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殿下の気持ちと二度目の求婚

「この国に来てから君は倒れたり泣いたりと碌なことがないな」

「……ふぇ?」

ややして落ち着いてきた私の頭上に殿下の苦笑が落ちる。

私はまだ殿下にしがみついたままの状態だったから顔は見えないが、眉をハの字にして困ったように笑う彼の顔が見えたような気がする声だった。

「これまでは遠くから見ているだけだったから、君がこんなに感情的になるところを見たことがなかった」

私をあやすように優しく背を撫で始めた殿下はどこか懐かしむようにゆっくりと言葉を紡ぐ。

「初めて見た時はただの内輪揉めのようなものだと思っていた。無実を訴える君も、言い方は悪いがよくある悲劇の一部だと思っていた」

「うっ…、殿下には、本当に恥ずかしいところをお見せしました……」

私は一度目の人生での自分を思い出して身を縮こませる。

頬に熱を感じて、羞恥に顔が染まっているのがわかった。

「いや、あれはどちらかというとファビアン殿の恥だろう。どのような事情があろうと国賓がいる場で行うべきことではないからな。あの場にいたのが俺でなかったら我が国とマリシティ国の国交は断たれていたかもしれない」

そんな言葉を殿下はさらりと言ったが、マリシティ側にしてみればなんともぞっとする話である。

けれどそれは紛れもない事実だ。

それほどマリシティとオークリッドの国力は違う。

「だから二度目の時は少し驚いた。俺も俺で動転していたからちゃんと見てはいなかったが、記憶にある君と目の前の君の行動が違ったからな」

改めてオークリッドという大国の強大さを考えていると、頭上から今度は苦くない笑い声が聞こえてきた。

「君は未練も見せずにその場を立ち去った。毅然とした態度はなるほど王太子妃にと請われるだけあると思えたし、あれが本来の君なのだろうとも思えた」

くくく、と次に聞こえた低い笑い声には愉快そうな音が増えていた。

「三度目の君はなんというか、歯牙にもかけないとはこのことかと思うくらいに潔かったな。こんな茶番はさっさと終わらせて次へ向かっているというのがありありと見えて」

そう言われて私は自分がなんと言ったのか思い出そうとした。

けれど思い出したばかりの記憶たちは断片的で、正確には思い出せない。

いつかに「承知いたしました。ではさようなら」と言った記憶はあるが、それではなさそうな気がする。

「その頃からだな、俺が君という人間を気にし始めたのは」

「へ?」

記憶を探っていた私は殿下の言葉に意識を現実に戻す。

殿下はまだ笑っている気配を纏っていたが、その雰囲気は随分と穏やかなものになっていた。

「それ以前の生で君に何があったのか俺は知らなかった。だが再会する度に君は強くなっていった。嘆くばかりだったか弱い令嬢が大人の女性として次第に輝いていく様を、純粋に美しいと思ったよ」

「殿下…」

「だから君と直接話したいと思ったのかもしれない。まあ、当時は繰り返しの手がかりであるという方が大きかったが」

そんなことまで言ってしまう殿下は良くも悪くも正直で、それは今言わなくてもいいことだろうと内心でツッコむ。

けれどそんな性情すらも好ましく感じてしまうから、恋というのは本当に厄介だ。

「そして次こそはと思っても君はいつも俺の手を逃れていった。なのに漸く手元に来たと思った時には、もう君は壊されていて、解放するためには殺すしかなくなっていた」

だが普段より一音低い音でそう言った殿下の声には苦いものが数倍の濃度で戻ってきていた。

私もハッと身を固くする。

「美しかった君は見る影もなくなっていて、正直俺はそれを見ていられなかった。だからこの生をさっさと終わらせて、またいつもの君に会えるようにと、剣を…」

ぎゅうっと、緩んでいた腕の力がまた込められた。

そして初めてそれがカタカタと震えた。

「……君はその瞬間のことを覚えているか?」

殿下の声は覚えてほしいとも覚えていてほしくないとも言っていて、私はどちらとも言えない自分の記憶を辿る。

「全く覚えていないわけではありません。朧気ながら意識はありましたから。けれどなるべく早く死ねるようにと希薄に生きていましたから、はっきりと覚えているわけでもなくて」

曖昧ですみません、と私は殿下に詫びた。

「……いや、君に記憶が焼き付いていないなら、きっとその方がいい」

僅かに緩んだ腕の隙間から「はあ」という嘆息が届く。

それは安堵だろうか、落胆だろうか。

その答えは次の殿下の言葉でわかるはずだ。

「俺が君を刺した時、君は僅かに顔を歪めていた。正面で見ていたのだからそれは見間違いようがない」

殿下は「だが」と一拍置くと、

「俺が最期にもう一目と君を見た時、君は笑っていたんだ。……俺が美しいと思っていた、あの頃の君の顔で」

そう言って私の肩を掴んで体を離して、久々に私と目を合わせた。

薄暗い中でも彼の緑の瞳は光を放っているかのように良く見える。

「その後正気を取り戻して、けれど深い心の傷を負ってしまっていた君を俺はさらに二度も見殺しにした。そして記憶を失った君を見て、安堵と共に罪悪感を抱いた」

殿下の瞳は揺れることなく私を捕らえる。

「けれどどうあれ、君は再び前を向いて強く生きようとしていた。それを見た俺がどんな気持ちを抱いたか、きっとどれだけ言葉を尽くしても誰にも正確には理解してはもらえないだろうが、それでも俺は、確かに救われたんだ」

「救われた?」

「そうだ。あれは紛れもなく救いだった。そしてこの上ない絶望だった。その瞬間から俺は俺の人生を賭して君を幸せにしたいと思った。だから今回は君を確実に掴まえるために前回から準備をしていたんだ」

真っ直ぐなその目には力強さと共に弱さも存在しているのが確かに見える。

だというのに、彼は誰よりも強いのだろうと感じさせた。

例え大国オークリッドの王太子という身分などなくても、その心の在り様が凡百のそれとは違うのだと。

「そうして掴まえた君は、今まで見てきた君よりもずっと無邪気で、あどけなくて、けれど成熟していて、びっくり箱みたいな令嬢だったよ」

そしてゆっくりと笑みの形に歪んだ目元は誰よりも優しかった。

「あの日君が場合によっては騎士と結婚すると言った時、俺は絶対に許せないと思った。君を幸せにするのは俺の義務だと思っていたからだ。けれど君が窓から逃げた時、そうじゃないと気がついた」

殿下は私の頬に手を添える。

少しだけひやりとしたそれはすぐに私の体温と馴染んで温かくなった。

「俺はただ単純に、惚れた女性と一緒にいたいと思っているだけだったんだと」

「殿下…」

「ただそれだけのことに気がつくのに随分遠回りをして君に負担を掛けてしまった。そして自覚したことでより一層君に負担をかけるかもしれない」

さり、と殿下の親指が私の頬を擦る。

それに触発されるように、私の目から一粒だけ涙が流れた。

「いつからかなんてわからない。そんな感情を自分が持てると思っていなかったからな。けれど自覚すればそうとしか思えないし、溢れ出てくるこの感情を止める術を俺は知らない」

なにせ9度目の人生にして初めてのことだから。

殿下は最初に見せた苦笑と同じ笑みを浮かべながら私に言う。

「アンネローゼ、こんな俺だが、どうか結婚してほしい」

「……はぃ」

それに対する私の返事はみっともなく震えていて、かろうじて音にはなったがすぐに殿下の口の中へと吸い込まれていった。

読了ありがとうございました。

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