第45話 会議は踊る。されど……
会議室は、窓の少ない静かな部屋だった。
長机が一本、その両側に椅子が並べられている。壁際には古い地図や、過去の大規模依頼の記録が巻物の形で並んでいた。
アリアが扉を閉める。重たい音が、部屋の中の空気を一段静かにした。
「じゃ、座って」
促されるまま、アルドとエリシャは長机の片側に腰を下ろした。
その向かいに、フィルとアリアが座る。
机の上に、先ほどの王都からの書簡と、フィルが持ってきたと思しき分厚い資料フォルダが並べられた。
「改めまして……昨日は本当にありがとうございました」
フィルが深く頭を下げた。
「王立考古学会としても、個人としても。あの場に立ち会った者として、感謝してもしきれません」
「礼はもう聞いた。報告会でも散々言われたからな」
アルドは軽く手を振った。
「それで? わざわざ俺たちを王立考古学会所属に登録したい、というのは学会の総意か?」
「はい。……まあ、建前上は、ですけど」
フィルは苦笑した。
真面目な顔をしていながら、その目の奥にはわずかな疲れが滲む。
「書簡にも書かれていた通り、ノア=セリア第二次調査が正式に動き出します。〝封印核〟の暴走を受けて、上層部もさすがに放置できないと判断したみたいで」
「当たり前だ」
あんな代物を街中に持ち込んだ連中が、ようやく事態の重さに気付いたらしい。
遅いにもほどがあるが、一応の前進ではある。
「そこで、学会としては──〝封印核〟の暴走を収束させ、さらには守護獣の命令構造も解析も可能。加えて、現場で最高度の魔法を行使できる魔導師を正式に調査隊に組み込みたい、というわけです」
フィルは、少し肩を落としながら続けた。
「ただ……正直に言うと、僕個人としては、やり方には疑問があります。いきなり『王立学会所属の調査魔導師として登録したい』なんて、一方的に通達を出すのはどうかと」
「お前がそこまで言うとはな」
アルドは少しだけ目を細めた。
学院や学会の若い研究者というのは、得てして上の意向をそのままなぞるだけの者が多い。だがフィルは、昨日も暴走核の危険性について真剣に耳を傾けていたし、今もこうして本音をこぼしている。
少なくとも、『机の上で分かったつもりになっているだけの学者』とは少し違うようだ。
「ただ、形式上はどうあれ、現場の主導はアルドさんたちにお願いしたい、というのが僕の本音です」
フィルは真っ直ぐこちらを見た。
「あの遺跡と封印核の実態を、一番理解しているのはあなた方ですから」
「現場主導か」
アルドは腕を組み、椅子にもたれた。
「だったら尚更、王都所属なんぞ御免被りたいが」
「やっぱり、そう仰いますよね……」
予想通りの反応だったのか、フィルは苦笑いを深める。
アリアがそこで、こつん、と机を指先で叩いた。
「そこで、うちからも一言」
からりと軽い声色だが、その目付きは真面目だ。
「アルドさん、あなた、さっきから所属って言葉聞いただけで顔に『嫌』って書いてあるわよ」
「書いてない」
「書いてる書いてる。額のあたりに、凄くね」
エリシャが隣で苦い笑みを浮かべて、「書いてありますね」と小さく頷いていた。
どいつもこいつも、実に失敬だ。
「でもまあ、気持ちはわかるわ。学院だ学会だって看板の下に立つと、研究以外の面倒事の方が増えるのよね」
アリアは冗談めかして笑いながらも、ちらりとフィルと書簡に視線を向ける。
「よく分かっているじゃないか」
「伊達にギルドで何年も帳簿とにらめっこしてないもの。魔導師の冒険者から愚痴も聞いたことあるしね」
アリアは片目を瞑ってみせ、続けた。
「だからさ。学会所属じゃなくて、うちのギルド所属のまま、学会への外部顧問って形にできない?」
その一言に、部屋の空気が少しだけ動いた。
フィルが目を瞬かせ、アルドも無意識に姿勢を正す。
「ギルド所属?」
「そう。アルドさんとエリシャちゃんは、あくまでリーヴェ冒険者ギルド登録の魔導師。そのままの肩書きで、学会から『ノア=セリア調査における外部顧問』って形で契約するの」
アリアは指で空中に枠を書くような仕草をした。
「そうすれば、身分上の直属の上司はあくまでギルド。学会からの指揮系統は、仕事を請け負った時だけに限定できる。どう?」
「……なるほどな」
アルドは顎に手を当てた。
組織に属することの面倒さは、指揮系統が増えることとほぼイコールだ。
誰の命令を優先すべきか、どこまで報告すべきか。判断の自由度が削られていく感覚が、何より厄介だった。
ギルド所属のままなら、少なくとも、実務上の優先順位は自分の判断とギルドの規約に従って決められる。
「学会としても、完全に好き勝手やられるよりはマシでしょう?」
アリアはフィルに視線を向けた。
「調査結果の一部を学会に優先的に提供して、その代わりにノア=セリア関連資料への閲覧権を確保する。そういう相互協力の契約なら、上も飲みやすいんじゃない?」
「調査結果の一部……閲覧権……」
フィルは口の中で繰り返しながら、ぱらぱらと持参した書類をめくる。
おそらく、事前に提示されている契約案を思い返しているのだろう。
