殿下が誤解を解きに来ました
3人が部屋を出てからどれくらいの時間が経ったのか。
少なくても自分で入れたお茶が冷めてすっかり渋くなるくらいの時間が経った頃、控えめなノックの音が聞こえてきた。
「…はい?」
私は3人の侍女が戻って来たのだろうと思っていたが、普段なら聞こえる入室許可を求める声がいつまでも聞こえないので、不思議に思いつつ返事をした。
もしかして先ほどまでの話し合いで気まずさを感じているのかもしれないと思って。
しかし私の声に答えたのは彼女たちではなかった。
「すまない、今、少しいいだろうか…」
扉の向こうから聞こえてきたのは、低くも優しい男性の声だった。
「私の淹れたもので申し訳ございませんが」
「いや」
殿下を部屋に通したもののまだ侍女3人は戻っておらず(恐らく殿下が留めているのだろう)、かと言って他の侍女を呼ぶ気にもなれなかったので、私は冷めたお茶を捨てて新しく自分の分と殿下の分を淹れた。
もちろんオークリッド国の王族付き侍女の腕には遠く及ばないが、飲めない代物でもないだろう。
念のためにと毒見も兼ねて自分のお茶を一口啜る。
……うん、普通!!
私は静かにカップをソーサーに戻した。
温かいものを口にすると、不思議と少しだけ心が軽くなる気がする。
本当に気がするだけかもしれないが、私はその勢いのままに紅茶を口に運ぼうとしている殿下に声を掛けた。
「先ほどリリたちに聞きました。殿下が先日婚約破棄なさったことと、その理由を」
「…ああ」
「殿下はこの繰り返しの原因を探るための結婚だと仰いましたが、本当は愛する彼女を解放するために私をお選びになったんですよね」
「ああ…って、はっ!?な、ぅぐっごぼ……げほっ、ごっほ、ち、げほ、ちがっ」
「お陰で何故私があの騎士と結婚するのをあれほど反対なさったのかも理解いたしました。彼女が愛する人と添い遂げる未来を作ってあげたかったのですね」
部屋で一人になってから私は色々考えて覚悟を決めていた。
元々ファビアン殿下と愛のない結婚をするはずだったのだから、その相手がジェラルド殿下でも私にとっては何も変わらないだろうと。
私がそれに納得すれば、皆の優しさを踏みにじらずに済むのだろうと。
だから私が、私だけが、今更気づいてしまった自分の気持ちに蓋をして笑顔で受け入れれば、事は全て丸く収まるのだ。
「ですから今生はお望み通り殿下と結婚してから呪いを解く方法を探すことに決めました。そして呪いが解けないまま終わりを迎えたら、次の生ではあの騎士と結婚して全てを終わらせますので、その際はご容赦くださいませね」
私は自分の決意を殿下に伝え、少しだけ胸の閊えが取れた気分でもう一度お茶を飲もうとカップに手を伸ばした。
これ以上の最善策などもうないだろう。
今生で失敗すれば意味のないことになってしまうが、それでも確かに彼女にその生を生きさせてあげられた記憶は殿下の中に残るのだから、それで殿下の心がほんの少しでも軽くなるならそれでいい。
けれど伸ばした手はカップに届く前に殿下に掴まれる。
「ぜは、ごほっ、じょ、冗談じゃない!!…げほっ」
先ほどから噎せていることには気づきつつ、しかし口を挟ませないためには都合がいいかと放っておいたが、思いの外深く気管に紅茶が入ったのか殿下は肩で息をしていた。
「……殿下?」
私の手を掴んだまま中腰でまだ咳き込んでいる殿下は「ちょっと待ってくれ」と言い、ハンカチで口元を押さえながら大きく咳き込み、ややして落ち着いたのか顔を上げた。
「失礼した」と呟いた声は少し掠れていたが、噎せる原因となった私の淹れたお茶で今度こそ喉を潤すと深く息を吐いて吸う。
「とりあえず誤解があるようだから、解いてもいいだろうか」
そして今まで見たことがないくらいに真剣な顔で私にそう言った。
「……誤解?」
「そうだ」
私が繰り返すと殿下はすぐに頷く。
まるでそれが最重要事項だと言わんばかりに。
けれど私にはどの部分が誤解なのかわからなかったので、「なんでしょう?」と訊ねる。
殿下は何故かその言葉にがっくりと項垂れると、握ったままだった私の手をさらに強く握り、
「俺は婚約者だった公爵令嬢を愛してもいなければ、彼女の幸せのために君との結婚を望んでいるのでもない!!」
と、どこか苦しそうな表情でそう言った。
どうやら誤解というのは婚約者であった公爵令嬢を愛していたという部分だったらしい。
そのある意味どうでもいいはずの指摘に、浅ましくも私は少し喜んでしまった。
別の女性を想って身を引いて私を選んだわけではないという、ただそれだけで。
それでも結局殿下が私との結婚を望んだのは繰り返しの原因を解き明かすためでしかないのに。
「そう、ですか…」
私は笑えばいいのか悲しめばいいのかもわからないまま殿下に頷いた。
結局この結婚に彼の思いはないのだから、何一つ変わったわけではない。
でも、それならそれでいい。
私を愛していなくても、誰も愛していないなら構わない。
私だけが愛を抱いていたって誰にも迷惑を掛けないなら、それでいい。
「ああ。それともう一つ。俺が君を選んだのは確かに繰り返しの原因を探ってのことだったが、今はもう違うからな」
「わっ!?」
言いながらずっと中腰だった殿下は私の傍へ移動すると、膝をついて急に私の手を引いた。
強い力ではなくてもカップを掴もうと不自然に傾いでいた私の体勢を崩すには十分な力で、私はそのまま殿下の胸に飛び込むように倒れ込んだ。
「なっ…!?」
何をするんですかと抗議しようと思った私は殿下の胸に打ちつけてしまった鼻を押さえながら顔を上げ、目が合った殿下の瞳に浮かぶ色に驚いて固まった。
「俺は愛した女性を簡単に手放すほど腑抜けた男ではないぞ?」
それがかつての婚約者であった公爵令嬢を指しての発言でないことは、強すぎる光を宿した彼の目が教えてくれる。
こんな目を向けられて勘違いをするほど私は鈍感ではないし、何よりあの目を見て勘違いなどできない。
「アンネローゼ、俺はもう君を唯一と定めた。諦めて今生も次生もその次も、今後も繰り返しが続くならその度ずっと俺の妻になれ」
そう言った殿下の目は、間違いなく雄の色を強く映していた。
読了ありがとうございました。
ようやくちょっと恋愛っぽい?
ジェラルドの心情の変化が急なように感じられるとは思いますが、後々明かしますのでご了承ください<(_ _)>




