0.prologue.
リズ・マーフィーの自殺の元凶となる人間たちが捕らえられてから二週間が経っていた。
すっかり夏らしい暑さの今日――ジャレッド・マーフィーに宮廷魔術師第七席『風使い』トレス・ブラウエルが訪ねてきていた。
亜麻色の髪を清潔に切りそろえた顔立ちの整った青年。柔和な印象を与える優しげだが、強い意志の込められている青い瞳はどこか憂いを帯びている。
彼との出会いは最近だ。
かつてトレスと、ここにはいない宮廷魔術師アデリナ・ビショフとともに宮廷魔術師候補として競いあった男――バルナバス・カイフが、トレスの父ブラウエル伯爵によって宮廷魔術師の道を断たれたことで始まった復讐劇。
ジャレッド以外の宮廷魔術師候補がバルナバスによって殺害されてしまったことは記憶に新しい。トレスも宮廷魔術師でありながらバルナバスによって殺されかけ、家人を惨殺されてしまった。亡くなった宮廷魔術師候補のひとりにはジャレッドの友人であるラウレンツ・ヘリングの師匠となる人間もおり、必然と友人が復讐に走ってしまうことになる。太刀打ちできない相手への復讐を止めるため、ジャレッドはバルナバスと戦い、そして殺した。
この一件で、ジャレッドは宮廷魔術師候補から宮廷魔術師になることが決まったのだから、人生なにが起きるかわかったものではない。
トレスたちとの縁はそれだけではない。ヴァールトイフェルを仕切っていたドルフ・エインとジャレッドの婚約者であるオリヴィエ・アルウェイの母ハンネローネの命を狙っていた黒幕であったコルネリア・アルウェイとの戦いでは、アデリナとともにかけつけ力となってくれた。
以来、なにかとつきあいはあり、手紙のやり取りもしている。年齢は十歳ほど離れており、婚約者のほうが歳は近い。オリヴィエとアデリナはよく手紙のやり取りをしているようなのだが、なぜか手紙が届く度に苦虫を噛み潰したような顔をしている婚約者が印象だった。どのような内容なのか気になりもしたが、女性同士の手紙の内容を聞くなどマナー違反だ。
そんな経緯で関係を少しずつ深めていったトレスたちは、宮廷魔術師になれば先輩となる。彼らは未熟であるジャレッドの後ろ盾になってくれることを口頭ではあるが約束してくれている。
世話になっているのはジャレッドだけではない。師を失ったラウレンツをトレスとアデリナが鍛えてくれている。宮廷魔術師二人に教えを乞うなど破格だ。
ジャレッドたちが通う魔術師学園ないだけではなく、宮廷魔術師の部下にあたる魔術師団の面々からも羨望と嫉妬を受けているラウレンツだったが、魔術に対し清く、向上心をもつ彼は自分が恵まれていると承知で教えを受け続け――短い時間で魔術師として大きく成長したことを知っている。友人が優れた魔術師として成長していくことを喜ばずにはいられなかった。
「突然の訪問、申し訳ないね」
「いいえ、オリヴィエさまもいつでも来訪をお待ちしていると言ってくださいましたし、実際、アデリナさまは俺の知らないところで何度か尋ねてきているそうです」
「ははは。彼女はオリヴィエさまと色々と話したいことがあるそうだからね」
「仲よくしてくているならよかったです」
「……それはどうかなぁ」
「はい?」
「いや、なんでもない。なんでもないよ。さっそく本題に入らせてもらうけど、今日君を訪ねてきたのには理由があるんだ。その――」
冷たいお茶で喉を潤したトレスは、少しだけ言いにくそうに口ごもるが、意を決意して口を開く。
「バルナバス・カイフを覚えているかい?」
「もちろんです。俺が殺した相手を忘れるはずがありません」
「彼を止める手段はなかった。君が気に病むことじゃない。むしろ、僕たちの負債を未成年である君に押しつけてしまったことを恥じているよ」
彼は重傷を負っていたため戦うことはできなかった。回復こそしたが、まだ正式に宮廷魔術師に復帰していないと聞いている。書類仕事や、部下への指導、作戦の指揮はしていても肝心な戦闘はジャレッドのために駆けつけたとき一度きりらしい。
「バルナバス・カイフがどうかしましたか?」
「正直、君にこの話をすることは迷った。アデリナはするべきではないと言ったが、もし別の形で君の耳に話が伝わることを考えたら、僕が直接言うべきだと思ったんだ。――今、残されたカイフ家の立場は悪くなってしまっている」
「それは――」
返答に困った。
バルナバスが行った復讐劇。彼の怒りは正当なものだった。しかし、度を越えてしまったのも事実。無関係な人間を殺してしまったのだ。バルナバスは死に、カイフ家は無関係であるとされたが殺害された遺族の反発は言うまでもなくあったはずだ。
事の責任はすべての元凶であるブラウエル伯爵が取ることとなったが、それでも私財没収や、トレスとの絶縁など決して重いものではない。魔術師協会内にいた不正にかかわっていた人間もすべて投獄されたが、遺族にとっては未だ許すことができるはずがない。
本来、もっとも罪を償うべきバルナバスもジャレッドのよって殺されており、いない。ゆえに遺族の怒りがカイフ家に向かうのは必然でもあった。
ジャレッドが知らないだけで、自分やダウム男爵家、アルウェイ公爵家にも怒りが向けられているかもしれない。
「俺になにかできることは?」
「やはり、そう言ってくれるんだね。ジャレッド、君は優しい。しかし、その優しさがいつか君を苦しめないことを願うよ。もちろん、そんな君に助けてもらうことを期待している僕に忠告する権利などないんだろうけどね」
自嘲するように呟くトレスは、気を取り直して続けた。
「カイフ家に関しては僕とアデリナが守っているから言うほど心配はしていないんだ」
宮廷魔術師二人は伯爵位を持つ。爵位関係なく宮廷魔術師である彼らがカイフ家を庇護するのなら表だって敵対する人間は少ないと思えた。
「問題は――エルネスタ・カイフなんだ」
聞き覚えのある名だった。エルネスタ・カイフ――バルナバスの妹だ。確か魔術師団に属している。
「彼女の場合は、国に仕える魔術師だ。ゆえに、事情を知る関係者から犯罪者の兄を持ったと白い目で見られ、不遇な扱いを受けている。何度も僕たちが助けようとしたんだが、逆効果になったことや、彼女自身が僕たちの助けを望まなかった。無理もないよ――バルナバスを蹴落としたのは僕の父だ。アデリナも脅されていたとはいえ加担してしまった。エルネスタにとって僕たちの存在は許せるものではないんだろうね」
バルナバスとトレスは友人だった。ならば、エルネスタもトレスにとっては昔から知る知己であったはずだ。どれほどの仲だったのかまでは知らないが、友人の妹に対するトレスの想いは想像すらできなかった。
「俺はなにをすればいいんですか?」
「いいのかい? こうして訪ねてきておきながら、言いたくないが、きっと面倒なことになる」
「気にしないでください。俺はトレスさまたちに先日助けてもらいました。その恩返しです。なによりも――バルナバスは俺が殺しました。彼の妹が苦しんでいるのなら、他人ごとではありません」
「――ありがとう」
トレスは深く頭を下げた。
そして、顔を上げた彼は、
「エルネスタ・カイフを君の秘書にしてほしい」
そう願ったのだった。




