28.救出劇 プファイル対エルネスタ・カイフ2.
とん。
軽い音を立てて放たれた秘儀は、ゆっくりと風の渦に守られたエルネスタに吸い込まれていった。
暴風も、風の障壁も、エルネスタの肉体もが、矢を阻むことができなかった。
胸の中心を綺麗に射抜いた破魔の一矢が、背中から現れる。射抜いたときには存在していなかった、黒いもやの塊を矢の先端に刺して。
目を細めて矢の行方を追っていたプファイルは、その黒いもやこそ呪術であると確信した。
破魔の一矢は、呼んで字のごとくの効果を与える。肉体に一切傷を与えることなく、ただ魔だけを祓う、東方の巫女が扱う最難関の秘儀であるのだ。
エルネスタを操っていたものは呪術。魔に属するものだ。敵に呪術師がいると知ったときからプファイルは用意していた。不完全ながら取得することができなかった秘儀を、再び使いこなせるよう限られた時間の中で取得しようとしたのだ。
己に貸した鍛錬の中で、脳裏に浮かぶのはエルネスタの顔だった。すると今まで使うことができなかった秘儀に手がかかったのだ。
この場で放った一矢は賭けであったが、信じていた。自分ならエルネスタ・カイフを救えると。まるで暗殺者らしからぬ願望じみた確信だった。しかし、その勘に従った。それしか救う手立てがなかったのだ。
彼女のためならば呪術師を捕まえ、想像を絶する拷問をしてでも解呪させただろう。だが、時間が惜しい。エルネスタが呪術によって潰れてしまうよりも早く助け出したかった。
そして成功した。
呪術を見事射抜いた矢が、エルネスタの体を抜けて、後方に立つ大木に突き刺さった。
刹那、大木を中心に魔力の閃光が輪となって放たれる。目が眩むような閃光に強すぎる魔力が怯えていることを察したプファイルは、想定外の事態に慌てることなく、地面を蹴る。
射抜かれ呆然としているエルネスタの体を抱きかかえ、障壁を幾重にも展開した。
次の瞬間、つんざくような光の帯が周囲を薙ぎ払った。
大地を、木々を、建物の残骸を、倒れている人間を、残っていた暴風と魔力の残滓をすべて平等に力任せに一掃した。
魔力が枯渇することを覚悟して張った障壁を何枚も砕き、最後の一枚とプファイルと彼に抱かれるエルネスタを残し、周囲一帯が更地となった。
「……改善が必要だな」
すべての魔力を消費したプファイルが息も絶え絶えに、己の放った秘儀のでたらめさに呆れた。
「う……プファ、イル……」
「気分はどうだ?」
一時的に気を失っていたエルネスタが目を開けた。安堵の息を吐き、声をかけると彼女は瞳から涙をあふれさせた。
「私、私……あんなことしたくなかった。本心じゃなかったの」
「わかっている」
「兄のことだって、確かに恨んだこともあったけど、死んでよかったなんて思ったことなんてないわっ」
「大丈夫だ。私はわかっている。エルネスタはそのようなことを思ったりしない。辛かった記憶や感情を、呪術によって悪い方向に肥大させられていただけだ」
「私のせいでっ、みんなに迷惑がかかってしまったわ。まさか、オリヴィエさまが、反逆者の人質になってしまったなんて」
この様子ではすべて覚えているのだろう。
嗚咽を零しながら、自分のしたことを恥じるエルネスタにはもう呪術の影響は見て取れなかった。
「お前を責める人間は誰もない。すべて呪術をかけた者が悪いのだ。今は、ただ自分の身を案じてほしい。無理な魔力を使っていたはずだ。今はなくとも、いずれどこかに影響がでる」
「でもっ……私、どうやって償えばいいの?」
「償う必要などない。あの屋敷の全員が、エルネスタの無事を待っている。お前は、みんなに無事だと元気な顔を見せてやればいい」
ボロボロと涙を流し、エルネスタは頷く。
本心では納得しきれていないだろう。操られたせいだとしても、覚えているのなら罪の意識を抱くのはしかたがないことだ。こればかりは時間と、ジャレッドやオリヴィエたちが無事でいることを自分で目にする間で続くはずだ。
「もう大丈夫だ。帰ろう、エルネスタ」
震える体をそっと抱きしめる。壊れものを扱うように、慎重に腕を回し支えた。
嗚咽が大きくなり、鳴き声と変わる。
「今は泣け。泣いてすべてを洗い流してしまえ」
エルネスタの涙が止まるなら、いつまでも抱きしめていよう。
プファイルは、助けることのできた彼女を守るように力を込めた。
※
「もういいわ。ありがとう、プファイル」
「構わない」
どれだけ泣いていたのか、すっかりエルネスタの目元は赤く腫れあがっていた。
泣き止んだ彼女をいつまでも抱きしめていることはできず、名残惜しいがプファイルは静かに腕を解いた。
「あなたの声がずっと聞こえていたの。私のためにこんなに傷だらけになってしまったのね。ごめんなさい」
「私はただ、お前を助けたかった。他に理由はない。謝罪も不要だ。この結果に私はこの上ない満足している」
「あの、ね、その、全部聞こえていたの。あなたが、その私に、恋をしているって。愛しているって。……本当?」
心なしかエルネスタの頬に朱が差している気がした。
もう心配ないと安心した。
「私の気持ちは聞こえたままだ。ずっとお前と一緒にいると心地よかった。操られてしまったお前のことを助けたくてしょうがなかった。その強い想いに名をつけるなら、愛だ」
恥ずかしげもなくそんなことを真顔でいうプファイルに、顔だけでは飽き足らず首まで熱を帯びた自覚をしたエルネスタ。
愚直すぎるほど真っ直ぐな想いに、悲しみと苦しみに圧迫されていた胸が温かくなっていくのがわかった。
「私は私の気持ちを告げただけだ。お前になにも求めない。私は、ただエルネスタ・カイフが笑顔でいてくれればそれでいい」
殺し文句だった。
言葉にできない感情がエルネスタの心の中に津波のように現れる。
辛い想いも、悲しい想いも、悔しい想いもたくさんした。自分が不甲斐なく、操られながら何度も泣きそうだった。いっそ死んでしまいたかった。あまりにも情けなくて、助けさえ求めることが憚られた。
だが、今はこの上ない幸せだった。
自分をまっすぐに愛してくれる少年がいる。たったそれだけで、傷だらけになっていた心が癒されていく。
「ありがとうプファイル。私も大好きよ」
感謝の気持ちと、同じように彼と一緒にいることに安心と安らぎ、そして言葉にできない感情を抱いていたエルネスタは、今日初めてその感情に名前を付けることができた。




