第46話 監査役のあの子
張り詰めた沈黙を、最初に破ったのはアリアだった。
「じゃあ、ギルド側からひとつ折衷案を出したいんだけど……」
椅子の背にもたれていた身体を起こし、腕を組んだまま、軽く咳払いをする。
「なんでしょう?」
フィルが顔を上げる。眼鏡の奥の瞳には、期待と不安が半々に滲んでいた。
「監査役として、別の冒険者を同行させるっていうのはどう? アルドさんの懸念としては、要するに『同行者の安全を保障できない』っていうところにあると思うのよ。逆に言うと、自分の身を守れる人なら同行してもOK、という意味でもある。そうよね?」
確認するように、アリアがアルドの方を見てみる。
(監査役だと? 一体誰をつけるつもりだ)
嫌な予感が、ひやりと背筋を撫でた。
監査役──つまりは現場の様子を見張り、学会に逐一報告する目だ。発想そのものは理解できるが、問題は「誰を」据えるかだ。
Bランクだからといって、ガロスのような連中をつけられても、足手まといにしかならなそうなのだが。
「ああ。少なくとも、俺が断ったのは、戦えもしない学者どもを列挙されたからだ。自分の身を自分で守れる者なら、話は別だな」
言葉を選んでそう返すと、アリアは「だよね」と満足そうに頷いた。
「なるほど……監査役ですか。それはありですね。適任はいるんですか?」
フィルが身を乗り出す。
アリアは「そうねー」と呟きながら、机の端に積んでいた書類ファイルを引き寄せた。
ぱらぱら、ぱら、と慣れた手つきでページをめくっていく。
依頼の記録、パーティー構成、負傷報告。ギルドの受付嬢は、書類の海を泳ぐのも仕事のうちだ。
「ええと、戦闘能力があって、頭もそこそこ回って、報告義務もちゃんと守る真面目さがあって……」
「要求水準が無駄に高くないか?」
「あなたたちの護衛も兼ねてるんだから、当然でしょ?」
軽口を叩き合っていると、アリアの指先があるページの上で止まった。
「あっ」と小さく声を上げて、そこに視線を固定する。
「適任がいたわ。さっきちょうどギルドに来てたから、呼んでくるわね。ちょっと待ってて」
椅子から立ち上がると、アリアは鍵束を腰に引っ掛けたまま、ひらひらと手を振って会議室から出て行った。
扉が閉まる。残された三人は、どことなく行き場を失った空気の中で、気まずそうに顔を見合わせた。
「すみません、色々条件をつけてしまって」
先に沈黙を破ったのはフィルだ。
申し訳なさそうに眉尻を下げている。
「構わん。そっちの言い分もわかるしな」
アルドは首を振った。
彼が板挟みになっていることは、よく分かっている。
昨日の現場でも、〝封印核〟の危険性を訴えるアルドの話に真剣に耳を傾けていた。今こうして「現場主導」を認めようとしているのも、彼なりに学会と現場の折り合いをつけようとしている結果だ。矛先を向ける相手ではない。
「でも、適任って……一体誰のことでしょう?」
エリシャが、おずおずと口を開いた。
期待と不安が半々に混じったような声音だ。
「まあ、あの受付嬢のことだから、変な人選はしないと思うが……」
アルドはそう言いつつも、頭の中でギルドの面々の顔を順に思い浮かべていた。
前衛で、腕が立ち、口が堅くて、報告義務をしっかり果たす真面目さがあって──なおかつ、自分たちとの相性も悪くない。
そんな都合のいい人間が、この小さなギルドに何人いるのだろうか?
