第18話 まさかのAランク入り
転移の光がほどけ、土と草の匂いが肺を満たした。リーヴェ郊外の転移地点だ。風が吹き、エリシャの白銀の髪がさらりと揺れる。
「よし、大丈夫だな。ギルドまで一直線に行くぞ。くれぐれも、落とすなよ?」
「わかってますってば」
夕雲の端が橙に燃え、城壁の陰が長い。街門を抜けると、人と荷車の流れが広がった。
負傷者三名を宙に浮かべている光景は目を引くが、エリシャは余計な視線に気後れすることなく、女騎士を慎重に運んでいた。もちろん、アルドも言うまでもなく、だ。
冒険者ギルドの扉を押し開けるなり、ロビーのざわめきが波のように持ち上がる。
「おい、あれ行方不明になってた〝紅鷹〟じゃないか!?」
「あいつら今朝ワイバーン倒したばかりだろ!? 救出依頼も受けてたのかよ!」
色々な声が投げかけられているが、今はそちらの相手をしている暇はない。
「怪我人だ! 医療班を呼んでくれ!」
アルドは受付奥にいたアリアに言った。
アリアは一瞬だけ目を大きくしたが──きっと、「え、もう戻ってきたの!?」という驚きもあるのだろうが──すぐに状況を把握し、医療班を手配する。
白エプロンの治癒師たちが浮遊を引き継ぐように滑らかな手付きで担架を差し込み、術式による固定具で身体を支えた。さすがに手際が良い。
アルドとエリシャは一歩退き、通路を確保した。
「こちらでお預かりします!」
「ああ、頼む」
担架が奥の救護室へと消えていくのを見届けてから、アリアがカウンターから出て駆け寄ってきた。
彼女の頬は、いつになく蒼ざめている。
「本当に助かったわ……ありがとう」
アリアはエリシャの肩に軽く触れ、それからアルドに向き直って深く一礼した。
普段は強気な目元が、今は明らかに緩んでいる。扉の向こうへ消えた三人の姿を何度も確かめるように視線を往復させて、やっと安堵を吐き出した。
アルドは頷き、手短に要点を並べた。
「ご覧の通り、〝紅鷹〟のメンバーは全員無事だ。ただ、遺跡内部は封印系の魔法陣が今も稼働していた。冒険者に探索させるのは危険だろうな」
言葉を選びながら、守護獣の性質と応答、広間の構造、作動している魔力循環の拍──必要最小限だが、命取りになり得る要点は漏らさず伝えた。
「ダンジョンを護る守護獣を一体倒した。が、あれだけではない可能性がある。少しだけ中を見てみたが、遺跡は思った以上に広かった。今回、〝紅鷹〟はそれほど奥へは入っていなかったから何とかなったが……俺でもどうにもならない罠があってもおかしくない」
続いて、守護獣の戦闘力についても説明すると、アリアの眉がきゅっと寄った。
「そんなに危険な場所だったのね……甘く見てたわ。前にも言った通り、ノア=セリアはまだ見つかって間もない遺跡なのよ。その様子見も兼ねて実力派パーティーの〝紅鷹〟に任せたんだけどね……」
アリアは苦い顔で唇を噛んだ。
判断ミスを悔やむ色はある。だが、責め立てても意味はない。
「古代遺跡は未知数な部分も多い。もしノア=セリア絡みで何か調査があれば、俺たちに任せてもらえないか?︎もちろん、今回みたいに非公表の依頼でも構わない」
「ええ、わかったわ。ギルドマスターにもそう報告しとく」
アリアは短く考え、すぐに頷いた。
これで言質は取れた。研究のためにも、この遺跡にはもう一度足を運ぶ必要がある。己の中で噛み合った何か、そしてあの古代語の声の意味を、調べない手はなかった。
それから彼女はカウンターまで来るよう促すと、帳面を取り出し、さらさらとペンを走らせた。別の職員へ手振りで合図を送り、背後で戸棚の鍵が開く音がする。事務の段取りが驚くほど速かった。
「……それでね、あなたたちの件よ」
アリアが帳面をぱん、と閉じると同時に、周囲の視線が再び寄ってくるのをアルドは背中で感じた。
好奇と敬意と、少しの怯え。新顔の二人組が、朝にはワイバーンを討伐し、その夕方には行方不明になっていた上位Bランクのパーティーを連れ帰ったのだ。噂が膨らまない道理はない。
「アルド=グラン、エリシャ=リュミエール——ふたりのパーティー……まだ名前はないんだっけ?」
「ない。必要なら付けるが」
「じゃあこのままでいいわ。ふたりは近日中にAランクパーティーに昇格されると思うわ。魔導師二人組が登録二日後にAランクパーティーだなんて……前代未聞よ」
場がどよめいた。ロビーのあちこちで椅子が軋み、酒杯が止まる。
羨望、驚嘆、半ば伝説を目撃したような笑い。雑音の層が一瞬だけ厚みを増し、すぐに日常のざわめきに戻った。
「Aランク……」
エリシャも目をまん丸にしていた。Aランクパーティーと言えば、各街のギルドに一組いるかどうかといった最上位クラスのパーティーだ。アルドとエリシャは、たった二日で最上位クラスまで駆け上がったのである。
アルドは喉の奥で小さく咳払いを一つすると、エリシャがはっとして姿勢を正した。
「Bランクの〝紅鷹〟がどうにもならなかった相手を無傷で仕留めて救出したんだもの。評価は当然よ。……それと、報酬も弾むわ」
アリアが示した明細書には、桁がひとつ増えていた。
救難依頼の成功報酬に、非公表特別加算、危険度加算、救護加算。どれも破格だ。
