28.ジャレッド・マーフィーの決意1.
アルウェイ公爵にヴァールトイフェルを名乗る襲撃者に襲われたこと、オリヴィエたちに近づくなと忠告されたことを伝えたジャレッド。
ラウレンツはジャレッドの無事を確認すると、公爵に頼まれて町の見張りの強化をするように騎士に伝えに向かったため、この場にはいない。公爵がラウレンツを遠ざけるために頼んだのかもしれないと思える。
公爵は血を流し絶命している襲撃者を睨むように見つめていたが、大きく息を吐きジャレッドにむかって口を開いた。
「間違いない、ヴァールトイフェルだ」
「確信があるのですか?」
「残念なことにあるんだよ。ヴァールトイフェルといえば大陸一の暗殺組織だ。私たち貴族の中にはどうしても倒さなければならない相手を殺すために雇う者もいる」
公爵の言葉に驚きを隠せなかった。
少なくともジャレッドの知るアルウェイ公爵は暗殺者とは無関係な人間に見える。しかし、彼は知っていると言う。
「勘違いしないでほしい、私は彼らに依頼をしたことはない。ただ、私の祖父が手に負えなかった相手に一度だけ利用したことがあると聞いている。私が公爵を継いだとき、万が一のためにとヴァールトイフェルを紹介されたんだ」
「ヴァールトイフェルはオリヴィエさまとハンネローネさまを狙っています。なにか心当たりは?」
「ありすぎる……」
苦虫を噛み潰した表情で公爵は拳を握りしめた。
「ハンネは、正室だがオリヴィエ以外の子供を産んでいない。私にも責任があるが、貴族の妻が男児を産めなかったということは大変なのだよ」
ジャレッドも貴族なので一応はわかる。だが、爵位を継ぐことがないと思っていたジャレッドにはどこか他人事だったと思っていた。
「私の跡継ぎは側室が産んだ男子の中から優秀な者を選ぶと決めているが、そのせいで兄弟たちの仲は悪い。どの貴族にも言えることだが、家督を継ぐのはひとりだけだからね」
「後継者争いが原因でしたら、オリヴィエさまやハンネローネさまがなぜ?」
「跡継ぎを産めなかったハンネが正室の立場であることを快く思わない人間がいるということだよ。それこそ、亡き者になればいいと思うほどにね」
「それは……」
あまりにも身勝手で酷い言い分だ。
なによりも自ら手を汚すのではなく、暗殺者を雇って相手を殺そうという考え方も気に入らない。
「オリヴィエたちを別宅に住まわせたのも、正室であるが扱いが悪いのだと側室たちに思わせるためだ。誰がハンネをよく思っていないのか探ってはいるが、なかなか尻尾を掴ませてくれない。だが、まさかヴァールトイフェルを雇うなどとするとは……許せん」
静かに、だが確実に怒りの炎を宿している公爵に、ジャレッドは提案する。
「俺が守ります」
「ジャレッド?」
「俺は決めました。今から王都へ戻り、今日から同居を始めます。自分の力を過信するつもりはありませんが、今回の襲撃者程度なら準備をすれば迎え撃てます」
「いいのか? 私たち家族の問題なのだよ?」
「今さらです。俺は、オリヴィエ・アルウェイさまの婚約者ですよ?」
ジャレッド・マーフィーは別にオリヴィエ・アルウェイに恋をしているわけじゃない。会った回数も少なく、婚約者が名ばかりだということも知っている。
それでも、オリヴィエとハンネローネを守りたいと思ったのだ。
「すまない、ありがとう」
公爵は深く頭をさげ、言葉こそ短いが感謝の気持ちを口にした。
「君がオリヴィエの婚約者になってくれてよかった。あの子に今必要なのは私のように愛するものを守れない人間ではなく、君のように心から信頼できる人間だ。私の愛する家族のことを頼むっ!」
公爵の願いを受け入れたジャレッドは、彼とともに広場に戻り、急遽帰路につくことになった。
ラウレンツは公爵と一緒に馬車で王都に戻ることになっていた。おそらく、急いでいないので飛竜を避けたかったのだろうと推測する。
ジャレッドは改めて、住民たちと別れの挨拶を交わし、ラウレンツと王都での再会を約束する。
公爵と目が合い、互いに頷き合うと、飛竜の背に乗って王都へ飛び立つのだった。
そして、一時間の空の旅を終えると、戦闘衣のままオリヴィエの屋敷に向かう。
「……ジャレッド様?」
庭で花壇の手入れをしていたトレーネが、突然現れたジャレッドに表情を変えないもわずかに目を見開く。
「やあ、オリヴィエさまはいるかな?」
「はい、呼んできますので中にどうぞ」
と、トレーネが屋敷の中へ戻ろうとしたそのとき、
「トレーネ、お母さまが探していたのだけど――あら、ジャレッド・マーフィー?」
屋敷からオリヴィエ本人が現れ、庭に立っているジャレッドを見つけて驚いた顔をした。
「お久しぶりです、オリヴィエさま」
「ええ、お久しぶり。今回もご活躍だったそうね。まさか竜種を倒しに向かったはずが、竜種を助けるだけでも驚きなのに、冒険者まで退治するとは思ってもいなかったわ」
「俺自身がいまだに驚いています。ですが、竜種はとてもいい子でした。町が復興すれば、ぜひ会ってあげてください。きっと気に入りますよ」
「考えてみるわ。ところで、突然現れたから驚いているのよ。あなたが帰ってくることはわかっていたのだけれど、まさかわたくしのところへそのままくるとは思ってもいなかったわ。婚約者に心配をかけたことを謝罪しにきたのかしら?」
相変わらずな物言いに、ジャレッドはホッとした。少なくとも、自分のように襲撃にあったとは思えない。
しかし、今だからこそ気づけたこともある。
建物には戦闘の痕が残っている。修復したのだろうが、すべてを隠せていない。そして、集中するとわずかに魔力の残滓が漂っている。ここ二週間以内に誰かが敷地内で魔術を使ったのだろう。おそらくトレーネだ。
彼女から魔力をあまり感じないが、意図的に隠していることくらいはわかる。
はじめて会ったときにも感じたが、隠密性に長けた行動は訓練された者の動きだ。だとすれば、この屋敷の中で戦闘行為を行えるのは彼女だけ。
オリヴィエとハンネローネが他に護衛も家人も置かずにいるのは、トレーネのことを信頼しているためだろう。そして、戦力を持っていることも理由のはずだ。
現在もトレーネは、突然現れたジャレッドに警戒心を抱いていることがわかる。
「いいえ、オリヴィエさまにお伝えしたいことがあります」
「なにかしら?」
「俺と同居する話がありましたよね」
「ええ。もしかして、怖気づいてしまったかしら? でも、お母さまが楽しみにしているから、同居したくないとは言わせないわよ」
「これから荷物をとってきますので、今日からお願いします」
「――え?」
想像していたこととジャレッドの回答が違ったせいか、想定外の出来事に間抜けな声を出してしまうオリヴィエだった。
彼女の隣では、珍しくはっきり驚いているとわかるほど表情の変化を見せたトレーネの姿もあった。
「ど、どういうこと?」
「どうもこうも、俺はオリヴィエさまと一緒に暮らすことになってましたよね?」
「え、ええ、なっていたわ。あなたが準備でき次第、同居すると」
「ですから、準備も覚悟も決まったので――今日から同居します」
未だ呆然としているオリヴィエに、ジャレッドははっきりと言い放った。