「元の案では、『調査隊参加者全員を王立学会所属の臨時魔導官として登録』ってなってましたけど……外部顧問という扱いに変更できる余地は、なくはない、はずです」
慎重な口調でそう言い、彼は顔を上げた。
「ただ、その場合でも、いくつか条件が必要になります。調査で得られた成果を、一定期間内に学会へ報告すること。報告内容の一部を、対外発表の前に学会が確認できること。……そういった条項は、外部顧問契約にも必ず入るでしょう」
「報告義務と、情報の優先提供か」
聞いていて、吐き気がするほど理不尽な条件ではない。
むしろ、外から見れば妥当な線と言えるだろう。
アルドも、学会が完全に蚊帳の外に置かれることを望んでいるわけではない。あの〝封印核〟や遺跡の危険性を共有し、無駄な犠牲を出さないためなら、情報提供はやぶさかではない。
「調査で得られた資料や成果のうち、学術的に重要と判断されたものは、学会のアーカイブに保存されます。その代わりと言ってはなんですが……」
フィルは一息つき、言葉を選ぶように続けた。
「ノア=セリアに関する既存の調査記録、〝封印核〟に関する過去の試験結果、他の遺跡との比較資料など──本来なら内部の研究者にしか閲覧が許されない資料へのアクセス権を、アルドさんとエリシャさんにも個人として付与する。そういう条件であれば、僕からも推したいです」
「ほう」
そこまで踏み込んだ提案を、若手の立場でここまで言っていいのか、と一瞬思ったが──それだけ、彼自身も事態の深刻さを理解しているのだろう。
昨日の暴走を間近で見た者の目だ。
「学会としても、あの遺跡を正しく理解したいはずです。形式上の肩書きにこだわって、現場を敵に回すような真似は、本当はしたくないはずなんですよ」
フィルの言葉には、ほんのわずかに自嘲が混じっていた。
アリアが、ぱん、と手を叩く。
「じゃあ、こういうことね。──調査結果の一部を学会に優先提供。その代わり、ノア=セリア関連資料への閲覧権。それと、学会側はあくまで協力関係ってことで、現場の判断はアルドさんたちに一任」
「それなら、こちらとしても飲めなくはない」
アルドはゆっくりと頷いた。
研究に必要な材料は欲しい。
だが、自分の足と目で確かめていない情報を、そのまま鵜呑みにするつもりもなかった。
資料はあくまで参考だ。現場での判断は、自分たちがする。
「あともうひとつ、こちらから条件がある」
アルドは、机の上に置いた書簡に指先を置いた。
フィルが真剣な表情でこちらを見る。
アリアもわざとらしく息を呑んでみせた。
「調査は、俺とエリシャのふたりだけでやらせてほしい」
短く、はっきりと言う。
一瞬、部屋の空気が止まった。
「それは……」
最初に反応したのは、フィルだった。
困惑と戸惑いを混ぜた声が漏れる。
「さすがに、『学会の公式調査隊』という名目上、現場を完全に任せきりにするわけにも……こちらとしても、調査のプロセスを記録したいという意図がありますし」
「そちらが言いたいこともわかる」
アルドは頷いた。彼らが現場で何をどう観察し、どう解析しているのか。学会にいる研究者たちも知りたがるだろう。
「だが、昨日の〝封印核〟の一件はどうだ?」
言葉に、ほんの少しだけ冷たさが混じった。
「あんな代物を検証もなく街中に持ち込むような理解度しかない連中のお守りなどしてられんぞ。悪いが、これだけは譲れん」
フィルが息を呑むのが分かった。
そもそも、封印の遺跡自体が未知の領域だ。
どんな罠や魔物が潜んでいるか、どんな呪詛が仕掛けられているか、現時点では誰にも分からない。
その状況では、弟子ひとりを守るだけでも手一杯だ。
そこに、実戦経験も乏しい学者を何人も連れて行き、その安全にまで責任を持てと言われても、できるはずがない。
「現場は、俺と弟子の二人。必要なら、ギルド側から何人かサポートをつける。それ以上は連れていかん」
言い切ると、部屋の中に重たい沈黙が落ちた。
フィルは唇を引き結び、視線を机の上に落とす。
机の木目を見つめながら、何かを必死に飲み込んでいるような表情だった。
彼も、昨日の騒動を目の当たりにしている。
封印核が暴走し、魔獣が溢れ出したあの光景を。自分たちがいかに無力だったかも、痛いほど自覚しているはずだ。
だからこそ、アルドの主張が筋の通ったものだと分かってしまう。
だが同時に──学会の意向もある。
上層部は、現場での観察者を送り込みたがるだろうし、調査内容を逐一把握したがるだろう。
その板挟みで、フィルの表情は、これ以上ないほど苦々しく歪んでいた。
「…………」
アリアも、珍しく口を閉ざしていた。
椅子の背にもたれ、腕を組んだまま、天井を見上げるふりをして、横目で二人を観察している。
ギルドとしても、あまり学会と揉めたくはないはずだ。
だが、現場の安全が何より優先される、という点ではアルドと一致している。
どこで線を引くべきか。
どこまで飲んで、どこから拒むべきか。
部屋の空気は、ぴんと張り詰めた糸のように静まり返ったまま。
誰かが息を吐けば、それだけで音になりそうな沈黙が続く。
そこで──会議は、いったん止まった。




