第41話 臨時報告会
リーヴェ南門前の丘から戻るころには、空はすっかり茜色から群青へと移り変わっていた。
臨時の馬車に押し込まれるようにして街へ戻され、そのまま一行はギルド本部の大広間へと案内された。
普段は依頼票の確認や報告で雑然としている場所だが、今は机が端に寄せられ、中央に簡素な演台と椅子が並べられている。臨時報告会、というわけだ。
ざわつく空気の中、アルドとエリシャは前列の椅子に腰を下ろした。
他の冒険者たちも、包帯や治癒魔法の痕をそのままに座っている。誰もが疲労の色は濃いが、それでも『生きて戻れた』という事実が、その表情を緩めていた。
しばらくして、帳簿の束を抱えたアリアが、カウンターの向こうから姿を現した。いつもの軽い笑みを少しだけ引き締め、演台の前に立つ。
「えー、みんな。本当に、お疲れ様でした」
開口一番、そう言ってから、アリアは周囲をぐるりと見渡した。
その瞳に、いつものからかい半分の色はない。素のギルド職員としての顔だ。
「まず最初に言っておくわ。……あなたたちがいなかったら、今頃リーヴェは半分くらい吹き飛んでいたと思う。ギルド職員一同を代表して、御礼を言うわ。本当に、ありがとう」
軽口めいた言い回しなのに、その声音には冗談の気配がなかった。
広間のどこかで、小さく息を呑む音が重なる。
「南門から見てたけどね。正直、生きた心地がしなかったわよ。こっちは祈ることしかできなかったわけだし」
アリアは肩を竦め、そこでアルドとエリシャの方に視線を向けた。
「……特に、魔導師師弟コンビのおふたりさん。〝封印核〟の沈静化、本当に感謝するわ」
正面からの礼に、アルドは軽く頷いた。
エリシャも畏まった様子でぺこりと頭を下げる。
「仕事をしただけだ。あとは、報告の方を済ませよう」
「そうね。じゃあ、経緯の確認からお願いしようかしら」
アリアの促しに合わせて、アルドは一歩だけ前へ出る。
十数対の視線が集まるのを感じながら、簡潔に事のあらましを語った。
南門外での状況。暴走した〝封印核〟。魔獣の発生。そして、守護獣戦で得た知見を応用した、高位詠唱に近い独自技法による〝封印核〟への介入──。
「……要するに、核に刻まれていた命令文の上に、こちらの命令構造を重ねて、暴走側の指示を沈めた」
アルドはそこで言葉を切った。無詠唱で神代語を直接叩き込んだとは言わず、敢えて「高位詠唱に近い」「独自技法」という曖昧な表現に留める。
エリシャも横でこくこくと頷くだけで、余計な補足は挟まなかった。
(……これ以上目立つわけにもいかんからな)
無詠唱と神代語の組み合わせなど、下手に噂になればろくなことにならない。
特に、無詠唱魔法については神の領域なのか人の領域なのか、まだアルド自身も認識が曖昧だ。下手をすると、禁忌に踏み込みかねなかった。黙っておいた方が懸命だろう。
質問は幾つか出たが、どれも「核に近づいた時の感覚」だの「暴走域の圧力」だの、現場の冒険者としての興味が中心だ。アルドはそれに淡々と答え、エリシャも封鎖陣の維持について、簡単に言葉を添えていた。
報告が一通り済むと、アリアが再び前に出た。
「はい、お疲れ様! それじゃあ、皆が一番気になってる報酬の話ね」
その一言で、広間の空気がほんの少しだけ活気づいた。
誰かが小さく咳払いでごまかすのが聞こえて、何人かが苦笑する。
「今回の件は、ギルドから出された緊急依頼よ。それに加えて、王立考古学会からの特別謝礼金が出ているわ」
アリアは手元の帳簿をぱらぱらとめくり、読み上げた。
「まず、ギルドからの基本報酬。危険度S相当の緊急対応費を、参加者全員に一律支給するわ。それから、生還者ボーナスと、特筆功績者への上乗せ。──封印核の沈静化に直接関わったアルドさんとエリシャちゃん、それから前衛指揮を取ってくれたエストファーネさんには、別枠で加算があるわ」
ざわ、と小さなどよめきが走る。
エストファーネが、隣の椅子で「えっ? 私がか?」と小さく目を見開いていた。
「そして、王立考古学会から。封印核および護衛隊の被害状況、暴走の収束に関して、感謝の意を込めた謝礼金が預けられてる。こちらは、隊長格と魔導担当を中心に、功績比で分配する形になってるわ」
順番に名前が呼ばれ、小袋が手渡されていく。
硬貨が触れ合う重みと音に、場のあちこちで安堵の笑いがこぼれた。
やがて、アリアは最後の三つの袋を手に取る。
「で。街を救ってくれた、あなたたち三人ね」
そう前置きしてから、アリアはアルドたちの前へと歩み寄った。
「アルドさん、エリシャちゃん、それからエストファーネさん。ギルド分と学会分、両方まとまってるわ。落とさないようにね?」
ひとつずつ、布袋が手渡される。
ずしりとした手応え。中身を数えるのは、宿に戻ってからでいいだろう。
「それと、もうひとつ」
アリアがひらひらと羊皮紙を揺らした。
「王立考古学会から伝言。『封印核およびノア=セリアに関する古代語の再検証に、後日正式に協力をお願いしたい』──だそうよ」
「再検証ですか」
エリシャが顎に手を当て、興味深そうに呟く。
