1.オリヴィエ・アルウェイの憂鬱2.
オリヴィエ・アルウェイは辟易していた。
自室のテーブルにはこれでもかとお見合い写真が広げられている。
「もう嫌だわ……」
トレーネが用意してくれた紅茶すらテーブルに置くことができず、かたわらに立ってもらっている状況が恨めしい。
すでに半分ほど目を通したが、忌々しいほど数が残っている。
写真を見るだけなら流れ作業で終わらせることができるのだが、添えられた経歴や一言、紹介文にも目を通さなければならないので一苦労だ。
酷い場合は今まで誰とも付きあったことがないという知りたくもない過去まで書かれているのでうんざりしてしまう。
「覚悟はしていたけど、こうも多いとは思いもしなかったわ……宮廷魔術師の地位は凄いのだと改めて思い知らされたわ」
「ジャレッド様がオリヴィエ様とイェニー様以外に興味がないことは幸いでしたね。あの方くらいの年齢であれば、もっと有頂天になったりハメを外したりすると聞いたことがありますが、真面目な方でよかったと思っています」
「真面目というよりも、どうでもいいんじゃないかしら」
はぁ、とそろってため息をつくと新たな写真と経歴に目を通していく。
彼女の前に広げられたお見合い写真すべてがジャレッド・マーフィーの側室になりたいという申し込みだった。
宮廷魔術師になることが決まったジャレッドと縁を結んでおきたい貴族や、取り込みたい魔術師の一族が我先にと競うように年ごろの娘の写真を送りつけているのだ。
オリヴィエを手伝い、一緒に作業していたイェニー・ダウムは精神的に疲れてしまったため休ませている。「お兄さまがとられてしまいます……ならば、いっそ……」と物騒なことを呟いていたのが気になるが、今はそっとしておくことにした。
ウェザード王国でも十二人にしか与えられない宮廷魔術師という地位の影響は大きい。宮廷魔術師そのものが伯爵位同等かそれ以上の地位を持ち、貴族としての爵位も与えられる。
父親と不仲であり家を継ぐことができないジャレッドだったが、宮廷魔術師に正式になれば父親よりも地位は上となる。新興貴族ではあるがやはり伯爵位というのは大きい。
これが彼の祖父のように歴史ある男爵家であればまた違うのだが、いざというとき大概の人間は爵位のみで判断する。
ジャレッドが家督を継げなくとも、祖父が自分の跡継ぎにと考えていたので平民になることはなかったのかもしれない。しかし、ジャレッドには貴族であることも平民であること気にした様子はなかった。
そんな彼が伯爵位同等の地位を得ることになるのだから、人生とはよくわからないものだ。
「こちらにあるだけがすべてではないので、よろしければ時間をかけますか?」
「いいえ、ジャレッドには悪いけどよほどのことがない限りは断らせてもらうわ」
勝手だと自分でも思うが、必要以上に側室を増やすつもりはない。
貴族である以上、跡継ぎを生むために正室だけではなく側室が必要なことも理解している。
イェニーのように裏表がなく、昔からジャレッドを一途に慕っていた彼女は受け入れた。
だが、他の家から側室を受け入れるのは難しい。
かつて母ハンネローネ・アルウェイとともに命を狙われていたオリヴィエは、一定の人間以外を信じようとはしない。
今でこそかつて命を狙ったプファイルや、ジャレッドの師匠であるアルメイダ、竜王国の王族璃桜と屋敷で暮らす人間も増えてきた。彼らを受け入れているのはジャレッドが受け入れているからだ。
オリヴィエだけなら警戒ばかりで良好な関係を築くことができなかったはずだ。
しかし、この対慮に送られてきた側室を望む少女たちと関係がうまくいくかと考えると、正直難しいだろう。
彼女たちとはオリヴィエはもちろん、ジャレッドも接点がない。中にはイェニーの知る子もいたが、それだけで側室に迎えるつもりはないのだ。
「ジャレッド様には側室の件はお伝えしなくていいのですか?」
「一応は伝えたわ。お母さまもお父さまも、ダウム男爵夫妻からも正室となるわたくしが見極めなさいと言われてしまったわ」
「聞けば、公爵様とダウム男爵家にも多くの申し込みがあるそうですね」
アルウェイ公爵もダウム男爵も貴族としての付き合いがある。そのため、ジャレッドが宮廷魔術師になることが決まったとわかると是非にと縁談がくるのだ。
それ以前にも、宮廷魔術師候補の立場として公にされていないにもかかわらずどこからか聞きつけた一族から縁談の話は多かったそうだ。
