0.Prologue.
アルウェイ公爵家は炎に包まれていた。
正統魔術師軍によって乗っ取られている王立魔術師団のせいではない。
「ふん――国防を担う魔術師とはいえこの程度か」
灼熱の髪を揺らし炎を纏う大陸一の暗殺組織ヴァールトイフェルの次期後継者にひとり――ローザ・ローエン。
戦闘衣ではなく、アルバイト先のウエイトレス姿というのが少々場違いを思わせるが、公爵家を覆う炎は彼女の手によるものだった。
「……化け、物、め」
彼女の眼前に、最後の敵が恐怖の言葉を残し灰となって崩れ落ちる。
「なんとでも言えばいい。どうせ敗者の言葉など誰にも伝わらないのだ」
感情を表すことなくローザは吐き捨てた。
「ローザさま!」
だが、少年の声が後方から聞こえると、彼女の瞳に感情が宿る。熱と照れが、炎を纏いながらも氷のように機械的に人を殺していた彼女へ人間らしい躍動を与えてくれる。
「ご無事ですか、ローザさま?」
「もちろんです。コンラートさま。数こそいましたが、私に勝てるほどの力を持つ者はいませんでした。それよりも、炎で守っているとはいえなにが起きるかわからないので、屋敷の中へ」
「ですが……」
ついローザは頬が緩むのを自覚した。
コンラート・アルウェイ。まだ幼さが残る、公爵家の末息子。居候先の友人の弟でもあると同時に、自分などに想いを寄せてくれる変わり者だ。
今もそうだ。圧倒的な力量によってなんの躊躇いもなく人を焼き殺したローザを案じるなど――恋は盲目とはよく言ったものだ。
「お母さまが心配します。さあ」
努めて優しい声を出し、少年を屋敷に戻らせる。
主を心配する子犬のように何度も振り返る少年の姿に、思わず声をかけたくなったが堪えなければならい。
コンラートの姿が屋敷の中に消えるとようやく息を吐く。そして、屋敷の中庭に倒れる、襲撃者たちを一瞥する。
「なぜこのタイミングで王立魔術師団が動いたのか気になるな。私が知らないなにかがおきている」
この屋敷にローザがいたのは偶然だった。
いつものようにアルバイトに出かけた彼女のもとへ、コンラートの使いから会いたい旨がしたためられた手紙を受け取り、今日も会いにきた。彼の母に歓迎されることにもなれ、他愛ない話をしていたところ――屋敷を王立魔術師団が取り囲んだのだ。
アルウェイ公爵家にとっては運がよく、王立魔術師団にとっては不運だった。
ローザを排除対象とした魔術師たちとの戦闘が始まるも、例え彼女ひとりとはいえ根本的な戦闘力の差は歴然であり、結果は現在に至る。
屋敷を覆う炎も、ヴァールトイフェルの禁を破ってまで屋敷を守るために防御として放ったのだ。
「おそらくアルウェイ公爵家以外の貴族も襲われているはず――だが、オリヴィエたちの安否のほうが気になるな」
戦闘中感じ取った怒りに任せた魔力の高まりは、ジャレッドのものだろう。
つまりオリヴィエたちも同じように襲撃されたのだ。
だが、ローザはこの場を動けない。アルウェイ公爵家が無事なのは、ひとえに彼女のおかげなのだから。
「私も変わったな。まさか、こうも他人のことを気にかけるようになるとは」
驚くべき変化だが、不快ではない。
他ならぬローザ自身が、今の自分を気に入っているのだからそれでいい。
「ジャレッド、私はここから動かない。それがオリヴィエのためにもなる」
この場にいない甥に不安が残る。単純な戦闘力では自分を超える逸材だが、甘いところが目立つ。暗殺者ではないのでしかたがないことかもしれないが、いざというときにその甘さが足を引っ張りかねないと思うのは致し方ない。
甥の甘さは後手に回れば回るほど、足を引っ張るだろう。屋敷への襲撃がそうなっていないことを、ローザは願う。
「あれは、アルウェイ公爵か」
近づいてくる人影を見つけると、彼女も足を進めた。その時だった。
「――っ」
雷鳴が轟いた。
魔力を帯びた雷が、離れた場所にあるアルウェイ公爵家別宅に落ちたのだ。
感じ取れる魔力量は自分と同じか――いや、それ以上。
「そうか、奴が動いたか。私の分まで頼むぞ」
増援を知ったローザは、自分を家族だと呼んでくれる者たちの安否をただただ願った。