「それもそうだろうな。あれだけ盛大に暴走してくれれば、あちらの面子も丸潰れだ」
アルドが皮肉混じりに言うと、アリアはくすっと笑った。
「でしょうね。でも、そのおかげで──」
彼女は、ちらりとアルドたちを見やった。
「公式調査隊の顔ぶれに、あなたたちの名前が入るのはほぼ確定だと思うわ。なんていったって……あの危ない核を黙らせた張本人なんだから」
からかい半分、本音半分といった声音だった。
「……公式の調査隊、か」
アルドは、小さく漏らした。
王立考古学会の正式な調査に名を連ねる──それは、名誉であり、同時に枷にもなる。
古代語と封印核、それから封印の遺跡。どれも、アルドがこれから深く潜っていく必要がある分野だ。だが、学会の看板の下でそれをやるとなれば、自由は確実に削られる。報告義務、機密保持、政治的な力学。学院で教員をしていた頃に嗅がされた、あの面倒な空気が脳裏をかすめる。
(……それに)
無詠唱魔法や神代語の実地運用まで、公式に晒す気はない。
学院から追い出されたばかりの魔導師が、「実は世界最先端の研究をしています」などと公にしたところで、ろくなことにはならないだろう。
学会側の知識も怪しいものがあった。選抜されたからといって、手放しに喜べることではない。
「先生?」
横から、エリシャの声がした。
彼女は心配そうにこちらを覗き込んでいる。
「いや、なんでもない。また正式に依頼があった時に話す」
アルドはそう返し、思考をひとまず棚上げした。協力するにせよ断るにせよ、整理しなければならないことは多い。
アリアは肩を竦めた。
「ま、そっちは追々ね。あっちも書類を整えるのに時間がかかるでしょうし」
そう言ってから、帳簿をぱたんと閉じた。
「さて──真面目な話はここまで。ところで、今日ギルドで打ち上げがあるけど、どうする? お代は全部ギルド持ち。お酒も食べ物も飲み食いし放題よ?」
途端に、周囲の冒険者たちの目の色が変わった。
「お、来たか!」
「無料ってことは、あの高い肉も出るやつだな?」
「酒樽、何個空けられるかな……」
「死ぬほど飲むぜぇぇ!」
わかりやすい反応だ。アリアが呆れたように笑った。
「はいはい。ちゃんと節度は守るのよ? 壁壊したら給料から引くからね」
そう釘を刺してから、彼女は改めてアルドたちの方を向いた。
「で、あなたたちは? 今日は主役みたいなものだし、できれば参加してほしいんだけど。前のテーブル、空けておくわよ?」
アルドは、自然と隣のエリシャへと目を向けた。
表面的な傷は、治癒魔法でほとんど消えている。
だが、近くで見ると、まだ目の下には薄い影が残っていた。姿勢も、いつものように背筋を伸ばしているというより、どこか頼りなく椅子に体重を預けている。身体に力が入っていないのだ。
何より──魔力の気配が、静かすぎる。
井戸の底まで覗き込んでも、水面が見えないかのような、乾いた静けさ。今は酒や濃い食事よりも、ゆっくりと休ませるほうが先決だろう。
「……今日はやめておこう。俺も弟子も、少々疲れているからな」
短く、しかしはっきりと言った。
エリシャが驚いたように瞬きをし、それから小さく微笑む。
「そうですね。私も、今日はちょっと……」
「あら。それは残念ねー」
アリアは口を尖らせるふりをしたが、すぐに肩の力を抜いた。
「でもまあ、命の方が大事だしね。ゆっくり休みなさい。あなたたちがいない分、こっちで賑やかしておくから」
アリアはそう言って片目を瞑ってみせると、他の冒険者たちに「あなたたち、騒ぐのはいいけど後片付けちゃんと手伝いなさいよ!?」と声を張って、広間の奥へと去っていった。
やがて、椅子が引かれる音と、歓声と笑い声が混ざり始める。
打ち上げの準備のために、大広間の奥では樽や皿が運び込まれていた。香ばしい肉とスパイスの匂いが、すでに漂い始めている。
「いい匂い……」
エリシャが、思わずお腹を押さえた。
その仕草に、アルドは小さく笑う。
「宿でも食事は出る。あっちの方が静かだしな」
「はい」
エリシャは素直に頷いた。
ふたりは席を立ち、他の冒険者たちに軽く会釈をしてからギルド大広間を後にする。
「エリシャ、今度またゆっくりお茶でもしよう。この前の礼も兼ねて、ご馳走させてほしい。アルド殿もよかったら一緒にどうだ?」
エストファーネがこちらに声を掛けた。
エリシャは「はい、ぜひ!」と嬉しそうに頷き、アルドもそれに片手を挙げて応え、扉を押し開ける。
外に出ると、夕闇はすでに夜へと変わりつつあった。
街路に灯されたランプが、石畳を柔らかく照らしている。遠くから、打ち上げの準備に沸くギルドの笑い声が、かすかに漏れ聞こえてきた。
「さて……帰るか」
「宿に帰って反省会ですね」
「今日はやらんでよろしい」
勉強熱心な弟子の頭をぽんと撫でると、彼女はぽっと頬を赤くした。
「よく、頑張ったな」
「……まだまだ、全然です」
エリシャは恥ずかしそうにはにかむと、空を見上げた。
アルドも釣られるようにして、空を見る。
いつもと変わらない夜空。それが、今日は特に特別に感じた。