内心でそう皮肉を飛ばした、その時だった。
コン、コン、とノックの音がして、すぐに扉が開いた。
「連れてきたわよー」
顔を覗かせたアリアの肩越しに、もうひとりの影が見える。
視線を向けると、そこにはアリアと──鎧の肩当てが朝の光を受けて鈍く輝く女騎士の姿があった。金色の髪を後ろで一つに結び、赤い外套を羽織っている。
その姿に、エリシャががたんと椅子を鳴らして立ち上がった。
「適任って、エストですか!?」
声が一段高く弾む。
驚きと、どこか嬉しそうな色が混じっていた。
女騎士──エストファーネは、わずかに目を見開いたあと、苦笑を浮かべた。
「ええ、その通り。ギルドからは、監査役として元Bランクパーティー〝紅鷹〟のエストファーネをつけるわ」
アリアは得意げに胸を張った。
「彼女なら真面目だし、ちゃんと報告義務は怠らない。もともとノア=セリアの調査をギルド側からも依頼していたし、遺跡の怖さも知っているわ。それに、危機から脱して生き残ったという実績もある。適任じゃなくて?」
言葉の端に、これ見よがしな自信が滲んでいる。ここまでのドヤ顔を久々に見た。
「あのなぁ……そういう意味では適任かもしれんが、彼女は遺跡で死にかけてるんだぞ」
アルドは思わず額に手を当てた。
確かに、条件だけ見れば申し分ない。
ノア=セリアの構造をある程度知っているし、遺跡内での行動経験もある。剣の腕も確かで、責任感も強そうだ。
だがそれは同時に、あの地獄を身体で知っているということでもある。普通の感覚なら、二度と足を踏み入れようとは思わないはずだ。
「一応、事情は聞かせてもらったよ。軽くではあるがな」
エストファーネは小さく嘆息して、隣の受付嬢を呆れたように横目で見た。
どうやら、アリアに上手く言いくるめられたらしい。
「ただ、私も今はパーティーが解散して無職状態だ。ソロで何か仕事をしようかと思っていたのだが……そういう意味では悪くない仕事だ」
そこまで言って、エストファーネはアルドたちの方へ向き直った。
真っ直ぐな瞳が、こちらを射抜く。
「いいんですか? また遺跡に入ることになるんですよ?」
エリシャが、思わず問いかける。
その声には、友人を危険に巻き込みたくないという心配が深く滲んでいた。
「遺跡に入ってどこかの馬の骨を守れという依頼なら断るが、あたなたちふたりに付いていけばいいんだろう? それなら、このギルドの誰よりも心強いというものだ」
エストファーネは呵々として笑った。
その笑い方は豪快で、しかし決して無謀さだけではない芯の強さがあった。あの死地でなお剣を振るっていたのは、伊達ではない。
「それに、私も剣の腕には自信がある。ふたりの魔法があれば、壁くらいにはなるさ」
じゃき、と腰に帯びた剣の鞘を手に取り、軽く持ち上げながら言う。
その動作ひとつで、鞘の中の刃がわずかに鳴った。
硬質な音が、会議室の空気に細い筋を描く。
「先生、どうしますか?」
エリシャがおずおずと尋ねてきた。
友達と一緒に危険なところに行く不安と、一緒に戦ってみたいという期待。その両方が、揺れる深緑色の瞳にしっかりと浮かんでいた。
(まあ……彼女なら悪くはない、か)
アルドは心の中でひとつ息をつく。
昨日の戦いでも、彼女が前線を率いてくれたお陰で随分と戦いやすくなった。守護獣戦の前にも、ノア=セリアの探索で窮地を逃げ切っている。
力は確かだ。場数も踏んでいる。
何より、あの遺跡の理不尽さを身をもって知っている。その上で「行く」と言っているのだ。無謀と勇気の境界線を、ぎりぎりのところで見極められる人間と見るべきだろう。
「わかった。では、監査・エストファーネの同行なら良しとしよう」
静かに告げると、アリアがぱっと瞳を輝かせた。
「──ということなんだけど、学会側としてはどうかしら!?」
矛先をフィルへと向ける。
いきなり話を振られたフィルは、一瞬だけ目を白黒させた。
「どう、と言われましても……賛成するしかないじゃないですか。わかりました。何とか説得してきます」
苦笑しながらも、きちんと頷く。
その様子に、アリアは「いい子ねー」と軽口を叩き、フィルは苦笑いを深めた。
「ただ、正式な依頼は少し待ってください。僕も上を説得しなければならないので」
「それなら構わん。こっちも、少し休ませないといけないしな」
アルドはちらりとエリシャを見て言った。
視線を受けたエリシャは、苦笑して「すみません」と頬を掻く。
「具合が悪いのか?」
エストが心配そうにエリシャに訊いた。
「魔力が完全に枯渇してしまってるんです。それで今は、全然魔法も使えなくて」
「なるほど……魔力を使い切るとそうなるのか。魔導師も難儀だな」
「普段はそうならないんですけどね。昨日は頑張りすぎました」
エリシャが困ったように笑う。
昨日、彼女の身体は限界を超える負荷に晒された。
魔力枯渇は、頭で「大丈夫」と言ったところで、ごまかせる類のものではない。そもそも魔法が使えなければ、魔導師などただの人だ。仕事などできるはずがない。
「休むのも仕事のうちだ」と、学院時代に教師から叩き込まれた言葉が、ふと頭をよぎる。
「正式な依頼書が届いたら、改めてここで説明するわ。それまでに、そっちも体調を整えときなさいな」
アリアがそう締めくくると、会議室の空気はようやく少しだけ緩んだ。
フィルは資料フォルダを抱え直し、エストファーネは剣の鞘を腰に戻す。
エリシャは、少し安心したように息を吐いた。
こうして、一応は『ノア=セリア再調査、外部顧問アルド=グラン、補佐エリシャ=リュミエール、監査兼護衛エストファーネ』という形で話がまとまった。




