 対してジャレッドは熱から己の身を守りながら、一度天に向けてあげた腕を勢いよく下ろした。それだけの行為で、宙に浮く岩石の山が勢いよく下降し始めた。

 まるで天罰が降り注ぐかのごとく、老人に向けて小山が接近する。ただの岩石の塊ではない。その塊を構成するひとつひとつが地属性魔術師であるジャレッドの規格外な魔力で生成されたものなのだ。


「この魔術に名前はない。ただ、岩の塊を降らせるだけだ。圧殺されろ、ルーカス・ギャラガー」


 老人の業火と少年の岩石の山がぶつかった。

 業火は岩石の表面を焼き、溶かしていく。それだけでは飽き足らず、魔力を込めて作り出した岩石を蒸発させ始めたのだ。

 思わず息を飲む火力だ。しかし、それは続かない。未だ老人から放たれる炎の勢いが弱くなる。小山の三分の一を溶かしただけで、老人の魔力の大半が消費されたのだ。


「おのれっ、おのれおのれおのれっ、貴様はどれだけの魔力をつぎ込んだというのだ!」


 つまり、単純な魔力量で敗北したのだ。

 五十の魔力を持ってしても百の魔力は打ち破れない。お互いに十全の魔力を扱えているのならなおさらだ。


 炎によって融解した表面を老人に向けて小さくなった岩石の塊が近づく。逃げることも、迎え撃つこともできない老人は己の失敗を悟る。

 戦うべきではなかった。真正面からではなく、たとえ姑息と罵られようとも息を殺して背後から近づき、殺すべきだった。たとえそれが魔術師のすることではなかったとしても。


「私の悲願がっ、私の夢が! おのれ、小僧がっ、五百年の私の野望を! おのれぇえええええええええええええええええっ」


 魔術師としての格が違うのだと思い知らされながら、老人は太陽のごとく炎を纏う岩石に容赦なく押し潰された。




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