15.ヴァールトイフェルの事情3.
屋敷に戻ったジャレッドを見送ったプファイルとローザ。
「なぜワハシュが王都にきていることをジャレッドに伝えなかった?」
「伝えてもいたずらに奴を混乱させるだけだ」
プファイルは、ジャレッドに事情こそすべて明かしたが、現況を伝えなかったローザに咎めるような視線を向けた。
「そうかもしれないが、ワハシュはジャレッドに間違いなく会いにくるはずだ」
「それはそれだ。今、ジャレッド・マーフィーに余計ないことを伝えればルザー・フィッシャーに殺されてしまう可能性が高くなる。奴は甘いからな」
ジャレッドの甘さに関してはプファイルがよく知っている。
敵と味方の区別がしっかりできる男だと思っているが、一度味方だと認識してしまうととことん甘くなるのがジャレッド・マーフィーという男だ。
プファイルが一度は命を狙ったハンネローネ・アルウェイとオリヴィエ・アルウェイが暮らす屋敷に滞在が許されているのは、標的だったハンネローネが許したこともそうだが、ジャレッドの甘さも大きい。
ローザがイェニーを攫いジャレッドを追い詰めた一件で、借りを返すために味方になり屋敷を守ったことで一定の信用を得たとも思える。
信頼まではいかないが、プファイルもそこまで厚かましくはない。
今のプファイルにとってアルウェイ公爵家別邸は居心地がいい場所だった。ヴァールトイフェルの一員であることを忘れることはないが、黙々と戦いと強くなることだけを求めていたころとは違う日常を味わうことができる大切な所だ。
ハンネローネたちになにかがあれば、頼まれずともプファイルは守るだろう。
「お前こそ、ドルフ・エインがコルネリア・アルウェイの依頼を受けたことを言わなかったではないか?」
「ジャレッドが冷静でなくなることを避けたかった。それに、お前の言い方は正しくない。コルネリア・アルウェイが依頼したのではなく、窮地に陥っているあの女をドルフ・エインが利用したというのが正確だ」
「結局お前もジャレッドのことが心配だということか」
不思議なものだとプファイルは考える。初めて戦ったときには、こうもジャレッドを心配することがあるとは夢にも思っていなかったのだ。
「ジャレッドに関しては私が気をつけていよう。死ねば悲しむ者が多い」
脳裏に浮かぶのは、ハンネローネとオリヴィエのアルウェイ母娘。そしてトレーネとアルメイダ、璃桜だ。
家族同然にジャレッドを慕っている彼女たちのためにも、万が一を避けなければならない。もうジャレッドはあの屋敷に必要不可欠な存在だとわかっていた。
「お前はどうなんだ?」
「そうだな……私もきっと悲しむだろう。しかし、それは私とジャレッドが再戦できないからだ。他に他意はない。私たちは友人ではないのだから」
「そういうことにしておこう。ならば、ジャレッドに関してお前に任せた。私はフレイムズ他、王都にいる裏切り者どもを探す」
とくに後継者とされていた者たちだけはローザ自らの手で断罪しなければ気が済まない。
他の者に役目を取られてたまるかと、意気込む。
「生活する当てはあるのか?」
「金はあるので問題ない。それに、ヴァールトイフェルの支援者の店で住み込みとして働く手はずになっている」
「身分を偽るのか。どんな店だ?」
「家族向けのレストランだ」
「まさか、お前が給仕をするのか?」
珍しく目を丸くするプファイルに対し、ローザは当たり前だと言わんばかりに答えた。
「他になにをしろと言うんだ? 決め手はかわいい制服だ」
「……」
同僚の意外な嗜好に唖然とするプファイル。正直、年齢を考えろ、と喉まででかけたが、必死に飲み込んだ。
女性に対して不用意な発言をしてはならないと、ここ何日かで嫌なほど学んだ。
ジャレッドがオリヴィエやアルメイダの怒りに触れるようなことを言っては仕置きされているのを見ているのだ。ときにはプファイルが巻き込まれたことも、空気を読まない発言のせいで仕置きされたことも一度や二度ではない。
とくにアルメイダの仕置きは過激だった。「ちょっと鍛えてあげるわ」などと言って、殺されそうな目に遭わされるのだ。
力などなにもなかったかつてジャレッドが彼女と訓練し、よく生きていたと感心してしまった。
「戦闘者として死ぬことは覚悟しているが、生きていれば引退することもあるだろう。いつかは自分の店をもってみたいものだ。プファイルはどう思う?」
「私は戦いに生き、戦いに死ぬ。それしか考えられない」
「だが、父もいずれはヴァールトイフェルを畳むだろう。今回のことが起きれば、なおさらだ」
「そのときが訪れれば考える。今はただ、強くなり、敵を倒すことだけ考えよう」
「お前らしいな」
苦笑するローザに、プファイルも笑みを返す。
なんだかんだといってローザとは付き合いが長かった。他の後継者と違い、仲間としてなら接しやすい。ローザもプファイルに姉のように振る舞うことがあり、関係は良好だといえよう。
できることなら、いずれ引退するときまで彼女には生きていてほしいとプファイルは願った。
*
ルザー・フィッシャーは、名もなき組織が所有する屋敷で酒を飲んでいた。
傍らに白ずくめの少女が控えているがいつものことなので気にしない。食事のときから就寝のときまで常に近くに控える少女がいつから一緒にいるのかもう覚えていなかった。
「元気そうでよかったよ」
「ジャレッド・マーフィーのことですか?」
独り言のように呟いたルザーの声に、少女が問う。
頷きグラスを傾けると、彼は嬉しそうに微笑む。
「自慢の弟だからな。宮廷魔術師になることが決まったなんて、拳の使い方を教えた身としては鼻が高いさ」
ジャレッドに対し、復讐すると言っていたのが嘘のように過去を懐かしむルザーの表情は穏やかだった。
彼は、フレイムズを抱えて屋敷にたどり着くと、目を覚まし痛みで絶叫をあげた同僚を再度気絶させると、適切な手当てを施し、ベッドに放り投げていた。
数日後にはけろりとしてジャレッドにリベンジに向かうフレイムズが安易に想像できる。止めなければならないことが面倒ではあるが、それがルザーの役目である以上、従うしかない。
「ルザーはジャレッド・マーフィーを恨んでいるのではないのですか?」
「恨んでいるさ。あいつは約束を守らなかった。だけど、大切な弟だ。憎くもあるし、愛しくもある」
「そう、ですか」
なにかを考えるように返事をする少女に対し、とくになにかを発することなくルザーはグラスの中の液体を飲み干すと、立ち上がる。
「俺はもう休む。お前はどうする――ミア?」
「ご一緒します。私は常にルザーとともに」
「なら休もう」
グラスを片づけるルザーが少女――ミアから離れると彼女は小さい声で、
「ごめんなさい、ルザー」
そっと謝るのだった。




