24.オリヴィエ・アルウェイとリリー・リュディガー 4.
少しだけ冗談を交えて気持ちを落ちつけると、オリヴィエは改めてリリーに問う。
「ねえリリー。真面目に訊かせてほしいのだけれど、あなたは本当にジャレッドと結婚したいのかしら?」
「うん。許されるのなら結婚したい。きっとわたしはもうジャレッド以外を好きになれないと思うんだ」
即答した年下の幼なじみから嘘偽りは感じない。はっきりと断言したのだ、信じるべきだ。どうも人を疑う癖がいまだ健在であることに小さく嘆息してしまう。
「愛情はあるのかしら?」
「あるよ。あると思う」
「はっきりしないわね。そこははっきりしてほしかったのだけれど?」
結婚したいと断言した少女とは思えない、控えめな返答。
その真意を知りたく重ねて尋ねる。
「わたしは今まで恋愛をしたことがないし、異性を深く愛したことなんてないんだ。だから、この暖かで胸を苦しめる感情が愛情かどうか断言できない。でも、仮にこの気持ちがジャレッドに対する愛情であったとしても――」
一度、言葉を止めリリーは年上の幼なじみを見て微笑んだ。
「オリヴィエよりもジャレッドのことを強く思っている――なんてことは口にできない」
「あら、その程度なの?」
「君からすればきっとその程度の想いかもしれない。これでも恋している自覚はあるし、できることなら生涯かけてそばにいたいと思っているのだよ」
リリーは恋をしたことがない。家族愛、友人愛とは違う、異性への愛情を知らない。だが、それはオリヴィエも同じだった。
難しくなど考える必要はない。人を好きになり、一緒に居たいと思えるのなら立派な愛情である。
ことを難しく考える幼なじみに、再び嘆息したオリヴィエは妹に言い聞かせるような声音で告げる。
「あなたのその感情は立派な愛情だと思うわ」
「そう、なら嬉しいかな」
頬を紅潮させて微笑むリリーは、普段のボーイッシュさが消えて実にかわいらしく映る。この場にジャレッドがいなくてよかったとつい思ってしまうほどだった。
「でも、オリヴィエとジャレッドの関係を壊してまで我を通したいかと問われればそうじゃないんだ。わたしはオリヴィエのことが好きだし、オリヴィエのことを好きなジャレッドに惹かれたんだから」
「――そう、なの」
幼なじみの独白は驚くべきものだった。
リリーと違いオリヴィエはジャレッドのそばにいるためならなんでもすることができる。くだらない脅しに負けるつもりはないし、嫁き遅れだと悪く言われようと構わない。
側室の件だって、ジャレッドのためになるのなら受け入れるつもりでいる。ただ、愛しい婚約者を独占したいという気持ちが、頭で考えたことと違う行動をさせてしまうのだ。
対し、リリーは違う。結婚できれば立場を気にしないといい、それどころか自分とジャレッドの関係を壊すくらいなら身を引く覚悟もある。無償、とはいかずとも深い愛情だと思わずにはいられない。
彼女の愛情の中に、オリヴィエも含まれていることが嬉しくて、同時に申し訳ないのだ。
ゆえに言葉がつまる。そして、心の底で静かに眠らせていた感情が浮き彫りとなり、表情を陰らせることでリリーに伝わってしまう。
「どうしたんだい?」
「あなたはジャレッドがわたくしを好いてくれると言ってくれたけれど……」
「まさかとは思うけど、好かれていない、愛されていないなんてことを思っているわけじゃないよね?」
――はぁ、とわざとらしいくらいに深くため息をつくリリー。
呆れたような、いや、少しだけ微笑ましいものでも見るような視線が自分に向けられたことに気づいたオリヴィエは、慌てて否定する。
「そんなことはないわ。べつにわたくしは鈍感ではないもの。あれだけ身を挺してくれればジャレッドがわたくしに愛情を抱いてくれていることはわかるわ。でも、家族愛のような気がするの。あの人が家族を欲していることは知っているけど、女として妻として愛されているのか不安になることだってあるのよ」
「……一応、聞いておくけど。家族愛のなにが不満なんだい?」
「不満なんてないわ」
言葉通り不満なんてあるはずがない。ジャレッドのオリヴィエへの愛情は疑う余地がないほど本物だ。ただし、愛情を受けている本人が、家族愛であると感じ取っている。
これから妻になる女性として愛されたいと願うのは、決してわがままではない。しかし、オリヴィエ自身は恥じている。それでも、願望は捨てられない。
そんな想いが、ジャレッドへの不安として現れることもあるのかもしれない。
側室の件も同じだ。愛情を信じているならば、側室がいても構わないと言い放ちたい。
母を苦しめたコルネリアのことなど、今はもう気にもしていないし、周囲の女性がいずれあの側室のようになるなどとも疑ってもいない。
結局――オリヴィエは自分に自信がないのだ。初めての恋愛に、戸惑っているのだ。
まだ婚約者と出会って半年も経っていないにも関わらず、関係は密であり、乗り越える出来事も多々あった。その度に絆を深め、心を近づけていった。だが、早すぎたのかもしれない。
初恋を二十六歳までしたことがなかったオリヴィエには、ゆっくりとした歩みが必要だったのかもしれない。
「君たちはもう家族じゃないか。ジャレッドの帰る家はこの屋敷で、君のもとなんだ」
恋のライバルを元気づけるのはどうすればいいのかとリリーは迷う。彼女もまた恋をしたことがなかったため、適切な言葉がすぐにでてこない。
それでも、ゆっくり言葉を吟味し、オリヴィエの心に届くように伝えていく。
「十分すぎるほど君は愛されているよ。わたしが羨ましいと思ってしまうほどにね。きっと、ジャレッドは想いを口にしてくれないんだね。オリヴィエさま、と呼ばれているのも不安の原因かな?」
「――っ」
「図星、のようだね」
心中を暴かれたせいで、頬が熱くなる。所詮はただのわがままだとわかっているが、小さな不満だってあるのだ。
「とても大事にしてくれているのだと痛いほどわかるし、嬉しくて泣きそうなこともあるわ。でも、リリーたちのように呼び捨てにされたいし、もっと気易く接してもらいたいわ」
「きっと、彼に想いを寄せる人間からすればオリヴィエのことが羨ましいと口をそろえると思うよ」
リリーから見れば、ジャレッドはオリヴィエのことを宝物のように扱っているようにしか見えない。
お互いにないものねだりなのだ。ジャレッドがなによりもオリヴィエを大事にしていることは彼を見ていればわかる。少しだけリリーの胸が痛んだ。
――ああ、これがそうか。これが愛するということか。
リリー・リュディガーは、心底――オリヴィエが羨ましい。そう自覚した。