公爵はよほどのことがない限り断ってくれていうのだが、ダウム男爵ではそうもいかないらしい。
「それにしても――みんなわたくしよりも若いわね」
「それは無理ありません。オリヴィエ様は行き遅れですから」
「ちょっとトレーネ、わたくしにも自覚があるのだから言わないで!」
「口が滑りました」
しれっと、表情を変えずにそんなことをいう妹のようなメイドにむすっとするも、トレーネだってオリヴィエよりも若い。
ジャレッドの周囲にいる女性陣の中で、年齢不詳のアルメイダと人間とは生きる年数が違う璃桜を除くと、母に続く年上はオリヴィエなのだ。
先日、顔を合わせた宮廷魔術師アデリナ・ビショフも確か二十五歳――つまり年下だ。イェニーは言うまでもなく十四歳と若い。
そもそもジャレッドが十六歳と十歳も歳が離れているのだから、縁談相手の年齢も若いはずだ。
多くの場合が十五歳から十八歳の少女たちだ。中には十二歳というまだ幼さなさが残る少女までいる。二十歳を超えているのは数えるほどしかいないが、もしかするとオリヴィエの婚約者となったことで年上趣味だと思われているのかもしれない。
「なにが口が滑りましたよ。まったく。それにしても、ダウム男爵は立場的に断り辛いから会ってもらいたいという方がいるらしいけど、そこは父の力を借りてなんとかするとして――まさかリュディガー公爵家からも縁談が届くとは思っていなかったわ」
「明らかにジャレッド様を取り込む気ですね。アルウェイ公爵家と違い、リュディガー公爵家は魔術師を輩出しています。宮廷魔術師になれるほどの才能を持つ人材こそいませんが、そのせいでより魔術師の価値がわかっているとも聞いています」
「そうなのよね。ジャレッドのお母さまが元宮廷魔術師である以上、才能が遺伝すると考えられてもおかしくはないわ。例え、宮廷魔術師になるだけの才能が子供になかったとしても、魔術師の濃い血を一族に取り入れることができればいい。そう考えているのでしょうね」
リュディガー公爵家は、アルウェイ公爵を含む公爵家のひとつである。
ウェザード王国北部に領地を持ち、北部を中心とする魔物との戦いを担う一族だ。リュディガー公爵家の特徴として人材集めを好む傾向がある。優れた者はもちろん、たったひとつの突起した才能がある者がいれば惜しげもなく支援し、そして派閥に取り込むのだ。
中にはリュディガー公爵家に支援されたら勝ち組、という言葉まである。
対してアルウェイ公爵家は王都から近い領地を持ち、王都守護を担う一族だ。部門に秀でたダウム男爵家などの忠臣が存在するのも、王都守護という防衛の要を担っているからである。
騎士団は王国のものであり、魔術師協会は半独立組織だが、王都防衛に限定すれば二つの組織を独断で使う権限が当主にはあるのだ。
アルウェイ公爵家とリュディガー公爵家は国を守るための剣であり楯であるのだが、あまり協力関係があるわけではない。
不仲であるわけがないのだが、ライバル意識があるのか競い合うことがしばしある。
とくに現当主同士が幼馴染みであり、互いに元騎士団員であったこともお互いをより意識する理由になっているのかもしれない。
リュディガー公爵家にとってライバル視しているアルウェイ公爵家が宮廷魔術師と縁があることは面白くはないはずだ。もともとリュディガー公爵家は宮廷魔術師の支援者になっているらしいが、アルウェイ公爵家は特別誰かを支援してはいない。
しかし、ここにきて娘の婚約者が宮廷魔術師になることが決まったのだ。
支援者としての縁と娘の婚約者という縁では、どちらの縁が強いものなのか説明するまでもない。
「あのリリー・リュディガーを側室に送りたいなんて、リュディガー公爵家は本気でジャレッドを取り込もうとしているのね」
写真に写るのは亜麻色の髪を短く切りそろえた快活そうな少女だった。
年齢は十八歳だったはずだ。お転婆と言われても気にせず、剣を振るう少女はかわいらしい名に反して魔物討伐に参加しているという。
リュディガー公爵が子供たちの中でもっともかわいがっているとさえ言われるリリーをジャレッドに送り込んできたことに、本気を感じずにはいられない。
かつてジャレッドに宮廷魔術師になれと言ったのは他ならぬオリヴィエであったが、まさか本当に叶えるとは思っていなかった。
それ以上に、初めて恋心を抱けた年下の少年にこうも縁談が舞い込んでくるとは夢にも思っていなかったのだ。
自業自得であることは承知しているが、それでも盛大なため息をつかずにはいられないオリヴィエだった。