「暫く働かなくてもいいぐらい、ってやつね。それぐらい、私たちが感謝してるって思ってくれていいわ」
「ありがたく受け取っておく」
職員が持ってきた金貨袋は、布越しでも重みが伝わった。
口紐を少しだけ開くと、打刻の新しい金貨がぎっしりと光を返している。エリシャが「わぁ」と喉の奥で小さく弾けた。
アルドも一度にこんな大金を得たのは人生で初めてだ。
(冒険者って儲かるんだな……)
研究者としての給与を遥かに超えるこの一攫千金ぶりを見てしまうと、魔導師の中から冒険者になりたがる者が出てくるのもわかる気がした。
(とはいえ、俺は研究者だからな。あくまでも、金は手段に過ぎん)
アルドはそう自分に言い聞かせ、〈異界収納〉に金貨袋をひょいと放り込んだ。鯨に落とした豆のように、重みが消える。
アリアが肩の力を抜いて笑みを見せた。
「本当に、よくやってくれたわ。ギルドマスターからも改まって挨拶をさせるけど……今日は朝から働き詰めだものね」
「ああ。さすがに俺も疲れたな」
「私もへとへとです」
隣のエリシャと苦笑いを交わした。
移動含めて今日は魔力を使い過ぎているし、朝から動きっぱなしで体力的にも疲れている。仕事関連の話はもうしたくなかった。
「じゃあ、今日はゆっくり休んでちょうだい。医療班から〝紅鷹〟の容体が上がったら伝えるわ」
「ああ、頼む」
手短な挨拶を交わして、カウンター前の喧騒から離れた。
背後からは「二日でAランク!?」「しかも魔導師だけで!」「いや、あれは運じゃねえよ」「ワイバーンを瞬殺したって街でも噂になってる」「俺たちは伝説を目の当たりにしてるのかもしれない……」などと囁きが聞こえてきた。
これは、暫くギルドには顔を出さない方がよさそうだ。色々詮索されるのも、飲みに付き合わされるのも、自分語りをさせられるのも御免だ。
「さて、エリシャ」
廊下の角で足を止め、アルドは向き直る。口を開く前に、わずかに咳払いが出た。胸の奥が、戦いとは違う種類の緊張で少しこそばゆい。
「はい、なんでしょう?」
エリシャはまっすぐな目で見上げてくる。まだ頬に粉塵の名残が残り、白銀の髪も少しパサついていた。
「何か食べたいものはあるか?︎何でも好きなものを言っていいぞ」
「えっ……?」
きょとん、と瞬きをして、首が小さく傾く。どうして、と表情が問うていた。
「言っただろう。見事だった、と。弟子の成長は祝わんとな」
言葉にしてみれば当たり前だが、喉を通すのは案外むずかしい。
アルドは自分でも可笑しくなり、口元が崩れるのを自覚した。実際、エリシャがあの守護獣の無詠唱魔法に対処できたのは、彼女がこの数日でアルドから吸収したものがあってのことだ。無詠唱という異端を、詠唱の規範の中で可能な限り模倣してみせた。どの判断も、本当に見事だった。
エリシャの顔がぱっと明るくなった。頬が紅潮し、緑の瞳が一段階大きく見える。
彼女は嬉々として言った。
「それなら私、先生の好きなものを食べたいです!」
「はあ?」
予想もしていなかった答えに、今度はアルドが首を傾げた。
「それだとお前の祝いにならんだろう」
「いいんです。私、先生の好きなものを知りたいですから」
エリシャはどこか恥ずかしそうにもじもじとして言った。
意図が、さっぱりとわからない。
「……? まあ、そういうことなら構わないけど。俺はそんな洒落たものは食わんぞ」
「はい!」
これでもかというくらい、返事が弾んでいた。
エリシャのにこにことした口元を見ていると、さっきまでの古代語の残響も、報酬袋の重さも、全てがどうでもよくなってくる。
(とはいえ、俺の好きなものと言ってもなぁ。正直、食い物など食えれば何でもいいと思っているんだが)
研究者としての性なのか、食事は栄養補給という側面で見ている部分が多かった。
年頃の娘が喜びそうな料理や店など、さすがに専門外過ぎる。
「河通りにある水門亭なんかがいいんじゃない?」
悩んでいると、愉快そうな声が背後から届いた。
振り向くと、先ほどまで受付内にいたアリアだった。
悪戯っぽい笑みを浮かべているところを見ると、どうやらアルドが困っていたのを見透かしていたらしい。
「炙り肉と煮込みが美味しいわよ。コース料理なんかもあるしね。建物の奥が川に面してて、風も気持ちいいし。デートにもおすすめよ?」
「ででで、デート!?」
思わず、声が上擦ってしまった。
女将といい、この受付嬢といい、どうして弟子と師匠をそういう関係にしたがるのだろうか。
隣のエリシャも、すっかりその単語のせいで顔を赤くしてしまっていた。
「エリシャちゃんも、雰囲気がいいところの方がいいでしょ?」
「それは、えっと……まあ」
アリアに乗せられ、エリシャがもじもじと頷く。
どうして彼女までそうなってしまうのかがさっぱりわからなかった。
「わかったわかった! じゃあ、そこにしよう!」
アルドがやけくそ気味に言うと、何故かアリアは満足そうに頷き、エリシャは恥ずかしそうな、それでいて嬉しそうな笑みを浮かべたのだった。
学院を出てから、妙に女性に振り回されるようになった気がしてならないのだが、気のせいなのだろうか?




